11_真実







「…っ!?月方さん…!な、なんですか!?」

「今日はここでそのまま解散の予定だったけど、急遽、そうはいかなくなったよ」


「あの、ちょっと痛いです、なんですか!?」

「大至急、俺は君を社に連行しなくちゃいけない」














Manic Monday -真実vol.1-













帰国して、携帯の電源を入れようとした直後だった。

わたしよりも先に電話を掛けながら移動していた栗津さんに「携帯を使うな佐久間!!」と大声で叫ばれた時、全身が大袈裟な程に動いた。

それくらい、驚いた…いつも大きな声を出さない、栗津さんだったからこそ。

そしてすぐに、月方さんに腕を捕まれた。痛いほどに。


「ちょ、ちょっと、どういうことですか?」

「それはこっちが聞きたい。言い訳なら社でしてくれ」

「言い訳って…なんですか?わたし、何かしたんですか?」


それきり、二人は何も答えてはくれなかった。

無言でわたしをタクシーに乗せ、社に着いた途端タクシーから乱暴に引き摺り下ろした。

吉井さんはもう家に着いただろうか?

彼女はあのまま帰ったようだったので、そんなことをふと思った。


それらの時間は、その後の五日間に比べると遥かに幸せだったように思う。

特別何をされたわけじゃなくとも…わたしは絶望に浸るしかなかったから。








* *







ただごとじゃないんだと頭で理解出来たのは、存在すら知らなかった社の地下室に連れて行かれた時だった。


そこはまるで取調室のようだった。

本物を見たことはなくても、なんとなく、そう感じることが出来るほどに冷たい部屋。

そこに強引に入れられた時、わたしは遂に痺れを切らした。


「ちょっとなんなのこれ!?ねえ、月方さん!何とか言ってよ!」

「…話を聞くのは、俺じゃない」


月方さんがそう言い終わったのと同時に、暗い部屋の扉が開けられて。

そこに入ってきたのは、わたしの荷物を持って現れた雅治だった。


「雅治!」

「ご苦労さんじゃったの、月方」

「いえ…じゃあ、俺は失礼します」

「ねえ雅治、なんなのこれ?わたし、何か重大なミスでもしたの?まるでここ、取調室みた――」


なにがなんだかわからず、ほとんどパニックになっていたわたしが捲し立てている途中だった。

雅治が片手でわたしの荷物を目の前の机に投げるように置いたことで、大きな音が部屋中に響き、わたしはまた、それに大袈裟なほどに体を揺らした。

雅治までもが…わたしに怒りを露にしている。


「…っ…雅治…?」

「平成元年に作られた、DDBの極秘部屋じゃ。社員の間では存在自体が噂になっちょる…通称、監禁部屋」


「監禁…って…」

「吐いたら解放…うちもこの遣り方は違法じゃし、まあ警察沙汰にはせんが、それでもそれなりの代償は支払ってもらうから覚悟しんしゃい」


「何言ってるの雅治…?」

「シラを切らんでもいい。まずお前さんのボスの名前を聞かせろ」


雅治の目は、全くわたしを見てはいなかった。

視線は合っているのに、彼の目はいつも知る、その瞳とは違っていた。

彼は違うものを見ていた。わたしじゃない何かを。

そこには恐ろしいほどの憎悪の炎が見え隠れしていて、わたしは戸惑いを隠せなかった。


「わたしのボスは、あなたでしょ…?」

「くどい。お前が諜報員じゃっちゅうことはもう知れちょる」

「諜報員…?ちょ…ちょっと、わたしがスパイだって言いたいの?冗談でしょ?」


雅治を真剣に見ても、返ってくるのは冷めた視線と溜息だった。

つい四日前まで、あれほど愛し合っていた彼とは思えない態度が、わたしの心を凍らせる。

やがて雅治は、勝手にわたしの荷物を乱暴に開けた。

わたしが止める声も、彼には全く届いてないようだ。


「雅治やめてよ!」

「これはなんじゃ」


