恍惚の人




蝉が鳴いとる。
ミンミンミンミン、なかなかにうるさい。少し汗ばんどる自分にも気づいた。
あかん、伊織に嫌われてまう。せやけど伊織の膝枕、気持ちええからこのままでおりたい。
ああ、それにしてもよう寝た。伊織、おはようのチュウしてくれへんかなあ。たぶん、伊織からはしてくれんよな。ほな俺からしたらええか……ん、ん、んーって、ちょお待て……これ、うちのクッションやん。

「……なんでやねんっ」

体を起こして、ひとりごちた。カーテンの隙間から、ゆらゆらと太陽の光が差しこんだ。時計は、午前11時。あかん、もう昼やん……どんだけ寝てんねん。寝過ぎや。
寝ぼけた頭っちゅうのは恐ろしい。
頭を預けとるのが伊織の膝やと思っとったし、伊織の唇にキスしとるつもりやった。いやいや、膝枕やのに急に唇があるわけないやろっ。マジックでいきなり首を腰まで落とすヤツやないねんから。そこに違和感もなくキスしはじめるとか、どうかしとる。
ひとしきり部屋をぐるっと見渡して、伊織は帰ったんやな、と理解する。頭の下にクッション入れて、タオルケットまでかけてくれて、めっちゃ、きゅん、や。
目の前のテーブルも、綺麗に片づけられとった。キッチンの水切りに食器もある。そんなことまでしてくれたんや。はあ、毎秒ごとに惚れ直すわ。
さらに、テーブルの上のメモ用紙を見つけた。



お誕生日のお祝い、本当にありがとうございました。
いままででいちばん、最高の誕生日になりました。

侑士先輩……大好きです。

伊織



ノックアウト……ああああああああ、かわいい、かわいい、かわいいっ。
いつもは気だるい朝やのにっ。朝からギンギンになるほどかわいいっ。いや、朝やからギンギンなんやけど……いやもう昼や。そんなことはどうでもええ、トイレ行こ。
メモ用紙を取って、じーっと眺めながら用を足した。
『侑士先輩……大好きです』って。『侑士先輩……大好きです』って! 俺の佐久間さんが! あいや、伊織が。ああああああああもう、夢やなかったんや。夢やなかった……! 俺はサツキとメイか。せやけど嬉しすぎるやろ。
それやのに、あんなかわいい彼女を夜中にひとりで帰してもうた。起こしてって言うたのに……なんで起こしてくれんかったんやあ? せやけどそういう伊織も好き。かわいい。優しさやんなあ?
さて……と、手を洗って思う。どないしようか。もう、めっちゃ会いたい。
深夜に帰らせたことも心配やし、親御さんになんて説明したんやろう。めっちゃ怒られとったら、かわいそうや。
したことないけど……伊織に電話、かけてみよかなあ? せやけど、まだ寝とるかもしれん。あれから帰って風呂に入って髪乾かして寝たやろし、親御さんに怒られとったらそれにも時間かかって、寝たの遅いかもしれんし。それやのに電話して起こしたら、かわいそうやんな……ああ、どないしよ。せやけど、もう、めちゃくちゃ会いたい。
いやいやそんなん、会いに行ったらええねん。だって俺、彼氏なんやし? それに、今日はまだ伊織の誕生日や。俺、彼氏なんやから、独り占めしてもええんちゃう? どうやろ? いきなりそういうの、引かれるやろか?
せやけど『大好きです』って書いてくれとるし、あんなにたっぷりキスしたで、気持ちは一緒やよな? 伊織……。
いつのまにか歯をみがきはじめとった。どうせいまから外に出たら汗をかくんやけど、念入りにシャワーも浴びた。清潔感のある白シャツに、チャコールグレーのスラックスでシンプルかつキレイめの服を着る。髪型もしっかりセットして、ひさびさにメガネをかけた。昔は丸メガネやったけど、ここぞとばかりに黒縁メガネの知的系に徹した。
なんせ、伊織の自宅に行くんや。親御さんに会ったら、ちゃんと挨拶せなあかんしな。





ふふっ、ふふふっ、と、誰かが笑っていた。
妙な声だった。嬉しそうな、ちょっと変態めの、女性の声。その感触が肌に落ちてきて、耳の奥にまで届いたとき、ガバッと体を起こして、「誰!? いま笑ってたの! 誰!?」と、叫びながら一気に目を覚ました。ああ、なんだ、と思う。笑っていたのはわたしだ。
たまに、こういう起きかたをすることがある。自分の笑い声に目が覚めてしまうのだ。千夏の家に泊まったときにもやったこともあって、となりですでに起きていた千夏がドン引きしていたことは、記憶に新しい。
12時になろうとしていた。
いやいや、寝すぎでしょ。帰宅して寝たの、2時過ぎくらいだった気がする。10時間って。
これだけ寝ぼすけじゃ、侑士先輩に嫌われちゃう。さっきの起きかただって、もしも見られることがあったら、絶対に引かれる。なんて、自然と考えている自分に、はっとした。

――お前は俺の……俺だけの伊織や。そう思って、ええやろ?

