love._04


「佐久間、行くで」

「……行きたくない……このクラスだけならまだしも……全校生徒にどんな目で見られるか……」


「俺がなるべく壁んなるで、な?」

「気休めだよ忍足……今日の登校中だって……」



















love.















4.







昨日の、下校中だって……。

わたしは動物園のライオンよろしく、時には指をさされながら注目を浴びていた。

女子生徒からは敵意剥き出しに、男子生徒からは好奇の目で。

今朝から机の中に入れていた教科書は見つからず、上履きも消えている。

そしてよりによって翌日の今日は、毎週水曜の朝ある全校集会の日。

たった数時間で全校中に知れ渡ったわたしの顔は、さぞかし視線を浴びるだろう。

クラスメイトでわたしに話しかけてくる人は、忍足しかいなくなった。女子は尚更だ。

彼女達が跡部に好意を持っているか、持っていないかは既に関係ない。

跡部にまるで関心を持っていない女子達でさえ、近寄っては来ない。

跡部の婚約者となったわたしに声が掛け辛い状況を、この学校全体が演出しているのだ。


「気休めでもええって……な?」

「……ごめん、八つ当たり……」


「ええから。クラスの中は俺に任せとき。見張っとったる」

「ありがと……忍足」


忍足はわたしの腕を掴んで、わたしを席から立たせてくれた。

行きたくないとダダをこねて机に突っ伏していたわたしを辛抱強く待ってくれていた。

忍足の優しさにほっとする……彼は、自身に責任を感じているんだろうか。


「昨日の夜、電話で跡部に言われたんや」

「え?」


わたしの心の声が伝わってしまったのか、忍足をじっと見上げると、

その視線に気付いたように彼はにっこりと笑って言った。


「教室の中のことは、俺はお前に頼るしかない。お前の目の届く範囲でいい。佐久間を守ってやってくれ……ってな」

「え……え……う、嘘!跡部が?」

「せやでえ?景ちゃん結構ああ見えて気にしい……気にしいってちょおちゃうな、優しいんやで?しかもその優しさ、最近増してきとる気がするわ」


のほほんとそう言ってのけた忍足の発言に、わたしは目を真ん丸に見開くしかなかった。

跡部……し、心配してくれてるんだ、わたしのこと……いや、優しい人だってのは、最近知ってるけど。

ていうか、優しさ増してるってどういうこと?

じゃこないだからわたしにちょくちょく優しくしてくれるのは、増してる状態だから?


「え、ねえ、何で増してるって思うの?」


どうでもいいことなのに何故だか気になって聞いてみた。

忍足はその質問に、しばらく唸った。そして、


「んー、なんやろな。なんとなくな。恋すると優しいなれるんちゃう?俺もそうやし」とにんまり。

「恋!?」


忍足が最近、好きだった人とうまくいったっていう話はなんとなく聞いた気がする。

いや忍足はともかく。

跡部が恋してる!?

それじゃわたしの立場は跡部にますます申し訳ないと思い聞き返すと、また忍足から耳を疑うような返事が戻ってきた。


「せやあ、佐久間に」

「は、え、わたし!?え!?はあ!?ば……馬鹿じゃん!?そんなわけ無いじゃん!」


もうすでに体育館に到着していたのだけど、入る前に小声で忍足に抗議した。

う、嘘でしょ……あああああ、跡部がわたしに恋!?ま、まま、まっさか!冗談が本気になったって!?

そんな、そんなまさか……ちょ、ちょっと待って心の準備が……わたしどうしたら……!