そうして雅治が荷物をばら撒いて取り出したのは、わたしの愛用しているノートパソコンだった。

呆気に取られたわたしは、震える声で答える。


「…なにって…見たらわかるじゃない…」

「じゃの。パソコンじゃ。なんでこれを持って行く必要があった?」


「逐一、そっちの状況を把握しようと思って…!」

「なら聞くが、日本時間の昨晩深夜二時半。お前のパスからこの会社にうちの顧客データの一部が流れちょるのはどういうことじゃ」


日本時間、昨晩の深夜二時半…わたしは完全に眠っていた。

顧客データが流れているんだとしたら、わたしのパスを使って誰かが流したとしか考えられない。


「わたしじゃない…」

「発信はニューカレドニア。端末はお前個人のノートパソコン。パスはお前しか知らない、-ChateauCantemerle-っちゅうパスワード」


どうして、こんなことになっているんだろう。

誰かに嵌められたことに違いはなくても、恐ろしくて声が出ない。

見事なまでの、わたしという証拠たちに。


「いろんなサーバーを通せばわからんと思ったか?残念じゃったのう伊織。うちのシステムは優秀じゃ…忍足のコードを使ったり、栗津のコードを使ったり、いろいろと手の込んだことをしちょったみたいだが」

「違う…違う、わたしじゃない!信じてよ雅治!ねえ、あなたまでわたしを疑うの!?」


「悪あがきは見苦しいぜよ」

「雅治!ねえ、もっとちゃんと調べて!わたしじゃな――っ…!」


いきなり降ってきた災難に、わたしは涙をぼろぼろと流しながら懇願した。

もう一度、きちんと調べて欲しい。わたしじゃないんだから、きっと他に犯人がいるはずだ。

雅治だって本当は、心のどこかでわたしを信じてくれてるはずだ。

今は立場上、彼がこうしてわたしを尋問するしかないんだ…!

そう、思おうとした…。


…だけどその思いも、叫ぶわたしの喉ごと壁に押さえつけた雅治に、呑まれていった。


「……この為に、俺と寝たんか…」

「…っ…雅…っ…離し…っ…」


「答えろ…情報が欲しくて、俺と寝たんじゃろう…!」

「…っ…本気で…言ってるの……?」


流した涙がわたしの喉を絞める雅治の手の甲に落ちた時、彼はようやく、その手を離した。


壁に沿って足から崩れ落ちたわたしは、怖くて体中が震えていた。

そんなわたしを見た雅治は、何も言わないまま監禁部屋から出て行った。

…出て行った瞬間、わたしは咳き込み、何度も嗚咽を繰り返した。


強烈に…侑士に会いたくなった。










◇ ◆ ◇










「未だ…信じられん」

「…決まったわけとちゃう」


忍足は俺の傍で、小声でそう呟いた。俺はただ首を振ることしか出来ん。


伊織が諜報員…叶野部長とシステムの人間からそう突きつけられても、俺は咄嗟に頭を働かせることが出来んまま、伊織の取調べに入った。


帰国したての伊織は戸惑いの表情を俺に向けて、明らかにその状況を怖がっちょった。

だが俺には、掲げられた証拠しかない…即ち、伊織が諜報員という証拠。

伊織を信じる理由は俺の感情のみ…だが、伊織を疑う理由は揃い過ぎとった。

俺のデスクの端末から流された情報、チーム内で俺だけが保持する極秘データ。

伊織にはそれを狙える隙が確かにある。

いや寧ろ、伊織にしかその隙はない…俺の自宅端末で管理しちょったデータだからだ。


「…仁王、よう考えろ。ほんまに伊織しかそのデータを盗めんのか?」

「今回のプロジェクトでデータを保管しちょるのは社員じゃ俺だけだ。後は役員なら特別閲覧が可能…だが、役員達は今回の件にノータッチじゃ。それに特別閲覧には、社長と叶野部長の承認がいる。それなりの理由がないと、まず叶野部長のとこでストップがかかる。プロジェクトと関係ない役員に、あの人が承認を出すとは考えられん。その役員達以外で、承認なしにデータを閲覧出来るのは俺だけじゃ…」 


