Trip of Kiss_02
「仁王っ……も、立ってらんない……」
「……じゃ、座ってするか?」
「ね、ちょ、休憩しよ……?」
「そんな赤い顔されたら、休憩できんじゃろ?」
Trip of Kiss
2.
昨日はそうして一日が過ぎた。
仁王は結局放課後になるまで教室には戻らないまま。
季節のせいか昼休みに他の生徒が屋上に来ることは無かったおかげで、わたし達は暇さえあればキスをしていた。
- * -
「仁王……さ」
「ん?」
もちろんそれだけキスを繰り返していれば段々エスカレートしてしまうのも無理ないわけで、おまけにわたしも拒まないものだから唇が光るくらい激しくなったりもして。
そうして漸く一呼吸ついた時に、わたしは恥ずかしながらも疑問を投げ掛けてみた。
「こんなに激しいキスとかしちゃって、その、仁王は……」
「なんじゃ……言いにくそうに」
「こ、興奮しないの?だって、盛りでしょ?」
「……お前さんすごいこと聞くのう……?興奮しちょるんか?」
言われて、目の前にある胸をバシバシと叩いた。
「おうおう暴れなさんな」とわたしに笑いかける仁王は、わたしが寒くないようにとずっと抱きしめてくれている。
その優しさに、あろうことか惚れてしまいそうで怖い。
「……まあ、興奮しちょらんのかって言われたら……」
「言われたら……?」
「さっきから抑えが利かんで困っちょる」
「ぶっ!」
健全な高校男子風の返答が仁王の口から出たことが意外で、昼休みの時に買ってきてくれたペットボトルの水を噴き出してしまいそうになった。
仁王はそんなわたしを見てまた笑うと、こめかみにキスして。
「で……お前さんは?」
「……別に、普通だもん……少し、身体が熱いくらいで……」
「……それは、興奮しちょるって言わんか?」
「あ……いや……」
- * -
……いろいろと思い出しては、赤面してしまいそうになる。
そんな会話をしたけれど、わたし達はもちろんヤラシイことはしなかった。
恋人気分を味わっただけだ。
キスして、抱きしめ合って、手を絡ませて、舌まで絡ませて。
下唇を甘噛みされたり、耳たぶを噛んでみたり…………十分ヤラシイけど、そこまでだったし、いいんだ、お互い、合意の上だったんだから。
だけどやっぱり、その日の夜に家に帰ってからいろいろと物思いに耽っていると、明日仁王にどんな顔して会えばいいのかなんてことばかりが頭の中を駆け巡った。
恋人じゃない人と、お互いフリーとは言えキスを何時間もしまくって、今まで通り普通の顔して会えるはずがない。
考えながら、こんなに早く失恋の痛手が引いたのは初めてだと苦笑した。
それもこれも、魔性の仁王様のおかげだろうか。
「よう。おはようさん佐久間」
「!!……あ、お、おはよ仁王……元気?」
いつものように教室の机に座って友人達との他愛ない会話をしながらそんなことを考えていたら、昨日耳元で囁かれていた声が背後からして、咄嗟に振り向いた。
今まで聞いたことも無かった「元気?」という問いかけに、我ながら白々しいと思う。
周りにいる友人達が気になってるせいか、焦っているみたいだ。
「お前さんこそ元気じゃったか?具合、もうええんかの?」
「……ああ!うん、大丈夫!」
おっと危ない、わたしは昨日、病欠したことになっていた。
危うく「は?」と返してしまうとこだ。
そうだ、わたしは昨日、学校を休んだから、ここには来ていない。
だから仁王にも会ってない、だから仁王ともキスしてない……ってもうそればっかり!
