a moleface_Poker face_03


≠Poker face 03



人間、生きてればいろいろある。
というのは、母親がよく言うセリフだった。最初に聞いたのは、小学生のときにシャーペンの芯が手のひらに突き刺さって、痛い痛いと泣きわめいているあたしに向かって、母親が言ったのだ。

「まあまあ千夏、人間、生きてればいろいろありますから」

ものすごいのん気に。
痛がる我が子を完全に無視して、能面のような顔で、ピンセットでグリグリと手のひらを突いてきた。
おかげで芯は取れたんだけど、痕はいまも手のひらに残っている。これが若干、トラウマになっていた。
皮膚に覆われながら、こちらを見つめるシャーペンの芯。この黒さが、もう10年近く経っているのに憎らしい。
黒くて丸いものに反応するのには、そういう理由がある。だからって、別にそこまで拒否ってるわけじゃない。でも美しいものに、黒さは必要ないし、白いほうが美しいと思っている。
オセロだって白で埋めたほうが美しいし、囲碁だってルールとかまったくわかんないけど白い碁を使ってる人のほうを応援する。
黒ごまより白ごま、あんこよりもクリーム、エリーゼは断然、チョコよりホワイトクリーム派だ。全部、食べ物の話になってしまったじゃないのよ。
そして、「人間、生きていればいろいろある」と本当に思わせる事件が起きたのは、いまから2週間前のことだった。
今年度から氷帝学園高等部テニス部がマネージャーを募集すると聞き、親友の伊織と二人そろって、選抜試験を受けることになった。しかも募集している定員2名、倍率171倍だ。
無理でしょ、どう考えても。受かるわけないじゃん。と、完全にあきらめていたんだけど、そこに忍足先輩がやってきたことで、中1のころから忍足先輩を愛しちゃってる伊織は、急にやる気をだしはじめた。
一方で、あたしは中1のころから跡部先輩がずっと好きだ。伊織と一緒になってテニス部のことを調べまくっていた3年間だったのは事実。だからまあ、受かる気はしないけど、やってみるか、というイベント感覚で受けてみることにした。
それがなんと、合格したのだ。まさかの筆記試験とまさかの面接で、あたしと伊織は難関を突破し、晴れてテニス部のマネージャーとなった(この詳細については、ほかのところでしっかり書かれているので、そちらを読んでね)。
事件は、その面接現場で、すでに起きていた。
最愛なる跡部先輩は、見た目ももちろん、声も素敵で、ずっとうっとりしちゃうような人なのだけど、面接時に跡部先輩に呼びかけられたことにも気づかず、芥川先輩がガーガーと寝ていたので、あたしはうっかり、自分がはいていた校内用のシューズでぶん殴った。
前々から、あのぐーすかぴーすか野郎には頭に来ていた。だってなんか、跡部先輩、芥川先輩にだけは優しいし、そういう嫉妬もあったと思う。その優しさに甘えて寝ている芥川先輩が、我慢ならなかったのだ。

――跡部先輩が話しかけてるのに、寝てるとはなにごとよ! いつも不愉快だった! 機会があればやってやろうと思ってたのよ!

その場にいた全員ポカーンとしていたのだけど、最愛なる跡部先輩だけが、広い心で笑い飛ばし、あたしをマネージャーとして受け入れてくれた。
問題は、そのあとだった。
跡部先輩は、あたしが手にしていたシューズをそっと受け取り、ひざまずいてシューズをはかせたあと、顔を近づけてきた。
そして耳もとで、言った。

――頼んだぜ? 

