love._09


跡部の口から発せられる事実も、わたしのためだと思ってやってくれたんであろうことも。

全てが、ショックだった。

どんな感情をない交ぜにしても、それは頑なに動かないまま――。






















love.






















9.







「……ッ」

「どうした?何も言えねえのか?アーン?」


わたしの元カレを見下すように、跡部はゆっくりとその場に近寄る。

元カレは怯んだように後退し、ようやく、「なに、が」と小さな声を絞り出していた。


「何がじゃねえよ」

跡部の声は、聞いたこともないくらいに怒りに満ち溢れていた。

「…………」

「往生際が悪いコは、余計に彼女に嫌われると思うけど」


千夏という人が呆れたように言う。全く状況が読めない。

跡部は手の中にある小さなプラスチックのような物をよく見えるように二本の指で持ち、元カレの目の前に掲げた。そして元カレは、もう一度、それに明らかに怯んでいた。


「貴様の探し物はこれかと聞いている」

「……」

「言わねえでもわかるよな?貴様がしたことは犯罪だ。もう調べはついてる」


犯罪という言葉に、そしてその直後に訪れた沈黙に、わたしは身の置場のない思いをしながら勇気を振り絞った。

目の前のドアを押す。ギ、とぎこちなく開いたドアは、一斉に注目を集めた。


「佐久間!」跡部の目が見開いた。

「……っ……伊織……」わたしの元カレは、息を呑んだようにこちらを見る。

「あちゃ……」千夏という人は、まずった、と小声で言いながら少しだけ頭を抱えた。

何故か、泣きそうな気持ちになった。

「……わたしだけ、話が見えないの。でも、わたしに関係ない話じゃなさそう……。これ、何?跡部……教えて欲しいんだけど」

「…………」

「跡部」


黙った跡部にもう一度、強く名前を呼んだら、跡部は視線を動かしながら溜息をついた。

いずれは話すつもりだった、と言い訳めいた言葉を口にして、わたしを見た。


「鉢植えを落としたのはこいつだ」

「え……」

「恐らく、以前お前が受けていた嫌がらせの中には、こいつから仕掛けたものも含まれていただろう。新聞部に俺とお前の婚約ネタを書かせたのもお前なんだろ?佐久間がいじめの標的になるように、貴様は新聞部を使ってそう仕向けたんじゃねえのか」


跡部は淡々とした口調でそう切り出した。

わたしは目を瞬かせて元カレを見る。

元カレは、顔を歪ませていた。

前方だけに注意していたら、いきなり背後から足元を掬われたような、そんな表情をしていた。


「なんで、なんで僕がそんなことしなくちゃいけないんだ。伊織とは、いい友達で……」

「じゃなきゃ説明つかねえんだよ。コレのな」

「僕は、僕はそんなもの探してない。なんだよ、それは」

「あー、ホンット往生際悪いね、あんた」


千夏という人が心底呆れたようにそう繰り返した。

溜息と一緒になって零れるその言葉には、滲み出るような正義感が伝わってくる。

千夏という人がここにいる理由があるはずだと、今更ながらに思った。


「順を追って話してやるよ。頭のネジが飛んじまってるようだしな」

「僕は……!」

「ちょっと、黙って」


わたしが理解しやすいように。

恐らく、跡部はそういう意味で順を追って話してくれるのだと思った。

元カレの面影が、段々と薄汚い闇に包まれていく。嫌がらせを、この人が仕向けた?

