抱きしめてしまいそうさ_01
「ねぇ国光。国光の誕生日には絶対に二人で過ごそうね」
「ああ。そうだな」
「国光、何が欲しい?」
「気にするな…祝ってくれるだけでいい」
抱きしめてしまいそうさ
1.
俺の誕生日まで3ヶ月もあると言うのに、伊織は俺に嬉しそうにそう言っていた。
「えー。ないの?欲しいもの」
「ああ、別に、必要ない」
お前が居てくれればそれでいい。
心の中でそう思ってそれを口にすることの出来ない自分がもどかしくも感じた。
今なら…伊織にそれを伝えることが出来るだろうか…
いや…もう…遅いのか…。
あの約束は、もう無効になってしまっているだろうな…。
涼しくなってきた夜の街並みを用もないのに歩く俺は、今日という日にそのことが頭から離れずにいる。
こんなに憂鬱な気持ちで迎える誕生日というものは…やはりいいものではないな。
* 8月 *
プロに転向したばかりの夏は目まぐるしい程に忙しく、伊織と一緒にいることさえままならない日々が続いていた。
海外遠征や特別コーチとしての強化合宿、それに加えて勉強もある。
同じ大学に通っていても夏休みに入っているため、ほとんど顔を合わせることなく…
そんな日常の中で、たまたま昼に暇が出来たある日、 久しぶりに俺の一人で住むマンションに来ていた伊織が 痺れを切らした…。
「ねぇ国光…どっか行きたい!」
「そうか…それなら、出掛けよう」
「違う!!そうじゃなくて、旅行とか!日帰りでもいいから!!」
「それなら、もう少しゆっくりと時間が取れてからのほうがいいだろう」
「…取れないの…?時間…」
「ああ、8月も9月もテニスの合宿や遠征で…夜なら空いている日があることもなくはないが…昼間に空いている日がほとんどない…また明日からは合宿が始まるしな…」
「…つまんないよ…せっかく…夏休みなのに…」
「…すまないと思っている。9月が過ぎれば、きっとゆっくり出来る」
「それじゃもう夏は終わってるよ。海とかだって、行きたいのに…」
「…そうだな…」
俯いた伊織に何もしてやることが出来ないまま、俺はただそう頷いただけだった。
しばらくの沈黙の後に伊織がパッと顔を上げて、両手を合わせながら俺に向き返ってはしゃいだ。
「あ!そうだ!夜ならいんでしょ!?なら夜から泊まりでどっか行こうよ!次の日の昼までに帰るようにして!」
「ダメだ。翌日の早朝からトレーニングが入っている」
俺がそう言うと伊織はまた俯いて、つまらなさそうに言った。
「……テニス、そんなに好き……?」
「なんだ…何が言いたい…」
「わっかんないよ!!そんなにテニスが大事なら、私なんか要らないじゃない!国光の事、全然わかんなくなってきた!なんか大事にされてない!!私いつも一人だよ!」
その伊織の言葉が本心でないことがどこかでわかっていたはずなのに…俺は落ち着きもなく、冷酷に言い放っていた。
「いい加減にしてくれないか。お前だってそんなことはわかっているだろう。今更そんな我侭を言われても俺にはどうすることも出来ない。大事な時期なんだ」
俺がこの時、こんな言い方をせずお前をそっと抱きしめていたら…すまないと言えていたらなら…今、こんな想いをせずに済んだのだろうか。
「…もういい…国光なんかもう知らない…」
「勝手にしろ」
我侭な性格を愛しく想っていたのに…何故あの時…俺はつまらない意地を張ってしまったんだろうか…
もう、俺のことなど知らないと言い残して出て行った伊織に、それ以来…会うことはなかった。
連絡も来ないまま俺は忙しさに流されて、そして今日まで何もせずに過ごしてきた。
忙しい日々が終わった俺に残ったものは、お前の面影だけだった…
* *
「何してるの?」
「…不二…」
公園でぼんやりと星を見上げていた俺に、後ろから聞きなれた声が掛かった。
「夏はずっと会ってなかったよね。久しぶり、手塚」
「ああ…いろいろとあってな…テニス部にも顔を出せなかったな」
「ふふっ。手塚の穴は大石が頑張ってくれてたよ。それにしてもどうしたの?」
「ああ…いや…別にどうしたというわけでもないんだがな…」
「あ…ねぇ…」
「どうかしたのか?」
腕時計をふと見た不二が、何かに気が付いたかのように声を上げた。
「今日…手塚…誕生日じゃないの?」
「ああ…よく…覚えていたな」
まだ子供の頃は毎年青学の仲間達が祝ってくれていた…そんなことをふと思い出して、懐かしさに目を細めた俺を見ながら、不二は悪びれもせずに聞いてきた。
「…どうして一人なのかな?」
「………不二らしくないな。遠回しだ」
不二は楽しそうに笑ってから首を傾げて俺を覗き込んでいる。
「くすっ…僕は、手塚の気持ちの配慮をね」
「…どうせまた噂でも聞いたんだろう」
少しため息をついた俺の隣にゆっくりと座り、同じように空を見上げて、不二は微笑んでいた。
「うーん…ていうか、データかな?くすくす」
「全く…いい加減、人のプライバシーに関わるようなデータ集めはやめろと言っておけ」
「手塚らしくないね。いつも冷静沈着なのに。喧嘩したんだって?」
「喧嘩だけじゃない。捨てられたも同然だ」
その俺の言葉に不二は少し驚いたのか、「手塚もそんなこと言うんだね」と言って、少し黙った。
「夏さ…手塚が居ない間ね…伊織ちゃん、テニス部に顔出してたんだ」
「…それは…本当か?」
この2ヶ月の間に俺に1本の連絡もとらずにいた伊織が、テニス部に現れていたという事実は俺に小さな期待を抱かせた。
「うん。今にも泣きそうな顔して、来てたよ。まるで、誰かを捜すみたいに」
俺を…待っていたのか…?
