love._05





そろそろ、彼の隣にいることには慣れてきた。

慣れてはきたけれど、どうしてだろう。

跡部と接すれば接するほど、跡部のことがわからなくて……不安になる。




















love.

















5.







って、考えてるわたしはやっぱりちょっとオカシイだろうか。

今更なにを不安になることがあるんだろう。どうして不安とかいう言葉が出てくるんだろう。

多分、あの、こないだのアレが……所謂、ぎゅってして泣いちゃったあの日から一週間が過ぎた。

どうも、最近わたしは調子が悪い。跡部に変に構えてしまう。


あの日の翌日、隣のクラスの女子数名と隣の隣のクラスの女子数名は無期限の停学処分を受けていた。

学校側の判断らしいけれど、勿論そこには跡部が関わっているはずだ。

一体どうして犯人がわかったのかはわからないけれど、ボロボロにされたあの腕時計とハンカチは跡部が持って帰った……きっとそこに秘密がある。

だけどわたしとしては、それをどうにかして知ろうという気はない。

しかもその停学処分の話が全校中に知れ渡ったその日から、わたしにはヤジのひとつも飛ばなくなった。

恐るべし跡部景吾様である。本当に、さすがキングである。


「なあ佐久間はどう思う?」

「へ?」


そんな快適な学園生活を背伸びして満喫している正面から、たった今どこからから戻ってきた忍足がもそもそとわたしに語りかけてきた。

いきなり神妙な面持ちで、どうせたいしたことじゃないんだろうと思いつつ耳を傾けてみる。


「これ、この記事」

「ん〜?どれどれ」


いつもの如く次の授業が始まるまでの小休憩。

忍足が毎月買っている映画雑誌の中にある、それは小さな記事だった。

今度公開される映画のちょっとしたポイントなのか、「好きであればあるほど、憎しみは肥大する」と題されてある。

ほらね、たいしたことじゃない。

どうやら生涯を尽くすほど愛した男に騙される女の話らしい。


「好きな人に裏切られたらってこと?そりゃ好きなら好きなだけ怒るよ」

「ん、そうやけど……憎しみって生まれるやろか?好きやったら、許してまいそうやけど」


「うっそだー!忍足なんか絶対無理だよ!彼女が浮気してたら?って考えてみなよ」

「浮気はあかんけど……でもなあ、最終的に許してしまうんちゃうかと思うねん、俺」


気弱な顔してそんなことを言うもんだから、え、と呆気に取られてしまった。

はて、忍足ってそんなにヘタレだったっけ?

