僕の罪_04








4.







「蔵の気持ちをすぐに信用することなんて出来ない……今だって疑ってるし、この先もそうかも。だから蔵よりもっと素敵な人が現れたら、わたしすぐにでもその人のとこにいくかもしれない。それでもいい?」

なんて、うそぶいて。
わたしの精一杯の強がりだった。
それなのに蔵は、少し切なげにわたしを見て、いつになく真面目な顔をして言った。

「ええよ。伊織がそれで、戻ってきてくれるなら」

どこまでも卑怯な人だと思っても、意味がないことは自分が一番よくわかっていた。
余裕を無くした蔵の目に見つめられるだけで、わたしの胸は息苦しくなるのだから。

どうして断れなかったのか。
後悔しているような、してないような曖昧な心の痛みがあの日からずっと漂っている。
仕事をしてても、食事をしてても、ふと考えてしまう。

「佐久間」
「え」

蔵ともう一度やり直すと決めてから、一週間後のことだった。
仕事終わりに軽くデートをしても、なんだかんだと理由をつけて蔵の家に泊まることを避けていたわたしに、彼は遂にアクションを起こしてきた。

「久々にランチ行かへん?」
「…………」

交際を社内に知られたくないわたし達は、暗黙の了解で仕事以外はほとんど接触を断つようにしていた。
だからこの一年ほど、蔵にこんなに堂々とランチに誘われることはなかった。
呆気にとられていると、蔵は空席であるわたしの隣の席に座り、背もたれを胸に抱えるようにしてわたしを覗きこんできた。

「どうしたんやその顔。ランチ行こって」
「あ、うん……」
「へえ、なんか珍しいふたりやな」

近くで会話を聞いていた同僚が、特に意味もなく話しかけてきた。
この社内では珍しいわたしと蔵の組み合わせ。それでも同期だから、他の人達よりは関わりはあるけれど。

「たまにはええかなーって。な?」
「そう、そうです、たまには白石の相手してあげないと」
「ほんまやで自分……お前からも誘えっちゅうねん」
「佐久間ー、白石と仲良くしてやらんとー」
「えー別にわたし、避けてるわけじゃないですよ」

実は核心をついている同僚の横やりに複雑な感情を募らせながら、わたしは幾分かうまく笑って、蔵と会社を出た。
エレベーターの中でずっと黙っているわたしに合わせるように、蔵もずっと黙っていた。
ほっとしたように話しかけてきたのは、自社ビルを出てからしばらく歩いて、ようやくだった。

「なに食いたい?」
「うん……なんでもいいよ」

いつだったかこんな会話をしたな、とぼんやりと思う。
精一杯の笑みで、だけど淡々と言ったわたしに蔵は足を止めて、正面に回ってきた。
ぎょっとしたわたしは、悪いことした小学生が先生に怒られる前に怯えるような、得体の知れない緊張感に襲われた。

「え、なに……」
「なあ伊織」

どこでランチしよう、なんて、足を止めて相談するほどのことでもないのに、向きあって話しているわたし達は昼時で賑わうオフィス街の障害物だ。

「俺、伊織のホンマに笑った顔見たいわ」
「え……」
「俺のせいってわかっとる。せやからこんなん言えた義理ちゃうけど」
「……蔵」
「ああでも……あかんな、そんなん俺が笑わせへんのがあかんだけやのにな……何言うてんやろ俺」
「…………」

蔵の言い分を受け入れたくせに、わたしの態度は煮え切らない。
蔵はそう言いたいのだと思った。
確かに、強引な復縁の願いだったとは言え、わたしは条件を出してまで蔵を受け入れたのだから、煮え切らない態度を取っているのは随分と勝手な話だった。
でも蔵は、わたしを傷つけたことを深く反省している。だからこそもどかしいこの状況に、うまく言葉が出ないんだろう。
ああ、もう……こんなの最低だ。

「ごめん!」
「え」

勢いよくわたしが謝ると、蔵は目を丸くした。

「ごめん、これはわたしが悪い」
「伊織……」
「とりあえずお腹すいたから、早くどっか入ろう?」
「おおう、おう……そやな」

潔く謝って急に生き生きと立ち振る舞うわたしに、蔵は調子が狂ってしまったのだと思う。
少しだけ戸惑いながら、おすすめのレストランに連れていってくれた。

店内に入ると、そこは白が基調となった明るい場所だった。

「蔵は本当、白が好きだね」
「そう……やったっけ?」
「自分じゃ気付かないんだね。でもいつも言ってたでしょわたし。ベッドとか真っ白だから」
「ああ、そやなそういえば」
「なんでだろうね」
「白石、やからちゃう?」
「ふふ、そうかもね」