俄かに信じられない話だ。彼はいつも優しかったし、明るい人だった。そんな気持ち悪い人じゃない。

でも、跡部がなんの根拠もなくこんなことをするとは思えないという気持ちが絡まった。


「練習試合の日。貴様には耐え難い話だろうが……」元カレを見て、跡部は嗤う。「試合で負けた俺を慰めようと、佐久間は俺の頭を抱きしめたんだ、気付いてなかったかもしれねえけどな?」


もう一度、跡部は元カレを見た。その目には明らかな挑発が感じられた。

元カレはそんな跡部をねめつける。

その表情に、がくん、とわたしの中の彼が崩れていく音がした。

付き合っていたときだって、わたしは彼のそんな顔を、見たことがなかった。


「そのとき気付いたんだよ。佐久間の胸ポケットに、どうもソレだけじゃない硬さがあった」

「ソレ、だけ……?」


首を傾げながらも、わたしは自分の胸ポケットを見た。

ポケットの中には、規則で決められているからというよりは、入れてそのままにしてあるだけの生徒手帳がある。

ソレ、というのは……コレのことだろうか。


「佐久間、お前、生徒手帳見ることなんかあるか?」

「ない、けど……」

「だろうな。身分証明が必要な時に開く程度だ。ほとんどの生徒がそうだろう。この野郎は、お前をよく知っている。お前が滅多に生徒手帳なんか開かないことも。手にしたとしても、洗濯の時に机に置く程度だ。その割りに、制服を着れば律儀にきちんと胸ポケットに入れて持ち歩き、私服で出かけるときは身分証明のために鞄に入れて持ち歩いている。そういうお前を、こいつはよく知っている。そのはずだ……お前らは付き合ってたんだろ?」

「……付き合ってたよ」


どことなく、責められている気になって一瞬だけ答えに詰まってしまった。

でも跡部は、涼しげな顔をしてわたしの胸ポケットを指差した。


「手に取ってみろ。その生徒手帳。そして、中身を外してみろ」

「…………」


青いカバーの生徒手帳を取り出して、見る前に、元カレのほうを見た。

でも彼は、わたしから目を逸らしたまま、こちらを見ようともしない。

ここに何があるのかまだ検討の付かなかったわたしは、跡部の言う通り、ブックカバーを外すときのように、生徒手帳そのものをカバーから外した。

……外すと、中からテレホンカードほどの大きさの、だけどそれよりは少し厚みのあるカードが、音を立てて床に落ちた。


「……なに、これ……」


パラパラと音を立てていたカードはすぐに静かになり、跡部は沈黙の中、それを持ち上げてわたしに見せた。

口元は元カレを蔑むように嗤っていたけれど、瞳は笑っていなかった。


「盗聴器だ」

「えっ……!?」

「超薄型盗聴器。ここまで薄いのは闇取引しかされてないけどね」


千夏という人がわたしに微笑みかけるようにそう言った。

頭の中が混乱して、元カレを見てみたけれど、以前として彼は顔を歪めて、空中の一点を見つめていた。


「千夏の親父さんが元警視庁公安部の偉い人でな。こいつはこういうことに詳しい」

「!」

「あはは。いんだか悪いんだかだけどね。それであたし、すぐに景吾から相談されたの。挨拶まだだったね、伊織さん。吉井千夏です、以後お見知りおきを」


こんな時なのに冗談めいた口調でそう言った千夏さんに、わたしは慌てて頭を下げた。

そう言うわたしも、こんな時なのに嫉妬めいた感情が浮かぶ。

とにかく今は、状況を把握して!と、心の中で自分に怒った。


「ピンときた。千夏に確認すれば、確かにそういう盗聴器があるっていうじゃねえか。もし盗聴がされてるということは、俺と佐久間の婚約がバレてても不思議はねえ。新聞部へのリークはそれで説明がつく」

「ほ、本当に彼が盗聴してたの?本当にこれ、盗聴器なの?」

「すでに発見器で調べてある。悪いがお前が体育の授業の時、調べさせてもらった」


すぐには信じられない話に、わたしは慌てた。彼に盗聴されなきゃいけないような理由なんて、ない。

それに、彼はそんな人じゃない。そんな人じゃないんだ、わたしの思い出の中では……。


「それだけじゃない」

「え……」

「俺は盗聴器の存在に気付いてから、千夏の助言から犯人を煽る作戦を考えた。こんなことをするのは恐らく佐久間に相当好意があり、かつ憎しみを抱いている人間としか思えない。千夏が親父さん譲りのプロファイリングをしてくれた結果、盗聴をする人間はプライドが高く、尋常ではないほどの猜疑心と嫉妬心に塗れている人間である可能性が高い。佐久間の交友関係から察するに、前に付き合っていた男じゃないかと俺たちは予測した。鉢植えを落とすほどの嫉妬からきた怒りは当然、俺にも向けられたものだが、主には、このごろ俺と親しくしている佐久間に向けられいるものだ。自分以外の男と付き合うことなど、例え肩書きだけでも我慢ならなかったんだ、この野郎は」

