love._01




「え……?」

「すまん……父さんの甲斐性がないばっかりに……」


「じゃ……わたしは……待って、その前にこの家はどうなるの?」

「……売りに出すよ」
















love.
















1.








教室はいつもより生暖かく感じた。それは一日中、ずっとだった。

多分、わたしの心が冷え切っていたせいじゃないだろうかと思う。

まさか自分がこんな目に遭うことになるなんて、誰が想像出来るだろう。

父は堅実な人だ。だからわたしは今回の事態には心底驚いている。

このまま全て崩壊するんだろうか。わたしの学校生活も、家も、家庭そのものも。

母はあれから何も口にしていない。

父は手続で母を構っている暇はない。

だから早起きして、わたしは母の大好きなプレーンオムレツを作った。

抜け殻のようになった母は力なく笑って、それを口にした。やっと、食べてくれた。

涙が出そうだ。そんなこと、思い出すだけで。


「佐久間?」

「……」


目の前が歪んで見えた瞬間だった。

わたしの顔を覗き込んできた一人の男にはっと目が覚める。

クラスメイトの、忍足。


「忍足……おはよ」

「おう……いや、おはよちゃうやろ。お前どうかしたん?何で泣いとるん?」


「……聞く覚悟、ある?ひいちゃうよ?」

「えー、ひくわー」


「ひくの早いから」と言うと、忍足はくくっと笑って、自分の席についてわたしに顔を向けてきた。

そう、忍足はわたしの目の前の席だ。新しいクラスになって初めての席順で、彼はわたしの前になった。

それから話す機会が増えた。今ではいい友人だ。

放課後の暇つぶしに、こうして少し話すほど。


「大方、恋愛事情やろ?」


忍足は他人の悩みまで自分の悩みと置き換える名人なのかもしれない。

彼が今、恋愛で悩んでいることはなんとなく見ていたらわかる。

だから心の安らぎが欲しかったのかもしれない。

涙を流すわたしを見て、自分と同じように恋愛で悩んでいる人の悩みを聞いて、一人じゃないと実感する。

それが彼の寂しさを紛らわす方法だったとしたなら、残念ながら答えてあげることは出来ない。


「違うんだな、それが。そんなことなら、どんなにいいか」

「ほう?どっちにしても、言うてみたらスッキリするかもしらんで?」


恋愛だったら悩んでいたって、こんなに心が荒むようなことはなかったはずだ。

胃がキリキリして、明日自分がどうなるのかわからないという未来に怯えて。


「破産」

「は?」


「破産するんだって。うちの会社」

「…………うちの会社って……お前んとこの親父さん……」


「完全に不景気の煽りを受けちゃったみたい。今、手続きを始めてるんだって。家はね、売るんだって……それをね、それを聞いてから母さんがね、ご飯食べれなくなっちゃったの。だから今日の朝ね、母さんの大好きなプレーンオムレツ作ってきたの。そしたら、やっと食べてくれた。だからね、嬉しくて、思い出したら泣いちゃったんだよ…………」

「……堪忍……俺、軽々し……」


「ううん。誰かに聞いて欲しかったし、こうやって、聞いてもらって泣きたかったから大丈夫だよ」

「佐久間……」


「だからね忍足。わたし、学校も辞めなくちゃいけないかもしれない。ここの授業料、高すぎて払えないと思うの。破産するような人間に、そんなお金ないもん」

「…………う、嘘やろ?そんな……」


忍足の目は困ったような色を浮かべて、涙をボロボロ落とすわたしをなだめようと必死になっていた。

本当に神様がいるなら、わたしにお金を落として欲しい。

お金さえあればこの今の現状を打破出来る。

父も母も、もう喧嘩しないで済む。母は元気になって、わたしは高校を辞めずに済む。


「……どうしたら、いんだろね?……お金……欲しいよう……」

「…………」


机に突っ伏してわたしの口から出た本音に、忍足はしばらく固まっていたように思う。

そりゃそうか。目の前で親が自己破産をすると泣かれて、挙句の果てに「お金が欲しい」じゃ……リアルにひくだろう。

でもだって、お金を失くすと本当に人は心まで貧困になるのだ。

今わたしの頭の中には、お金のことだらけ。

今まであった幸せが崩れるくらいなら、わたしはすぐにでも学校を辞めて働きに出るべきなのかもしれない。


「……佐久間、なあ、ちょっと待っとって」

「え?……あ……忍足……」


忍足はわたしを泣かしたような格好になってしまって、逃げたのかもしれない。

顔をあげたついでに教室を見渡すと、残っていた何人かの生徒がこちらをチラ、と見ていた。

悪いことをしたな……そう思って、わたしは席を立った。

帰ろう。何も無くなってしまった家に。

もう、長い時間あの場所で過ごすことは出来ないのかもしれないんだから。


「あ!ちょ、お前なんで帰ろうとしとんねん!」

「えっ!」


席を立って、鞄の中身を確認して教室を出ようとした時だった。

ちょうど教室を開けた忍足とぶつかる。

逃げたわけじゃなかったんだろうか?

