ビューティフル_01


1.


目の前のふたりを見れば見るほど、現実味がないと感じる。
太もものところで震える端末を感じて余計に、なにか違うという思いにかられる。

「忙しいのにありがとう跡部、本当に嬉しいよ」
「呼んでもらえて俺も光栄だ。今日はお前のほうが忙しいだろ? またあとで話そう」

二次会の会場は混雑していた。主役のふたりは開始時に挨拶、そこから写真撮影大会で大忙しだ。
だというのに、バーカウンターまで酒をもらいに歩いていた俺に、すれ違いざまに声をかけてくる大石の相変わらずの人の良さには苦笑する。

「律儀なやっちゃ」
「お前とは大違いだな」
「ああそうだな、でええねん。ひとこと余計やねん」
「ああそうだな」
「腹立つ男やなお前……」

忍足とふたりでカウンターの前で酒を待ちながら、俺は横目でタキシード姿の大石と、ウエディングドレス姿の嫁さんを見た。結婚しよう、となぜ思えたのか。これまで何度も結婚式に出ているが、未だにわからない。
また、端末が震えている。

「ええ結婚式やったなあ。めっちゃお腹いっぱいや、いろんな意味で……」
「なあ、忍足」
「ん?」
「あれ見て、結婚したいと思うか」
「……気持ちわるっ」
「貴様……」
「俺は思っとったで。なんなら高校の時くらいから思っとった」
「どっちが気持ち悪いんだか」
「お前が聞いてきたんやろ!」
「だが過去形だったな、いま」
「あ?」
「思っていた、と。いまは思わねえのか」

忍足がむすっとそっぽを向いた。
ああそうか……こいつにその手の話は、まずいんだったか?
そういえばそんなことを宍戸が言っていたような……。

「相手がおらんと、あんまり現実味ないねん……普通そういうもんちゃうの」
「相手がいても現実味がない場合は?」
「お前はそういうタイプやよな。前はテニス。いまは仕事のことしか頭にないんやろ」
「バカ言え。女のことも十分、考えてる」
「そやったら結婚したらええねん。なに贅沢なこと言うてんねん」

それでもすぐ、結婚という話にはならないだろう。
そうか。たしかこいつ、5年前にプロポーズした女に捨てられたかなんかだったような気がするな。まあ、俺には関係ないが。

「お待たせしました。赤ワイン3つです」

話している間に注文していた赤ワインを店員が出してきた。
受け取って人混みの中を歩いていく。
自ずと知ってる顔だけで集まっていたテーブルに座ると、越前が料理を取り分けていた。となりに座っている仁王は我関せずで腕時計を眺めている。

「跡部サン、これでいんスよね?」
「てめえはさっきから、なにをふてくされてんだ」
「料理全品なんてどれだけ大変だったと思ってんスか。この人は全然、手伝ってもくんないし」
「さっきから越前選手はずっと不機嫌なんよ跡部」仁王は飄々と言いのけた。

席を離れる前に、オープンカウンターに出てきている料理をすべて持ってこいと言ったらこれだ。

「不二が丹精込めて作った料理だろ。育ててくれた先輩に対する敬意がかけてんじゃねえのか」
「誰にも敬意ない人がよく言うよ。自分が食べたかっただけっしょ」
「俺が敬意を働く相手は、この世にそうそういないんでな」

俺の気持ちをなんにもわかっちゃいねえ越前は、ぶつくさ言いながらいきなり肉を口にしていた。不二のためなどと口が裂けても言いたくなかったせいで、悪態をつかれる始末だ。
つうか、どう考えてもプロテニスプレーヤーのお前が一番食うだろうが。

「つべこべ言ってねえで、人数分に取り分けろ」
「え、それもオレ!?」
「あたりまえだろ。お前、一番下っ端なんだからな」
「せやで越前。先輩たてや」
「忍足の言うとおり。俺ら年上じゃし、テニスの先輩なんじゃから。じゃ、俺はちと仕事してくる」
「オレあんたらと同じ学校だったことないんだけど……」

仁王の背中に文句を言いつつも、さっそく取り分けはじめている越前に笑いながら、俺はスマホを取り出した。
さっきからブルブル鳴ってやがると思ったら、またメッセージだ。

『景吾さーん。さっきから電話してるんですけど。今日から日本に戻ってるって他の役員から聞いたんだけど本当? いま、どこにいるの? こっちは朝から接待ゴルフなんですけど。遅くてもいいから今夜、会える? 会えるよね? なんであたしに黙って急に戻ってくるかなあ? 連絡くらいしてよ』

