Up to you_04


4.


「二度と会うな」――その言葉は、数日経ったいまも頭のなかで渦巻いていた。
侑士に二度と会わないということが実感できずに、ただ雅治の熱気のこもった声だけが茫洋としている。
もちろん、物理的には可能だろう。
でも、素直になれば、そこまでしたくない……いや、そんなこと、したくない。

「なんか元気ないね、佐久間さん」
「……吉井さん」

昼休み、ひとりでぼんやりと休憩を過ごしていたところに、吉井さんが現れた。
雅治と付き合いだしたのをきっかけに時々話すようになったものの、こうも言い当てられると占い師と対面しているような気になる。
わたしはそんなに、わかりやすい人間だったのだろうか。
それとも、こんなに誰かのことで悩んだ経験がないからなのか。

「今日は仁王と一緒じゃないんだ?」
「うん。今日は、テニス部OBでランチしてるみたい」
「へえー。仲良いんだね。で、そんな彼氏のことで、なにか悩んでるの?」
「ううん、そういうわけじゃ……うん」

ふんわりとスカートを膨らませてわたしのとなりに腰をおろした彼女に、曖昧な返事をしてしまう。
誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
友だちはいるけど、話すとなれば雅治のこともセットになるから、気後れしていたところもある。
でも彼女は、雅治とわたしの共通の友人だ。おまけに、彼女のほうが雅治との付き合いは長い。
うまく説明できるかわからないけど、相談するにはぴったりの相手のような気がしてきた。
彼女になら、雅治も本音を話しているかもしれない。探るつもりはないものの、ヒントをもらえるような気がしていた。

「あたしでよければ、相談に乗るよ? あ、もちろん、無理に話せとは言わないけどね! でもほら……なんか元気ないと、気になっちゃうから」
「うん……吉井さん、優しいね」
「いやいや、全然そんなことないって」

もともと、彼女の溌剌さがわたしは好きだった。雅治が仲良くしている女友達は少ない。
そのなかで、彼女の肩書きが雅治の女友達というのは、とてもしっくりくる。

「実はちょっと……先週末、雅治と喧嘩になっちゃって」
「えっ……いつもあんなに仲よさそうなのにっ」
「まあ、その日のうちに、仲直りはしたんだけどね。でも、どうしようかなって」

わたしは吉井さんに、一部始終を話した。
雅治の名誉のためにスマホを見られていたことは伏せたものの、侑士から告白されていたことで雅治を不安にさせてしまったこと、二度と会わないようにと言われたことを告げた。

「じゃあ……こないだ来ていた氷帝くんが、佐久間さんが前に好きだった人で、仁王とその日に対面してたんだ?」
「うん、たぶん、ね」彼女は理解が早かった。もしかしたら、もともと雅治からわたしの話を聞いていたのかもしれない。
「そっか……でも、困ったね。佐久間さんは仁王の言うこと聞いて、その彼と二度と会わないつもりなの? 本当は、そんなの嫌なんじゃない?」

そんなの、嫌だ。
もちろんそれが本心だったけど、うまく伝えられずにわたしは黙ってしまう。
嫌だ、という気持ちを雅治とつながっている彼女に聞かれたくなかったからかもしれない。
吉井さんというフィルターを通して、もしも雅治に伝わったら……。
わたしは雅治を傷つけたくない。ずるい考え方かもしれなくても、それが本音だ。

「たださ……あたしの勝手な予想だけど、その氷帝の人、話したら理解してくれそうだよね」
「そうかな?」
「うん。たぶん、受け入れてくれると思う。だって今も佐久間さんを気遣ってくれてるんでしょ?」優しい人だよね、と付け加えた。

言われてみればその通りだ。
基本的に、侑士は優しい。少し強引だなと思ったこともあるけれど、でもわたしを困らせたくないと、いま、静かに見守ってくれているような気がする。

「絶対、話したほうがいいよ」
「そう、かな」
「だって、その氷帝の人も、このままなにも伝えられずに変に避けられるよりは、ちゃんと事実を話してあげなきゃ可哀想じゃないかなって思うんだけど……」
「うん、そうだよね……」