少しぎょっとして彼を見上げると、後ろに物凄いオーラを放っている男が立っていた。


「……跡部だ」

「忍足?この女と何か関係があるのか?」

「大有りや……ちょおここやまずいかな。ちょ、場所移動しよや。跡部、部室ええよな?」

「アーン?なんなんだ一体……」


ぽかんと口を開けたまま「跡部だ」と呟けば、近くにいた女子はバッとこちらを振り返るほどに。

やっぱり跡部景吾という男はどうしょうもなくモテる。

ただ誰にでもというわけでは、勿論ない。

わたしは正直、あまり跡部景吾が好きではない。というか寧ろ嫌いの部類かもしれない。

ついていけないのだ。なんとなく。

そんな跡部景吾とわたしの関係は、実はちょっと親しかったりする。

いや親しいというほどではないか。結構絡んでいたという程度か。

中学生の頃、わたしは副生徒会長だったりしたので、彼も当然わたしを知っている。

そして彼も、わたしを苦手としていることを、わたしは知っている。

そんな関係を、当然忍足も知っている。

そして忍足は、わたしの父の破産話を聞いた途端、跡部景吾を呼んだ……。


「つまり、俺にどうしろと?」

「跡部やったら、なんとか出来るやろ。助けたりーや」

「ちょちょ、ちょっと待って。わたしそんなこと頼んでない!」


それは案の定だった。

忍足はわたしの家庭事情を跡部に一通り話すと、同情たっぷりの視線でわたしを見てきた。

同情するなら金をくれ……っていや、そうは思うけど。

跡部に集る真似など、わたしには出来ない。

それに跡部にはこの上なく迷惑な話だ。


「佐久間、お前学校辞めてもええんか?」

「そ……そりゃ辞めたくはないけど!跡部にどうしろって言うの!」

「そうだな。俺にどうしろっつーんだ?まさか借金返済を助けれやれとでも言うのか?」

「そんな!そんなことお願い出来ません!!」

「まあそうだよな。普通の感覚なら出来るわけねえ。しかも破産すんのはこいつの父親だ」

「そんな普通の感覚とか言うとる場合なんか?佐久間の親父さんの借金額なんか、跡部からしたら雀の涙やないか」

「でもそこまでしてもらう理由なんか、わたしにはないよ!跡部にも……悪いし……」

「…………」


わたしが声を張って、急にそのトーンを落とした時、テニス部の部室は静寂と化した。

忍足が優しいのはよくわかった。でも跡部にまで頼むなんて。


「……いくらだ」

「え……」

「貴様、いつからその悩みを抱え込んでた?」




しばらく沈黙を続けていたわたし達だったけど、ふと、跡部がそう切り出して。

すっかりソファに座っていたわたしは、立ったままの跡部を大きく見上げた。

忍足は「せやせや、甘えとき」と小声でわたしに言ってくる。そんな簡単な話じゃないだろう!