「そういうこと。だからもう一度あなたが尻尾を出すまで、あなたを煽るように景吾に言ったの。聞いてるの?」

「このところの俺と佐久間の様子は、貴様には耐えがたかったはずだ。図星じゃねえのか?」

「…………」


跡部と千夏さんがそう問いかけるも、彼はまだ空中の一点を見つめたままだった。

ただ、その表情が、少しだけ跡部に煽られて歪む。

それもまた、見たこと無いような彼の表情。わたしは無意識に首をふるふると振っていた。
 

「だが貴様は全く何の行動も起こしてこなかった。当てが外れたのかと俺と千夏は焦っていたんだが、ちょうどその頃、立海の生徒が俺に落とし物を届けに来た」


それがコレだ、とわたしに見せるように、跡部はわたしにソレを投げてきた。

今日、昼休みに言っていた通りの、小さなカード……液晶画面に、数字が羅列してある。


「そういえばずっと気になってた。新聞部が写真を撮ったのはティファニーの店で起きたことだ。だがあの日、俺は一言もティファニーへ行くとは言っていない。使用人もだ。いくら佐久間に盗聴器が仕掛けられてたとは言え、あの場所がわかり、尚且つそれを新聞部に撮らせるということは尾行しか考えられなかった。でもそうじゃなかった。立海生徒は、これがRSAで、きっと何かにログインするために必要なものじゃないかと伝えてきた」

「RSA……って……?」

「簡単に言えばセキュリティ用に作られた暗号だ。個人情報のサイトを閲覧する際に今出ている数字を入力するとログイン出来たりする」

「……そうなんだ……なんとなく、わかった……」


手の中のソレを転がして、わたしは黙り込んでしまった。

それと、これと、彼と、わたしと、……結局、何が結びつくんだろう。


「あたしね、何気にホント、こういうの詳しくてね」


そのとき、どこか場を和ますように千夏さんがわたしに微笑む。

その微笑みに、どうしても、胸がキリ、と痛むのを止めることが出来なかった。


「液晶に数字があるでしょ?ひっくり返すと、アルファベットと数字が彫ってあるのわかる?」

「……よく見ないと見えないけど、はい……確かに」

「それ、緊急用コードなの。もしもそのRSAが壊れてしまった時の」

「緊急用?」

「そう。緊急用コードが割り当てられてるなんて、なんだかすごいことみたいでしょう?これがね、本当にすごいことなの。ただ、民間企業が一般庶民にそこまでしない。でも、以前うちの父がこれとまったく同じ物を持っていたことを、あたしは覚えてたんだな」

「え?」

また、俄かに話が読めなくなってきた。

千夏さんは、そんなわたしには気付かず話を続ける。

「うん、うちの父はさっき景吾が言ったように、元警視庁公安部の人間。それで調べてみてもらったらね……なんと、現役警視庁公安部の人間の名前が出てきたの。それでもっともっとよく調べてみたら……苗字は違えど、その人、この学校の生徒の父親だった」

「……?」

「その生徒ってのが、彼ね」

「え!?」


わたしは目を大きく見開いて瞬かせた。

千夏さんの言っていることが事実なら、じゃあわたしが彼と付き合っていた時に会っていた、一般企業サラリーマンのお父さんは……誰だというのだ?




