ファットボーイ&ファットガール_11
「千夏……こ、これ……あり、がと……」
「ああ、おはよ伊織!どうだった?」
「ど!?……ど、どうって別に、どうもこうもないよ!」
「ちゃんと頭の中で予行練習しなきゃダメだよ〜?気持ちはリラ〜ックス、リラ〜ックス」
ファットボーイ&ファットガール
11.
リラックスなんか出来るか、バカが!という暴言は吐かないでおいた。
せっかく千夏が親身になって貸してくれたのだ……しばらく喧嘩はしたくない。
一方の千夏はすでにガチガチに緊張してしまっているわたしの肩をぽんぽんと叩きながら、わたしが差し出したDVDをこっそりと受け取った。
きちんと中身が見えないビニール袋に入れてきたのだけど、やっぱりちょっと周りの視線が気になるらしい。
それに倣うように、わたしは潜めた声で千夏に問うた。
「て、てかさあ、千夏、なんでこんなの持ってんの?」
「あ、やだなあ変な誤解して。
わたしの物なわけないでしょ?雅治の部屋から盗んできたに決まってるじゃん」
「ええ!?じゃ、じゃあこれ、仁王のなの!?」
「そうだよ。雅治たーくさん持ってるの。意外とこういうラブリーなやつが多いんだけどね」
意外と、という千夏の言葉に思わずぷっと噴出しそうになる。
確かに仁王は、もっと変態チックなのを見ていそうだと心の中で独りごちた。
声に出してしまっては、周りに気付かれてしまいそうだ。
それにしても、ああいうのは初めて見たけれど、なんというか、……すごい。
「ね、ねえ千夏さ……」
「ん?ていうかほら、伊織さ、もう今日なんだから、今のうちに心配なことは聞いておいていいよ。そんなほら、つっかえずに。さあ、さあさあ」
そう……今日なのだ。
今日というのは、夏休みを目前にした終業式の今日なのだ。
終業式を終えたら、すぐに出掛けることになっている。……ぶ、ブン太とふたりで。
どうして長い夏休みの中、こんなひっちゃかめっちゃかな予定を組んだのだろうと思わずにはいられなかったけれど、ブン太曰く、夏休みの前半じゃないと思うように休みが取れないらしい。
なんせ、立海大附属テニス部のレギュラーだからということで……。
「さあさあさあ。声の出し方でもなんでもいいよ!」
ところで、どうしてこの女がこんなに楽しみにしているのかわからない。
声の出し方?バカか。
だけどわたしにとって、このバカな女が一番の相談相手であることには変わりない。
わたしは両手を大きく広げてふっふっふと含み笑いをしている千夏を些か白い目で見ながら、ここ数週間繰り返してきた質問をまたもや繰り返していた。
「い、痛いかな……やっぱり……」
「ぬ……むーん……やっぱりそれが気になるか……それはねえ……なんとも」
曰く、千夏は全く痛くなかったらしい。
人によるのだと、散々言われてきたにも関わらず、わたしにはもうそれが心配でしょうがないのだ。
「でもねえ伊織」
「んー?」
「わたしは全くだったからさあ、あんまり適当なこと言えないけどね……」
「うん……」
ただでさえ声を潜めて話しているのに、千夏は更に耳打ちをするような仕草でわたしに寄ってきた。
顔が近くに来たと思ったら、千夏から優しい香水が匂って、ああ、大人の女っぽいと我ながら男を知らない少女らしい感想が胸の中に渦巻く。
「好きな人とひとつになるのって、すっごくいいよ」
「……っ、い、いいって……どういう……その、気持ち的に?」
「気持ちもそうだし、身体も……痛くても、きっと素敵な夜になると思う」
「……っ……」
同い年だというのに、すっかり大人の女である千夏にそう耳元で囁かれて、わたしは顔を俯かせて真っ赤になった。
今夜を越えたら、わたしも千夏のように、大人に生まれ変わっているのだろうか……。
「ブン太〜」
「おっす」
朝から、毎度のことながら、のら〜りくらりとやってきた仁王は、機嫌がいいのか俺の後ろから俺を抱きしめるように絡んできた。
こいつがこういうことすんのは超珍しい。
ま、ここ最近のこいつは気持ち悪いくらい毎日機嫌がいんだけど、今日はもっとってとこかな。
どうせまた吉井とイチャイチャして栄養補給だろ、とか思うと、なんか腹立つ。
「なんだよ重てえなあ。どけっつーの」
「ほう?俺、ええ情報持っちょるんじゃけど、知りとうない?」