吉井さんが言うことはもっともだ。
急に避けるくらいなら、きちんと話したほうが侑士も納得してくれるだろうし、お互いのためにもいい気がする。
一生会えなくなるわけじゃない。きっと一時的なことだろうと思う気持ちもある。
雅治があんなに不安そうにしているのは、わたしのせいなんだ。それが安心に変われば、きっと終わる。

「でも仁王が、二度と会うなって言ってきた以上は、そこも見られちゃまずいだろうから、なんとか見つからないようにね伝えなきゃね」
「メッセージ送るしかないかな」

ぽつりと呟くと、吉井さんは「ダメダメ!」と慌てるように言った。

「そういうのはちゃんと会って話さなきゃダメだよ! メッセージ送って、はい終わり、じゃ、あんまりでしょ」
「そ、そっか……」
「予備校で、とかさ。そこなら仁王に見られることもないでしょ」
「うん、たぶん」

大丈夫だよ、悪いことしてるんじゃないんだから。と、彼女はわたしの背中を撫でてくる。
本当にそうだろうか。うしろめたさは、雅治を裏切ることにはならないだろうか。

「けど、予備校ってなかなかふたりでゆっくり話せるようなとこって、ないよね。佐久間さんのとこもそうじゃない?」
「うん、そうなんだよね……」

うーん、とわたし以上に真剣に悩んでいる吉井さんに、申し訳ない気持ちになってきた。
正直、雅治の味方に決まっている彼女が、こんなに親身になって考えてくれるとは、思ってなかった。

「じゃあ、予備校じゃなくても、相手の家まで行こうかな……」
「いやいや、それはやめておいたほうがいい」

ふと浮かんだ考えを口に出したら、吉井さんが即座に否定してきた。
強い口調が、少しだけわたしを動揺させる。

「相手の家だと、きっと部屋にあがってってことになるし。ましてや相手は佐久間さんのこと好きなわけで。そういう相手と部屋のなかでふたりきりになるっていうのは、残酷だと思う。彼にとっても、仁王にとっても」

真剣な眼差しに、わたしは黙って頷いた。
吉井さんの助言に、自分のことしか考えていなかったと恥じる心が芽生えて、なにも言えなくなってしまう。

「今日、彼は予備校に行ってないの?」
「えっと、たぶん、行ってると思うけど……」
「それなら、終わるのを見計らって、駐輪場とか、とにかく予備校の外で話すのがいいんじゃないかな。喫茶店とかだと、場合によっては居心地が悪くなるだろうし、会えないって言ってるのに、長引く場所に居ないほうがいいと思うし」

吉井さんのアドバイスに、何度も頷いている自分がいた。
彼女の言うことには説得力があった。

「そっか……うん、そうしてみる」
「うん、それがいいよ。彼、何時に予備校終わるの?」
「7時に終わるはず。ありがとう吉井さん。わたし、行ってみるね」
「うん、頑張ってね!」

吉井さんは満面の笑みで、手を振って教室に戻っていった。
彼女の励ましの声に後押しされて、わたしも密かに微笑んだ。
雅治の相談ができる唯一の女友達が、わたしにもできたと思った。





放課後の教室で、特別用事があるわけじゃないのにまだ帰る気がせず、俺はただ、呆然と窓を眺めていた。
あんなことを言った自分を、恥じていたのかもしれない。
嫉妬に狂って、忍足とは二度と会うな、とは、どれだけ思い返しても俺らしくはない……だが、会ってほしくない。
いつ伊織のたがが外れるかもしれん、そう思うとたまらない。好きになって、何度もその想いが打ち砕かれて、それでもようやく手に入れた伊織。触れ合うようになってから、ますます好きになっていく。想いに歯止めがきかんせいで、伊織を失うことを考えると目の前が真っ暗になる。

「仁王」
「……おう、吉井か。今日、委員会だったか?」
「違う違う。でもどうしてるかなーって」

気づくと吉井が後ろに立っていた。探るような言葉を発した吉井は伏し目がちに、俺のとなりに位置した。
なにかあると気になったが、面倒に感じて口には出さずにいた。
こんな俺に相談でもあるのか。それとも、ただ愚痴りにきたか。どちらにしても、お前のことを考える余裕は、いまの俺にはない。

「今日、佐久間さんは一緒じゃないの?」
「ああ、なんか用事があるっちゅうて。ゆっくりできる時間がないから、先に帰ったみたいなんよ」
「そっか。やっぱりそうなんだ……」