心臓が止まってしまうかと思った。
すっかり骨抜きにされるのと同時に、至近距離で跡部先輩を見れるチャンスなんてもう二度とないかもしれないとも、思った。
だから、その目線を跡部先輩の真横にある肌へと向けた。
それが、すべてのはじまり。
そこからあたしは、ピクリとも動けないくらいに硬直してしまうことになる。

翌日、一連の件について伊織に相談した。
でも、伊織にとっても面接の日はドタバタで、彼女は忍足先輩に恋人がいることを知ってしまい、あげくそのツーショットを見てしまった。だからだろう。ショックだったのか、「意味わかんない!」と、ヒステリックに返してきた。
そんなに怒られることだったとも思えない。それでも、相談相手は伊織しかいないから、折り合いをみて、レモンの蜂蜜漬けを大切そうに持っている伊織に言ったのだ。

「うわ、伊織……またそれつくってきたの?」
「だって、忍足先輩が好きなんだもん」

伊織はとぼけたところがあるけど、健気でいい女だって、あたしは思う。
よく、「なんで千夏ってわたしの親友なんだろ?」と口にするのだけど、あたしの親友なんて、伊織しか無理だと思ってる。
実際、伊織はかわいいし(基本、かわいい女が好き)、ちょっと変わってるところがあって、しかも結構、物怖じしないところがあるっていうか、いざというときは、きっぱりとした性格も持ち合わせている。
あたしは怠け者で、伊織はわりと真面目。正反対だけど、だからこそ、伊織といると居心地がいい。

「あ、そう。なーんか……いいよね伊織は、恋心ずっとつづいてて」
「はあ? 千夏だって跡部先輩のこと好きでしょ?」
「好きだよ。好きだけど、やっぱり気になるんだよね」

そう、気になる。本当にただそれだけなんだけど、とにかく気になるのだ。
まるで、手のひらのシャーペンの芯のように、こっちに向かってくる強さがあるんだ、アレには。

「でも伊織こそ、忍足先輩のこと、どうするの?」恋人の存在を知ってからというもの、伊織は超ネガモードに突入中だ。
「それは……どうするって言われても、そんなに簡単にあきめられるような恋じゃないの、わたしは。千夏とはね、純粋さが違いますー」
「なっ……冗談じゃないわよ! アレと純粋は関係ない!」
「だとしても、わたしはまったく気になりませんから。やっぱ千夏が変だと思う」
「く……モラハラだ」
「なんとでも言えばいいですよ、ええ、ええ。ロードでも歌いましょうか?」
「あれ、ものすごい長いけど、歌えるの伊織?」
「1番だけなら、たぶん……」

とまあ、冷たいあげく、真剣な悩みを茶化す伊織にモラハラれ、わかってもらえない悔しさに、毎日、顔を歪めている(ロードについて時代がついていけない人は、ググってみてね)。
そうこうしているうちに、レギュラーメンバーが部活を終えて、部室に戻ってきた。いつもこの瞬間、遠目から跡部先輩の姿を探してしまう。
あたしだって、結局は伊織と一緒で……なんだかんだと言いつつ、長年つづいた恋心がそんなに簡単に消えるはずもない。
現状、至近距離でなければ、跡部先輩は本当に素敵で、本当にカッコよくて……もう、超大好きだ。
そして跡部先輩は、あたしの気持ちを「一部」見透かしている。だからマネージャー初日から、跡部先輩は誰から見てもわかりやすいくらい、アピールしてきていた。

――千夏、タオルをくれ。
――千夏、俺のジャージをよこせ。
――千夏、スマホの番号を教えておくぞ。
――千夏、ジローを起こしてきてくれ。

伊織の存在はそこにはないのかってくらい、あたしにばかり用件を言いつける。
樺地先輩よりもあたしを使うようになった跡部先輩に、「想われている」と気づくのはとても容易かった。あれほどまでに雲の上の存在で、恋い焦がれた跡部先輩が、あたしを想ってくれてる。奇跡だと言っていいほどのことなのに、あたしは、跡部先輩と距離を取っていた。本当だったら、すぐにでも胸に飛びこみたかったけど……。
アレに慣れるまでは……そう、思っていたのだ。まだ、慣れなかったから。
跡部先輩は、それにも気づいてる。なにが原因かなんてことまではわかってないだろうけど、近くに行くたびに目を伏せるあたしのことを、切なそうな視線で見つめてくるから……。
あたしがそんな顔をさせているのかと思うと、胸が苦しくて張り裂けそうになるんだけど。