「ちと、用があるんじゃけど……あっちで、話出来るか?」
「え……あ、うん、いいよ」
仁王はそう告げると、スタスタと歩いて教室を出た。
HRが始まるまでの僅か15分、周りの友人達は「仁王からまさかの告白!?」なんてからかっている。
告白なんて通り越してる関係だとは、口が裂けたって言えない。
いやいやまさかー、というわたしの口振りに、みんなも、そんなわけないない、と言う口振り。
だけど興味津々の顔をしながら、わたしを見送ってくれた……後で何だったか聞かれるな、これは。
「あれ……?仁王ー?あれ…………ぎゃ!?」
「しー……」
そんな風に思いながらもせっせと仁王の背中を追っていると、仁王の行った方向に進んで行ったのに、廊下の角を曲がった所で仁王の背中がいきなり消えた。
ぎょっとして見えなくなった背中を探そうとキョロキョロ戸惑っていたら、今度はいきなりどこからか腕を引っ張られて。
叫びそうになったのと同時に、わたしは使われていない教室の中に連れ去られていた。
「な、びっくりするじゃん!」
「すまんすまん、誰かに見られても困るじゃろ?俺と女子が二人きりでおると、覗いてくるような輩もおるしの……」
ひっそりとした声で、わたしの耳元でそう優しく囁く仁王は、すでにムード満点の顔をしていた。
キスする気満々ですと言わんばかりで、それに冷静に対応するように、わざと意地悪な返事をしてみる。
「さすが、モテモテだね……だからすぐ噂流れるんだ、仁王って」
「モテちょるわけじゃないぜよ……目の敵にされることが多いだけじゃ……。まあ、どっちにしても俺は構わんが、お前さんはその噂の相手になりとうないじゃろ……?」
そう言いながら近付いてきた仁王の顔にすっかり色を感じて、わたしはそっと目を閉じた。
触れる唇は昨日と変わらず官能的で、朝から悶々とさせてくれる。
最初は優しく……時々深くなって、また、焦らすように音を立てて離れていく。
「ン……仁王……、用事ってもしかしてこれ……?」
「……他にあると思っちょったか?それ以外の繋がり、俺とお前さんの間にはないじゃろ……?」
そうなんだけど、朝からこんなことして、大丈夫かわたし達……。
でも、仁王のキスから逃げるなんて無理だ……だってもう、味占めちゃったよ……。
「あの……仁王」
「伊織」
「え!?」
「雅治っちゅうてみんしゃい、こん時だけでええから」
いきなりの名前呼びにドキッとする。
仁王はそう言いながら、人差し指をわたしの唇の上に滑らせた。
つまり、キス中は名前で呼び合おうってこと……?
「それは……ムードの問題?」
「気持ちの問題じゃ……」
「……へ……?」
「…………のう佐久間、提案なんじゃけど、このまま付き合うっちゅうのはどう?」
気持ちの問題、と言った仁王に首を傾げると、仁王はわたしの両脇に手をついてそんなことを言ってきた。
さっきまで、これ以外に繋がりはないとか、この時だけでいいからとか言っていたのは仁王だ。
だからこそ、仁王からのその提案は実に突拍子もないと感じた。
一瞬、友達にからかわれた事が本当になっちゃったな……とぽやぽや考えながらも、仁王を見る。
その目は、別にからかわれているわけでは無さそうだと判断出来るものだった。
じゃあ後はわたしの返事だ。
ちょっと待て、冷静に、よく考えてみよう。
そりゃ、仁王とのキスは凄くいい……いいから昨日あんな約束をしたんだけど、付き合うとなると話は別じゃないだろうか。
そんなに好きじゃないうちから付き合うのは、別にいいと思う。
きっとそのうち本気になってしまうか、やっぱり好きになれないか決断が下るだろう。
「……佐久間?」
「ちょっと待って今考えてるから」
「……そうか」
しかし本気で好きになってしまった場合、わたしは大丈夫だろうか?