「………………佐久間」


と考えながらバタバタしているような仕草のわたしを、ふと気が付くと忍足は実に冷静に見つめていた。

途端に取り残されたような気分になったわたしは、はっと我に返る。


「…………え、何その反応」

「冗談や。そんなわけ無いやろ。なに期待しとんねん」


「………………し……して、してねーし!」

「はいはい。ほな行くで」


やたら冷たい視線が突き刺さっていた。

なんだかショックで、忍足の背中に頑張って言い返してみたものの、完全に無視されてしまう始末。

さて、そうこうしているうちに、忍足は今始まったばかりの全校集会を見計らって、そっと体育館の中に入って行った。

わたしはその背中に隠れながら、自分の教室のクライメイト達の後ろに並ぶ。

集会は、校長の話、教頭の話、生活指導からの連絡事項の順に進められる。

その間もやはり近くにいる生徒からはじろじろと見られ、小さな声での非難をされた。


(よく顔出せるよねえ)

(なんだかんだ言いながら、マジもんのストーカーだったんじゃん?)

(跡部くんさー、殺されるの怖くて手え出して妊娠でもさせちゃったのかな)

(ブスのくせに調子乗るなってね)


……わたしはただただ、俯くしかなかった。

やっぱり、デカイ忍足の後ろに隠れてたって存在はバレてしまうのだ。

ああ、やっぱり参加すべきじゃなかった……と後悔。

そんな状態も20分を過ぎたところで、そろそろ全校集会が終わると思い腕時計を見た時。


「以上で全校集会を終わります。生徒達は一年から速やかに――――」


跡部の声で全校集会の終わりが告げられて、ほっとしたのも束の間のことだった。

突然、わたしの後ろから壇上に大きな声が向けられたのだ。


「生徒会長〜!質問がありま〜す!」


その声をきっかけに、教室に帰ろうとしていた生徒達も数人の教師も足を止め、一瞬だけしん、となった体育館。

その生徒はまだ入ってきたばかりの、いかにも目立ちたがり屋の一年生。

怖いもの知らずをステータスとした反抗期真っ盛りのような黄色い頭をして、ニヤニヤと跡部を見ている。

恐らく、新聞部の差し金だ。

やがてちらほらとした数人の話し声を引き金に、一斉にどよめきが訪れた。

頭の中で、警報が鳴る――――やばい。


「昨日の放課後ばら撒かれた号外についてですけどお、これって事実なんすかあ〜?」

「………………」


跡部は黙ったまま、その生徒を睨みつけていた。

生徒の話し声はますます膨れ上がり、教師達は無駄な「戻りなさい!」を連呼する。

そして忍足がすぐにわたしに振り返り、耳元で警告した。


「あかん、これはまずい」


怖い、怖い、怖い。

ざわざわとした声が段々と大きくなる。

それと共に、生徒達の痛いほどの視線がわたしに集中した。

直後、忍足がわたしの腕を引っ張って。

わたしはそれに倣い、咄嗟に逃げようとした……その時だった。


「事実だ。何が悪い」

「!」


喉の奥から出たような悲鳴に近い声と、驚きにも似た喚声。

跡部がそう認めた瞬間、それは体育館中に。

まるで、荒波が襲ってきたようだった。














「高校在学中であれ、婚姻の約束は本人達の自由だ。誰にとやかく言われることはない。それから、自惚れるわけじゃねえがこれだけは言っておく。俺にせよ、俺の婚約者にせよ……危害を加えた奴は絶対に見つけ出す。ただで済むと思うな」