いや、ヘタレヘタレだとは思っていたけれどこうもイメージ通りの人だったのかと驚いてしまう。

やってなあ〜、とぶつぶつ言いながら記事を読み進めている忍足は、まるで彼氏の電話を待つ女子高生のようだ。最初の頃は優しかったのに。なんて具合に。

だけどそんな風にぼけっと忍足を見ていると、彼は急にむすっとして口を尖らせた。


「なんかな……なんか、腑に落ちんちゅうか……いろいろあんねん、俺も。別にいつもこんな優男ちゃうねん」

「なんにも言ってないじゃん、忍足……」


やって佐久間がそんな目で見るから。

キャラにも似合わずふてくされている。可愛い奴め。

よくわからないけど、どうもこの頃の忍足は具合が悪いようである。

苦笑しつつ、どうしたことやらとわたしの机に突っ伏した忍足の背中を見ていた時だった。

その背中に黒い影が落ちる。あ、と思った時には頭上から声が降ってきていた。


「俺様なら問答無用で打ち首獄門だ」

「物凄く物騒な言葉が出てくるんですね、あなた」

「跡部はホンマにやりそうやから怖いっちゅうねん」


忍足は起きもせずに答えた。来訪を驚いている様子は全くない。

わたしもこの頃は慣れてきたせいか驚かない。

跡部は最近、よくこの教室に出入りするようになっていた。

周りの生徒からの好奇な目は無くならないけれど、特別な害はない。ありがたいことだ。


「ところでお前、明日――」

「ええ暇です、予定はありません。どうしました?」


何の前触れも無く、そして幾度と無く跡部にされてきた「どうせ暇だろ」と言わんばかりのこの感じ。

聞くのが癪に障るので、先回りして答えてやった。

跡部がこの教室に来てわたしに話しかけるということは、わたしに用があるということ。

寧ろそれ以外のことで跡部がこの教室に来ることはあまりない。


「なんだよ、なに拗ねてんだ」

「拗ねてないよ。なに?」

「わ、ちょおヤメテえや。なにその痴話喧嘩。腹立つわ〜」

「うるせえぞメガネ。てめえは黙って次の授業の支度でもしてろ」


痴話喧嘩、なんて。

忍足の発言にどきっとしてしまった自分が情けない。やっぱり変だ。構えてる。

当の忍足はまたまたぶすっと、今度はわたし達に背を向けてしまった。全く子供みたいな真似を。

そんな忍足をちらりと見た跡部は何事もなかったかのようにわたしに視線を合わせた。

そして宣言するように言ったのだ。


「いいか、明日は結婚式だ」


とんだびっくり発言である。

おかげでその瞬間、教室中が凍りつくように静かになった。

わたしは目をこれでもかというくらい見開いたし、忍足はこちらに勢いよく振り返って、彼の場合は目をひん剥いているという表現が適切か。

同じく他の生徒達も一斉にこちらを見て、目だけではなく口まで開けていた。

やがてその事態にようやく気付いた跡部が、慌てるように言い直した。


「違う、親戚のだ!!」


教室中の生徒に弁解するように言った。

ざわざわと、わたしの溜息と同じように安堵とも言えない声が流れていく。

主語を入れろ、主語を。と言う声がちらほらと聞こえてきそうな雰囲気だ。

確かに、まったく人騒がせなぼっちゃんである。

いや、一応婚約しているのだから、そうなってもおかしくないことではあるのだけれど。

それよりも今のでわかった。跡部とわたしの話には全員が聞き耳を立てているようだ。用心しなければ。


「つまり、お前も出席だ」

「え……あ、え、わたし呼ばれてるの?」

「当然だ。じゃなきゃ言う必要がねえだろ」

「あわー……それは……それはまた……」

「くく。頑張りーや佐久間」


何が面白かったのか、忍足はにまにまとわたしを振り返ってそう言った。

それが、妙にイライラした。












「すごい……人だね」

「まあ、交友関係が広い人間同士の結婚だからしょうがねえだろうな」


式が終わり、続いて披露宴が始まろうとしているところだった。

会場前で人がわらわらと行き交い、話しかけられると跡部はわたしに頭を下げさせ挨拶をする。

スーツを着た彼の横で、色気のないわたしが淡いグリーンのドレスを着て縮こまっている姿は実に滑稽だろう。

そのドレスも跡部が用意してくれたものなのだけど、こんな言葉あるだろうか?完全にドレス負けしている。