本当は、無意識にその美しさに惹かれているんじゃないかと思った。
決して皮肉で思っているわけではなく、昔からそういう人なんじゃないかとふと思ったのだ。
実はバカみたいに真面目だから、自分に正直で、人にも正直でありたいという思いが強い人なのかもしれない。
……なんて、心の中で蔵を庇ってる自分に苦笑する。

「なあ、伊織、俺な」
「いいの」
「え」
「いいの、かしこまってぶり返して話す必要なんてない」
「……」
「あの話は、あの日で終わり。わたしと蔵は、相変わらず恋人」
「伊織……」
「そこから先は、自分の中で淘汰していこうよ」

蔵の目が、じっとわたしを見つめる。
わたしは目を逸らさなかった。
今までこんな風に、利他的に人と視線を交わしたことがあるだろうか。

「ありがとう、伊織」
「うん。あ、ご飯きたよ。食べよ食べよ」
「ん、せやな」

小さな声で呟いた蔵。
場の空気を軽くしようとはしゃげば、蔵も優しく微笑み返してくれた。

「美味しい……」
「せやろー。しかも安いねん」

ここ一週間、煮え切らないのはわたしだけじゃなかった。
わたしとは違うベクトルで、蔵も煮え切らない顔をしていた。
蔵とわたしの煮え切らない理由は表裏一体で、わたしは彼を信じることへのわだかまりと、彼はわたしに信じてもらえるかのわだかまりだ。
もちろんわたしなんかより、蔵はその思いをあからさまに出すことはしなかったけれど、わたしにいつものように振る舞えなかった彼のあれこれを思い出せば、その苦悩は安易に想像がつく。

「なんぼなん」
「千円いかへん」
「安いっ」

なのに今日まで自分のことしか考えていなかった自分を、わたしは恥じた。
蔵が意を決してランチに誘ってくるまで、気がつかないなんて。

彼はわたしを、いつもここにある日常から、ここではないどこかへ連れだそうとしたのだ。それが、わたしと蔵の始まりだった。そして今日も、暗黙のルールを破ってまでランチに誘ってきた、蔵の決意。
それだけわたしのことで頭を悩ましてくれているのは、彼への信用に値すると言えないだろうか。

「あ、ねえ蔵」
「ん?」

久々に、心になんのしがらみもなく彼と話せている気がした。
そんな中で、突如わたしの中に閃いたイベント。
忘れていたけど、無意識に記憶に絡みついていた、大切な日。

「もうすぐ誕生日だよね」
「ああ俺?」
「他に誰がいるの」

苦笑しながらそう言うと、そやんな、と蔵も笑う。

「なんや伊織、なんかしてくれるん?」

嬉しそうに蔵がまた笑うから、わたしは急に胸が高鳴った。

「前にさ、クリスマスに飛び込みで入ったレストラン覚えてる?」
「ああ、あそこめっちゃ旨かったよな」
「雰囲気もすごく良かったよね。蔵、結構お気に入りでしょ?」
「あれなんやったっけ? なんか、肉詰めのピーマンみたいなやつ」
「そんな庶民なものなかったよ〜!」

表現が幼稚で、でもそんなわざとらしさが蔵で。
あの時も同じようなこと言ってたなと思い出しながら、わたしは数ヶ月前を懐かしんで笑った。

「そやけど、あれめっちゃ旨かった」
「うんうん。でさ、あのお店行かない?」
「おお、ええな!」
「わたし、ご馳走したい」
「えっ」
「なに、そんなに驚くことないでしょ」
「いやいやいやいや、ええって、ええてそんなん、あそこそんな、……こんなん言うたらアレやけど、安ないで」

あの日は蔵が出してくれたからだろう。
小声でこっそりと耳打ちするように、少しわたしに申し訳なさそうに蔵は言った。

「わかってるよ、そんなことくらい」
「いやでも……」
「いいから」

去年の蔵の誕生日は、彼の家でわたしの手料理と共に小さなケーキをふたりで分けて、標準的な価格の標準的なプレゼントをあげて終わった。
わざわざ口に出して断ると催促みたいになるから言いにくいのだろう。
プレゼントもどうせ用意するくせに、それに加えてディナーともなると、かなりかかるで、なんて。
言われなくても、そんなことは百も承知だ。