「ちょっと待ってください、わたし、何度か彼のご両親に会ってるけど――」

「――お前が知っているこいつの親父は所謂、義父だ。本当の親父はこいつの母親との離婚後、一人で暮らしている。それが公安部の人間だ」

もう調べはついている、と言っていた跡部の声は、よく通った。

「え、離婚、してたの……?あれは、本当のお父さんじゃないの?」

聞いてみたけれど、彼は答えない。

「それでね、話を戻すけど」千夏さんは悠々と続けようとした。「そのRSA機器は、彼が、お父さんが使い古したGPS発信機と一緒に盗んだものだと思う」

「GPS!?」

「そう。その盗聴器にはGPS機能がついてる。でもその現在地を知るには、特定の警視庁公安部システム内に入って、そのRSAを入力してからログインしなければ位置がわからないようになってるの」


「は……」しらばく、開いた口が塞がりそうにない。

急にあれこれと説明されても、結局わたしの頭は混乱していた。

それでもなんとか理解しようと眉間に皺が寄る。今度は跡部が後を引き継ぐように話し始めた。


「千夏の親父さんにログインデータを調べてもらった。一番古いのは五年前。それは恐らくこいつの父親が捜査で使ったものだろう。そこから一年使い続けて、三年ログイン記録がなかったものが、突然、一年程前からログインされ続けている。毎日、だいたい決まった時間にな。当然だが、練習試合の日を境にぱったりとログインされていない。そしてGPSが示していた場所は、ほとんどがこの学校内と、お前の家だ、佐久間」

「!……そんな……一年前って……」


頭の中ですばやく計算をして彼を責めるように見ても、何もかもが無駄だとその時わかった。

彼は、口元を歪めて嗤っていたのだ。自嘲のようだった。反省や後悔などは、微塵も感じられない。


「高一の終わりから高二にかけて半年ほど付き合ったと言っていたな?別れを予期してたんだよ、この野郎は。それで、付き合っている間にお前に盗聴器とGPSを仕掛けた。お前から別れを告げられたら、理解ある男を演じてそれを受け入れながらも、結局お前を朝から晩まで監視するためにだ。だが鉢植えを落としたとき、こいつはそのRSAを落としやがった。だからここ二週間もの間、何も手出しが出来なかった。RSAを落としたことは然程のことでも無い。それがどこにログインするものなのか、そもそも一体何なのか、一般庶民にわかるはずがないからだ。だが俺らの最近の様子から嫉妬に狂っていたお前は、そいつを失くしたことで躍起になっていた。だから今日の俺たちの会話を聞き、すぐさまそいつを回収しようとこの生徒会室にくるはずだと踏んだ。お前が俺に奪われるくらいなら、……そう、思ってたんじゃねえのか?」


跡部が彼をねめつけるように見たとき、彼は、ヒ、ヒ、と嗤い出した。

その様子に、ぐらぐらと眩暈を覚えそうになる。違う、こんな人じゃなかったのに。


「それ、言わないのは跡部の優しさかい?」

「……貴様」

「ヒ、ヒヒ、ヒ……思ってたよ。跡部に取られるくらいなら、僕が、伊織を殺してもいいって」

「ッ……嘘、なんで……なんでそん――」

「――愛してるから」


大好きな人だった。

いつも明るくて、優しくて。

確かに時々、わたしを困らせるような嫉妬をすることもあった。

だけど、こんなに陰湿なことをするような人じゃ、決して無かった。

跡部が言うほど、異常なほどの嫉妬心や猜疑心を剥き出しになんかしてなかった。

体を求めてくる彼に、わたしの気持ちの整理がつかなくて、ちょっとした喧嘩になって、結局、少し音信不通になってしまって、だらだらと別れてしまったけれど。

わたしを憎んでいたとしても、ここまでするような人じゃなかった。

毎日必ず連絡をしてきた彼から連絡がこなくなったのが、音信不通のきっかけだったけれど。

それは、この盗聴器を……GPSを、つけていたからなの?