「あの、跡部さ」

「誰が聞いているかわからない。名前で呼べ」


「あ、ごめん……いやね、あの、新郎新婦のこと全く知らなくていいのかな、わたし」

「ああ。別に知らなくていい。金持ちのアメリカ人くらいの認識で構わない」


跡部がそう言ってのけたとき、大きな外人さんにぶつかってよろけてしまった。

相手は気付いてないようだ。


「それは見てわかったけど」思わず跡部の腕を掴んでしまう。

「だが来てる連中は様々だな。大丈夫か?」

「うん、ごめん」


心配してくれた跡部に謝って、恐らく乱れてもいない髪の乱れを直す仕草をしてみた。

確かに、周りには英語が飛び交い、時々フランス語っぽいものまで聞こえてくる。

わたし達のようなアジア圏の人間もいれば、イタリア人もいるような気がする。

いろんな言語が混ざったこの状態に、少しだけ気が狂いそうだった。

跡部の頭の中では翻訳されていることだろう、わたしには全くわからないけれど。聞き取りは苦手だ。

ただ式自体は綺麗な英語で行われていたので、なんとなく雰囲気は掴めたけれど。


「おい」


でもやっぱり落ち着かない。

結局きょろきょろと周りを見渡しているわたしに、跡部が厳しい声色で話しかけてきた。


「はい、なんですか」

「堂々としてろ。俺の傍から離れなきゃ面倒なことは起きねえよ」


怒られるのかと思い更にびくびくして見上げると、跡部は淡々とそう言ってきた。

その言葉に、何故か一瞬震えた心がわたしを硬直させる。

俺の傍から離れなきゃ……って、ちょっと、なんでその言葉に反応しているんだ。


「どうした?」

「あ、はい、そうだね。そうします。はい」


「変な奴だな。入るぞ」

「あ、はい」


反応したついでに、咄嗟に掴んでいた腕を離して。

跡部は何も言わないわたしに気付いて少し首を傾げて、わたしはぎこちなく返事をした。

どこか嫌な予感がする。そして、昨日の忍足にイライラした理由がわかった。

からかわれている気がしたからだ。こうして、跡部に構えている自分に、気付かれたと思った。

そんなわたしのことを、忍足が面白がっているように見えた。それは多分錯覚だ。

だけどイライラするってことは、否定したい気持ちが強いってことで、あれ、ちょっと待って。

この感覚、なんか、中学生くらいの時に一度あった気がする。なんだろう。


「伊織」

「!」

「大丈夫か?具合でも悪いのか?」


披露宴会場の席に座って頭を抱えているようなわたしの顔をじっと跡部が覗きこんでくる。

優しくしないでください。なんだかすごい嫌な予感がします。

もう高校三年生だし、いつまでもそんな鈍感じゃないないんです。

まだまだ子供だけど、もうそれくらいのことは認識出来るから――――。


「ううん、大丈夫」

「……無理はするなよ」


跡部は怪訝な顔をして、つと、わたしの左手薬指に光るティファニーの指輪に視線を落とした。











*      *










「聞いてないよ」

「言ってないからな」


「……意地悪過ぎる」

「座って見てりゃいい、帰りたいのはわかるがもう少し我慢しろ」


披露宴も英語で行われたけれど、幸せ満開の美しさに目を瞠っていたらあっという間に時間は過ぎた。

だけど頭の片隅で違うことを考えたり、何を思ったか新婦を自分に置き換えてしまったりと恥ずかしいことをしたわたしはすっかり疲れてしまった。


「景吾、ちょっと待って……」

「座って拍手してただけだろ。そんなに疲れたのか?」


タクシー移動の後、足早に会場に向かう跡部の背中に呼びかける。

さっきの優しさに自惚れて甘えてみたってのに、今度は実に冷たい眼差しが刺さってきた。

チックショウ、こっちはヒール履いてんだバカヤロー!!とは、もちろん言えない。


「今からもっと疲れる予定だけどね」

「テンション上げていかねえと、あのノリには付いていけねえぜ?」


ニヤリと笑う跡部の前には、ダンスホールの入り口がある。

そう。

なんとわたしは二次会にまで連れて行かれるハメになったのだ。

しかもアメリカ人の結婚式のせいか、二次会はダンス!!ミュージック!そしてダンス!!