だっは! 思いだすだけで死ねるっ。
そうなんだ。わたし、侑士先輩の、彼女。昨日、いっぱいキスしちゃった。
顔が熱い。寝る前、何度も唇に人差し指で触れて、ベッドのなかで寝返りを打ちまくっていつのまにか寝ちゃったけど……はああああああ、侑士先輩とキスした! 死ねた! 昨日わたしは一度、死んでた絶対!
そしてまた、はっとした。もしかしたら先輩から連絡が入っているかもしれないと思ったのだ。枕の横に置いていたスマホを手にとって、すぐに起動……が、そこにはなんの通知もない。

「侑士先輩、まだ寝てるのかな」

中学生日記のようにつぶやいてしまう。もう高校生なのに。いますぐにでも、侑士先輩の声が聴きたい……とか思うわたしって、図々しい?

――お誕生日、おめでとう伊織。

わはあ……思いだすだけでニヤニヤする顔を両手で覆っても、全然、おさまりそうにない。
そうだよ、ちょっと忘れかけてたけど、今日、誕生日だった。そしたら、そしたらだよ? わたし、侑士先輩の彼女なんだし、少し、わがまま言っても許してくれるかな? 「今日も先輩と一緒にいたいです」とか言ってみちゃう?
思いきって電話をしてみようかと、逡巡する。
もしもまだ、先輩が寝ていたら起こしてしまうことになる。「なんやねん……」とか面倒くさそうに電話に出られたら、違う意味できっと死ぬ。兄も弟もいとこの竜也も、休みの日って平気で昼まで寝てる。人のこと言えないけど、男子ってすごく寝るイメージ。侑士先輩だってそうだよね、たぶん。
液晶に表示された『忍足先輩』の文字と番号を見ながら、うんうんと唸った。唸りながら、『忍足先輩』を編集して『侑士先輩』に変えてみる。
や、ちょ……彼女面すごいー! いいんだよね? だって彼女だもんね? ああ、誰に聞いてるのかわからんないけど、「いいんだよう!」って返事が戻ってきてる気がする。重症かもしれない。待って待って、これ、思いきって『侑士』にしちゃう?

――侑士って、言うてや。

や、やだもうー! 超・彼女面ー! でもそしたら呼びやすくなったりしないかな! はああああん、先輩、「侑士」って呼んでって、もう難易度が高すぎだし! 「侑士」なんてなかなか言えないよう、すっごい同等じゃんっ! でも考えてみたら、千夏ってあっさり「景吾」呼びになってたな。よく平気で呼べるよ。千夏の偉そうなとこってそういう利点があるんだわ、きっと。
ジタバタしながら、ベッドから降りたときだった。スマホを机の上に置く直前、液晶に『侑士先輩』と出てきて、跳ねあがるほど驚いた。彼氏さまからの着信だ!

「も、もしもし!」
「おお、はや……」

やったあとで思う。やってしまった……ああ、恥ずかしい! たぶん、1コールあったかないくらいだ。ものすごく待ってたみたいじゃん! いや待ってたけどさ!
こういうのって、恋愛ハウツー本的にはNG行為だよね。電話かかってきてもすぐ出るなって、なんか書いてた気がする。

「伊織?」 
「はい、伊織です!」

でも出ちゃったもんはしょうがないので、素直に、元気よく返事をした。
ずっと不思議だったんだけど、恋愛ハウツー本って、なんでわざわざ「そんな好きじゃないですよ」アピールするように勧めてくるんだろう。
こんなに好きなのに、そんなことできないよ。いまだって、声がすごい高くなっちゃってるし。

「せやんな、伊織に電話したんやから、当然やった。起きとった?」
「あ、お、起きてました! あ、おはようございます、侑士先輩」
「ああ、それならよかったわ。おはよう。いうて、もう昼やけど」
「あはは。ですよね」

侑士先輩の電話越しの声……すっごいたまんない。耳もとでささやかれてるみたい。

「俺ら電話するん、はじめてやな?」
「そ、そうですね」
「ん……ああ、まいったわあ」
「へ?」
「伊織、電話で聴く声も、めっちゃかわいいな?」

はい、死んだ。ほら、もう何回でも死んじゃう。甘い、甘い、甘いよ!
こんな電話がかかってくる可能性があるのに、わざとスルーなんてできるわけがない! 恋愛ハウツー本なんてクソ食らえだ! あっ、ちょっとお下品だった……落ち着こう。
決心とは裏腹に、体は勝手にベッドに突っ伏していた。だってもうジタバタして頭がおかしくなりそう。
あああんもう侑士先輩ずるい! いますぐ会いたい! 先輩の声も最高に素敵です!