「千夏……今日は部室の掃除をしてから、帰ってくれるか?」
「あ、はいっ」

ほとんどのメンバーが部室から帰って、伊織と帰ろうとしていたころ、跡部先輩から声をかけられた。その音が、弱々しくて。傷つけてる……そう、思った。

「じゃあ千夏、あたし、教室で部誌を書いておくから」
「あ、うん」
「頑張ってね。あと……さ」
「ん?」
「ちょっと跡部先輩、かわいそうだと思う」耳もとで、小声で伝えてくれた。
「……わかってる」

今回の件で、ようやく真面目に返してきた伊織からのアドバイスだった。
かわいげなく「わかってる」なんて言ったけど、本当の意味ではわかってないのかもしれない。今日だって、跡部先輩の邪魔になっちゃいけないから、と、どこかでいいわけをしつつ、離れた場所から掃除機をかけた。
10分もしないうちに跡部先輩専用ルーム以外の掃除が終わってしまう。実は部活前に伊織がこっそり掃除してるから、そんなにやることないんだよね……。
仕方ないので、専用ルームにいる入口付近から、跡部先輩に声をかけることにした。

「跡部先輩、すみません、この部屋も掃除機をかけるので……その」
「ああ、たのむ」

いや、どけよ。
はっ! あたしってば、跡部先輩になんて口の利きかた……いや、声にだしてないからギリか。
先輩は、ちょっと天然なのか、変なところがある。まあ、それは中1のころから試合を見てればなんとなくわかってたんだけど……。

「あ、いえ、あのー……ちょっと、やりにくいんで、移動してもらえたりしませんかね?」
「ほう……俺とは、ふたりになりたくねえってか?」

そんな切ない目で見つめられても……掃除しろっつったのそっちだから! 人がいたらやりにくいのと、ふたりになりたくないは、別問題だから!
跡部先輩が、あたしとふたりになろうとしてるんだってことは、なんとなくわかります。でも、その手段になぜ掃除を選択したの。もっとほかにあったでしょうよ。

「いや、そういうんじゃなくて……でも掃除機なんで、ちょっとかけにくいというか、ホコリも立ちますしっ」
「ふん……そうかよ。わかった。行くぞ樺地」
「ウス」

しかもここに、樺地先輩がいるという謎空間。ふたりになりたいのに樺地先輩がいるという選択肢もよくわからない。跡部先輩に言わせれば、空気みたいなものらしいから、気にならないってことかな。こっちは気になりますよ?
とはいえ、さくっと移動してくれたので、気を取り直して跡部先輩専用ルームに足を踏み入れた。専用と言いつつ、割とレギュラーメンバーがたむろしてる場所なんだけど(酷いときはスナック菓子を食べながらソファで寝転んだりしてるような輩もいる)、跡部先輩は「好きに使え」と、いつもその様子を笑いながら眺めている。
そういうところも、超好きなんだけどなあ。厳しくても優しくて、包容力があってさ……近くにいるのに頭のなかの跡部先輩を妄想して、デレデレとしていたときだった。
右斜め前で、なにかが動いたのだ。おかげさまで、動きが固まった。アレは、目を合わせてはいけないものではないか。だとしても、確認はしたほうがいい。でも、見てしまったら、とんでもない悲鳴をあげてしまう気がする。G……? いや、それにしては、視界の隅にいる大きさが、尋常じゃなくない?
勇気をだして、見るしかなかった。ああ、どうして跡部先輩は気づかなかったんだろう。あいつ、隠れてたのかな。ええい、ままよ!