仁王曰く、彼は「キスしたい女にはする」ような人なのだ。
浮気される可能性がある……うーん、耐えられない。
と言うかそもそも、いきなり付き合わないかと言ってきた仁王に何か策略めいた物を感じないでもない。
「……まだか」
「ちょっと待って、もう少しだから」
「…………キスしちょってもええ?」
「え?……ン……」
承諾する前にされてしまった。まあいいや。
……ていうかそういえば仁王、昨日、「抑えが利かん」とか言っていた。
まさか付き合う=セックスに繋げようとしていないだろうか。
そういえば仁王、昨日、「キスがこんだけ相性ええんじゃから、セックスもええかもしれん」とか言っていた。
まさか相性の良さを確かめようとしてないだろうか。
と、そこまで考えた時、仁王はそろそろと思ったのかキスの隙に聞いてきた。
「伊織……返事……」
「ン……無理」
わたしがサラリとそう言うと、仁王はきょとんとした顔でわたしを見つめている。
「…………今のは返事か?」
「そうだよ」
そうだよね、こんな腰砕けみたいな昨日、今日を過ごしておいてこんなあっさり断るとは思ってないよね。
心の中で仁王に同情してみる。
案の定、仁王は「んー……」と少し唸って、わたしをゆっくりと抱きしめてきた。
「……差し支えなけりゃ、理由を聞かしてもらってもええかの?」
「えっとー……うん、仁王にとっても、わたしにとっても、そっちの方がいいと思うんだよね」
優しく抱きしめて優しく問いかける仁王に、わたしは優しく、物凄く遠回しに答えてみた。
つまり、付き合うことになると、多分この調子だとすぐにカラダの関係になる。
セックスしちゃったら、わたしは多分、この人にベタ惚れしてしまう気がする。
だって仁王曰く、こんなにキスの相性がいいのだ。セックスの相性が悪いとは思えない。
だから、そこまではいいのだけれど……問題はその先で、男ってのはどういうわけか、セックスという目的を達成させるとひと段落ついたような気になるのか、段々と素っ気無くなるのだ。
最初はしたいが為に夢中になっている素振りをしているくせに、した途端に今度はこっちが夢中になったような気にさせられる。
即ち、立場が逆転する。
……今までの男はまだいい。
でも、この仁王雅治との立場が逆転してしまったら……いや、今、別にわたしが優位とは思わないけど。
でも今はこうして優しい仁王と、付き合って関係を持ったことで彼が少しでも冷たくなったら、わたしは酷く傷付いてしまいそうな気がする。
この男の「冷たい」は、容赦ない気がするからだ。
そうなると、わたしが辛い……そして絶対仁王は、「面倒臭え女とヤッちまったな」となる気がする。
あれ……今のちょっと、キャラ違う人になっちゃったかな。
「……具体的には、どういうことじゃ?」
「うーん……だから、仁王とはマジ恋愛出来そうにないってこと」
更に天邪鬼に今度は冷たく遠回しに言ってみた。
この気持ちを素直に言うのはなんだか悔しいし、癪だ。
最初から負けを認めてあなたにベタ惚れですと言っているようじゃないか。
それは間違いだ。わたしは仁王に惚れてはいないのだから。
まあ……仁王のキスにはベタ惚れだけど。
だってこないだ傷を負ったばかりなのに、その傷口に更に塩を塗り込むようなことしたくない。
キスをして「ああ気持ち良かった」と言っていられる関係で終わった方がいい。
明日、明後日までの契約なんだし、きっとそれでスッキリ終われるさ。
「そうか、わかった」
「うん、ごめんね。嬉しいこと言ってくれたのに」
「気にしなさんな。俺は根に持たん方じゃから……ん、……こっち向きんしゃい」
「……ッ……仁王、もう、HR始ま……ン……」
近づく唇に、吸い寄せられるようで。
チャイムが鳴る直前まで、わたし達はキスをしていた。
* *
「伊織ー」
「んー?」
昼休みも、当然のようにわたしと仁王は落ち合い、朝と同じような時間を過ごした。
明後日で終わる契約だから、少し勿体無く感じているのかもしれない。
どちらからともなく誘って、どちらからともなく唇を乞う。
よくよく考えてみれば、なんというイケナイ高校生なのだ。不純にも程がある。
「伊織の当番、あっちだよ?えっとー、仁王と一緒だ」
「え!そうなの!?」
不純なわたしの名前が呼ばれて振り返ると、友人が箒を持って立っていた。
どうやら掃除当番の場所を間違えているらしい。
掃除当番表のプリントを見た彼女は、裏庭の方向を指差していて、仁王と一緒だと告げてきた。