「そうですか? あの、先輩の声もすごく……」
「ん?」
「すごく、素敵です。ドキドキ、します」

ひゃああ、言っちゃった! 言っちゃったよ! 好き、好き、好き、大好き、侑士先輩。

「そ、そうか? なんや、照れくさいなあ」
「わたしも、ちょっと、照れちゃいます……」
「くくっ。さよか。いやな、電話、もうちょい早うにしたかったんやけど、起こしてしまうかもしれんやん? それはちょっとかわいそうやし。せやけど昨日、起こしてっていうたのに、伊織、ひとりで帰ったやろ?」
「それは、わたしも、先輩を起こすの、気の毒で……でも、大丈夫でしたよ?」
「そら大丈夫やったかもしれんけど、心配やったで。親御さんに怒られへんかった?」

ん……? となった。
生活指導妖怪が、また出てきたからだ。とりあえず、いまのところはごまかしておこう。

「それは適当に、うまいいいわけをしたので、全然、大丈夫でした!」
「さよか……ん、なら、よかった」

ホッとした。生活指導妖怪、今日はすぐに引っこんでくれたみたいだ。
でも侑士先輩と付き合うってことは、なんやかんや夜遅くなったときは、いつもこの質問をされちゃうんだろうなと、察しがついた。ということで、いつまで騙しとおせるだろうかと、そっちが心配になってくる。不良家庭だとバレたとして、そしたら侑士先輩が夜の外出をうるさく言いだす可能性は高い……。

「あのさ、いま、家やんな?」
「はい、家です」
「うんうん。ほんで、家には誰かおるん? ご両親とか」
「え……はい。います。両親と、兄と、弟と」この質問に、なんの意味があるのかわからず、首をかしげてしまう。
「おお、伊織は男兄弟なんやね。ほな、女の子は伊織だけ?」
「そうですね」母を女の子というのは、違うだろうし。
「ああ、そら余計に心配かけるな」
「へ?」
「あんな、いま伊織の家の近くにおるんやんか。俺、昨日のこと説明がてら、挨拶もしといたほうがええかなとか、思ってんねんけど」
「え、は……あい、挨拶?」
「ん、やって俺、伊織の彼氏やから」

だああああああ! 生活指導妖怪、全然、引っこんでくれてない!
挨拶!? 挨拶ってなあに!? 冗談じゃない! うちの家族に彼氏ができたなんてバレたら、どんだけいじられるか! 母親なんか1日中ニヤニヤして根掘り葉掘り聞いてくるに決まってる! 無理! 無理無理無理!
先輩、あんなふうに見えて超真面目なのひょっとして!? うちの家庭で、その必要はありません!

「侑士先輩あのっ! それは、大丈夫です!」
「え、なんで?」
「その、説明とか、挨拶とか、ちょっと、あの、まだ、なんていうか、早いっていうか!」
「早いって……せやけど俺、伊織の彼氏やし。お付き合いさせてもらいますって、ちゃんと家族の人にも言うといたほうが、今後も安心やろ? 伊織の家族に俺が彼氏やって認識しとってほしいし、どうせそのうちお会いすることんなるし、なにより伊織はもう家族のもんだけやなくて、俺のもんでもあるから、そういうこともやんわり伝えることが」
「ちょ、侑士先輩、ちょっと、待ってください!」

なにを言ってんのさっきから!? と言うのは、なんとか堪えた。言ってることが急すぎる、というか最後らへん、なんだか怖い。ああ、混乱してきた。どういうつもりなんだろう。ていうか、高校生の彼氏が交際初日から挨拶なんて、聞いたことないっ! ていうか高校生じゃなくても聞いたことないっ! それってうちが不良家族だから? あれ? 千夏と跡部先輩ってどうしてるんだろう。
それ、今度、聞いておかなきゃ。わたしが異常なのかもしれないし!