以上だ……跡部はそう言って壇上から下り、平然とした顔で教室に戻って行った。

直後の跡部からのメールに、わたしは何故だか胸が痛くなった。


――悪い。冷静さを欠いていた。今の状況はどうだ?これで悪化するようなら、連絡しろ。――


跡部は必死にわたしを守ってくれようとしている。

すべてはわたしが引き起こしたことなのに。

わたしの家の事情さえ無ければ、こんなことにならなかった。

何度思い知ればわかるんだ。ついこないだだって心に留めたんじゃなかったのか。

跡部景吾の婚約者など、簡単に引き受けて調子に乗って。

跡部景吾の婚約者というその自覚が、わたしには欠けているんじゃないのか。

跡部にこれだけの迷惑をかけて、忍足に楯になってまで守ってもらって。

誰のせいでこんなことになってると思ってるんだ。すべてはわたしだ。わたしが根源だ。


――ありがとう。でも、跡部のおかげでいじめは無くなると思う。それに、ある程度のことは覚悟してるから安心して。――


安心させる為に、気取って打ったメール。

あれから一週間とちょっと……忍足はずっと睨むように教室の中を見張ってくれていた。

もう大丈夫だからと言っても、なるべく近くに居てくれた。

見た目だけでは、確かに大丈夫そうなわたしの体や、身の回りの物。

忍足も安心したのか、最初ほどの警戒心は無くなっているようだった。


でも、本当は違ってた。


【死ねよブス】


授業前、教科書を出そうとしたわたしの手に触れた一枚の紙切れ。

開くとそう書かれていて、何度も何度も見ている落書きなのに、その度に一瞬、ぎゅっと胸が痛む。

あの日、跡部が壇上で言ってくれた言葉のおかげで、身体的な被害は無くても。

結局、無くなりはしなかった。覚悟していたことなのに、やっぱり、胸が痛い。



*



「体操服を忘れた?今日も?」

「……すみません」


四時限目が始まる前に、わたしは職員室で体育の担当教師に頭をさげている。

しばらく唸っていた体育教師は、溜息をついてわたしの顔を覗きこむように言った。


「佐久間、本当に忘れたなら二回連続だから、今日の放課後から制服のままグラウンド5周を一週間だ。だけどもし何かあるなら、先生に―――」

「本当に忘れました。一週間、走ります。ちゃんとやります」


教師が言い終わらないうちに逃げるように職員室を出て、今度はわたしが溜息をひとつ吐いた。

……制服のままグラウンド5周、か。

この学園生活で、何度か見たことはあっても、一度もやったことのない罰。

わたしは自慢じゃないけど、いや、自慢したいことだったけれど。

小学校の頃から、忘れ物はてんでしたことがない。

でもそれを嘲笑うかのように、この頃わたしの所有物は平気で無くなっていくのだ。

体操服は、今日はロッカーの中で八つ裂きにされていた。今週に入って二回目だ。

こないだ新しく買った数学の教科書は、今勉強しているページの数枚が千切られていた。

上履きは、この頃はもう持ち帰るようにしている。

靴箱の中は対象物が無くなったせいか、赤や黒のスプレーで悲惨な言葉を綴られていた。