「伊織にそのデータ、見せたことがあるんか?」

「ない…だが、俺の部屋に何度も来ちょる。やり手のハッカーなら、盗むことも可能かもしれん」


「他の端末からでも、盗めるもんなんか…?」

「…俺には細かいことはようわからん。だが、システムが話した通りじゃったとしたら…可能じゃから、流されちょるんじゃろう」


忍足は俺のその言葉を聞いて、考え込むように黙った。

俺の頭の中は、伊織のあの泣き顔で溢れちょった。


疑い、だがどこか伊織を信じる思いで…俺は幾度となく、混乱した。










わたしが監禁部屋から解放されたのは、それから五日後のことだった。



天井には監視カメラが付いていた。

部屋の隅に、布団が投げられていて。

トイレに行きたい時は、知らない女性が一緒に付いてきた。

一日三食、規則正しい時間に出てくる弁当は、知らない男性が持ってきていた。

その生活の五日目に…叶野部長が監禁部屋に現れた。


「…部長…」

「…佐久間さん…すまない」


「…え…」

「真犯人がわかった。君の疑いが、晴れたんだ…本当に、申し訳ない」


部長は監禁部屋に入るや否や、土下座をしてきた。

知らない女性や知らない男性に状況を聞いても、何も答えてもらえなかったわたしには突然すぎる謝罪だ。


「…わたしは、どうなるんですか?」

「勿論…自由だ…だが出来るなら…」

「この会社に残って、会社を訴えないで欲しい、ですか?」


自嘲気味にそう言ったわたしに、叶野部長は酷く辛そうな顔をした。

的を得ていたんだろう。


「………佐久間さん…私はね…」

「いんです…訴える気なんてありません…」

「私が最初に君を疑ったんだ。出てきた証拠だけで、君だと決め込んだ。君が誰かに嵌められているかもしれないとは、思わなかった。だからね、悪いのは私だ。仁王じゃない。仁王に尋問をやらせたのは、私だ」


叶野部長らしい、優しさだとわかっていた。

でもその言葉は、余りに簡単にわたしの耳をすり抜けていく。

わたしの問題は、そんなことじゃなかった。

出てきた証拠、それがわたしを嵌めようとしていた証拠なら、当然、疑われて然るべきだろう。

わたしが第三者でも、わたしを疑うだろう。

でも、雅治は…わたしの恋人だ。


「…部長」

「本当に…すまなかった」

「…もう、いんです……」


しばらくの沈黙の後…一刻も早く帰りたいという思いが噴き出た。

ガラス越しに映る自分の姿で、こけている様子がわかった。

そんな自身を見ながら、何日も洗っていない髪を整えて、ジャケットを羽織り、荷物を整理しながら聞いた。

念のために、聞いた…。


「誰ですか…真犯人…」

「検討、ついてるんじゃないかね…?」


「…ふふっ…嘘みたい。彼女、パソコン全然得意じゃなかったんですよ?あれ、演技だったんだ…」

「経歴がね、全てが詐称だった。名前から年齢から出身校まで、全てだ。全く違う女性の経歴を使っていてね…本当の彼女はカリフォルニア大学でコンピューターサイエンスの学士号を取っていた…驚いたよ」