「え、なに?」
「その……今日はあの、誕生日なので!」
「ん、せやな。おめでとう」
「あ、ありがとうございます。いやそうじゃなくてですね」
「うん、なに?」
「その……できれば、侑士先輩とふたりきりの時間を、たくさん過ごしたいので、今日はあの、誰にも邪魔されたくないです!」

試行錯誤の結果だった。人間、必死になると、とても言えないと思っていたような言葉がすらすらと出てくるものなのかもしれない。
先輩が誠実なのはよくわかった。そういう侑士先輩も大好きだけど……だ、だけどちょっとまだ、親に紹介するなんて、心の準備ができていない。

「伊織……」
「だ、ダメですか?」
「いや……俺も、ホンマは伊織にめっちゃ会いたかったんや。いてもたってもおれへんかった。お前に会いたかったで、せやから、家の前まで来てもうたんよ」

混乱していたものの、心臓が、またビリビリとしはじめた。めっちゃ、会いたかったなんて。
息ができないほど、ドッキュンドッキュンして苦しくなる。でも、それが心地いい。
ああ……なんで人って恋すると、こんな気持ちになるの? 気持ちになるっていうか……思うことも感じることも、自分と思いたくないくらい気持ち悪くなるのはなんで?
侑士先輩……わたしも死ぬほど先輩の声が聴きたかったです。それに、すごく会いたいです。
ほら、自分は気持ち悪いけど心地いい。なにこれ?

「やで、ついでに家族の人にも挨拶……」

だあああ! だから! それはいいって言ってるでしょうが!

「いやあの、侑士先輩、あの、近くに公園ありますよね?」
「ん? ああ、うん。ある」
「すみません、暑いなか申し訳ないんですけど、そこで少し、待っててもらえませんか? 家族は全員、ちょっとバタバタしてるので、ちゃんと予定とか組んでもらったほうが、いいかなーなんて」
「ん、そうか。言われてみればそうやな? せやけど1分くらいでおわ」
「あの! そこで待っててもらえれば、すぐに準備して行きますから!」
「んん……さよか? ほな今日は、それでもええか。なあ、伊織」
「は、はい?」
「はよ会いたい。せやから、準備、適当でええから、はよ、俺に伊織に会わせたって?」
「そ……」なんちゅう、殺し文句を、この人は。
「堪忍。ホンマやったら、伊織の傍で待ちたいくらいやねん。やで、挨拶……」

って、納得したんじゃなかったのか! どんだけ食い下がるんだ! ああ、そうだった、なんか、侑士先輩って妙なとこでしつこいっていうか、昨日もそんなことがあった。
それにしても粘りづよい。挨拶って普通、嫌がらないかなあ? なんでそんなに挨拶したいんだろ。うちのお兄ちゃんとか、彼女の家に行くのもちょっと気まずいとか言っているのに。もう、先輩ってホント変人……とにかく、今日の今日は無理だ!

「す、すぐに行くので、待っててください! 準備できたら、電話します! ですから挨拶は、また今度ということで……」
「そっかあ。ん、ほなら、待ってる。好きやで、伊織」
「わ、わたしも、好きです……侑士先輩」

着替える前におかしな汗をかきまくりながら、支度をはじめた。
寝起きだというのに、一気に疲れた。





伊織専用着信音が流れたのは、10分後くらいのことやった。
伊織は音楽がめっちゃ好きや。千夏ちゃんから情報提供があった翌日に、「どんな曲が好きなん?」って伊織に聞いたことがある。あのときの伊織、めっちゃ照れくさそうに答えてくれた。いま思えば、あのときうつむいとったのも、俺のことが好きやったからなんやな?

――えっと……忍足先輩、知ってるかわからないんですけど。
――うんうん、ええよ。教えて?
――いつの時代も好きな曲があって……あ、ちょっと、流してみますね!
――へえ、なんや、優しい感じの曲やね。
――そうなんです、なんか、幸せな気分になっちゃうんです。
――なんて曲?
――あ、これです。

見せてくれた伊織のスマホの液晶には、『Feel Like Makin’ Love』と、表示されとった。
この瞬間、伊織への恋心が一気に興奮に変わったんや、俺は。
直訳するとえらいことになんでおい。意味わかっとんのか? と思ったんやけど、言わんでおいた。めっちゃ興奮するから。あのあと伊織、声にだして「この、『Feel Like Makin’ Love』ってやつです」って言うてくれたで、あれ録音しときたかったくらいや。
ちゅうことで、『Feel Like Makin’ Love』を即ダウンロードして(いろんな人がカバーしとったけど、全部ダウンロードしたった。『Feel Like Makin’ Love』プレイリストつくったくらいや)。そのころから伊織専用着信音に設定しといた。
その音を、いま、はじめて聴いた。はあ、めっちゃ幸せ。