やっぱり、というその言葉が無意識に出てきたものじゃなく、なにか知っていることを匂わせた。
その響きは、確実に俺にその「なにか」を知らせようとしているものだと感じる。
だが、どこか頭の片隅で、聞かないほうがいいという警報を鳴らす自分もいる。
それでも、あんなことがあった週明け……伊織のことだとわかる以上、この欲求を止められるはずもない。

「なんじゃ? 含みのある言い方やの」
「ちょ、仁王……そんな怖い顔しないで」
「こういう顔なんよ」
「……ごめん、あたしの口出すことじゃないけど、ちょっと気になって」
「なんの話だ?」

ぎゅっと口を噤んだように見えた吉井は、そのまま肩を揺らせて大きく呼吸した。
俺の反応が怖いのか、自分の行動に決意を固めているのかはよくわからない。
だが、やっぱり言わない、という展開にはならなさそうだ。

「さっき偶然、佐久間さんに会って」
「それで?」
「うん、なんだか急いでたみたいだったから、何気なく声をかけたの。そしたら、わたし行かなきゃって、つぶやくように言ってて」
「行かなきゃ? どこに」
「うん、それが……予備校の人に、会いに行くって聞いたから」

胸が直接、重い鈍器で打たれたかのような衝撃を受けた。
予備校の人……つまりそれは、忍足のことだ。

「たぶん、あたしが知ってると思わないから言っちゃったんだと思うけど……あっ、でも、その、前に好きだった人だとは限らないし、なんか、ほかの友だちかもしれないから!」
「やめろ吉井。そんな慰めいらん。お前は伊織のその言動に不安を覚えたから、俺にこうして知らせてきたんじゃろ」

その言葉に、吉井は目を逸らし一瞬は俯いたが、再び、俺を見据えて言った。

「……佐久間さんは仁王がずっと好きだった人。だから仁王には幸せになってほしいって思ってる。でも聞いた以上、やっぱり黙っておくことができなくて……これ黙ってたら、あたしまで仁王を裏切っちゃう気がして……!」

はじめて、吉井の弱い表情を見た気がした。
悲痛に潤んだ目で俺を見上げるその姿に、女を垣間見たような気さえする。
あたしまで仁王を裏切る……それは、伊織はもう俺のことを裏切っていると言いたげだ。

「……7時に、予備校の外で話すみたいだよ。待ち合わせのメッセージ打ちながら、そう言ってたから」
「そうか……わかった」

行けば、到底納得が来ないことが待っている。また胸を掻き毟られるような嫉妬をする。
わかっていても、俺はその衝動を止めることが出来なかった。





7時。
腕時計を確認して、予備校の窓を見上げた。
聞こえてくる学生たちの声に耳を澄ましながら、わたしの視線はただ一直線に扉に向かっている。
いつも送ってくれていた侑士の自転車。それを見つけたときに弾んだ気持ちは、予定通り会えるからなのか、過去にあった感情の名残りなのか……複雑なこの気持ちが、二度と会わなくなることで解消されるのか。
頭に浮かんでは消える数々の疑問のなか、わたしはただひたすら、予備校の扉を見つめていた。
侑士はいつものんびりしてるから、きっと出てくるのは最後のほうだろう……そんなことを考えていると、聞き覚えのある声がわたしの耳に届いた。

「忍足、最近ひとりなんだな」
「なんや、どういう意味や」
「どういう意味って、そういう意味だよ。まあオレら受験生だし、いろいろあるよな!」
「あのなあ、別に伊織とはお前が考えてるようなこと」
「オレ、いつ佐久間さんって言った?」
「お前ホンマ……え、伊織?」
「えっ!」

噂をすれば、と思っただろう。わたしを見つけた侑士も、そのとなりにいた同学年の男子も。
彼はニヤニヤと、「じゃあな忍足! 先に帰ってやるよ!」と言いながら侑士の肩を叩き、軽くわたしに会釈をして去っていった。
変な誤解をされたと思ったけど、別に誤解でもないかもしれないと自虐的にも思う。
もう、出てくる生徒もいなさそうだ。
侑士は目を見開いたまま、駐輪場の壁添に立っているわたしにゆっくり近づいてきていた。