「なんだよ、情報って」
「佐久間との今夜に関することじゃったりして?」
「!」
目を大きく見開いて顔をあげた俺に、仁王はくくく、と肩を震わせながら俺の机に座った。
そろそろ終業式が始まる。早くしろい……。
「な、なんだよ、情報って」
「実はの……昨日、千夏が家に来たんじゃけど」
「いつものことだろ」
「まあ聞きんしゃい。それはいつものことじゃし、当然セックスもしたけど」
「聞いてねー!」
「まあまあ」
相手を弄ぶようにしてもったいぶる話し方が、仁王は大好きだ。
イライラする俺を楽しんでんのがわかるから、マジ腹立つけど、でも、突っ込みながらも待ってみる。
辛抱すれば、仁王は俺を可愛がるように話し出すから。
「千夏が帰ってから、ちぃと欲求不満で……」
「はあ!?セックスしたんだろ!?」
「まあしたんじゃけど、もう一回したかったんよ。だがまんまと断られての」
「……お前、性欲強いのな」
「今だけの。いろいろあったし?」
「あーはいはい」
仁王と吉井のいろいろをわざわざ蒸し返すこともねーし、俺は先を促した。
とにかく今は愛しくて仕方ないんだろう。
聞いてても別に面白くもなんともねーけど、仁王と吉井が今まで通り居てくれるのは、やっぱ、なんか嬉しい……。
死んでも口には出さねーけど。
「そしたら、俺のお気に入りが無かったんよ」
「は?」
「じゃから、自分で落ち着かせようと思ったんじゃけど、DVDが無かったっちゅうこと」
「……それと、伊織との情報と、なんの関係があんだよ」
全然話が見えねえし、なんで俺が仁王のオナニー話聞かなきゃなんねーんだよ。
結局イラついた俺がそう返したら、仁王は口の端をあげて笑った。
「多分、今日千夏が俺の家に来て帰って行ったら元に位置にあると思うぜよ」
「はあ?どういうことだよ。吉井がんなもん持って帰って一人エッチってか?」
「いや、それじゃと俺も万々歳なんじゃけど、そうじゃのうて」
万々歳かよ……って突っ込みは、心の中でしておいた。
気持ちはまあ、わかるし。
でもそれに続いた仁王の言葉に、俺はもう一度目を見開くことになった。
「千夏が持って帰って佐久間に見せたんじゃろうと俺は踏んじょるんじゃけど?」
「は……?」
「ノーマルな恋人同士な感じのヤツやぞ。ブン太、責任重大じゃの。ああいうのの男優はやたらめったら長いし……愛撫も長いし、女は大袈裟なくらいよがっちょるし。あれ見て佐久間がいろんな想像繰り広げて今日に備えちょるんじゃとしたら、お前さん、拍子抜けされるかもしれんぜよ?」
「…………」
口を、あーっと開けたまま、チャイムが学校中に鳴り響いた。
これから終業式で、終わったら俺は伊織と旅行に行くことになってる。
部活がどうのこうのとか理由つけて、今日にしたんだけど、もちろん、それも嘘じゃないけど、今日にした最大の理由は、もう、俺の我慢の限界だから。
部活のない連休が取れる日は、多分、他にもいくらだってある。
けど、夏休み入ったらすぐにでも、伊織とエッチしたかった。
でもそれは、俺が思っている以上に伊織にプレッシャーを与えてたのかもしんねえ。
まさか、伊織がそんなに勉強(?)してまで俺とのエッチに挑もうとしてるなんて、思ってもなかった。
多分処女だし、何も知らないだろうから、くらい、ちょっと気楽に考えてた自分が情けなくなってくる。
もしかして、何も知らない処女がAV見て、余計な知識入れてる方が、手強いんじゃねえの……?
「ど、どうしよう仁王……下手くそだ、とか思われたら……俺、死にたくなる」
「アレも小さい、とかの?男優のが標準やと思われたらたまらんき」
まるで他人事のようにニヤニヤと笑いながら体育館へと向かった仁王の背中を、俺は殴りつけたくなった。
あいつ、別に黙ってりゃいいことを、面白がって教えてやがった……。
伊織に手ぇ出すのにただでさえ緊張してるっつーのに、結果、ド緊張して挑まなくちゃなんねー俺を……
「テメー仁王!マジむかつく!!」
「こら!丸井!!静かにしろ!!」
ケタケタ笑う仁王を追いかけたら、ちょうど廊下を歩いていた担任に殴られた。
もう……なんなんだよ!今日って日が待ち遠しくて仕方なかったっつーのに……くそ……それでも伊織とエッチしてえーーーーーー!!