「もしもし?」
「侑士先輩、お待たせしました」

親御さんに挨拶しようと思っとったのに、伊織がなんか嫌そうやで、遠慮した。しかも、「ふたりきりの時間を誰にも邪魔されたくない」とか言うん。もう、ずるい。伊織、かわいすぎや。
せやけど早いとこ親御さんに挨拶はしとかな。あんなにかわいい伊織やで、きっと箱入りや。せやのに、テニス部に入ったら夜中の外出もするようになって、めっちゃ心配してはるやろう。
俺がちゃんと守ります、って言うとかな。お嬢さんください、も、言うとこ。ああ、さすがにちょっと早いか? んーまあ、でもいずれ言うしなあ? 早いか遅いかの違いなら早いとこ言うとかなあかん。
こんなん思ったこともないで、彼女の家族に挨拶なんて生まれてはじめてやけど、伊織の家族認定の男になったらもう、めっちゃ深い付き合いって感じやし、もう婚約者みたいなもんやん。はああ、たまらん。

「いまから出ますので」
「ん、わかった」
「あの、公園のブラ……」

目の前にあった扉がようやく開かれた。ノースリーブの白いプリントシャツにデニムパンツ姿の伊織が目を見開いて俺を見あげたまま、固まっとる。
伊織、今日もめっちゃかわいい。

「せ……せんっ! ひゃあ!」
「伊織、会いたかったで」

腕を引き寄せて、思いきり抱きしめた。伊織の背中で扉が閉まる。
小さい体が俺の胸におさまって、めっちゃええ香りがただよってきた。

「ちょ、ちょ先輩っ……ず、ずっとここで待ってたんですかっ?」
「ん」

電話のあと、すぐにでも会いたかって、結局、家の前でずっと待っとった。伊織の家の玄関前は広いし緑に囲まれてあって外からもあんまり見えへんようになっとるで、ご近所さんから怪しい目で見られることもないうえに、日陰で過ごしやすかった。

「だ、誰か出てきたら、どうするつもりだったんですかっ」
「せやから、ご挨拶するって言うたやん」
「ご挨拶って……」
「はよ伊織に会いたかったんやもん。ああ、かわいい。好きや伊織……離したない」
「そ……それは、嬉しいです、けど」

伊織の手が、ゆっくり背中に回ってきた。それだけでめっちゃ気分があがる。
見つめると、真っ赤になって。かわいいかわいい、俺の伊織。微笑んだら、困惑しとった伊織の顔が、ようやく笑顔になった。

「もう、侑士先輩、強引ですね」
「ん、堪忍。チュウしてええ?」
「はい、ぜひ」

今度は優しく、伊織を抱きしめながら、キスをする。はああ、どないしよ。何度も言うけど、めっちゃええ香り。
たしかめるように、唇を伊織の耳に寄せるようにして、もう一度キス。耳キスに反応した伊織の体が揺れて、それがなんやもう愛しい。ちゅうか、ちょっとエロい。たまらん。

「めっちゃええ匂いやね。香水つけたん?」
「はい、コロンを、少しだけ……」
「へえ。オシャレしてくれたん? 俺とデートやから?」
「は、はい。少しだけ、背伸びしました」

ちょっと上目遣いしたかと思うと、すぐに顔を赤くしてうつむく。
ああもう、なんでこんなに、かわいいん。信じられへん。このままずっとこうして抱き合っときたい。

「伊織、顔あげて? もっかいキスしたい」
「先輩……場所、変えましょ?」
「ん、もっかいキスしたらな?」
「も……ン」

今度は顎くいで、キスをした。
ほんの少しだけ唇にも色がついとる。オシャレしとる……俺のため? くうう、たまらんっ。

「伊織って、ホンマ卑怯……」
「卑怯なのは侑士先輩です……メガネ、どうしたんですか? 久々に見ますね。というか、黒縁はじめて見ました」
「ああ、これ? うん、伊織の親御さんに会うと思ってな。ちょおカッコつけた」
「ふふっ。先輩は、そのままで十分、カッコいいですよ」
「お世辞がうまいなあ?」
「お世辞じゃないですよ?」

ああ、いますぐ伊織と結婚したい。これやからちゃんと親御さんに挨拶したかったいうのに。せやけど今日の感じやと、どうも、家には入れてくれそうにないよな。
食い下がったけど、めっちゃ否定されたし。俺のこと紹介するん、そんなに嫌なんやろか……。ちょっと複雑な気分やったけど、単純なもんで、嬉しいこと言われたら、急なこと言いだした俺があかんかったんやろうと、めっちゃポジティブになった。

「伊織、お昼は?」
「食べてません。侑士先輩は?」

ぎゅうっと抱きしめて、伊織の体をなでまわしながら、聞いた。
伊織がくすぐったそうな顔をしながら答える。かわいい。かわいすぎる。

「俺も食べてない……ほなとりあえず、ランチ行こか」
「はい!」

ちゅうことで、初デート。しかも伊織の誕生日に。誰かの傍におるだけでこんな嬉しい気分、はじめてや。
これが、ホンマもんの恋愛なんやな。忍足侑士17歳、生まれてはじめて恋してます。