「後悔してるからこそ、自分からは連絡し辛かったんじゃないのかな?」
「……」
「だから、手塚の面影を見てたかったのかもしれないね。………ねぇ手塚?まだ間に――――――」
「もう済んだことだ、不二」
期待を抱いて、それが違う形となって俺の前に現れた時…俺は自分が傷付き、壊れるほどの想いをすることが怖かったのか…気が付けば、心とは裏腹なことを口走っていた。
「…そう…ダメだね手塚は」
「何がだ」
そう言うと 不二がふっとため息をついた。
「冷静になるとこ、間違えてるよ。手塚がそれでいいなら、僕はもう何も言わないけど…不器用ならまだしも天邪鬼なんて言葉、君には似合わないよ」
じゃあ僕は帰るね そう言って不二はそのまま公園を後にした。
* *
不二が居なくなった公園で、俺はそのまま空を見ていた。
そして、不二の言ったことばかりをただひたすら考えていた。
誰かを…捜すみたいに…
今、その状態になっているのは、紛れも無く俺のほうだ。
用もなく街を歩くのは、伊織…お前を捜していたからなのかもしれない…
些細な諍いで手離してしまったお前に……どうしようもなく逢いたい…今日…だからこそ逢いたい…
きっと今なら…お前の我侭にも答えてやれる。
俺は今までただ闇雲にテニスをすることで、お前がいない淋しさをうやむやにしていただけなのかもしれない。
一人で待つお前の淋しさをわかってやれなかった…お前をいつも…何より大切に想ってきていたはずなのに…
伊織……!
気が付いたら、俺はその場から走り出していた。
* *
―――彼女のマンション前に着いた俺はすぐそのドアのチャイムを鳴らした。
外から見て電気が点いていなかった事でその可能性を予測していた俺は、そのままエレベーターに乗り、マンションの入り口でまた夜空を見上げて伊織を待つことにした。
そうして二時間が過ぎた頃、すでに5度目となる電話を伊織に掛けた。
<お掛けになった電話は電波の届かない所に…>
静かにため息をついてふと腕時計を見るとすでに夜中の1時を回っていた。
俺は名残惜しい思いに駆られながらも、もう一度伊織の部屋を見上げて、もう一度伊織に電話をかけてからその場から立ち去った。
ゆっくりと歩いて帰りながら 俺は伊織との楽しかった日々を思い出していた。
今更…やはり…もう遅いのか…
お前の気持ちが揺れたのは…全て俺がお前を包んでやれなかったからだな…お前の淋しさをわかってやっていたつもりなのに、今頃…俺は…
伊織…お前は俺と居て…楽しかったのか…?
俺というつまらない男に費やしたお前の時間は もう…取り戻せたのか…?
どんなに悔やんでも悔やみきれない想いを胸に俺が、自宅マンションの入り口へと差し掛かった時…………
「国光……」
目の前にうずくまっている伊織を見つけた。
伊織は俺に気付いてふと顔を上げると、目を見開いたままゆっくりと俺に近付いてきた。
「ごめん…あつかましくて…」
「どうしたんだ…」
「だって…約束したもの…もう…7日を過ぎちゃったけど…」
「…伊織…」
「…っ…これ…」
今にも泣き出しそうな顔をした伊織の顔を小さな街灯が揺らした。
そう言って差し出した小さな箱を俺が受け取ると、気まずそうに目を横に逸らして、震えた声で言った。
「ずっと…前からもう…買ってたの…。だから…今となってはもう…迷惑なの、わかってるんだけど…せっかく買ったし…私…捨てる勇気なくて…」
「開けてもいいか?」
「…開けたら後悔するかも…」
今にも伊織を抱きしめたい衝動を抑えて、俺はその箱のリボンをゆっくりと解いた。
その中には、シルバーの指輪が入っていた。
「…ど…独占欲…強いの…私…だから…あの時も…私…」
「……」
「黙ってないで…なんとか…言って…」
「……」
「国光!」
「……」
「もう!だから言ったじゃない!それ見て後悔してるんでしょ!」
「ああ…」
「…っ…わかった…それなら、国光が自分で捨て―――きゃっ」
「…後悔しているのは、今までのことだ」
帰ろうとして背中を向けた伊織の腕を咄嗟に掴んで、俺はきつく強く彼女を抱きしめていた。俺の全てをかけて、抱きしめていた。
「伊織…」
「国…光…?」
「許してくれるか…俺を…」
「…っ…ごめんなさいっ!」
「伊織?」
「私が悪いの!ごめんなさい!我侭言って、困らせて…っっ…ずっとずっとっ…うっ…うう…後悔してた。もう、嫌われちゃったって…」
「…伊織……」
「国光のこと、大好きで…だから国光の好きなことさせてあげたいってずっと思ってきたのに…周りの友達が…彼氏といつも一緒なのとか見てて…私…最低…ごめん…ごめんなさい…私、本当に――――っ」
「伊織っ…もういい。お前の淋しさを受け止めてやれなかった俺が悪い…」
「国光…」
愛しかった伊織を見つめて、愛しかったその肩を抱いて。
愛しかった唇に、俺は想いのままにキスをした。
伊織…もう、二度と…お前を手離しはしない―――――。
to be continue...
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