「あれはまた、別の機会に行ったらええやん」
「わたしがご馳走したいの」
「でも……」
「蔵、わたしちゃんとやり直したいんだ」
「え……」

このままだと蔵はなんやかんやと理由をつけて、それにわたしが巻き込まれて……結局うやむやになりそうだったので、わたしは少し強めに言った。
しかもその言葉は、こないだわたしを口説いた蔵と同じくらい、ずるい。

「ごめん、ぶり返さなくていいなんて言ったのに」
「いやええんよ全然……」
「うん……今だけ、言わせて」

すっと背筋を立てて、でも笑顔は崩さず、前向きな気持ちで言った。それが本心だから。

「蔵の誕生日に託つけて申し訳ないけど、もっとこう……なんていうかな、気分、もっとあげてさ」
「うん」
「きちんと蔵とやり直して。あ、もうやり直してるけど、なんていうか」
「ええよ、わかる、言いたいことは」
「うん……わたし、あなたとちゃんと向きあって、あなたを信じたいんだ」
「伊織……」
「今はまだほら、時間も、短いし」
「うん」
「でも蔵の誕生日までは、まだもう少し時間あるし、きっと今より、もっと寄り添ってるし」
「うん」
「ていうかだってわたし、蔵の彼女なんでしょ?」

おどけたように言ったとき、蔵の瞳が少しだけ揺らいだ気がした。
それは感情の不安定なブレじゃなくて、情動が流れたような、そんな揺れだった。
やがて、ふっと肩の力が抜けたような蔵の笑顔が、わたしを捉えた。

「そうや。伊織は俺の彼女や」
「うん……じゃあ、特別なお祝いさせてよ」
「ああ……せやな。お言葉に甘えるんも、優しさか」
「そう! それでこそ男です」
「えらい男をわかったようなこと言うなあ?」
「ふふ」

お互いがお互いに安心したような温かい雰囲気が、一瞬にしてわたし達を包んだ。
なかなか出て行くことの出来なかった自分の中の大きな壁を、同時に乗り越えたのかもしれない。
蔵も同じ思いだったんだろう……ちらっとぐるりを見て、誰もこちらを気に留めていないことを確認すると、誰の目からも死角だろうと思われるところで、そっとわたしの手に触れてきた。

「ちょ……」
「なあ、それやったらさ」
「蔵、見られたら恥ずかしいよ」

熱くなっていくわたしになんて全然構わずに、蔵はじっとわたしを見つめる。
この見つめ方をされると、わたしは動けなくなってしまう。

「そろそろ、伊織に触れさせてくれへん?」
「も、昼間からなに言って……」
「ちゅうか」

急に男をさらけ出してきた視線は、優しいけど強引で、意地悪で、色っぽい。

「俺に触れてや」

完全に、ノックアウトだ。









「あ、帰ってきた。おーい白石、佐久間!」
「えっ」
「なんや」

久々に温かい時間を満喫したランチから社内に戻ると、先ほど横やりを投げてきていた同僚がわたし達を見つけて大きな声で呼んできた。
決して同僚が悪いわけではないのだけれど、どうにも厄介な人だなあと思いながら近づけば、その彼の隣にワタルを発見する。

「あれワタルや」
「白石、久々やな!」
「お前こないだもこっち来てたらしいやん」
「せやで。出来る社員はあっちこっち行かされんねん」
「ポジティブすぎひんかお前。どう考えてもパシられとんやろ」
「んなアホなお前そんなわけお前……あホンマや!」

お決まりなやり取りしているバカな男達を、わたしは複雑な心境で見ていた。
ワタルはもっと複雑だったろうと思う……ワタルの中でわたしと白石は終わった仲で話が止まっているからだ。
それが一緒にランチから戻ってきたのだ。
きっと彼の好奇心が、どういうことやねん、と今ごろ頭の中でわたしに突っ込みまくっているに違いない。