「伊織、手つなご?」
「は、はい」緊張しとるんかな。キス、あんなしたのに。「先輩の手、大きいですね」
「そうか? 伊織の手、小さくてかわいい。あと、これ」
「え……」

手首に、プレゼントした腕時計がちゃんとされとった。
服装にもめっちゃ合っとるし、なにより喜んでくれとるのがわかって、嬉しい。

「つけてくれて、嬉しい」
「だ、だってこれ、かわいいですもん。嬉しいのは、わたしのほうです」
「くくっ。って、言うてくれるんが、また嬉しい」
「そ……侑士先輩に嬉しいって言われたら、わたしも嬉しいです」
「ホンマ? 俺、それもまた嬉しい」
「も、キリがないじゃないですかあ」笑顔も、嬉しいねん。
「ないよ。ずっと嬉しい。やろ? な?」

微笑み合ってしっかりと手を握りしめる。最初は硬直しとったけど、リラックスしてきたんか、やわらかい笑顔でぎゅっと握りかえしてきた。
硬直も、いまの笑顔も、もう全部わかる。伊織は、俺のことが好きなんやって。全部、好かれとる証拠やって。な、伊織。





誰が玄関前で待てと言ったあああああああ!? 
と言いたくなったけど、抱きしめられてキスされちゃったら、そんな焦りもぶっ飛んでしまった。侑士先輩、ホントずるい……うっとりしちゃう。しかも黒縁メガネって。超レアだし、イケメンすぎる。
幸いにも、母は韓流ドラマに夢中、父は書斎で読書に夢中、兄はオンラインゲームに夢中、弟はお昼ごはん当番でメニュー考案に夢中だったから、誰かが出てくることは無さそうだったし、弟に「姉ちゃんいらないからね」と言っただけでさくっと外出できたから、少し安心していた、というのもある。
だけど、実家の玄関前であれだけイチャイチャするのは、金輪際やめよう。スリルが過ぎる。
今日は交際1日目。わたしも冷静じゃないし、侑士先輩はどこでもおかまいなしっぽいから、気をつけなきゃいけない。と、反省した。

「なあ。伊織はいつから、俺のこと好きやったん?」
「えっ……」

駅前のカフェへ入って食事が終わったころ、お茶を飲みながらのおしゃべりタイムで、侑士先輩は唐突に聞いてきた。
さっきまで「お寿司で好きなネタは鰤です!」とか謎に得意げに話していたものだから、急な話題転換に戸惑ってしまう。

「あ、堪忍。急に話が変わったやんな?」
「いえいえ、全然、大丈夫です」

そっか。付き合ったことないからわかんないけど、恋人って、もっとロマンチックな話をするものなのかもしれない。
ここはオシャレなカフェなのに、なぜか海鮮丼ランチがあって、お寿司が大好きなわたしとしては非常にときめいてしまい、そこからサゴシキズシの話になって、最終的には好きなネタが鰤とか……超どうでもよかったかも。
すみません、侑士先輩。初デートなんだし、もう少しムードある話をしたほうが、恋愛小説好きの先輩としては、いいに決まってますもんね。

「ん、聞きたかってん。俺は、伊織がマネージャーの面接きて、それくらいから、伊織のこと好きやったんやけど」
「え?」
「ん。あの日さ、ジャクリーヌが倒れて、伊織、俺のこと叱ったやん?」
「あ……す、すみません!」
「いやいや。俺、なんかそれがめっちゃ印象深くてな。あと、はじめてレモンの蜂蜜漬けつくってくれたときも、めっちゃかわいいって思って。嬉しかったし。そんで気づいたら、伊織の夢ばっか見るようになっとった」

それは、侑士先輩が今日、玄関前で待っていたのよりも強い衝撃となってわたしにぶつかってきた。
マネージャーの面接のときから!? レモンの蜂蜜漬け? それってすごく、序盤も序盤じゃん。じゃあ侑士先輩はもう3ヶ月くらい、好きでいてくれたってこと?

「嘘……」

自然と、両手で口もとを押さえていた。まるで町内会のガラポンで1等ハワイ旅行が当たってしまった人のようなリアクションになっていることは、自分でもわかっていたけれど……だって、泣きそうっ。
そんなに早くから、想ってくれてたのに……すごい勘違いして、全然、気づいてもなかった。

「伊織?」
「その……すごく、嬉しいです」

さっきから嬉しいしか言ってないわたしに、侑士先輩がにっこりと微笑む。「かわい」とつぶやいて、頬をするっとなでた。はああああ、もう、侑士先輩ってこういうの、すぐ、さり気なくやる! 気絶する!