「……っ」

「愛してるからだよ、伊織」


歪んだ顔でわたしを見て、彼は跡部と千夏さんの言ったことを認めたように目を見開いた。

それは今まで見た彼のどんな顔よりも気持ちが悪く、わたしに嫌悪感を募らせた――。














やがて、生徒会室に黒服の人たちが数人入ってきて、彼は黒服の人たちに連れて行かれた。

警察の人なんだろうかと、漠然と思った。

その現実味を欠いた風景は、わたしの頭の中を整理するのには丁度良かった。


「じゃ、後は任せて。大袈裟にならないように頼んでおく」

「頼んでおくんじゃなくて、どうせ揉み消すんだろうがよ」

「さーねー」


黒服の人たちと一緒に出て行った千夏さんは、何食わぬ顔で手をひらひらとさせて去っていった。

跡部とわたしが残った生徒会室で、わたしは呆然と連れられていく彼の背中を見ていたけれど、それは跡部の手によって遮られた。ドアが、重たい音で閉められる。


「……こんな風に知らせるつもりはなかったんだがな。偶然通りかかったのか?」

「帰ってて欲しかっただろうね……」

「まあな」


揉み消されるのか……そうだろう。考えてみればありそうな話だと心の中で呟く。

一方で、元カレのしたことを理解しようなんて気持ちは薄れていた。

理解など出来るはずがない。だけど、説明されたことで全て納得がいった。

跡部とわたしの婚約は、元々肩書きだけのものだ。だから彼も、最初はどこか余裕だったに違いない。

でも、婚約という名目で跡部と一緒にいるわたしが許せなかったんだろう。だから新聞部にリークした。

当然、わたしは酷い嫌がらせに遭う。最初はそれだけで、気味が良かったのだろう。

彼の歪んだ愛は、わたしが戒めを受けることによって満足出来るのだ。

でも跡部と恋人という肩書きが、本当に肩書きだけじゃなくなってきたと、この気持ちに彼が気付いたなら。

弁当を作ると言い出したわたしに怒って、自らの手で鉢植えを落としてきた。

そこまでは、なるほど、未だにあの彼がなんてと思うけれど、それが事実だ。

でも……事実を聞きながらずっと、わたしの中で引っ掛かっていたことがあった。


「まあこれで、もう上から鉢植えが落ちてくるなんてことはねえだろうよ、多分だけどな」


危惧とも冗談ともつかない口調でそう言った跡部に、わたしは震えそうになる声を抑えて聞いた。


「……ねえ跡部」

「ん?」


……盗聴器の存在があったからこそ、跡部は彼を煽ることにしたと言っていた。

嫉妬心の強い男が相手なら、嫉妬すればまた同じようなことをしかけてくる。

それで尻尾を捕まえてやろうと思ったのだ。わたしはここでも、全て納得がいった。

跡部は千夏さんに相談した。信頼を寄せている千夏さんが、彼を煽ろうと言った。

全て、このためだったんだ。

だから盗聴器の存在を発見器で知った後も、わたしに何も言わず、外すこともしなかった。

逆にそれを利用して、その事実を知らないわたしまで利用して、彼に聞かせるためのリアリティを作った。

甘えたような顔で、甘ったるい声で男関係のことを聞いてきたのも、弁当を作って来いと言い出したのも、家に送り出したのも、全て、全て、わたしに投げかけてきた言葉も仕草も全て、このためだったんだ。