「しっかしどないしたんお前ら。珍しくランチか?」
「せや、たまにはふたりでな」
「ほーう」
「ちゅうかホンマにどないしたん」
「あーいや、ちょっとな。上に話があってな」
「そなんや? また戻ってこれたらええのにな、お前」
「ここには俺以上に出来る男がおらんからなあ」
「お前誰に向かって口訊いてんねん……」

しばらく蔵とワタルのやり取りが続きそうだったので、わたしは静かに着席した。
きっと後で、軽くコーヒーとかに誘われるに違いない。
どう説明しても、ワタルは納得してくれると思う。
だけど、あの話をぶり返して誰かに聞かせるということがどことなく怖かった。
だからワタルにも、今の状況を話してはいなかったのだ。

ほどなくして、わたしの携帯電話が震えた。
見ると、「おい」と、案の定のワタルからのメッセージだった。
大阪支社に来たとはいえ、本社勤務なのだから、ある程度の仕事が片付けばワタルはフリーだ。

「ほらきた」と返すと、「ほらきたちゃうわ」とすぐに返ってきた。

「まあええわ。とりあえず地下二階な。茶しばくぞ〜!」
「メール打ったら行きます」

冷静に話せば、ようやく取り戻したこの気持ちのまま、きっと説明できるだろう。
そう思いながら、わたしは取引先へメールを一本飛ばして、すぐに地下二階へと向かった。





ワタルは意外にもクールな面持ちでそこに座っていた。
地下二階、と待ち合せればこのオフィスビルに勤める人たちは皆がこの喫茶店に来るだろう。
少なくとも、うちの会社はそうだった。
他にもコンビニや銀行のATMがあるけれど、地下二階と呼ばれればここだ。

そしてワタルは、この喫茶店での座る場所が決まっていた。
今日も当然のように、そこでコーヒーを啜っていた。

「どういうことやねん」
「まあそうなるよね」
「いやちょお待て、お前のその冷静さ、なんか腹立つな」
「これでもいろいろあったのー」

ブーイングのように言葉を返すと、そんな感じで返したいの俺のほうやから、と即座に言われた。
ご尤も、と心の中で納得する。
わたしは順を追って話した。
順を追うも何も、蔵から聞いたことをただ淡々と、事実関係を、淡々と。
まるで、話していることは本当に他人事で、わたしの知らない世界で起こって、たまたま伝わり知り得た話なのだ、というように。

それを聞いている間、ワタルはいつしかのように、うーん、とか、ふぅむ、とか、はぁ……とか、いろんな合いの手を入れながらも、それでも最後まで口は挟まず聞いてくれた。

「そんで、まああれか、伊織は、折れたと」
「うん……今は結構、前向き」

本当は、今さっき前向きになったばかりなのだけど。
ワタルにこうして話した後も、今のところ全く冷静なので大丈夫そうだなと頭の片隅で考える。

「なるほどな……まあでも、アレやな!」
「なになに、なんよ」

なんだか歯切れの悪いワタルに、どうしたものかと笑いながらわたしは先を促した。

「いや、ホンマ、良かったなって思てる」
「うん……ごめんね心配かけたのに」
「いやいやええよ。でもこれで、お前らどんなことがあっても、そう簡単に離れんやろ?」
「うん? うん……え、どういうこと? 絆が深まったとかそういうこと?」

質問の意図がなんとなく不自然な気がして、言っていることはわかるのだけど、なんだか腑に落ちなくて、おかしな返答をしてしまう。

「そうそう、絆が深まったんちゃうかなって!」

なんだか濁されたような気分がするのは、わたしの気のせいだろうか。

「そうだね……まあそれは、これからもう少し時間がいるかもしれないけど、とりあえずは、そうかな」
「さよか……うん、そんなら良かった。ホンマに、良かったよ」

自分を納得させているようなその言い方に、ワタルは本当に良かったと思っているのか、わたしはほんの少しだけ、不安に思った。









「ワタル、なんかあったんかな」
「え」

早速部屋に誘ってきた蔵が、シャワーあがりにおもむろにそう訊ねてきた。
ちょうど髪が乾いてドライヤーを切ったばかりのわたしの耳には、その声はやたらと鮮明に届いてきた。

「なんで?」
「んー、なんやあいつ、なんか様子変とちゃうかった?」

そういえば、と地下二階のやりとりを思い出す。
いつものワタルらしくない、歯切れの悪い、何を言わんとしようとしているのかわからない雰囲気を、わたしは確かに感じていた。