やっぱり千夏か。気が重い……。連絡してなかった俺が悪いが、かなり機嫌を損ねているとわかった上で連絡するのは気が滅入る……とはいえ、しないわけにもいかないか。
千夏と付き合いはじめて、そろそろ3年が経とうとしていた。
同じ会社に勤める千夏は営業成績トップの、超やり手のキャリアウーマンだ。
相手がどんな言葉を待っているのかいち早く察知できることで、社長や役員をうまく立てて手のひらで転がしながらビジネスの戦略をじっくり練ることができる、頭のいい女……のはずが、俺には平気で楯突いてきやがる。
どいつもこいつも……。

『あとで電話するから待ってろ』
『ちょっと。第一声がそれ? 1ヵ月も連絡しないで急に日本に帰ってきて憤慨するどころか、こんなに聞き分けよく質問しているだけの彼女に、それが1ヶ月後にあびせる言葉? バーカバーカ』

どこが聞き分けがいいんだ……。
そうは思うものの、怒っているようで怒っていない最後の文言に、ふっと笑みがこぼれそうになる。千夏の、こういう茶目っ気が俺は好きだ。

「不二先輩、終わったんですか」
「うん。もう全部、作り終えてるよ」

気がつくと、不二が戻ってきていた。
テーブルに乗っている料理を見て、少しだけ目を見開いたあと、そっとはにかんだ不二にほんの少し安心する。この瞬間のためだけに越前に料理をすべて持ってこさせたようなもんだ。
俺のその意図には忍足も気づいていたのか、さっき腹いっぱいと言っていたわりに、不二が来るとガツガツ食べはじめていた。





『ちなみに聞くけど、あとでってどのくらいですかー?』

仁王も仕事を終えて席に戻ってきたタイミングで、またスマホが震えていたことには気づいていた。あとで、と言ってからそこそこ時間が経っている。
いつのまにかこのテーブルでは恋愛談義が行われている始末だ。元はと言えば俺が大石の国際結婚を話題にしたせいだが……。

「それで? 忍足はどうなの?」
「もう5年くらい、誰とも付き合ってへん」

男だらけだというのに恋愛の話になり、他のやつらならまだしも、むさ苦しい忍足の未練話を聞かされるのかと思うと俺はうんざりした。聞いている振りをして、千夏にメッセージを返す絶好のチャンスだ。

『あと10分以内』
『絶対?』
『しつこい女は嫌われるぞ』
『景吾が私のこと嫌うはずない』
『たいした自信だな』
『自信なきゃあなたから1ヶ月も放置されたのに、強引に連絡するなんて出来ません』
『なるほど納得だ』
『納得だ、じゃないっての!』

どこかでタイミングを見計らって電話をしないと、そろそろ千夏も我慢の限界だろうと察しがつく。たしかに、俺が自由に世界を飛び回って仕事が出来るのも、千夏が相手じゃないと無理だろうと思う。プロテニス時代もそうだったが、女は仕事に一生懸命な男が好きだといいながら、忙しい男には不満を持つ傾向にある。
矛盾している……そうは思っても、口に出せば100倍くらいになって戻ってくることはわかっているだけに、当時から迂闊に口にはできない問題だ。

「うわあああ!」

そんなことをぼんやりと考えていたら、どこからか越前の声が聞こえてきた。
なんだあいつ……気づいたら席を離れてやがったのか。小癪な。

「なにごとや?」
「さあ? ちと、見てくる」
「あれ、そういえば僕、引き出物を忘れてきちゃってる」
「え」
「式場を出るときはあったから、きっと厨房だね」

まるで打ち合わせをしていたかのように、全員がはけていく。
……となると、忍足と目が合う前に決着をつけておくべきだろうな。

「ちょっと電話をかけてくる」

そう言って、俺は忍足ひとりを残してテーブルから離れた。
離れながらスマホを取り出し千夏に発信すると、2コールも鳴らないうちに声がした。

「景吾にしては優秀」
「アーン?」
「7分だったから。ってか、なんか騒がしいね」
「ああ、実は今日、昔のテニス仲間の結婚式でな」
「えっ、そうだったの!? ごめん私、そんなときに……」
「いや、知らせてなかったんだから無理ねえだろ」
「あ、そうだよね。そうだよ! どう考えても景吾が悪い!」
「情緒不安定かてめえは」
「うるさいな……。でも、それじゃ今夜は無理だよね」
「いや、三次会まで行くつもりはない」
「そうなんだ……じゃあ、あたし景吾のマンション行ってもいい?」
「かまわねえが……掃除してねえぞ。1ヶ月」
「だからしてあげるって言ってんの」