「ぎゃあああああああああああああっ!」

案の定、叫んだ。しかも、Gではなかった。
そこには、とてつもなくデカい蜘蛛がわさっと動いていたではありませんか!
ああっ、もう怖すぎて口調が日本昔ばなしみたいになってる! あたしはこの世で、蜘蛛が、いちばん嫌いだ!
なんであんなに何本も足があるんだっ! しかもなんかデカさがまちまち! 小さいのはまだ無視できるけど、大きいのは無理!
スパイダーマンなんて絶対に見たくないしっ、芥川龍之介の話だって読みたくない!
悪態をふんだんにこめて、これでもかというくらい悲鳴をあげ、即座に部屋を出ていこうとしたときだった。跡部先輩と樺地先輩が、駆けつけてきたのだ。

「どうした千夏!」
「ああああああああああああ跡部先輩っ!」

あまりの恐怖に、そして愛しすぎる跡部先輩を見て、勢いのまま、胸へ抱きついてしまっていた。
跡部先輩が、ぎゅっと強く受け止めてくれる。あたたかくて、すごくいい香りがして、恐怖を感じているのに、ふわっと天にも昇る気分になって、そう、きっと、混乱していたんだ。

「大丈夫か? どうした?」

背中を優しくなでながら、耳もとでささやかれた。
やっばい……イケボすぎる。頭のなかがとろけそう。
一気に力が抜けて、足から崩れ落ちる寸前だった。そっと、跡部先輩を見あげたのだ。
しかし、その瞬間、忘れていたものが、目のなかに飛びこんできた。

「いやあっ!」
「え、おい!」

そうだった。跡部先輩の至近距離に、まだ慣れてないのにっ。
でもそこを離れると、床にいるバカデカい蜘蛛がこっちを向いている。条件反射的に、跡部先輩の背中に隠れた。

「おい、千夏?」なんなんだ? と、困惑している。なんであんなにデカいのに見えないの!?
「アレです! アレ! なんとかしてください!」震える指先で、さした。
「ん……? ああなんだ、蜘蛛かよ」蜘蛛だよっ。「樺地!」
「ウス」

返事をした樺地先輩が、その蜘蛛を見つけ、ななんなんと! 素手で! つかんで! そして、窓から放り投げた!
人間、たしかに生きてればいろいろあるんだろう。樺地先輩もデカい蜘蛛なんて平気な人生のターニングポイントがあったんだきっと。
あたしだってそうじゃないか。マネージャーになったこともしかり、それどころか、跡部先輩の胸に抱きつくなんてこと、中学のころを考えたらありえない。あげく、あんな、あんなデカい蜘蛛に遭遇するなんて……。しかし、である。

「すみません……急に、抱きついたりして」
「……なぜ、謝る?」
「え……?」
「お前、とっくにわかってんじゃねえのか? 俺の気持ちが」

人間、生きてればいろいろあると本当に実感したのは、このあとだったのだ。





部活が終わって、岳人と本屋に行く予定やったのに、忘れもんをしたことに気づいて、部室に戻った。
さて……これまでの経緯を説明するのはちょっと面倒なんやけど、ここしか読んでない人のために、カラッと説明をしようと思う。初回だけやで? 初回特典みたいなもんや。ちょっと意味ちゃうか? まあええわ。
2週間前から、氷帝のテニス部にはレギュラーメンバー専用の女子マネージャーが二人、入部してきた。
どっちも1年生で、ひとりは吉井千夏ちゃんいうて、面接でどえらいインパクトを残した子。そのインパクトのおかげで、跡部がすっかり惚れこんで、即決定。
もうひとりは佐久間伊織さん。かわいらしいて、料理が得意で、せやけどちょっと変わった子。いざというときは俺を怒鳴るくらいのこともする、カッコええとこもある。
彼女たちとはマネージャーになる前に、面識があった。そのときはとくになんも思わんかったんやけど、面接の場で、俺は佐久間さんに怒鳴られた。それがきっかけで、その後もきゅん、とする出来事があって、俺、もうすっかり佐久間さんの虜っちゅうわけ(まあ詳しいことは、別の場所でしっかり語られとるからな、そっちを読んでほしいっちゅうのが本音や)。
話を戻すと、その部室に戻ったときに、千夏ちゃんの悲鳴を聞いた。
少しだけ開いとる跡部専用ルームを覗くと、そこには跡部と千夏ちゃん、ほんでいつもの樺地がおった。
跡部と千夏ちゃんは向かい合っとるけど、なぜか樺地は窓の近く、離れた場所に突っ立っとる。
跡部は千夏ちゃんが好きや。ほんで千夏ちゃんも、跡部のことが好きなはずなんやけど、なんでやか、ふたりはモタモタしとる。はよくっついたらええのにって、いつも思う。
なんでかって、それは佐久間さんが跡部のこと好きそうやから……さっさと跡部のことあきらめて、俺のことを見てほしいねん。