「こちらのお部屋になります。何かございましたらフロントまでお願いいたします」
「あ、はい……」
「は、はい……」
ひとつ県を跨いだところで、花火大会があるらしいとブン太が提案してきたのは、どこか泊まりに行こうと言われた翌日のことだった。
終業式の日にあるイベントを探したのか、それともイベントが終業式の日にたまたま重なったのかはわからない。
でもとにかく、ブン太がものすごくお泊りを急いているということだけは実感したのだ。
そしていよいよ当日となった今日。
終業式を終えて、お互いが顔も合わさないまま(わたしは意図的にそうしたけど、ブン太はわからない)、家にダッシュして帰って、支度していた荷物を抱えて、電車の前で待ち合わせて。
そこでようやく、お互いが今日、お互いの顔を見た。
わたしが勝手にそう思うだけかもしれないけど、なんだか、ブン太はすでに目が熱くなっている気がして……それに見つめられたわたしは、頬が紅潮していくのを止めることなんか全然出来なかった。
それで、気が付いたらホテルでブン太がキーを受け取っていた。
本当に、気が付いたら……なに喋ったとか、全く覚えてない。
「伊織……?」
「え!」
「先、入って」
「え、あ……うん」
エレベーターで目的の階に降りた後、次は目的の部屋に到着して。
鍵を差し込んでブン太がその扉を開けた瞬間、わたしはもうただただ呆然としてしまった。
本当に、この部屋に、ふたりで泊まるんだ……足を一歩一歩踏み入れていきながら、現実となった今日という日をまるで幻想のように考えていた自分に呆れる。
「……っ、ブン太……?」
「……いい部屋じゃん。な?」
部屋に入って、カーテンを開いた直後だった。
ドサっと荷物を置いた音が聞こえたかと思うと、後ろから強い力で抱きすくめられた。
急激に心臓が喉の方まであがってきたような錯覚を起こす。
ブン太はわたしの耳元で、すっかり大人の男の声を出して、そう呟いた。
「そ、だね……思ったより、広いし……」
「な。超楽しめそう」
「え……」
「え……あ、え!あ!花火がって意味な!?花火、楽しみだろい!?」
「え、ああ、ああ、うん!勿論楽しみだよ!」
「おう、おう……」
ちらりとベッドを見てしまう自分がどうしょうもなく恥ずかしい。
ブン太がそんなわたしを見たあとに意味深な発言をするからこういうことになるのだ。
と、ブン太のせいにしても可哀想か……千夏曰く、「きっと丸井くんの頭の中はそのことばっか」なのだ。
それくらい、経験のないわたしにだってわかる。
盛りのついた猿のようなものだと思っている……多分、間違っていないだろう。
気まずい雰囲気を残したまま、ブン太はホテルに備え付けてある街角マップやら、テレビやらをいじったりと、なんだか忙しなく動き回っていた。
いきなりくっついてきた割には、いきなり淡白になったりする。
まるでブン太も初体験をしにきた男みたいで、なんだか可笑しくなってきてしまった。
「ん?何ひとりで笑ってんの伊織?超気持ち悪りーよ?」
「うわー、ムカつく……ねえねえ、花火何時から?もう屋台のいい匂いしてるかな?始まる前に戻ってきてさ、それまでブラブラしようよ」
「おう……で、ラブラブもしような?」
そう言って腰掛けていたベッドから立ち上がったブン太は、ちゅ、とわたしの唇に可愛いキスを落とした。
今度は心臓が、鎖骨あたりまで跳ねた気がした。
「ちょー、満腹!!」
「ブン太食べすぎだと思うんだよ、わたし……今更だけどさ」
「あー、それ、マジで今更かも……なっ!」
「ひゃあ!!」
花火が始まる前に伊織とふたりで屋台の匂いにつられて歩いた。
せっかく花火が綺麗に見えるっつーホテル取ったから、花火はホテルの中で見る予定だったけど、俺も伊織も今日はずーっと緊張しっぱなしだったし、気分転換。
で、俺は結局食いすぎで、伊織は結局歩き疲れてへとへとな感じだった。
ムードがね〜……まあ、そうしたの俺のせいでもあんだけど。
だからどうにかムード取り戻そうとして、俺はホテルの部屋に帰った瞬間、伊織を抱きしめたままベッドにダイブした。
柔らかい伊織の体が、いつもよりも俺の手に馴染んでいく感じがする。
「も、びっくりするじゃん!」
「ん……でも、せっかくふたりきりなんだし、いいだろ?」
疲れたと何度も言っていた伊織の脚を少しだけ撫でて、ふくらはぎをマッサージするように揉んだら、
伊織は色気もクソも無いような声ですぐに俺の言いなりになった。
「うああああ〜……ブン太、マッサージ上手……気持ちい〜……」
「だろぃ?こんな熱心にやってやんの、伊織だから特別だぜ?」
「明日、筋肉痛にならずに済むかな〜」
「あー、それは、無理かもな」
「えー!なんでえ!」
「この後の運動がどうなるかわかんねーから」
すっかりこれから起こることを忘れたような伊織に冗談めいてそう言ったら、伊織はマジですっかり忘れてたのか、はっとしたような顔をした後、真っ赤になって俯いた。
おずおずと、マッサージしてる俺の手から脚を外そうとする。
それどころか、俺と距離を取るように起き上がった。
えー、待って待って!ここまできてナシとかナシ!