無理だ……もう想像だけで付いていけないです。



「お父様とお母様は帰ってたのに、なんで景吾だけ?」

「俺とお前だけ、な。若い連中は勝手に参加者に入れられてる。食事会の時の若い連中も来てるだろうよ」


「あの人らはいいだろうけど……わたしダンス出来ないよ……」

「踊らなくていい。お前が踊れば俺が恥をかくだけだ」


確かに、恥をかくでしょうけども。

くすりとも笑わずにそう言って手を差し伸べた跡部にカチンときた。

わたしはその手をふんと追い越し、ぷりぷりとホールの中へ入る。

通常、こういうところは男女が腕を組んで入るべきなのかもしれないが(だから差し伸べてきたんだろう)。


「拗ねんなよ」

「拗ねてません!」


そんなわたしの背中に、ようやく跡部の笑い声が投げかけられた。

何を今更、なんて思う。

……そんなに怒ることじゃないのに。

おかしいなあ、調子狂う。最近わたしは、跡部の前で子供になっている気がする。

考えていたら、またまた忍足の「痴話喧嘩」という言葉が頭を過ぎった。

でも、痴話喧嘩じゃないもん、痴話って言われるほど仲良くないもん。

と、頭の中に浮かんだメガネに頭の中でぶつくさと反抗しながらぐんぐん前に進んでいった。

三段階ぐらい扉があるので、本会場はまだまだ先だ。


「おい、待て伊織」

「お手は煩わせません」


冷静になれない自分にも腹が立つし、どうして跡部の言葉にいちいち反応してるんだろう。

わたしは後ろの跡部を振り返りもせずに、懲りずに考えながら前に進んだ。

時折、人とぶつかりながら。Sorry、Sorry、と言いながら。

やがて、いよいよ次の扉を開けたら本会場だという所まで行き着いた。

そしてやっとこさ、入るぞと決意をした時だった。跡部が大きな声をあげてきたのだ。


「バカ、まだ入るな!迷うぞ!」

「はあ?子供じゃないっての!」


バーカ、迷うかってんだ。

走ってくる音と同時に扉を開けて中に入り込む。

変に心配性の跡部にちょっと意地悪するくらいの気持ちもあった。

一方で、こんなとこで気遣うならさっきもう少し気遣ってくれても良かったじゃないかなんて、意味のわからない怒りも抱えていたけれど。

とにかく、わたしは反抗期ぶっちぎりで前方の扉を開け放ち、そして、勢いよく中に入った。

でもそれが間違いだったと気付くのに、二秒もかからなかったのだ。


「ッ……え、わ、ちょ、あ……!」


入った瞬間に誰かにぶつかった。もうここではSorryも要らないようだ。

すでに中は大変な人で溢れかえったお祭り騒ぎ。

むっとした熱い空気と踊りまくる人たちにあっという間に飲み込まれ、人の波に押されているうちにいつの間にか入口からどんどん離れていってしまった。

少し体が自由になった時点で振り返れど、跡部の姿は見えなくて。


「う、うそ……あ、ちょ、あぶなっ……!!」


足に懸命に力を入れるけれど、踊っていない人間は邪魔だとばかりに、人がどんどんぶつかってくる始末。

これって踊ってたらぶつからないもんなのか?

足取り疎かによく見えもしない前方へと歩を進めても、人に揉まれてぐるぐると同じ場所を回っているようにも思う。

新郎新婦はどこにいるのだ。そこへ行けば少しは安全じゃないだろうか?

英語は少しだけなら話せる。親切な人はいないだろうか。

うう、こんなことなら、やっぱり跡部から離れなきゃ良かった。


「え、えくす、きゅーず、み……っ、ひゃっ……」


ちょっと大人しそうな人に声を掛けようと試みるけれど、爆音で聞こえないようだ。

パードン?の口の形で顰め面を返される。

あああああああ、この状況が安易に予測出来たから跡部は行くなって止めてくれたんだ。

どうしよう、どうしよう。跡部どこにいるんだろう。

だんだんと不安になった瞬間だった。後ろから、ぐいっと手を掴まれる。

きた!!と心が躍った。ここぞという時に現れる、さすが跡部景吾様!!


「Gosh, you're pretty!」

「えっ!!」


すっかりと跡部だと思い込んでいたわたしは、平気でびっくりしてしまった。

嬉しくて思い切り振り返ったというのに、背の高い金髪がそこに居た。

どうしてか、いきなり挨拶に可愛いって言ってくれている。

素直に嬉しい。この人は親切かもしれない。座れる場所に案内してくれるかもしれない。


「あの……」

「I won a great prize for my pick-up line. Would you like to hear it?"Hi!"」


「はい?」

「Hi!」


案内して、と話そうとしたら、たたみ掛けるように話されて戸惑ってしまう。

ちょっと早口過ぎて、周りが煩すぎて何を言っているかよくわからない。

でもどうやら、挨拶してくれているようだ。

やっぱり親切そうな人だ。とりあえずテンション上げて返しておこう。

手を高く上げてタッチする仕草を見せてきたので、わたしも快く笑って「Hi!」とタッチした。

相手の人は何度もそれを繰り返して、わたしはとりあえず同じように返した。

何度も繰り返すところに、面白さがあるのかもしれない。わからないけど。

でもそれがしつこいくらい何度も続くうちに、そろそろ何が面白いのか意味がわからんと思い始めたとこで、今度は突然、照明が落とされた。ぎょっとして天井を見るも、効果はない。

僅かなブルーライトだけがその場を包んだ。

これはもしかしてまずいのか?と、そう思った時は遅かった。

目の前の外人は突然、わたしの腰を抱き寄せてきたのだ。


「え!?ちょっ……の、ノー!ノー!」


ってこれ、完全にチークタイムの体勢じゃないですか!!