「せやからな、伊織は、どうやったんかなあって。ちょお、聞きたいなって」
「はい……」

打ちあけるには、多少の勇気が必要だった。でも嘘はつきたくない。あ、家庭の事情については言わなくていいことを言っていないだけで、決して嘘ではないですよ!? 気持ちに、嘘をつきたくないってことで。

「わたしは中1のときから、ずっと好きでした」
「え?」
「驚かれるかもしれませんが、こうしてお話する前から、わたしずっと、侑士先輩のこと、追いかけていたというか……なんというか」

侑士先輩の目が、大きく見開かれていく。わあ、やっぱり先輩って、鈍感……自分がモテてる自覚、ないのかな。
気持ち悪いとか思わないでくださいね? そんな子、いっぱいいますから。アイドル的存在なんだから、氷帝テニス部は!
なかでも侑士先輩は、個人的な贔屓目を除いたとしても、跡部先輩の次にモテてる、絶対。

「そ……そうやったん? そらえらい、待たせたなあ?」
「いえ、わたしが一方的に、想ってただけですし……」

待たせすぎです! とか、心のなかでボケをかましてみる。もちろん、冗談だ。だって、こんなことになるなんて思ってもなかったですよ。
そもそも、先輩がわたしを知ってくれたことが奇跡だったのに、さらに好きになってくれるなんて、ホントにありえないことだって、いまもちょっと思う。
だけど、いまこうして、侑士先輩とデートしてるのは現実。あれだけ抱きしめあったのも、キスしたのも、「伊織が好きや」って言ってくれたのも……全部、現実! きゃあ!

「それって、なにがきっかけやったん?」
「きっかけ……」
「ん。俺のこと好きんなったん、なんで?」

嬉しそうな顔で、テーブルの上にひじをついて、両手を水平に絡ませ、そこに顎を乗せながら聞いてくる。
な……なんちゅうかわいいポージング。なのにカッコいい。
わざとだろうか。この人はどうやったら女を悩殺できるか、わかっているんじゃないだろうか。

「えと……氷帝に入って、いちばん最初に知ったのが跡部先輩だったんですけど」
「ふんふん」

クラクラしながらも、淡々と語った。まずその顔がド直球で好きです、とは、ちょっと言いにくい……し、侑士先輩がわたしのなかで超イケメンになったのは、好きになったあとだった気もする。いや、もともとイケメンなんだけども、イケメンというだけなら、氷帝にはほかにもたくさんいらっしゃる。

「同級生にいとこがいて、彼が中等部入学当初、跡部先輩の存在感に圧倒されたみたいで、テニス部に入りたいって言いだしたんです」
「ああ、そういうのめっちゃ聞く。入学式んときの生徒会長の派手っぷりに度肝抜かれるんよなあ」
「あはは。はい、本当に、おっしゃるとおりです」

跡部先輩の入学式の挨拶は、本当にすごい。できれば動画を撮って拡散したいくらいなのだけど、それは暗黙のルールとしてやってはいけないことになっている。
跡部先輩ファンクラブが黙っていないのだ。彼女たちはファンクラブ内だけのコンテンツとして楽しみたいらしい。
密かにファンクラブ内でも課金システムになっているんじゃないだろうかと疑っているのだけど……それは、それとして。

「それで、わたしも興味が湧いたので、見学に一緒に行ったんです」

そのとき、知り合ったのが千夏だった。彼女は跡部先輩を見た途端に恋におちていたらしく、その日の見学は三度目だと言っていた。上級生たちの部活動がはじまってから3日しか経っていなかったので、この時点ですでに皆勤賞だったわけだ。さすが千夏である。
一方のわたしはそこで、忍足侑士という人をはじめて知り、目にしたのだ。

「そのときは、なにもわからず見てたんですけど、となりでいとこが、いろいろと説明してくれて」
「ふんふん」
「あのメンバーは、正レギュラーって言って、すごいんだって。200人のなかから選ばれた人たちなんだって、興奮して教えてくれたんです。いとこも、最初は跡部先輩がきっかけだったのに、いつのまにか、侑士先輩の大ファンになってたんですよ」
「へえ? なんや、ちょっと恥ずいなあ」

侑士先輩が嬉しそうに笑う。
いとこの竜也が言ったことは、まったく大げさでも、なんでもなかった。
その日は部内で練習試合をしていたのだけど、ほかの部員とレギュラーメンバーとの違いは素人目から見てもあきらかで、打球や体の動きのスピード感が、月とスッポンだったからだ。
とくに跡部先輩と侑士先輩の対決に、みんなの視線はくぎづけになった。