電話越しに俺が笑うと、千夏もようやく笑った。

「帰る前に連絡する」
「うん。こういうときのために、いいんだよ? そろそろ鍵くれても」

あまり聞き慣れない千夏の甘えた言葉に、思わずかわいいと口走りそうになる。

「ほう? お前、そういうこと言う女なんだな」
「だって景吾が……」

千夏がなにか言いたげにしたときだった。会場中に爆音で生演奏が始まり、電話から聞こえる声がかき消される。そういやここは二次会だったと思いながらむっとして振り返るのと同時に、バンドの真ん中に立っている女性が歌い始めた。
その刹那、俺の時間は止まった。
誰もが知っている洋楽アーティストの『Every Breath You Take』。
なんでこの結婚式の二次会でこの選曲をしちまったのかは不明だが、俺はその歌声に聴き入っていた。たとえようのない声だった。内蔵から皮膚から全身の毛までが、ふっと浮き上がるような……。

「景吾、聞いてる!?」
「悪い、あとでかけ直す」

誰であろうと、この瞬間を邪魔されたくなかった。





「3曲ほどお付き合いいただきました、ありがとうござました。そして、大石さん、アンジェラ、おめでとうございます!」

彼女がステージから去っていく途中には、すでに人だかりができていた。無理もない。あの歌声に、全員とはいかなくても魅了されないはずがない。
うまいというよりも、特別すごい。なんなんだあれは。というか誰なんだ。それになぜ、『Every Breath You Take』にしたんだろうか……。そこだけ腑に落ちない。理由も聞いてみたいし、少しでいいからあの歌声を出す彼女がどんな人物なのか、知りたい。そういえば、大石の嫁さんのことを「アンジェラ」と呼び捨てていたな。ということは、あの嫁さんの友だちだろうか。だとしたら、嫁さんに聞けば何者かわかるか?
あれこれと考えながら相変わらず撮影イベント状態の嫁さんを見つつ、ゆっくり嫁さんとの距離を縮めようとしていると、俺の目の前を横切った女が何かを落としていった。

「……舞台?」

拾い上げたそれは、小劇場のフライヤーだった。
都内とはいえあまり派手じゃない場所である無名の劇団の案内だ。

「跡部、舞台に興味あるのかい?」

突然、背中から声がかかって振り返ると、大石が笑っていた。
そうか……こいつは新郎だから写真じゃ嫁さんのほどの人気はないんだな。おおかた、二次会会場を歩きまわって挨拶でもしていたんだろう。

「いや、落し物だ」
「そうか……跡部が興味あるなら紹介しようと思ったよ」
「え?」
「さっき歌ってた人、アンジェラの友だちで女優さんなんだ。そのチラシの劇団の」
「なに?」
「あれ、やっぱり興味あるのかい?」

無邪気な大石が嬉しそうに笑う。
フライヤーはこざっぱりした活字と劇団のロゴだけだったから全くわからなかったが……。女優だと……? あの歌声で? もったいなさすぎるだろ。

「おーい佐久間さん! 紹介したい人がいるんだけど!」

まだなにも言っていないのに、大石がステージ付近に向かって手をあげた。気づいた彼女は、周りに軽く頭を下げながらこちらに向かってきた。

「佐久間さん、彼、俺の友だちなんだけど、舞台に興味ありそうなんだ」
「え、本当ですか!」
「……ああ、まあ」

微塵もそんなことは言っていないが、まあいい。興味がないと言えば嘘になる。観劇は嫌いじゃない。

「わたし、佐久間伊織といいます」
「俺は……」
「ごめんふたりとも。あっちに呼ばれているから、また。あとはふたりで! 佐久間さん、しっかり捕まえなよ。こいつ、客にしたらいいことあるよきっと」
「大石、余計なことを……」

人を紹介したわりに放置プレイとは大石らしいが、まあ、それでもいい。あの素晴らしい歌声の主と知り合えるのは光栄なことだ。

「あの、その劇団で俳優やってるんです、わたし」
「なるほど……失礼ですが、歌は?」
「歌ってますよ! これ、ミュージカルなんです」

なるほど、どおりで……。一気に合点がいった。

「素晴らしかった。いつもミュージカルを?」
「そうです、基本的には歌って踊ってっていう舞台です」
「それなら舞台、ぜひ見に行かせていただきたい」
「え」
「2枚、買わせて欲しい」

俺は1万円を財布から取り出した。
千夏とふたりで行こう。千夏と俺は感性が似ている。あいつもきっと感動するに違いない。彼女の歌声を聞いて、どんな顔をするか楽しみだ。

「うわあ、ありがとうございます! あんまり安くなくて、すみません。あの、チケットは当日、お名前を言ってもらえれば入れるようにしておきますので」
「ありがとう、じゃあそれで」
「お釣り……あ、ちょうどありました! 良かったあ」

戻ってきた2千円を見て、初めて値段に気づく。
チケット4千円……まあ小劇団にしては、高いほうか? しかしあの歌声が聴けるなら、どうということはない。ここで話し込んで長居する必要もないが……気になっていたことだけは、聞いておくか。