急いでノー、ノー、と言ってみても、外人は聞こえないフリなのかニコニコとしている。

そして、なだらかな動きでわたしの腰からお尻のラインに手を這わせ……


「Do you want to dance?It’s my favorite song」

「や、ちょ……ノーってば!!やだ!」


踊りませんか?と言ってきた。この曲好きだから。って、知るか!!

ああ、これは多分ジョークだ。躍らせる気満々なくせに踊りませんか?って!?踊りません!!

言いたいけれど、慌てて「ノー!」しか出てこない。

どうしよう、どうしよう、怖い、怖いよ跡部!助けてよ!こんな時になにしてんだ!!

そんな理不尽な怒りも爆発寸前、外人の手がわたしのお尻を撫ではじめて。


「ちょ、ど、Don't――ッ!!」

「Ouch!」


触らないで!!と叫ぶ寸前だった。

手の動きが止まったのと同時に、痛みを訴えてきた金髪豚野郎。

見ると、毛深い外人の手の上に、白くて綺麗な手が重ねられていた。


「――I'm sorry, but I've promised this dance to someone else」

「!……What's that?」


わたしのお尻から外人の手が引き剥がされた。変な方向に捻られたようだった。

声のした方を振り返ると、待ってましたの跡部がいた。

何を言っているのかわからないけれど、嬉しい!!



「跡部!」


金髪を突き飛ばすようにして、わたしは跡部の背中に回り、隠れるように身を寄せた。

金髪は跡部に詰め寄っている。だけど跡部は、実に冷静に黙ったまま睨み返していた。

怖いもの知らずだ……喧嘩したら、絶対跡部が負けそうなのに。


「What's、that?」


その挑発的な態度に、金髪も跡部を睨み、わざと言葉を区切るように言ってきた。

てめえ何言ってんだコノヤローってな具合だろうか。怖すぎる。

不安になって跡部の腕をぎゅっと握ったけど、跡部は全く怯む様子もなく。


「あーん?この女に代わって言ってやってんだよ。てめえ日本語通じんだろ?聞こえなかったのか?断るっつってんだ」

「え!日本語通じるの!?」


「黙ってろ伊織」

「あ、はい……」


驚きでわたしが声をあげると、跡部は厳しい声でわたしを叱った。当然だ。この後も覚悟しておこう。

でもどこでそんなことわかったんだろう。不思議だ。

一方、まだまだ睨みをきかしていた金髪は、隣の女性に何やら耳打ちをされていた。

なんだあれ。感じ悪い。


「HA!……Thanks anyway」


しかし、その耳打ちの後、大袈裟なほどに(外人は元々大袈裟なのかもしれないけど)鼻で笑った金髪は、そう言って去っていった。

周りは少しだけこちらを注目していたが、やがて何事もなかったかのようにチークタイムを堪能している。

もしかして今の女性は、「跡部財閥のぼっちゃんよ」と彼に言ってくれたのだろうか。

だとしたら跡部の名に恐れをなして逃げたのか。最後の鼻笑いは負け惜しみなのかもしれない。


「伊織……」


と、気が付けばいつの間にか跡部がこちらを振り返り、ぴきぴきと怒りを浮かばせた表情でわたしを見下ろしていた。


「あ、ご、ごめんなさい!ご、ごめんなさい本当に……!」


わたしは慌てて謝る。行くなと言われて行って迷子、バカ丸出しだ。

何を言われてもひたすら謝り続けるしかない。


「本当に、本当にごめんなさ――ッ……え」


謝っていた途中だった。びくん、と体が反応する。

わたしの手に、柔らかな感触が落ちてきたからだ。


「静かにしろ。チークタイムだ。恥をかかせるなと言っただろうが」

「……ッ……あ……はい……」


見ると、跡部がわたしの右手を握ってきていた。

声が大きいと窘められたのは、わかる。

それはいいけど、この右手は何の必要があるのだろう。

胸がドキドキしてきて気が違えそうだ。

でもこの握り方、ちょっと変。だけど動くことも出来ない。どうしたらいいんだろう。


「踊るぞ」

「え……!」


「さっき言っちまったからな。他の人と踊る約束をしてると」

「え、え?」


わからなかったのか?と眉間に皺を寄せた跡部に聞けば、さっきわたしを助けた時に言った早口な英語はそういう意味だったらしい。

わたしの声を代弁したと言っていた。

勿論皮肉なので、つまり、ニュアンス的に金髪に対して、俺の女だと言ったのも同様。

チークタイムのおかげなのか皆の動きが緩やかで休憩している人もいて、さっきの金髪がこちらを伺っているのも丸見えだ。

だから、見せ付けておいた方がいいということ?