「すみません……急に、抱きついたりして」
「……なぜ、謝る?」
「え……?」
「お前、とっくにわかってんじゃねえのか? 俺の気持ちが」

とはいえ、急やった……いつかはじまるのはわかっとったけど、いきなりはじまった告白タイム。
跡部にしてはかなり、時間を置いたほうや。なんでこのタイミングなんかは、さておき。
跡部の背中に隠れとった千夏ちゃんは、ビクッと体を震わせて、跡部から距離を取った。
あーあー……あれはショックやろうな。なんでか知らんけど、千夏ちゃんはマネージャーになってから、跡部を避けとる。なんでそんなに無下にされとるんか、検討もつかへん。せやけど千夏ちゃん、結局は跡部が好きそうやし。第三者から見とっても、めっちゃ不可解なんや。

「なぜ、そう逃げる?」
「いや、あの……」

あとな、ひとつええ? 樺地、空気よめ。お前、そこから出ていくべきやと思うで。これ完全に、いまからふたりの世界に入る予兆やろ。
跡部も樺地の存在、気にならんのかいな。いつもとなりにおりすぎて、わからんのかな。おかしなやっちゃ。

「おい千夏、このさいだから、俺はお前に聞いておきたいことがある」
「な、ななん、なんでしょうか」

おお、跡部……ホンマに告るんやな。お前が告るとか、はじめてなんちゃう?
せやけど樺地はどっか行く様子もない……まあ、跡部がそれでええならええけどやな。
跡部はゆっくり千夏ちゃんに近づいていった。うわあ、こんなん見れるん、めっちゃ楽しいやんっ!

「だあ、跡部先輩!」
「なんだよ」
「そ、それ以上……近寄らないでください!」

ちゅうのに……最悪の空気。
ちょお、千夏ちゃん、それはまずいで、いくら跡部でも……いや、跡部やからこそ、それはへこむって!

「……なぜだ千夏……お前は、お前はどうして俺を避ける!?」
「それは……そんなこと、言えません!」

しかも、避けとること認めよった。
しかも言えませんって? なんや、どない理由があるっちゅうんや?

「なあ千夏、俺様は、お前が好きだ」

ん……案外、めっちゃ普通に告るんやな。もっとなんか、回りくどい言いかたするんかなと思っとったら、そういうとこは真面目か。
普通やないのは、自分に「様」つけとることくらい。最近、つけんようになったと思ったのに。跡部なりに緊張もしとるし、拒否に動揺もしたんやろう。久々に聞いたわ。

「う……でしょうね!」

いやいや千夏ちゃん、もっと言いようがあるやろ……。
気持ちはわかるで? あの跡部が、あんだけ好き好きアピールしとったんや、いくら憧れの存在やったとしても、気づくやろうとは思うけどさ。
そやけど、告白されて「でしょうね」っちゅうのはちょっと……可愛げないなあ、もう。

「お前もそうだろ……?」

んん、跡部はそんなこと、気にならんよな。さすがや。まあお前、もともと勝ち気な女の子、好きやしな。
なんならいまの返答にも、惚れなおしたくらいかもしれへん。

「それは……」
「だというのに、お前のその煮え切らない態度はなんだ。俺になにを隠している。言ってみろ」
「そ、言えません……」
「なぜだ?」
「だ、だって、こんなこと言ったら、あたし、跡部先輩に嫌われちゃう。それに、マネージャーだって強制退部になるかもで、あたし、マネージャーはつづけたいんですっ」ふむ。まあ跡部は、容赦ないときは、ホンマに容赦ないからな。
「千夏……言ってみろ。そんなひどい真似、俺はしない」