「仕事でなんかあったんかな」
「それなら、相談してこない?」
「せやんなあ……ひょっとして……女か?」

けけ、とちょっとだけ意地悪そうに蔵が言うもんだから、自分だって今日の今日まで女でげんなりしてたくせに、と悪態をつく。
もちろん、声に出しては言わなかったけれど。

「彼女とはうまくいってるでしょ?」
「そうなんや? 東京行ってから出来たんやったっけ?」
「そうそう。別れたって話も聞かないけど……」
「まー、そんなんわざわざ言わへんやろしなあ」

言いながら、蔵はビールを取りにキッチンに消えた。
言われてみればそうだな、と思う。
こちらも聞いてもらうばかりで、彼女が出来た、という半年前の彼からの報告以来、特に何も聞いていない。
ひょっとしてワタルは、今日、わたしに相談があったんじゃないか、とふと思った。

「伊織も飲む?」
「うん、ちょうだい」

そんなことに今更気づいても、もう遅い……明日の朝には東京に帰っているだろう。
週末に電話でもしてみようかな、と逡巡していると、すっと蔵の手がわたしの腹部に触れてきた。

「蔵、ちょっと待っ」
「せっかちすぎるか?」

腰にタオルを巻いて消えたと思った蔵は、ビールを片手にもう一度洗面台へ戻ってきていた。
鏡越しにわたしを見つめて頬にキスしたかと思えば、すぐにその唇は半乾きのサラサラな髪の毛と共にわたしの首筋を伝った。

「これじゃ、ビール飲めないよ……」
「ええよ飲んで。飲みながら少しじっとしとって」
「もう……蔵……」

今度はしっかり腰を抱いてきた。
静かな空間の中で、肌を弾くキスの音がうなじから肩に流れていく。
Uネックのカットソーのギリギリのラインで焦らすように、何度もそれは繰り返された。

「ン……」
「伊織……」
「うん?」

また鏡越しにわたしを見つめる。
そしてすぐに、蔵はわたしの手を取って絡めてきた。

「その顔めっちゃ好き」

もう片方の蔵の手が、アンダーバストと腹部の間を何度も行き来する。
火照った自分の顔を見ていられなくて鏡に背を向けようと蔵に振り返ると、そのままゆっくり壁に追い込まれた。

「かわええよ」

唇にキス。
微笑む蔵は、やっぱりずるい。

「伊織、ビール飲んでへんやん」
「蔵が飲ませてくれないんでしょ!」

嬉しそうに言う蔵に反発すると、蔵はビールをすっとわたしの目の前に持ってきた。
このタイミングで飲めってことかと、困惑の色をにじませると、蔵の鼻先がわたしの鼻先に触れた。

「俺も飲みたいから、口移しして」
「えっ」
「ほれ」

些か強引に飲まされたビールは少し溢れて、それはわたしの喉元を伝っていった。
蔵はその線を辿るように下から唇にやってきて、わたしを翻弄するかのように愛を乞う。
一瞬冷たく、一瞬ぬるい炭酸がお互いに伝わって、もうわたしはすっかり溶けていた。

「伊織」
「なに……」

いつの間にか激しく絡まっていた舌をゆっくりと離して、蔵は耳元で囁いた。

「愛しとるよ」
「うん……わたしも愛してる」

ただ抱きしめてキスされているだけなのに、わたしの体中が喜んでいた。
蔵とこんなキスをすること自体が久々で、こんな気持ちで抱かれるのも久々だったから。

「はぁ、蔵……もう……」

わたしは蔵の首に手を巻きつけて、壁を背もたれにしながらやっと立っているような状況だった。

「伊織」
「うん?」

すると蔵は、突然艶かしい手の動きを止めて、側にあるビールを一口飲んだ。
あれ、と思ってぼんやり蔵を見上げると、なんでもないような顔をして。

「で、ちょっと待とか? また後にする?」
「…………」
「あれ、なんやその反抗的な目」

なんとも、憎たらしい。

「蔵」
「うん?」
「……意地悪すぎる」

満足したように微笑んだ蔵は、そのままわたしと愛を交わした。

あと二週間もすれば蔵の誕生日だと思いながら、わたしは蔵に抱かれた。
この人をもう一度信じようと、この日は確かに、心に誓ったはずだった。





to be continue...

next>>05



[book top]
[levelac]




×