「聞こえてねえのか?いつからだ?」

「……あ……冬休みの始めの頃に聞いて……」

「二週間以上か……バカが」

「え……」

「ろくに食事してねえだろ?やつれやがって」


はっとして、わたしは自分の頬を触った。

食べているつもりだったけど、体重がどんどん減っていっていることには気付いていた。

でもそれを、中学の頃からあまり顔を合わしていない跡部にまで気付かれるほどとは。


「で?いくらだ?」

「それは……さ、三億だって……聞いた」

「負債が三億か……まあ、お前の会社は無理だろうな」

「…………」

「跡部、なんとかならん?」

「さすがに俺様でも、三億の金を自由に出来るような小遣いは貰ってねえよ」

「そりゃそうだよね……」

「せやよな、せやけど……」

「焦るな忍足。今考えてる」


わたしはもう一度、跡部を見上げることになった。

考えてる?何を……。


「……佐久間、お前の父親の会社の名前を教えろ」

「あ……えっと、株式会社……」


伝えると、跡部はパソコンの前に座って会社のホームページを開いた。

もう半年も更新していない父の会社のホームページは、わたしには色褪せて見えた。


「ふむ……利が無いわけじゃねえな」

「え?利益なんかないよ?」

「そうじゃねえよ。跡部グループと合併させるとしたらだ」

「え……」

「跡部グループにもこの手の会社はあるんでな。そこと合併させる。当然、借金もそのままだ。社員は全員、跡部グループと同じ給料で引き取る。親父さんは社長じゃいられなくなるが、役員にはなれるだろう。この話を俺の親父に提案する。借金は跡部グループの資本金から支払うことになる。悪い話じゃねえと思うが?」

「……ちょ、そんなことが……」

「おお〜。さすがや跡部。それでこそ跡部やわ」


忍足は満足そうにこちらを見て頷いている。

そんなことが可能なのか。跡部景吾の一声で……あまりの唐突さに、わたしは目を泳がせていた。


「乗るか乗らねえか。親父さんに話しとけ」


そしてその話は、とんでもない状況にわたしを追い込むこととなる。






























「跡部!!」

「アーン?ああ、なんだ、てめえか」


わたしの教室の前を通りかかった登校中の跡部を呼び止めた。

なんだってなんだ。

昨日はあんなに心配そうな顔をしてくれておいて、今日はそんな態度かい。

とも思ったけれど、わたしはすっごくすっごく彼に感謝しているので、そんなことで気分を害したりしない。


「あの、父がね、昨日の話……本当に跡部さんさえいいならって……話が決まれば、すぐにご挨拶……」

「その話なら、うちの親父がもうお前の親父さんのとこに話に言ってるみてえだぜ?」

「え!そ、そうなの!?」

「ああ、今頃突然の来客に、お前の親父さんは目を丸くしてるかもしれねえな」

「そ、そうなんだ……あ、あの本当に、ありがとう」

「大したことじゃねえ。まあ昔の好みだしな…………ん?」


その時、跡部の携帯が鳴った。

昔の好みだなんて、今年18になる人間の言葉じゃない。

それにそんなに親しくなかったんだけど……まあ、跡部って意外にいい奴だってことはわかった。


「は!?ちょ、ちょっと待ってくれ!そんな話は聞いてない!!」

「?」


すると突然、廊下のど真ん中で跡部がぎょっとしている。

跡部がぎょっとする姿なんてそうそう見れるものじゃない。

何があったのかはわからないけど、わたしはそれが可笑しくて彼を見ていたら、どういうわけか跡部はわたしをまともに見て、目を見開いていた。


「おい親父!!そんなこと勝手に決めやがっててめえ!!はあ!?示し!?ばっ……!会社のトップが示しなんか気にする必要……えっ……じ、じいさん!?」

「じいさん?じいさんって何……ぷっくく。何の話だこりゃ」


跡部側の会話だけ聞いていると、爆笑してしまいそうで。

お父さんと何か揉めているようだけど、わたしは電話が長引きそうな彼を見てその場を去ることにした。

くるっと背中を向ける。

右足を上げて、歩き出す。

その刹那。

電話をしている跡部に、ぐっと腕を掴まれた。


「!……ちょ、何?」

「お!跡部と佐久間やーん。おはようさん。何?何この状況?」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ親父、そんなの無茶苦茶だろ?」


その時、登校してきた忍足と出くわした。

わたしの教室の前だから無理もない。

忍足とわたしの会話はかみ合っているけど、跡部は電話口のお父さんと会話している。


「いや、跡部が電話してるから、わたし、教室に戻ろうとしたんだけど、なんか、腕掴まれて……」

「ん?昨日の話は?」

「それはうまく話が進んでいるみたいなんだけど」

「おお、なら良かったやんか」

「全然良くねえよ親父!おい!!」

「!!……なんやあ跡部、おはようさん」

「おはようじゃねえクソメガネ!!」

「なっ……なんやねん朝から!!失敬なやっちゃ!!」


電話を切られてしまった跡部はわたしの腕を掴みつつも、忍足に八つ当たり。

なんだろう、わたしはどうして腕を掴まれているのかがよく解らない。


「佐久間……どうしてくれる……大変な事になったぞ」

「へ?」

「なんや?」

「俺とお前が……婚約する事になった」

「…………」

「…………」

「…………」

「え」

「はあ……」

「どうしてくれる……」

「えええええええええええええええ!?」



















「意味がわからない!!」


と朝のHR前に廊下で叫んだわたしは、とりあえず跡部と忍足に腕を引っ張られ、またしてもテニス部の部室に連れてこられていた。

今頃教室では忍足とわたしが欠席扱いになっていて、跡部も行方をくらましていて。

でもそんなのどうでもいい。

一大事が起きている!!