「ちょ……伊織、その反応、なに……」
「違うんだよ、嫌とかじゃなくて……なんて、言っていいかわかんないけど……」
そんな風に構えられると、俺も妙に鼓動が高くなってくる。
初めて会った時には絶対に見ることないだろうと思ってた伊織の赤くなった顔。
好きになってからもしばらく見ることはないだろうと思ってた俺を愛しそうに見てくれる瞳。
……やっぱり、どうしたって抱きたいって思う。
っつーのに、こんな時に仁王の脅しめいた言葉を思い出した。
クソッ……さっきのさっきまで忘れてたのに……。
ああ、余計なこと考えるな丸井ブン太!お前は天才!きっとセックスも天才的だ!……多分!
「ねえブン太……」
「ん?」
ごちゃごちゃ考えてたら、俺を怯えるように見た伊織がゆっくりと問いかけるように呟いた。
僅かに開いた唇に、もう発情してる自分がいる。
早く……キスしたい……深いやつ。
「ブン太ってなんで、わたしのこと、好きになったんだろ……」
「え……」
ごめんね、今更……なんか面倒臭いかな……。
ぼそぼそとそう言いながら、俺から視線を逸らすようにして花火があがるはずの窓の外を見上げる。
都会の喧騒から少し離れたホテルから見える夜空には、星がちらほらとこっちを見ていた。
「今日だからこそ、聞きたいって感じ?」
「……うん」
伊織の隣に座って、顔を覗きこむ。
付き合い始めの伊織はもういない……俺しか知らない、伊織のこんな表情。
それが、何度確認したって嬉しい。
「ごめん、正直、なんで、とかわかんねんだ、俺……」
「……そ、そっか……」
「がっかりした?」
「……そんなこと……」
「けど、自分でも狂ってるなって思うくらい、伊織に惹かれてる」
「……っ」
「俺、こんなに恋した子、今までいないよ。マジで。嘘くさい言葉かもしんないけど、マジだから」
「ブン太……」
そっとキスする。
伊織が少しだけ震えた手で、俺のシャツをぎゅっと握った。
もう一度、頬に触れてから、キスをする。
花火が開く前のおたまじゃくしみたいな炎が視界の隅に見えた気がした。
「わたし!」
「えっ」
ムードも良くなって、お互いがねだるようなキスをした中で、ただその音だけが響いて……。
ああ、もうこのまま……ってすでに膨らみ始めてる下心を抑えきれなくなったとき、花火があがったのと同時に伊織が大きすぎるくらいの声を張り上げた。
花火にも、そのタイミングにも煽られて、俺は大袈裟に驚く。
「あ……花火だ!……綺麗だねー!」
「お、おう……びびった……って、伊織、何言おうとしたんだよ?」
ムードが壊された気がして、少しだけ口を尖らせて伊織を見る。
そしたらなんでか、伊織は挙動不審に目をキョロキョロさせて、背筋を伸ばした。
「あ……その、シ、シ、シキャ、シャワー……浴びてこようかな、とか……言おうとした」
「……っ」
シキャって……噛んだぞ、今……マジで?こんなとこに愛しさ感じんの俺だけかな。
超かわいいんだけど。
シャワー浴びて、俺も浴びて?そっからじゃ、花火終わってっかも。
うーん、せっかくの花火、見ながらとか、初体験にしては高度すぎっかな……でも……。
「伊織」
「うん?――ンッ……」
伊織を思い切り抱きしめながら、俺は容赦なく伊織の唇を吸った。
何度もあがる花火が綺麗で、忘れられない夜にしたくなる。
いきなり唇を割って入っていった俺に、伊織は戸惑うように体を崩しかけたけど、俺はそれをも許さないくらい、伊織の腰を強く抱きしめていた。
「ブン太……っ、シャ……ワー、浴びたいよ……」
「だめ……俺、もう待てないや」
「……やだよっ……汗かいてるもんっ……」
「伊織の汗も好きだよ?」
今を逃すなと、俺を応援するように花火が次々に大きな音を立ててあがる。
黙った伊織をゆっくりベッドの上に寝かせて部屋の明かりを消したら……
「……ッ、ブン太……」
「大好き……伊織」
キラキラ光る花火の明かりが、伊織の白いなめらかな肌を照らした。
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