チ、チークタイムで……!?


「お、踊るって、どうしたら……っ」

「俺の肩に左手を置け」


右手は跡部が誘導してくれているおかげで、なんとなく形になっている。

テレビの社交ダンスでよくみる、なんか、ああいう感じの握り方だ。

わたしは雰囲気で、跡部の肩に左手を置いた。

するとその瞬間、ぐっと跡部に腰を抱かれ、引き寄せられた。


「!」


突然の体の密着に、わたしは容赦なく赤くなった。

照明が暗くて助かる。跡部にはバレてないはずだ。


「いいか?俺と一緒に動け。右に一回……」

「み、右に一回……」


今更だけど、近い。

耳元で聞こえる跡部の声は、息まで降りかかってきそうで体が熱くなる。


「右足から後ろに一回」

「一回……」

「左に一回……右足から前に一回。簡単だろ?」


見上げたら赤い顔がバレてしまうと思って、俯いたまま頷いた。

密着した体がもう疑いようの無いほどに飛び跳ねている。

それは、心臓の音と同じリズム。

わたしに教えようとしている。全神経が、わたしに訴えかけている。


「俺の言うことを聞かねえからあんなことになんだよ。だいたいこの指輪は何のためについてんだ。婚約者がいると主張すりゃ良かっただろうが」

「あ、ご、ごめん……」


そんな暇なかったんです、とは言えない。


「だいたい貴様は無防備すぎる。露出の多いドレスを着てんだぞ?少しは警戒しろ」

「あ、ご、ごめんなさい……」


そのドレス選んだのあなたですけど、とも言えなかった。

跡部の腕の中で揺れているわたしは、完全に彼の支配下にあるとさえ思ってしまう。

胸が張り裂けそうで苦しい。もうダメだ……息が詰まりそう。跡部の匂いに包まれてる。


「よし、もういいだろ。座るぞ」

「え」


完全に酔いしれてしまっていたわたしは、跡部のその声に初めて顔をあげた。

わたしのその顔に、今度は跡部が驚いたようにわたしを見る。

やばい、「もう終わり?」って顔、それこそバレバレなのかもしれない。


「なんだよ、その顔は」

「い、いや……せっかく覚えたのに、も、もう、終わるのかなって」


「……まだ踊りてえのか?」

「……も、もう少しくらい、いいかなって……」


ふん、しょうがねえな。

跡部はそう呟いて、もう一度、わたしを引き寄せてくれた。

すごい……人って簡単だ。跡部のことじゃない。「簡単」は、わたしのこと。

だって、跡部との婚約詐欺を始めてから、僅か一ヶ月ってとこなのに……


「伊織」

「うん?」


まるで本物の恋人同士のように、何気なく話してくる跡部に胸が弾む。

いつも「伊織」って呼んでくれないかな。こういう時だけじゃなくて。


「この下旬に、練習試合が決まった」

「え、あ……テニス?」


この婚約詐欺は、いつまで猶予があるんだろう。

ほとぼりが冷めたら、跡部から言ってくるんだろうか。終わりだ、って。

ほとぼりは、いつ冷める……?


「そうだ…………観戦しに来いよ」

「……本当の婚約者なら、間違いなく来るから?」

「当然だ」


もうそんな確認しなくていいよ、跡部……。

言われなくても絶対行くよ。

だってわたし見たいもん、跡部の試合してるとこ。ちゃんと見たこと無いから。

ごめん、こんなの無しだよね。

思い出したよ、この感覚。中学生くらいの時に一度あったって、さっき思ったやつ。

生まれてはじめての感情が掴めなくて、意味もわからずイライラしたり、不安になったり。

間違いないよ。


「お弁当作って行ってあげる」

「マジかよ」


そっくりだ、初恋の時と。

わたし跡部のこと……好きになってる――――。





to be continue...

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