わたしは良くても、これじゃわたしが卒業した後にこの靴箱を使う人が可哀想だ。

開けた途端にびっくりしてしまうだろう。


「あ、佐久間さん……」

「……え、あ、体育、早くしないと始まっちゃうよ?」


体操服を忘れてしまったわたしは、今から始まる体育の時間は、教室で保健体育の自習だ。

おかげですっかり空っぽになった教室に戻ると、体操服を着て今からグラウンドに向かうであろうクラスメイトが、わたしのことを教室の前で待っていた。

彼女も確か、跡部のことが好きでいた女子生徒の一人だったように思う。

だからなのか、本当は怖くて心臓がガチガチと震えていたけれど、口からは咄嗟にそんな言葉が出ていた。

彼女はそんなわたしを真っ直ぐ見て、ちらちらと教室の中を見ている。


「そうなんだけど……あの、鞄から、水、零れてる……」

「え……」

「あと、さっき……誰かが何か、入れてたよ……佐久間さんの、鞄の中。ごめん、あたし怖くて、ちゃんと……その人の顔とか、見てない……あ、行くね!ごめん!」


チャイムが鳴りそうだと思ったのか、時計を見てはっとした彼女は走ってグラウンドに向かった。

彼女が見ていたわたしの机に目をやると、確かに、横に掛けられているわたしの鞄から水が滴っている。

鞄の中を開くのが怖くて、しばらく鞄と睨めっこをしたけれど。

深呼吸をして、意を決して、わたしはそっと鞄を開いた。

見えたのは、この授業が終わった後に食べるはずだったお弁当。

最近ようやく元気になった母が何ヶ月かぶりに作ってくれた、久々の手作り弁当だった。

蓋は無造作に投げられた格好で、中身はバラバラ。むっとした食物の匂いを放っていた。

おにぎりはぐちゃぐちゃになって、学校から配られたプリントに米がこびりついている。

更には玉子焼きやからあげが、水に濡れて酷い有様になっている。

中に入れていたペットボトルの蓋が、完全に外されていた。まるで鞄にそのまま流し込んだようだ。

泣きそうになるのを堪えながらジッパーを最後まで開け切ると、今度は隅に、黒光りした何かが見えた。


「ひっ……!」


何か、と思ったのはほんの一瞬だった。

ゴキブリの死骸……それだけじゃない、元がなんだったのかよくわからない虫の死骸も入っていた。

堪えていた涙が、溢れそうになる。

はあ、はあ、と全身で息をして、喉元まで込みあがってきたそれをぐっと堪えた。

机の真横にある鞄だけは大丈夫だと思っていた。人目につくからだ。

ロッカーにしまっている体操服や教科書よりも逆に安全だと思っていたからこそ、鞄だけは自分に一番近い机の真横に掛けていたのに。

迂闊だった……体育の授業の前は、この教室は更衣室に向かう生徒達で一斉に無人になる。


うるさい、言い訳をするな、佐久間伊織。

そんな状況は数日前にだってあったはずだ。

その時はたまたま無事だっただけで、そうなる状況には、気付けたはずだ。

終わったことを、自分を責めてもしょうがない。あとの祭りだ。

いいから今は、泣くな……泣くな!

あの日、覚悟したはずだろう、……この程度のこと。

そうだ、こんなの……――――この程度のことだ!!