信じられない偶然に、わたしは思わず声を高くしてしまったようだ。
「ん〜?……伊織、嬉しそう……」
「え……いやいや、いや、そんなわけ……」
「朝も仁王とどっか行っちゃったし……もしかして、好きだったりする?」
「違う違う!今のはちょっと、びっくりしただけだよ……」
ニヤニヤとわたしを見る友人の視線に耐えれなくなって、その場を逃げ出すように去った。
朝の密会は(密会になってないけど)、うまいこと誤魔化したつもりだったんだけど……やっぱり少し、怪しいと思われているみたいだ。
「仁王!」
「……お、佐久間……やっと来たか」
「えー、知ってた?」
「知っちょったよ。知らんかったのはお前さんだけじゃ」
掃除当番表のプリントをひらつかせて、仁王は嬉しそうに笑っている。
確かにわたしは全くプリントを見る癖がないから、みんなにズボラだと思われているみたいで。
しょっちゅう当番場所を間違うわたしを、仁王にまで知られているらしい。
「どこやってるの?」
「花壇の回り。お前さんは反対側やりんしゃい」
裏庭の掃除は大抵草抜き。
あまりこの掃除当番は好きじゃないのだけれど、昨日からヤラシイことしてる仁王と一緒だと思うと、そう苦でもないなんて思ったりする……あはは、これはもう病気だな。
仁王も相当だと思うけど、わたしだってどんだけキスしたいんだ。
と、自分に苦笑しつつ、反対側と言われた仁王の真正面に行って、軍手をはめた。
「はあ……どっかどうでもええ教室の掃除じゃったら、良かったのにのう?」
「ワワワ、またヤラシイこと考えてるでしょ……」
「すんなり受け入れちょってその言い草はなんじゃ」
「ていうか仁王ってさ、欲求不満なの?すごい意外なんだよね、その、ガツガツした感じ」
「ガツガツしちょるか……?しちょるよのう……」
「自分で答えちゃった……」
「しょうがないじゃろう。欲求不満っちゅうほど女に苦労しちょるわけじゃのうても、欲しいもんは欲しいんじゃし」
「この唇が?」
「それはお互い様じゃろ?」
「……むむ」
仁王はどうだか知らないけど、キスに相性があるなんて、確かに昨日初めて知ったような気がする。
知ったというのは、理解したという意味で。
頭ではなんとなく解っていても、実際経験してみないとやはり本当の「知る」ことにはならない。
18歳の誕生日にして、わたしは初めて溶けてしまいそうなキスを体験したのだ。
仁王にお互い様と言われて、わたしもガツガツしているんだと気付く。
そうだ、人のこと言えるかと自分を罵りつつ、何気なく唇を舐めた瞬間だった。
「伊織」
「え……?」
その声は、正面にいる仁王から発せられたものではないことは、すぐにわかった。
わたしが一昨日、別れを決意したばかりの声で、昨日、散々考えた挙句、仁王があっさり忘れさせてくれた……あの、声だった。
「……ちょっと、いい?」
「…………」
呼ばれたわたしはその命令に従うように立ち、ほとんど無意識で彼の後を付いていった。
* *
「何……?」
「いや……やっぱりよく考えてさ、俺ら……やっぱりもっかいやり直さね?」
「……は」
「いや、どう考えてもやっぱ、俺には伊織しかいないっつーか……」
裏庭から少し離れた、体育倉庫の裏まで到着したところで、元カレは振り返りそう言った。
昨日、仁王に忘れさせてもらったはずなのに、みるみると蘇るこの切ない胸の痛みは何だろう。
きっとこのブタ野郎が、うまいこと言ってるのがわかるからなんだ。
昨日のわたしの誕生日に「おめでとう」と一言のメールすら寄越さなかった男が、「伊織しかいない」なんて嘘に決まってる。
今のこの発言ではっきりしたのは、昨日がわたしの誕生日だって、こいつは今も忘れてるってこと。
そして、他に出来たはずの好きな女に、予定が外れて振られたってことだ。
「……他に好きな人、出来たって言ってたよね?」
「いやあれはさ、……気の迷いだよ……俺が間違ってた。なんつーか、昨日一日考えてさ、やっぱりあの子じゃダメなんだよね、俺、伊織じゃないと」
「………………」
「ね、伊織……ずっと一緒にいようって、誓い合ったじゃん」
全て、この男の思考回路がわかるのに、体が動かなかった。
わたしは馬鹿にされている。
きっと後輩の女の子のアテが外れて、でも彼女がいないという状況に耐えれないから、「とりあえず」、都合の良いわたしと付き合うことにしようって決めたんだ。
うまいこと言えば、まだ「好き」の気持ちがしっかり残っているわたしが、断るわけないって思ってる。