いやいや、めっちゃ普通にひどいことしてきたやんか跡部。
お前を妬んでしつこい嫌がらせしてきた男子生徒がいつのまにか氷帝から消えとったり、歴代彼女に嫌がらせしてきた跡部ファンクラブの女子生徒が不登校になっとったり……。
絶対、お前が手え下したやろ? バレとんで? みんな知っとると思うで?
まあでも、惚れた女やから、いくら跡部でもそこまでせんやろうけど。千夏ちゃんのあの怯えよう……マネージャー更迭になるくらい、重大発表なんかいな。

「千夏……? 大丈夫だ、約束する」
「跡部先輩……うあ、そ、近くに来たら、ダメだって、言ってるのに」
「俺はお前に、近づきてえんだよ」

ほんでようこの状況で、無表情でそこに突っ立っとけるなあ、樺地?
お前のこともかなりおかしなヤツやって思っとったけど、今日こそは確信したわ。
ようやく、跡部は千夏ちゃんの前に立った。距離を縮めて、腕に触れようとしとる。
わあ、ラブシーンはじまってまう? ちょっとワクワクするやん、のぞきってこういう興奮があるんやなっ。

「そ……それが、そ、ほ……」
「ほ……? どうした千夏? らしくねえじゃねえの。はっきり言ってみろ」
「だから……そ……ほ、思ってたよりも、デカいんです」
「アーン? デカい? なんのことだ?」
「だから、それです!」

意を決したように顔をあげた千夏ちゃんは、ぎゅっと目をきつく閉じたまま、跡部に指をさした。
その指がさしたものは、跡部の……泣きぼくろやないか!

「それ! これ! これ! それ! これです! それ!」

ちょ、千夏ちゃん、落ち着かんかいっ。
目え閉じてるから見えへんのやろうけど、君があれコレそれコレ言うとるあいだに、何度も跡部のほくろが指さされて、跡部の泣きぼくろが、ぶにゅって! ぶにゅってなってるって!
ゆるまったと思ったら、またぶにゅってなるもんやで、跡部の右目があがったりさがったり、お祭り騒ぎんなっとる!
あの綺麗な顔の半分が、ぶにゅってあがって、ブッサイクんなって、リプレイみたいにまたそれくり返して、あかんて! 俺を笑い死にさす気か!
う、うわあ……跡部の顔が、見てわかるくらいに歪んどるっ! されるがままやけど、めっちゃ引きつってるやん!
ど、どないすんの跡部!?
惚れた女に指さされてブサイクにされて、お前はこれからどうするんや跡部! あと、そのくり返し、ちょっと痛いやろ!? めっちゃおもろいことになっとるけどな!

「ちょ……千夏、この手を、離してくれないか」

えっ、やさしっ。
うわ……め、めっちゃ優しいやん跡部……。俺やったら張り倒すけどな。
跡部は千夏ちゃんの指をそっと握って、ゆっくりおろした。ホンマに、お前はジェントルやなあ。そういうとこ、尊敬するわ。
やがて、沈黙が訪れた。
それはええけど、樺地……お前、密かに笑っとるの、俺、見えてんで。せやけどご主人さまが深刻やもんな。笑うわけにいかんよな。せやから、はよどっか行けいうたやろ? なんでそこにおんねん。犬ちゃうねんから、自由に行動せえよ。犬でももうちょっと自由にするわ。
一方で、跡部は神妙な面持ちでうつむいとったんやけど、やがて、ふっと笑ったかと思ったら、自慢の髪をさらっと片手でかきあげて、言った。