「どうしたん?」
「うん、ちょっと侑士に、話したいことがあって」
「俺に? なに? なんか困ったことでもあったん?」

うまく侑士の目を見れずに俯いたままのわたしに、侑士は背中を折りながら優しい声で気にかけてくれている。
そのぬくもりに、思わず泣き出してしまいそうになった。
言わなきゃ、もう、甘えていられない。

「伊織? ホンマにどうしたんや」
「わたし、もう侑士に会えない」
「へ?」

永遠の別れであるはずがない。
ほとぼりが冷めれば、きっと雅治だってこんな束縛はしなくなる。
わかっているのに、どうしてだろう。どうしてこんなに悲しい気持ちになるんだろう。

「ごめん侑士。しばらく、会えない」
「……引っ越し、とかやないよな?」
「うん」
「じゃあ……」

声に出すのはなんだか嫌で、わたしは黙った。
わたしが真実を伝えて、雅治を悪者のようにはしたくない。
それに、悪いのは雅治じゃなくて、わたしなんだ……わかってる。

「わたしが、決めたことなの」
「……うん、そうなんやろな。それは、なんとなく俺にもわかる」
「侑士……」

はぁっ、と溜息をついて、侑士は頭を掻いた。
侑士の頭のなかで、いろんな憶測が巡っている証拠だ。だけど受け入れてくれた。わたしが、決めたことだと。
その言葉に頷いてくれたのは、わたしを気遣ってくれている侑士の優しさなんだとわかる。
わかるからこそ……こんなときに、侑士との出会いを思い出させた。

「わかった。もうなにも聞かんから、そんな泣きいな」
「ごめん……」

いつのまにか目を潤ませていたわたしに、侑士はハンカチを差し出してきた。
告白したあの日と同じだ。

「ハンカチ。これ使うて」

バカ侑士……こんなときに優しくしやがって。そんな悪態も、どこか虚しい。
その虚しさをくゆらせながら、侑士の手にあるハンカチを受け取ろうとした瞬間だった。
突然、侑士に抱きすくめられた。

「侑っ……!」
「ごめん。しばらくって言われても、ひょっとしたら最後かもしれへんやん」
「侑士……」
「俺、伊織が好きや。会えへんなんて、つらすぎる」

いちばん聞きたくて、いちばん聞きたくなかった言葉が、わたしの体中を駆け巡る。
弱々しく、だけどしっかりと届いたその声に、堪えていた涙があふれてしまった。

「侑士、離して」
「あと少しだけ、お願い」

言葉では拒んでいても、体がまったく言うことをきかなかった。
抱きしめられたまま、わたしは侑士の胸のなかで、ただ首を振ることしかできない。
ずっとこうしてほしかったと、いつも思っていた自分がいる。
この匂いに包まれて、幸せだと思ってしまう自分がいる。どうしてこの人は、こんなにもわたしの胸を焦がすのだろう。
わたしは、どこまでも卑怯だ。

「侑士――

侑士、お願い――もう一度、彼の名前を呼ぶ寸前だった。
ドォン! という大きな音が、わたしたちの後方から鳴り響いた。
あまりの衝撃音に振り返ると、アルミでできている壁面に、片方の拳を横から打ち付けている雅治がいた。





「……そこで、なにしよる」
「雅治……」

忍足は俺を見たまま、黙って伊織から手を解いた。
湧き上がる怒りをなんとか抑えようとしても、そのせいで声が震えだしそうだ。

「こっちにきんさい、伊織」
「雅……」
「来い」

伊織は小刻みに肩を揺らしながら、こちらに向かってきた。
なぜここに俺がいるのかという戸惑いと、俺に対する気持ちが混乱しているからなのか。
好きな女にこんな怯えた顔をさせてどうする……どんどん自分が苦しくなるだけなのに、俺はなにがしたい。
そうは思っても、どうしても感情が抑えられない。
この状況だけ考えれば、二度と会うなと言った俺の気持ちは無視されたということだ。だが、伊織がそういう女じゃないことは、俺がいちばんよく知っている。
それでも忍足は、伊織にここまでさせてしまうほどの存在なのか。
それとも俺が、伊織にとってはその程度の存在なのか。

「仁王、俺が無理に呼び出したし、俺が無理に」
「ちと黙れ、うるさい」

忍足の、伊織に対する気遣いに嫉妬心の波が止まらなくなる。
さっきから、ずっとふたりの様子を見ていた。そういう自分に吐き気がしながらも、見ずにはいられなかった。
忍足の手が、伊織に触れていた。俺の、伊織に。
なにを話しているのかまではわからなかったが、忍足が伊織を呼び出したんじゃないことくらい見ていればわかる。
なら、答えはひとつ……伊織が呼び出した。
「二度と会うな」と言われたから、もう会えないと言うために?