「ところで、さっき歌ってたEvery Breath You Take……」
「はい、『見つめていたい』って曲ですよね」
「ああ、そうか、邦題はそうかもしれない。なぜあの曲を?」
「なぜって……ラブソングだからです! 結婚式にぴったり!」
「え」
「え?」
「それは……勘違いだ」
「は? でも……歌詞は、ずっと見てるからって……」
「そう。あれはストーカーの歌だ」
「……え」





「だってテンポもBPM120のミドルテンポだし、徐々にピッチずらしていくし、それって気持ちを盛り上げてるってことじゃないのかなあ?」
「ストーカーなら、もちろん気持ちが盛り上がるんじゃねえか?」
「ぞわわ」
「ついでにいうと、離婚直前に妻に書いた曲だと聞いている」
「うわー。わたし、最悪だ……ははっ」そう言いつつも、ケタケタと彼女は笑った。「アンジェラどうしてなにも言わなかったんだろう」
「面白がったんじゃねえのか?」
「ひっどい」
「まあ、曲がヒットした当時は向こうのティーンも勘違いして歌っていたらしいしな」
「無理ないと思うなあ。日本はもっと知らない人、多いと思うし。今日だって誰もツッコんできてないし」
「常識かと思っていた」
「え、感じ悪い」

俺が年下と知った瞬間に軽い口ぶりになった佐久間伊織とは、歌詞解説をしているうちに、すっかり意気投合していた。お互い酒がすすみ、かれこれ30分以上話している。
これまで有名なミュージシャン、デザイナー、小説家、いろんな才能ある人物と話してきたが、いつも俺は時間を忘れて夢中で話す。
企業の社長も面白いが、財では量れない「創造」の技術に長けている人間は俺が敬意を示す人種のひとつだ。彼らは感情の内側から湧き起こる想像で創っていると思われがちだが、実は違う。すべては論理的に創っている。あるアーティストは音楽は数学と言い、ある小説家はすべてロジカルで考えいてるから説明できると言い切る。
ごくまれに、そのロジカルをまったく無視しつつも、常に高みにいる人間が現れる。それを「天才」と言う……が、佐久間伊織も例に漏れず論理的な人間だった。彼女は舞台ではオリジナルの歌を披露しているらしい。

「あの」
「ん?」
「さっきからずーっとスマホ鳴ってるような気がするんですけど」
「なに?」

まさかこの騒がしい会場のなかで、このバイブ音が聞こえていたんだろうか。
見ると、やけにニヤニヤとしている。女だとわかっている笑い方だ。

「わたし、耳はいいんで」
「なるほど……ちょっと失礼」

スマホを見ると、ふてくされたようなスタンプと着信が1件入っていた。
あとで事情を話さないと、今日はさすがに許してもらえそうにないな。千夏なら話せばわかってくれる。俺がそういう人物との出会いを大切にすることは、百も承知なはずだ。

「佐久間伊織」
「え、フルネーム?」
「悪いがそろそろ帰る」
「うん、そうでしょうね」

ニヤつきやがって……。

「じゃあ、舞台を楽しみにしてる。本当にいい声だった。今度うちでなにかある時は呼びたい」
「うちでなにかってー……?」
「ああ、まあ……時々いろいろあるんでな」
「あ、あの、それより!」
「ん?」
「わたしまだ、あなたの名前、聞いてない」
「……そうだったか?」

胸ポケットから名刺を取り出して手渡すと、佐久間伊織の動きが止まった。

「……どうした?」
「跡部?」

そこそこめずらしい名前じゃあるが、跡部財閥の息子だと、こんなに早く気づくやつはあまり見ない。
それともなにか、違うところに引っかかっているのか?

「跡部景吾……って、跡部財閥の息子だよね」
「物知りなんだな」

冗談めいてそう言うと、佐久間伊織は突然、席を立った。
ポシェットから財布を取り出し、俺から受け取った1万円をテーブルにそっと置いている。

「なにしてる?」
「舞台、来てくれなくて結構です」
「は?」
「名刺もお返しします。今日のことも忘れて」
「ちょ……」

背中を向けて、佐久間伊織が去っていく。呆然としている間に、すでに会場から出て行っていた。
俺はテーブルに置かれた名刺と1万円を手に、彼女の後を追った。

「ちょっと待て!」

声をかけても一切振り返らない。俺は彼女の元まで駆け寄った。

「おい佐久間伊織!」
「なにすんの!」

肩を掴んで振り向かせると、大声で叫ばれて、さすがの俺も動揺を隠せない。

「俺がなにをした……」

そう言うと、佐久間伊織はじりじりとした時間を一瞬でぶち壊すひとことを発した。

「わたしの父親を殺したの」





to be continued...

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