「お前の気持ちはよくわかったぜ! 千夏!」

うっわ……めっちゃカッコつけて、なに言うとんやこいつ? あまりのショックで頭おかしくなったんやろか。
そらそうや、跡部の泣きぼくろは跡部ファンクラブでも最高のチャームポイントとして女子たちが萌えまくっとる部分やのに、まさかそれを否定されるやなんて思わんよな。

「おい樺地! ちょっとこっちに来い」
「ウス」

んん……? 今度はなんや、跡部が樺地にそっと耳打ちしよった。
ああ、耳打ちされたら聞こえへん。なんか肝心なことがありそうやなのに、もどかしいな。

「ウス」

跡部に耳打ちされた樺地は、いつもの返事をしてうなずく。したら、そのまま俺の視界から消えた。
あっれ? 樺地、どこ行ってん……と、思ったのもつかの間やった。
跡部に気を取られとったせいか、いや、単純に死角に入ったんやろう。樺地が思いっきり目の前の扉を開けて、俺はとっさに壁側に隠れた。
けど……扉から出てきた樺地に、完全に見つかった。樺地が、黙ってじーっと、俺を見おろしてきよる。

「……」忍足先輩……なにを……しているんですか……っちゅう声が、聞こえた気がした。
「か、樺地……? これな、絶対に秘密や。な? ええな?」小声で樺地に耳打ちする。
「ウ」
「わー! アホかお前! だあっとれ!」
「……ス」
「なあそれより、お前、跡部になにを頼まれたんや……?」
「はい……コンシーラーを……持ってこいと……言われました……」
「は?」

まず俺がびっくりしたんは、樺地が小声で話せるっちゅうことや。
俺の耳もとに樺地の生あたたかい息がふりかかって、ホンマ、さぶいぼもんやった。堪忍な樺地……お前が悪いんとちゃうのに、ちょっと悪口みたいになってもうて。
ほんで……コンシーラー?
ちゅうかお前、そんなん持っとんの? なんでやねん。最近は男子でも化粧するのが流行ったりしとるけど、お前は絶対そっちちゃうやろ。
心の声が届くはずもなく、樺地は自分のバッグを探って、リップクリームみたいなものを取りだすと、跡部専用ルームに戻って行った。
しかも、俺に気を遣ってくれたんか、わずかに扉を開けてくれたままやった。ホンマ、ええ教育できとるわ、跡部。ちょお感謝する。
樺地は跡部にコンシーラーをわたした。受け取った跡部は、さっと自分の胸ポケットから手鏡を取りだしとる。
手鏡が邪魔して、こっちからは跡部の顔が見えへん。せやけど、跡部が唇端を上げて、ニヤリと笑ったのだけは、はっきりと見えた。

「俺様のマジックに酔いな!」

急やった。ぎょっとして、音を立てそうになったくらいや。
アホみたいにデカい声で、ようそんな恥ずかしいこと言えるなあ、跡部……。
俺、お前が友だちでホンマによかったわ。ああ、動画の準備しとくんやった。謙也に送りつけることができたのに。
千夏ちゃんは目の前で起きとることが全然わかってへんみたいやった。俺と一緒で、跡部の手鏡に隠れて、なにも見えんのやろう。
跡部は手鏡をまじまじと見ながら、キュッキュッキュッキュッとコンシーラーを滑らしとるようや。
こいつ、勉強はできるのにな。ホンマもんのアホなんやろか……。
俺の予想やと、たぶん、泣きぼくろをコンシーラーで薄くしとる。
薄くしてどうなるっちゅうねん……ああ、アホらし。俺もこんなとこで、なにしてんやろ。岳人も待たせとることやし、さっさと帰らな。
と、背中を向けた直後。千夏ちゃんの、嘆くような声が聞こえた。