「雅治……わたし」
「なにも言わんでいい。帰ろう」

こんなに嫉妬に狂った俺が、伊織の目にはどう映る?
そう考えたら、多少は冷静を取り戻しつつあった。
俺は伊織の手を握った。
強張っていた伊織の体の緊張が、少しだけ和らいだように感じる。
怯えんでいい……そんな俺の気持ちが、伝わったのかもしれない。

「仁王」
「なんじゃ」

伊織の手を引っ張って背中を向けた俺に、しつこくも忍足は呼び止めてきた。
不機嫌を丸出しで振り返ると、一度も見たことのない顔をした忍足がそこには居た。
挑戦的な視線に混ざって、伊織への想いが切なげに揺らいでいる。
俺をバカにしちょるんか。お前がどれだけ伊織を想っていようが、俺が伊織を想う気持ちに、お前が勝てると思うな。

「俺、伊織が好きなんや」

カッと頭に血がのぼった。
瞬間、俺は伊織との手を解いて、忍足に近づいた。
いまさらぬけぬけとそんなことを言い出す忍足が、俺はどうしても許せん。

「待って雅治!」
「それはどっちを庇った言葉なんじゃ、伊織」
「そんなの、どっちとかじゃ……!」

伊織の声を無視して、俺は忍足と向き合った。
忍足の真剣さは沁みるほど伝わってきている。
とはいえ、これだけは譲れんのよ、忍足……。絶対にの。

「前にも言ったけどのう忍足、伊織は俺の女なんよ」
「そんで俺と伊織の接触やめさせたら、伊織の心はお前のもんになるんか」
「少なくともお前の存在は伊織のなかで薄くなっていくんじゃないかの? ……じゃけど、もうそんな野暮なことは言わん」

お前とは徹底的にやりあうことに決めた。

「……どういう意味やねん、それ」
「そのまんまの意味よ。伊織、このあいだは俺も取り乱しちょった。そんなに会いたけりゃ会ったらええ」
「雅治……」
「じゃけど忍足……お前に伊織はわたさん。どんなにお前が足掻こうが、伊織は俺と付き合っちょる。それを忘れなさんなよ」

わずかな沈黙の後、忍足は「ようわかった」と言って立ち去った。
――宣戦布告だ。絶対に伊織はわたさない。





「雅治……」
「ええんよ。お前の気持ちがわからんわけじゃない」

どうしてここにいるのか……でもその質問をするのは、なんだか怖くて、名前を呼ぶことしかできずにいた。
侑士が立ち去ったあと、雅治は、静かに微笑んだ。
さっきまでの闘争心が消えたからなのか、穏やかで、優しい空気が漂って、わたしは困惑してしまう。
雅治を深く傷つけたのに、優しくされるなんて……。

「悪かった。お前と忍足は好きやの嫌いやの言う前に、友だちじゃったし、玉砕後も友だちとして付き合っとったちゅうのに」
「そんなことな……っ!」

悪いのは、優柔不断なわたしなのに……その言葉を遮って抱きしめてきた雅治のぬくもりに、わたしはまた涙してしまった。
心底、そんな自分にうんざりしてしまう。
雅治が好きだ。その気持ちに嘘はない。
でも、侑士の告白に、確実に揺れた自分がいる。その事実にも、もう嘘はつけない……。

「ねえ、雅治」
「ん……」
「ごめん、わたし、雅治にふさわしくないと思う。こんな気持ちで……」
「もういいって、伊織」
「よくなんてっ」
「いいんよ。もうわかった。でも離れんで欲しい。俺への気持ちがあるなら、その気持ちがあるあいだは、俺の傍におって……頼むから」

ふたりの男の優しさに甘えて、わたしはこのまま、どんどん堕ちていくのかもしれない。
それはほとんど、予感のようなものだった。





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