叶野部長から聞いた話を、わたしは呆然と聞いていた。


彼女は、データを流す際は誰かに疑いが掛かるようにしようと決めていたようだ。

最初は侑士から情報を盗んでいた…だから、彼女は侑士と付き合ったということだ(おかげで、侑士が保管していたデータも流されていたらしい)。

でも、極秘情報も欲しい…そんな時、わたしが現れた。

雅治と親密なわたしは、真っ先に標的になる。

用意周到な彼女は、標的が決まってから情報を流した。

わたしが犯人だと裏付けるように、わたしの入社三日後からデータを流している。



パスワードは一番最初の文字と最後の文字、そして数字であれば、この会社のシステムをくぐり抜け解読することが可能らしい。

そこから、わたしが独自に決めたパスワードを解読。

わたしの生活を監視していた可能性が高いようだ。

小型の盗聴器なら、いつも使うバッグなどにすぐ放り込める。

コンピューターサイエンスの学士号を取っていた彼女なら、解読も簡単だっただろう。

雅治のデスクのハッキングなど、赤子の手を捻るようなものだった…。


わたしと雅治との関係をどことなく嗅ぎ付けていたのはそのせいか。

極秘情報を盗み、わたしに疑われるように仕向けておけば…万が一、スパイが居るということが明るみになった時に複線が張れる。

わたしが捕まった時、彼女は逃げる準備をする。


「今、彼女は別の監禁部屋ですか?」

「…いや、昨日から行方不明だ。彼女の国籍は中国でね。追うことすら出来ないよ」


やっぱり、姿を消していた。全てが彼女の計画通り。

本当のスパイが彼女だとわかったのが昨日の深夜。

昨日の朝、彼女は病欠しますと会社に連絡をしていたらしい。

そして今日も来なかった彼女の自宅マンションに会社の人間か駆けつけた頃には、すでに蛻の殻だったそうだ。


本物のスパイなら、当然かもしれないと思った。

わたしが連行された瞬間に、もう準備を始めていたかもしれない。

整形をして、この会社に入るだろうか?違う誰かに成りすまして…。











□ □











月曜。


―明日は土日だから当然だけど、でも、もう少しゆっくりして、落ち着いたら出社という形でいいからね―


叶野部長がくれた言葉を無視して、わたしはいつも通りに出勤をした。

たった一週間ぶりだというのに、事務所の扉はやけに重たく感じた。


「おはようございます」

「…!…っ…佐久間さん」


そこに居たのは、月方さんだった。

まさか、もう出勤してくるとは思ってなかったような顔だ。

気まずい思いと驚きが混ざったような表情に、こちらが申し訳なくなってしまう。


「あの…あの、俺…ごめん、本当、ごめん!」

「あ…いんです、仕方ないですし…あの、大丈夫です」


「……痛かっただろ?腕…」

「あ、いえ!あの、本当に、気にしてないですから」


そうは言っても、何度も何度も頭を下げる月方さんには誠意すら感じた。

そうこうしているうちに、今度は後ろから栗津さんが出勤してきて。

わたしはダブルで、気まずい空気を受けることになった。

大の大人の男にこれほどまでに謝られると、なんだか変な気分になる。


「俺さ、俺、すげえ怒鳴っちゃったよね、佐久間さんに!本当に、ごめんね!ごめん!」

「栗津さん、本当に、もう大丈夫です…あの、ね、頭上げてください」


なんだか段々とおかしくなってきて、わたしがつい、ぷっと笑った瞬間だった。

安心したように顔を上げた月方さんと栗津さんの表情が、今度はわたしの後ろを見て、固まっていた。

それに気付いて、わたしはゆっくり振り返る…。

空気でわかる…案の定、振り返った先には、雅治がいた。


「…伊織…」

「…おはようございます」


「……ちと、二人で話せんか?」

「了解しました…後で伺います」


どうしても。

どうしてもわたしは許せないんだと、このとき自分の気持ちに気付いた。







* *







「失礼します」

「……なんでそんな、他人行儀なんじゃ」


デスクに入った直後、雅治は都合良くそんなことを言った。

許せない感情が、再度沸いてくる。


「別れたのかと」

「別れたつもりはない」


真剣に言うわたしに、雅治も真剣な視線で返してきた。

今日は、わたしを見ている。五日前を思い出して、つい、そう思った。

あんなことを思い出しては、余計に彼を許せなくなるのに。


「わたしが諜報員でも?」

「お前は諜報員じゃなかったじゃろう」


「わたしが諜報員じゃなかったから、交際は継続だと?」

「伊織、俺は…」


「聞きたくない!!」

「……伊織…」


「触らないで」

「……っ…」


強引にわたしを引き寄せようとした雅治の手を、わたしは振りほどいた。

雅治の傷付いた表情が、わたしの胸に沁みることはなかった。

それよりも、怒りが先行しているせいで。


「…信じちょらんかったわけじゃない」