体育の授業の間は、わたしは鞄の中の掃除に追われた。

お昼休みには、購買でパンを買って。

人目のつかない場所で、さっき教えてくれた彼女にお礼を言った。

彼女がわたしと喋っているところを誰かに見られてしまったら、今度は彼女に迷惑が掛かる可能性がある。

そこまで慎重になっている自分に気付いて、慣れたもんだな、と自嘲した。


「佐久間」

「ん?どしたの忍足」


HRが終わってすぐ、前の席に座る忍足が勢いよくわたしに向き返って話しかけてきた。

その不安げな表情から、わたしは何か気付かれた気がして、不自然なくらいに笑ってみせる。


「放課後、跡部が話があるって言うとったで」

「あー、放課後はちょっと――――」

「――グラウンド走るんやろ?そのことも含めて、跡部、話があるんやって」


真剣でいて、少し怒ったような表情の忍足。

体育の教師が、跡部に相談したんだとすぐにわかった。

忘れたと言ったのに……やっぱり、わたしに演技は向いていないのか。

だめだ、ここで折れたら今までしてきたわたしの努力が報われない。

もう頼りたくないんだ、これはわたしの問題だ。


「えー、なんだろ。走りが終わった後でいいのかな?今日部活?」

「部活やけど、跡部は出えへんと思うで。お前のこと待っとるやろうし。この際、走るの後回しか、ホンマのこと言うて無くしてもらった方がえんちゃう?」


「ホンマのことって、何」

「とぼけんのやめえや佐久間。お前、そんなんで俺のこともずっと騙し通せると思っとったん?」


少しだけ感情が高ぶったような忍足に、わたしの心は容赦なく揺さぶられた。

忍足は、わたしを跡部に押し付けた責任を感じてるんだ、きっと。

根が優しいから、何が何でもわたしを守ってくれようとしてる。最初から、そうだった。

たった一週間で、もう見破られてしまった。跡部も、もうわかっているんだろうか。

本当はわたしへのいじめが、全く消えてないこと。


「……とにかくわたし、走ってくるから」

「佐久間、なあ、お前なに意地張って……」


「違うの、そうじゃないから」

「どう違うねん!」


そう言ってくれた忍足を無視しながら、わたしは腕時計を外して。

中にあったハンカチに包んで、綺麗に洗った鞄の中に押し込んだ。

走りながら考えよう。なんとかなるって、大丈夫。


「いってくる!」


忍足に手を振って、わたしは教室から逃げ出した。












*   *












正直、しんどい。

でもこんなの、いつものいじめに比べたら大したことじゃないと自分を奮い立たせた。

制服姿で走る、という罰は、いじめが大好きなこの学校に相応しい、実に屈辱的な罰だった。

わたしが誰であったとしても、今のように生徒達は楽しそうにわたしの姿を眺めているに違いない。

そういった意味では、最近は見られることに慣れているからどうということは無かった。

それよりも……わたしは元々、走るのが苦手だ。

おまけにこの氷帝学園のグラウンドは、一周400メートルもある。

つまりこれを5周ということは、通常のグラウンド200メートルを10周させられているのと同じことだ。

2キロ……2キロとか、マラソン大会よりはいいけど、こんなの一週間って、半端ない。

そんなことを考えていたら、こんな能天気なことを考えるのも久々だと思い、笑いそうになってきた。

これがランナーズハイってやつなのか……いや、多分違うけど。


「佐久間!」

「!」


ちんたらちんたらと走っていたら、グラウンドに出てきた何者かに大声で名前を呼ばれた。

何者かなんて言うまでもなく、跡部景吾なわけなのだが。


「どうしても走りてえってなら好きにすればいいが、とっとと終わらせて生徒会室に来い!」

「……はあ……はあ……つ、冷たい奴……」


跡部には聞こえないように呟いて、わたしはぶんぶんと首を縦に振って頷いた。

周りから見れば、わたしが今から怒られる状況にあると判断されるだろう。

次の号外には、「婚約破棄か!?」なんて載ったりして。

そしたらわたしをいじめてる(誰かわかんないけど、)彼女達の思うツボだな。

ごちゃごちゃと考えていたら、自分がどのくらい走っていたのかわからなくなってしまった。

だいたい、と頭の中で計算して、わたしは10分ほど経った頃に、ようやくグラウンドを後にした。


「つ、は、つ、疲れた……」


独り言。

誰も聞いていないからいいのだ、と自分に言い聞かせ、教室に戻った。

見ると、がらんとした教室の中に、ぽつん、と鞄が転がっていた。

確かめるまでもなく、それはわたしの鞄だ。そして、はっとする。

忍足との言い合いですっかりほったらかしにしてしまった鞄。

お財布と携帯はブレザーのポケットの中にあるから、それだけは安心なのだけど。

たかだか弁当の空箱と教科書を入れているだけの鞄でも、今のわたしには貴重品だという事を忘れていた。

急いで鞄を持ち上げ、今度は中を思い切り開けた。もう、何も怖くなかった。

そして、思ったような変わり映えのない中身に、わたしは安堵した。

そう一日に何度も鞄の中を荒らされてたまるか、と安堵した後に心の中で悪態をつく。

だけど今後は気をつけなくちゃいけない。