「落ち着け」

「落ち着けない!!」

「なあ跡部、どういうことなん?」

「俺様が聞きたい!!」

「俺に当たんなや!!」


冷静なように装っても、実は誰も冷静なんかじゃない。

跡部は溜息をついて部室にあるコーヒーを飲んでから、ようやくことの詳細を話し始めた。

まずは、うちの父の会社を引き取る理由がないこと。

つまり跡部は利があると言っていたけれど、会社としては利はほぼないと解釈した。

ただ、お父さんが言うには、息子の友達に対する気持ちはは良くわかるということ。

でもビジネスの世界では、倒産寸前の会社を何故引き取るのだという事に色々な反発が起きるということ。

それには理由がいるということ。

跡部グループの創設者であるお祖父さんに、孫の勝手だとは言えないとのこと。

その理由を尤もらしくつけるなら、息子の婚約者の家を救済するという建前が一番手っ取り早いということ。


「以上だ……その条件が俺とお前の間で呑めないなら、この話は無しだそうだ」

「…………尤も、やな」

「……そんな……」

「婚約の先には当然、結婚が待っている。まあそれは破談となってもいいと親父は言っているが……それにしても」

「いまどき政略結婚っちゅうやつか」

「そんな国レベルの問題でもねえのにな」


跡部の皮肉に、わたしは反応することすら出来ない。

だってどうすればいいのだ。

わたしだって当たり前に恋して結婚したいというのに、跡部景吾の婚約者になるなんて有り得ない!

そりゃお金には困らないだろうし、いや、結婚する訳じゃないけど……でも婚約者になるってだけで、そのレッテルは十分じゃないか。破談になったって……そんなの!!


「どうする?」

「え?」


驚いたことに、それを聞いてきたのは跡部だった。

だってわたしの気持ちを聞いてきている。

これは全く関係のない跡部が否定して当然の問題なのに。


「どうするって……どういうこと」

「お前の気持ちを聞いてんだよ」

「ちょ、ちょっと待ってよ!それっておかしいよ!だって、跡部の気持ちが第一でしょう!?」

「当然だ。だから聞いてる」

「ふうん。跡部、別に構わんちゅうこと?」

「え?」

「……ああ。俺は別に構わない。そのフリしてりゃいいだけだろ。破談しようが俺には特別デメリットはねえからな。話を聞いた直後はさすがの俺様も落ち着けなかったが」

「冷静に考えてみるとどうっちゅうことないか?まあ、いま彼女居らんしな、跡部」

「そうだ。女がいりゃ別だが……哀しむ女も居ねえ。だがお前はどうだ佐久間。男は居ないのか?」


いや、あなたが婚約するというだけで学校中の女が哀しむと思いますが。

それは……まあいいや。


「彼氏は居ないけど……」

「好きな男がいるのか?」

「いや、それも居ないけど……でも……」

「まあ女としては嫌な話だよな?お前は俺のことが好きじゃねえようだしな」

「え!そ、いやいや、そんな!」

「ふん。貴様が俺を嫌いなことくらい、中学ん時からお見通しなんだよ」

「…………き、嫌いってわけじゃ…………」


でもこの話を断ったら、わたしはまた昨日までのどん底生活に戻ってしまう。

あの父の顔を忘れられない。元気になった母をまた寝込ませたくなどない。

わたしの恋愛遍歴に一度のキズが付くくらい、なんだと言うのだ。

高校生活中に跡部財閥の御曹司と婚約、わずか数ヶ月で破談、…………な、なんだと言うのだ!

そんな過去が将来つくとして、それが……それはお金には代えられない!!


「う、受けます!!」

「!……マジかよ」

「え!?い、嫌!?ダメ!?だってさっき俺は構わないって」

「……まさか受けるとはな……ああ、男に二言はねえ。だが明日から覚悟しろ」

「えー、なんなん。めっちゃ面白そうなことになってきたなあ。俺も時々混ぜてえな?」

「忍足!!」

「忍足!!」

「なんや、息ピッタリやん」


同時に忍足を怒鳴りつけると、忍足は悪びれもせず目を丸くした。

こうして、わたしは跡部景吾の婚約者になった。

――――ああもう、本当に信じられない。





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