「いいの。わかってる。誰だって疑う。あんな証拠の山なら」


「伊織」

「しょうがないってわかってる。だから怒ってもない。だけど…」


「伊織…!」

「寂しいよ!!あなたは…あなたはわたしの、恋人なのに!…なのに、どうし――…っ…」


泣き崩れそうになった時、その体を無理矢理支えるようにして。

雅治はわたしの唇を、強引に奪っていた。

抵抗する力も、敵わない。

右手首は痛いほどに掴まれて、苦しいくらいに腰を抱かれていた。

許せないと思うのに…雅治に包まれただけで、愛しいと思う。それがまた、悔しくて。


「…っ…離して…」

「……伊織、俺にはお前しかおらん…」


「卑怯だよ雅治……!」

「わかっとる!だがお前を失いとうない!」


声を荒げた雅治の目は、悲痛な色をしていた。

胸が痛い…あの時少しでも、「信じてる」の一言が聞けたならこんな気持ちにはならなかったのに。


「…仕事に、戻ります」

「のう、今夜――」

「行かないから…」

「――っ…」

「しばらく距離を置かせて」


何か言おうとした雅治に背中を向けて、わたしは彼のデスクから出て行った。

少しだけ涙に濡れていたわたしを、月方さんと栗津さんは見て見ない振りをしてくれている。

雅治とわたしの関係を、今回の騒動で当然知っただろう二人の優しさに感謝した。

そうして、わたしが自分の席についた時だった。

わたしはあの瞬間にも会いたいと思った人の声を聞いて、すぐに振り返った。


「おはようさ………伊織…」

「……おはようございます、忍足さん」


侑士はわたしを見て、少し目を丸くしていたけれど。

その直後に、にっこりと微笑んで見せてくれた。

すたすたとわたしの席まで来て、侑士がすぐに取った行動は、わたしの頭を、ぐしゃっと一回撫でたことだった。


「わっ…!」

「元気そうやん!災難やったなあ、大丈夫か?」


屈託の無い笑顔で、適度に明るい声でそう言った。

何事もなかったかのように。


「うん、大丈夫」

「ん…!大丈夫そうや。顔色もええし。ほな早速、俺の仕事手伝ってもろてもええか?」

「え、あ…うん、勿論!」


なんでもないことだと言われているような気分だった。

変に気を使わないところも、彼のスタイルだ。

仕事にすぐに話を切り替えた侑士の優しさが、どこか心地良くて。

さっきまでの涙が、あっという間に乾いていた。











□ □










その週の金曜日だった。

朝、突然やってきたDDBの役員に、叶野部長が会社を辞職したと聞かされた。

「責任を感じていたそうだ」と淡々と語ったDDBの役員は、チームも解散するようにという台詞でわたし達の事務所を後にした。


責任を感じていたことは、本当かもしれなくても。

辞めさせられたんだろうと、誰もが解っていた。


そしてチーム解散となれば、この事務所は用済みだ。

次のプロジェクトに向けて、今度は違うチームが使うことになる。


わたし達のチームは、解散させられる…それなら、わたしの存在意義はなんだろう?


「仁王さん」

「……どうした」

「お話があります」


誰もが一言も喋らずに、個々の荷物を整理している時だった。

丁度、リーダーデスクから出てきた雅治に声を掛ける。

あの日から、雅治とは必要最低限のことしか話していない。

電話が掛かってきても、彼がわたしのマンションまで訪れても。

わたしは彼に冷たくしていた。酷い女だと、自分でもわかっている。


あっちで聞く、と言った雅治の背中を追って、わたし達は会議室に入った。

広く、白い会議室はどういうわけか、今日に限って一段とまばゆく見える。


「わたしも、用無しだと思うので退社します」

「…誰が用無しじゃと言った?」


「でもだって、どうすれば?会社がわたしの存在を認めますか?プロジェクトは失敗に終わったのに。意味ないです。ここが解散して、わたしは月曜からどこに出社すればいいんですか?」

「……お前が、俺の傍に居りたくないだけじゃろう」


「…今、そんな話してるんじゃなくて…」

「俺はお前とのことを話したいんじゃけど」


突然、腕を捕まれて強引に引き寄せられた。

抵抗は無意味だとわかっていても、わたしは雅治を睨んだ。

迫力なんて全くないだろう。

わたしはすでに涙目で、彼を愛しているとさえ感じてしまう。


「離して…っ…!」

「……伊織、俺はお前を愛しとるよ」


わたしを見つめる悲痛な目の色は、あの日と変わらないまま続いていた。


「もうやめて…聞きたくない」

「……そうか」


ぽつりと呟いた彼は、そうして会議室を出て行った。

酷いことをしていると思う。彼を好きなのに、素直になれない。

わたしの中に、雅治に言われた言葉がこびり付いている。

喉を壁に押し付けられたあの感触を、忘れることが出来ない。

こんな気持ちのまま、雅治を愛してるなんて言えるだろうか…?