鞄の中身を荒らされたのは今日が初めてだったから、つい、油断してしまった。

そう思って、さて跡部の待つ生徒会室に向かおうと思い左手首を何気なく触った。

そして、ふと気が付く。腕時計を外していたことに。

そうだ、鞄の中に。


「……!」


直感のようなざわめきが胸に走る。

鞄を逆さまにして、中身を全部机の上に落とした。

変わり映えのない鞄の中……それは、鞄の中から物が無くなっているということ。

落ちてこない大切な物の変わりに、最後に振るった拍子に落ちてきたのは、汚い紙くずで。



学園No.1のブスちゃんへ
探し物は、体育倉庫の裏にあるかもよ?ワラ



外した腕時計は、高校にあがった際、父が贈ってくれたお気に入り。

包んだハンカチは……跡部が皮肉めいてくれた、あの日のハンカチ。


「いやだ……返してよ!」


わたしは思わず叫んで、教室から走り出た。

嫌な予感が頭の中で降り注いできて、涙目になりながら急いで階段を下りた。

そして二階まで下りた時、偶然なのか、そこを通りかかった跡部に出くわした。


「どうした?」


わたしの異変に気付いたのか、跡部はわたしの顔を見て目を見張る。

わたしは咄嗟に頭を振って、でも言い訳の言葉は思いつかなくて。

彼の言葉を無視して、そのまま階段を下りた。


「おい佐久間!」


跡部が追いかけてきているのがわかる。

わかっていても、今はそれよりも――――。













「………………なんで」


体育倉庫の裏。

ほとんど人が通らないその場所は、こういうことをするにはぴったりの場所なのかもしれなかった。

――それは、すぐに見つかった。

腕時計は、ライターで燃やされたのか、黒く煤けていた。

文字盤の部分は、割られた上に針を折られたような状態で、無残に壊されていた。

跡部がくれたハンカチは、バラバラに刃物で切り刻まれて……。


「……っ……酷いよ……なんで……」


その場にしゃがみ込んだわたしは、遂に、ずっと堪えていた涙を流し始めていた。

それほど、悔しかった。

何度耐えれないと思っても、家に帰るとすっかり元気になった父や母を見て、頑張れると思った。

跡部がくれたハンカチを見るだけで安心したことだってある。

跡部はわたしの家族を救ってくれた。頑張らなくてもいいのに、頑張ってくれたから。

わたしだって頑張らなきゃって、思い出させてくれた……。

手作り弁当だって、腕時計だって、ハンカチだって……どれも、すごく大切な物だった。

わたしの大切な物が……どうしてこんなに目に遭わなくちゃいけないのだ。


肩を震わせて、煤けた腕時計を握り締めた。

バラバラになってしまったハンカチを、そっと手に集めた。

ますます震える自身を、懸命に抑えようとした。

こんなことするくらいなら、わたしの鞄を切り刻んでくれた方が、マシだった。

考えていると、涙が止まらなくて。


「……ひっ……、く、う……」


声をあげて泣くなんて恥ずかしくて、必死に堪えようとしていた時だった。

後ろからザクッと音が聞こえてきて。

突如、わたしの体が包まれた。


「!」

「……泣くな」


「……跡……部……」

「自覚が足りてねえって、気付いたんじゃなかったのか……」


冷めた言葉とは裏腹に。

跡部は、痛いくらいわたしを後ろから抱きしめていた。

目の前にある跡部の腕が、思ったよりも逞しくて。

その温もりに、静かに落ちていたはずの悲しみの涙が、堰を切ったように溢れ出していた。


「ご、う、ご、ごめんっ……こんなことで……泣いて……」

「そうだ。こんなことで泣くな」


「ごめっ……ごめ……」

「まだまだ自覚が足りねえんじゃねえのか?」


「……っう、うん……ご……めんなさ……」

「覚悟、してたんじゃねえのかよ?」


厳しいようでいて、跡部の言葉は、わたしを優しく包んでくれているような気がした。

それがわかるから、余計にわたしは辛くなる。

不器用な優しさが、今は、辛い。


「お前は俺の婚約者だろう?それなら、気高く、強くいろ。何をされても、絶対に人前で涙を流すな」

「……っ……う、うん……」


「…………辛くても、耐えろ……」

「う、うん……」


くぐもった声で首を上下に振ると、跡部はわたしの頭の上に顎を乗せてきた。

やがてわたしの後頭部にぴったりとくっつく跡部の胸が、大きな呼吸をしはじめて。

回されている腕から、少しだけ力が緩まったかと思うと、彼はわたしの手の中にあるバラバラのひとかけらに、指先で触れた。


「……その変わり、俺の前でだけなら、思い切り泣いてもいい。誰にも言わず、黙っててやるよ」

「……ッ……」


そう言われた直後、わたしはぐるりと向きを変えて、跡部の胸にしがみ付いた。

ずっと堪えていた、喚き、泣き散らすことを、跡部が許してくれたような気がしたのだ。

跡部の胸板で声を押し殺して、わたしは思い切り、甘えて、泣いた。

そして、その間ずっと……彼はわたしの背中を、何度も何度も、撫でてくれていた――――。





to be continue...

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