千夏さんと相談して、彼を煽るために、跡部は、わたしに本当のことを言わないまま、わたしに好意を抱いてる「振り」をしていたんだ。それは全部、嘘だったんだ……。

千夏さんに、言われたから。二人で、何も知らない彼と一緒に、わたしをも欺いていたんだ。


「なんで、言ってくれなかったの?」


そうは思っても、跡部を信じたいわたしの口が、勝手に動いていた。感情の波が、押し寄せてきていた。

真剣に聞いたわたしに、跡部は天井を見上げるようにして、ああ、と呟く。

お願い、わたしの為だったんだと言って。それに納得のいく理由を、今すぐ考えて。

跡部は頭いいから、出来るでしょ。どうせなら、最後までわたしを欺いてよ。


「言ってくれたら、わたしだって――」


わたしを見ないまま、視線を右上に流しながら跡部はふっと笑いながら言った。


「――敵を騙すには味方からだと相場が決まってる」


一番、聞きたくない言葉だった。

騙す――……騙してたんだ、跡部は、わたしのこと。

まさかわたしが自分のこと好きだなんて想わないから、平気で出来たのかもしれない。

でも、わたしはそれが、例え千夏さんへの想いが変化球でこっちに流れてきたものだとしても、嬉しかった。

わたしを少なからず頼ってくれていることが、無理矢理していることだったとしても、嬉しかった。

拗ねた口調も、思わせぶりな台詞も、甘い声も、全部全部、嬉しかったのに。

跡部が本当にそれを聞かせたかったのは、わたしじゃなかった。わたしはただの、フィルターでしかなかった。


「ッ――!!」

「あ、ごめん。なんか頭にきちゃって」


悔しい想いが頭の中で氾濫して、わたしは跡部を引っ叩いていた。

跡部を引っ叩くなんて、後にも先にも、わたしだけかもしれない。

跡部は少しだけ目を見開いて、わたしを見ていた。

今まで何を期待していたんだろう。もうはっきりしたじゃないか。

この人は千夏さんが好きで、わたしのことなんて、成り行き上の付き合いだったのに。

最初からそうだったのに。何を期待していたんだ!!


「わたし、跡部のそういうとこ、大っ嫌い。一人でカッコつけちゃって。何が、敵を騙すには味方から、よ。馬鹿じゃないの?あー、むかつく。何がって、こんな大事なことわたしにだけ知らされてなかった感じが。千夏さんと二人であれこれすんのは勝手にすればいいけど、被害者はわたし。その被害者のわたしが蚊帳の外ってどういうこと?意味わかんない。今知らされたわたしの立場って何?」


衝動的に引っ叩いてしまった言い訳を、わたしは一生懸命捲くし立てた。

跡部のことが好きだったからなんて、悟られてたまるものか。あんたなんか、大っ嫌い!

千夏さんに相談して、千夏さんの助言で、わたしにあんなこと言ってたんでしょ?

人の気も知らないで、残酷すぎるよ……わたしは跡部が好きなのに!!


「佐久間」

「言い訳なら聞きたくないし、なんか相当むかついてるから、しばらく跡部の顔も見たくない。ねえ、もうお弁当作ってくる必要ないんだよね?よくあんな弁当食べたね。それもこれもその正義感のおかげだね。あっぱれです。ありがとう、あんなまずいの食べてくれて」


「…………」

「ほんっと面倒臭かった。恋人の振りするのってこんな大変だったっけ?ってくらい。でもあそこまでやる必要、確かによく考えたらないもんね。せいせいする。明日から自由だ。朝はゆっくり、放課後はのんびり。それでいいよね跡部?もう無理に校内で付き合ってる振りしなくても。気付いてたと思うけど、結構うんざりなんだ。昔から跡部のこと苦手だし。でもそれもこれも、うちの父親の借金が悪いんだから我慢してたんだよ、本当に。あ、これでも一応感謝してるの。今むかついてるからこんな口調になってるけど」


その言い訳は堰を切ったように溢れ出して、もう止めようと思っても止まらなかった。

苦手だと言ってやった、うんざりだと言ってやった、我慢してたんだと言ってやった。

どうしても思ってもない気持ちがこんなに出てくるんだろう。

淡々と言いながらも、わたしの心は泣いていた。

跡部は黙ったままわたしを見据えて、まだ何か言おうと思えば口を開けるわたしに溜息をついた。


「我慢する必要はねえぞ」

「…………」

「どうせ婚約破棄しなきゃならねえだろ。ちょうどいい機会だ。別れが自然であるようにする工作期間が必要だからな……明日から、俺を無視しろ。俺もそうする」


跡部のそれは、わたしを黙らせるには十分だった――。





to be continued...

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