考えて、またしばらく、わたしは会議室で泣いていた。










「手伝おか?」

「…!侑士…どうしたの?」


「さっきまで本社に居ってな。帰ろう思たら、ここにまだ電気がついとったから来てみたんよ」

「スパイが何かしてると思った?」


「あほ!笑えへんわ…」

「ごめんごめん。ちょっとね、荷物整理にてこずっちゃって」


全員が本社に荷物を移動した後。

わたしはこの荷物を、どこに移動すればいいのかも全くわからなかった。

皆には、それぞれ元々居た部署に戻るという選択肢があっても。

わたしの職場は、この事務所だけなのだ。

その憂鬱な気分のおかげで、捨てる物と持って帰る物の整理が捗らない。


侑士はそんなわたしの気持ちを知ってか知らぬか、ぱっとジャケットを脱いでにこにことダンボールの中身を整理し出した。


作業人数が一人から二人に増えただけで、あっという間に片付いていく。

それとも、二人目が侑士だったからこんなに早く済むのだろうか。

どちらにしても、侑士が手伝い始めてから約一時間ほどで荷物は片付いた。


「っしゃ…後はこれを送ったらええだけやな。俺が集荷、頼んどいたるわ。お前はもう帰りい」

「え?いやいや、やるよ!」


何故か、突然わたしに帰れと言い出した侑士に戸惑いを覚える。

今から集荷を呼んでわたしの自宅に送ってくれるつもりらしい。

でもそんなことを頼むわけにはいかない。だってこれは、わたしのやる事だ。

そう思ってわたしが全否定しても、侑士はしつこく帰れと言ってきた。


「ええから帰れって!…仁王、待っとるやろ」

「………な…なんでそこで、雅治の話に…」


「お前らラブラブやったんちゃうんか?それがなんや、今の雰囲気は」

「…っ…そんなの、侑士に関係ない!」


きっと、わたしが出社してから今日までの五日間のことを言っているんだろう。

わたしは他の皆の前でも、露骨な程に雅治に冷たくしていた。

冷たく…というか、他人行儀に。事務的だったと言うのが、適切かもしれない。


「あーさよか。また俺には関係ないか。せやけどなあ、今回は関係あるで。遣りにくうてしゃーないわ!他の二人もひやひやしとったんやで?少しは周りの気持ちも考えよ」

「……そ…それも別に、今日までじゃん!」


少し説教くさくなった侑士に、的確なお叱りを受けてわたしは怯んだ。

でも素直にごめんなさいとは言えない。

だってもう、皆で仕事することはないのだ。


「今日までやけどな。せやけど、仁王と仲直りしい」

「…なんでいきなり…そんなこと…」


親や先生に怒られているような気分になったわたしは、子供さながらにふてくされた。

口を尖らしてぶすっとしている様子は、まるで聞き分けのないガキだ。


「お前なあ、俺なんかよりよっぽどええやろ。千夏は俺んこと好きでもなんでもなかったんやで?ただの情報ツールやってんで?恋愛詐欺やわ。俺んこと本気にさせといて、お前、俺がどんだけショック受けたと思てんねん」

「……………ご愁傷さまです」


「あんな、まあそれはどうでもええねん」

「はあ…」


侑士が吉井さんに本気だったという台詞が、少しだけチクっとした。

でも、それには気付かない振りをして。

確かに侑士は酷い目に遭っていると思う。恋愛詐欺…って、可哀想過ぎる。

でもそれは問題じゃないと話を自分で突っ込みを入れた侑士に、わたしは呆れ声を出した。


「な、せやけど仁王はお前に本気やろ。ちゃうか?」

「……」


「あんな、それと言うといたるわ。仁王は最初から最後まで、お前のこと信じとったで」

「え…?…う、嘘だよそんなの…」


咄嗟に、嘘だと返した。

だって、あれほどまでに冷酷だった雅治を、わたしは目の当たりにしたのだ。

あれがリーダーとしての任務だったんだとしても。

雅治がわたしのことを疑ってなければ、あんな責め方はしない。


「なんで嘘やねん。どっちかっちゅーと、俺が一番騙されとったわ。伊織あのドアホ、スパイやってんか。今度顔見たらいてこましたるでー…言うて」

「……ちょっと、それ本当なの?」


少しの沈黙の後、正直、結構腹が立ったわたしが侑士を睨むと、

彼は少しだけ視線を外して、咳払いをひとつした。


「…まあ多少な、過剰に言うたけど…せやけどな伊織。誰がお前の濡れ衣、晴らしたと思とる?仁王やで?お前がスパイなわけちゃうってな、寝る暇も惜しんでお前の冤罪晴らしたんや。まあ…晴らす直前にあの女は病欠やとかなんとか言うてどっか行ってもうたけどな」

「…嘘…」

「なんで俺がこんな嘘つかなあかんねん。仁王がお前にどんなこと尋問したんか知らんけど、それがどんだけお前にとってショックやったとしても、や。仁王はお前のこと、ずっと信じとったんや。せやからもう、許したり」


な?とわたしを覗き込んできた侑士に、「ごめん、ありがとう」と告げて。

わたしは事務所を出た。

侑士は、勢い良くわたしの背中を押してくれた。


雅治の自宅マンションまでの道のりが、やけに長く感じた。





to be continue...

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