昨日わたしが学校を休んだこと(になってる)も、彼の自信に繋がっているんだろう。
あまりにも自分が惨めで、昨日枯れたはずの涙が、また零れ落ちそうになっていた。
ブン殴ってやりたい、こんなクソ男。
そう思うのに、近づいてくる好きだった男の面影を否定出来ないわたしは動けずにいた。
悔しい、どうして「冗談じゃない!」と叫ぶことが出来ないんだろう。
誰か助けて欲しい。このままじゃわたし、彼のいいなりになっちゃう。
「俺、やっぱり伊織のことが――――」
「佐久間ーーーーーーー!!」
「!!」
もうすぐで、引き寄せられて、抱きしめられてしまいそうな時だった。
わたしの背後から、仁王の声がして。
ビクンッと肩を震わせてゆっくり振り返ると、彼は軍手を外しながらこちらに向かって来ていた。
「なーにサボっちょる。承知せんぞ」
「仁王……あ、ごめ……」
わたしの顔を見て、優しく笑った仁王はいつもの調子で飄々とそう言った。
慌てて涙をしまいこむように、わたしが取り繕った笑顔で答えようとした時。
元カレが、まだ話は終わっていないとばかりに焦って割り込んできた。
「あー悪い仁王!ちょっと俺、こいつに用があんだよ、悪いんだけど、あと10ぷっ……」
「――――お前誰じゃ?」
「……ッ……」
一緒に掃除をしていた仁王を見ていたから気を使ったのか、下手に出た元カレの声は一瞬で遮られて。
ゾクッとするぐらいの仁王のドスのきいた声で、その場は静まり返った。
そしてその瞬間、仁王は、わたしを後ろから抱きしめるようにして元カレとの距離を引き離したのだ。
「!……ちょ、お前何やっ……」
「それはこっちのセリフじゃのう……?俺の女に何の用じゃ?」
「は、はあ!?お前、バカじゃねーの?伊織がお前の女なわけねーだろ!俺と付き合っ―――――ッ!?」
「ッ……!」
元カレの喚き声も虚しく、仁王は全くそれを無視して。
わたしの顔を真横に向け、思い切り熱いキスをわたしに送ってきた。
悔しくて零れそうになっていた涙と、仁王が守ってくれた喜びが一緒になってわたしの頬を伝う。
そのキスの間、わたしは身を捩って元カレに背中を向け、必死で仁王にしがみついた。
もう、振り返りたくなかった。わたしの前から、消えて欲しかった。
「……よう、見ちょったか?こういうことじゃ。わかったら消えんしゃい」
「……伊織、お前……仁王と二股かけてたのかよ!!」
しばらく唖然としていた元カレだったけど、仁王がそう挑発したことで我に返ったのか、怒り狂ったように声を荒げてそう言ってきた。
わたしの背中に浴びせれる罵声……わたしはそれを、仁王にしがみつくことで無視した。
「最低な女だな!!二度と顔も見たくねーよ!!」
仁王は黙ってわたしを抱きしめて、元カレを睨みつけてくれていたのかもしれない。
罵声を浴びせた後の彼は、一瞬怯んだような気配を見せて、そして最後にもう一度喚いて去って行った。
これで良かったんだと自分に言い聞かせる。
最低な女と思われた方がいい……都合の良い女だったと思われるよりも、随分マシだ。
「……ッ……ッ……う、く、……仁王……ありがと……」
「…………我慢せんでええから、泣きんしゃい」
「……ッ……仁王が来てくれて、良かった……うう……」
「ん……」
「じゃなきゃ、わたし、な、流されてたかも……ッ……だって、まだ……」
「……まだ、好きじゃった……?」
仁王にそう促されて、堪えていた涙が溢れ出した。
ひっくひっくと声を上擦らせながら、わたしは仁王の胸の中で何度も頷いた。
好きだったという想いを打ち消したくて、そんな自分を誤魔化したくて、仁王とのキスに溺れていたのかもしれない。
心が寂しかったから、仁王の優しいキスが、激しいキスが、求められていることが嬉しかったんだ。
「ごめんね、仁王……」
「ん……?なんで謝る……?」
「め、面倒臭いことに、巻き込んで……」
「……気にしなさんな。お前さんと、キスしとうなっただけじゃから」
「!」
「したい時にするっちゅうのが、俺らの契約じゃったろ?」
粋な仁王の返事が嬉しくて、思わず涙で濡れた瞳を上げる。
仁王はそんなわたしの顔を見て、「おうおう可哀想に……」と、まぶたにキスをくれた。
「……雅……治……」
「…………泣いた顔も、可愛いのう、伊織……」
静かに落ちてきた仁王の唇に、わたしはこのとき初めて、愛を感じていた――――。
to be continued...
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