「なっ……ない……!」

ええええええええ……嘘やん!
一度は背中を向けた扉に、もっかい、ぐるっと向き直った。
ちゅうか、どんだけ強力なコンシーラーやねん! 樺地はそのコンシーラーで、いつもなにをしとんねん! そんであの泣きぼくろ消えたんか!? ホンマに!?
ちょっと見せてみい跡部! 泣きぼくろがないお前が見たいやないか!
千夏ちゃんが泣きそうな顔しとるのが目に入る。お前はなんで泣きそうなんや! それがお望みやったんやろ!
そのときやった。目を凝らした俺の目に、ついに泣きぼくろのない跡部の顔が映った。
ああああああ! と、叫んでしまいそうになる。
あかん……あんなん跡部やない! 跡部とちゃう! ちゅうか、そこだけ丸いペンキ塗ったみたいに真っ白になっとるし。泣きぼくろやなくても、なんかそこにあるやん! 鳥のフンみたいになってるって跡部! 跡部え! 正気を取り戻せや!

「俺様のマジックに酔ったみたいだな……アーン?」

なに抜かしとんじゃボケっ。せやから、笑い死にさせる気かっちゅうねん!
見てみいや、そこにおる樺地が、あの樺地がやで!?
頬を震わせて、懸命にお前の顔のおかしさに笑いを堪えとるやないか!

「いやっ! いやです! こんなの跡部先輩じゃない!」

お前も相当、頭おかしいな! よう真顔でそんなこと言えるわ! なんで笑わずにおれんねん! 完全に鳥のフンに引っかかった状態やのに!
面接のときも思ったけど、お前ら笑いのツボ、どうなってんの!? ああ、お似合いやな!

「跡部先輩、ごめんなさい! あたしが、あたしが悪かったです!」

千夏ちゃんは、笑うどころか泣きそうになりながら、跡部の胸に飛びこんでいきよった。あかん……こいつらホンマに、アホすぎる。
千夏ちゃんが、跡部を見あげて、頬をつつむ。その指で、キュッキュッキュッキュッと器用にコンシーラーを消しとった。案外、簡単に消えるんやね? そのコンシーラー。

「ああ……やっぱり跡部先輩は、こうじゃなくちゃ」
「ふっ……そうかよ」
「跡部先輩……あたしやっぱり、そのままの跡部先輩が好きです」
「ああ、ありがとな」

嬉しかったんか、跡部は微笑んだあと、強く千夏ちゃんを抱きしめた。
ああ……えーと? これは、うまくいったってことなんか……?
樺地が、しれっと扉から出てきた。俺を見て、親指を立てとる。いや、なんでお前の手柄みたいになってねん。まあ、たしかにコンシーラーがあったのは、お前の手柄やけどもやな。
はあ……疲れた。
もうこれ以上、ここにおったら声をあげて笑ってしまいそうや。逆に、いまのいままでよう我慢したやんけ。偉いで、俺。
あ……そうや、佐久間さん、まだおるんかな……?

「なあ、樺地」
「ウス……」

樺地に、こっそり話しかける。扉の向こうは、完全にふたりの世界に入っとったで、こっちを見る様子もない。
いつまで抱き合ってんねん! うっとうしい! はー、うらやましい!

「佐久間さん、どこにおるん?」
「……教室で……部誌を……書……」
「おおきに、そこまででええわ」

めっちゃゆっくりしゃべるから、途中で止めた。
佐久間さんは、このことを知らん。もし、いまも跡部が好きやったら、この事実には動揺するはずや。なんせ、千夏ちゃんは佐久間さんの親友。複雑な気分やろう。
佐久間さんが跡部のこと、いまはどう思っとるんか……確信はない。これは絶好のチャンスや。
部室をそっと出て、1年生の教室に向かうことにした。部室の窓から、抱き合う跡部と千夏ちゃんの姿が、チラッと見える。
跡部はめっちゃ優しい顔をして、千夏ちゃんの頭をなでとった。
一方、千夏ちゃんの視線はまだ跡部の泣きぼくろに集中しとったけど……それは、俺の知ったこっちゃないわ。





fin.

recommend>>a moleface(spin off of ≠Poker face_04)



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