「侑士先輩、その日は跡部先輩と試合してたんです」
「ふんふん、跡部と」なるほど、下級生集めやろな、それは。と、付け加えた。
「はい。それで、侑士先輩は、跡部先輩に負けちゃって……」
「ま、せやろな。ちゅうか俺、跡部に勝ったことないしな」

なんてことないように、微笑みながらさらっとおっしゃる。
でもその表情は、あの頃と変わっていない。納得しているようで、納得してない顔。涼しげに笑ってみせるけど、胸の奥には、熱い闘志がうずまいてる。なんて、偉そうかな。

「そのとき、たまたま近くで見ることができて。試合終了後、ちょっと聞こえてきたんです」
「ん?」
「侑士先輩の声です」

――ああ、わかっとったけど、やっぱり跡部にはかなわんなあ。

いまみたいに、涼しげに笑っていた。だけどわたしは、違うものを見ていた。どういうわけか、とても切なくなったのだ。胸がしめつけられた。そしておこがましくも、思った……この人を、抱きしめてあげたいって。

「ポーカーフェイスなんだなって思いました。いつもこんなふうに、演じてらっしゃるのかなって」
「演じとる?」
「はい……すみません、生意気なこと言って。なんていうか、侑士先輩、当然だ、みたいな顔してニコッとしてらっしゃったんですけど、でもそれが、わたしには悔し涙を流してるように見えちゃったんです」

ちょっと生意気がすぎるかもしれない。
言いにくいぶん、そっと目を伏せた。だけど、これが侑士先輩に惹かれたきっかけだから……嘘は、つきたくない。

「本当は、すごくすごく悔しくて、いつだって勝つつもりで挑んでるのに、また負けた……悔しい、俺は絶対お前にいつか勝ってみせる……! みたいな。そうやって、本音を語ることを避けてるように見えました。クソッ! って、本当は言いたいんじゃないかなって。いま思えば、侑士先輩って冷静なプレーヤーだと言われているから、そういうイメージを大切にされているんだろうなって、わかった気になってるんですけど」

当時のことを思い出しながら、結局、ずけずけと言ってしまった。
やっぱり失礼だったかな……侑士先輩、黙ったまんまだ。
おそるおそる伏せていた目をあげると、じっとこちらを見つめていた。

「先輩……あの、すみま」
「それで俺のこと、好きになってくれたん?」

謝ろうとしたところで、さえぎって聞いてきた。その瞳が、少しだけ揺れているような気がする。

「はい。先輩の素顔が見たいと思って。その日から……全然、頭から離れなかったんです」

ちょっと恥ずかしい。
好きだったことはさんざん伝えたはずなのに、しつこい告白をしている気分になってきた。
侑士先輩が真剣に聞いてくれてるから、余計に……かもしれない。

「俺……なんでもっと、早うに伊織と知りあえんかったんかなあ」
「え?」
「ありがとう……伊織は最初から、俺のことわかっとったんやな」

テーブルの上にある手がぎゅっと握られて、ドキッとする。侑士先輩は、にっこりと微笑んでいた。

「ホンマは、めっちゃ悔しい」
「侑士先輩……」
「せやけど、絶対にいつか俺が勝ったるわって、思っとる」
「あ……」
「全部、伊織の言うとおりや。さすが、俺の彼女やな」

指先が、自然と絡まっていく。どうしよう、脳が、しびれる。

「なあ、伊織」
「は、はい」
「俺な、いま、はじめて恋しとるんやわ」

手に力がこもった。
甘ったるい時間が、侑士先輩の声でもっと甘くなっていく……ああ、めちゃくちゃ嘘つかれてるけど、それでも嬉しいなあ、やっぱり。

「嘘やなくて、ホンマ」
「え……あはは」

はいはい、と言いたかったけど、厚意が嬉しいので、苦笑いにとどめた。
っていうか、前の彼女のこと忘れてませんし。それまでにも何人か見てきてますし。侑士先輩なんてどっからどう見ても、めっちゃくちゃプレイボーイですし。学校の外でなんか超大人のお姉さんと腕組んで歩いてるのも見たことありますし! あの日わたしがどれだけ家で落ちていたか知らないでしょう!
そういう3年間を、忘れたわけじゃないんだ……! という気持ちを、言えないぶん、すべて苦笑いに入れこんだつもりではある。

「ああ、ちょっと、あしらわんといて。ホンマやから」
「でも侑士先輩、それは」ちょっと……と、言いかけてみる。
「女の人のこと、本気でこんなに好きんなったことなんか、ないねん俺」
「え」
「ホンマやねん。そら、何人か付き合ってきた人もおるよ?」何人どころじゃないだろう、とは、言えない。「伊織が知っとる、前の彼女やってそうやけど。それでも本気で好きやった女なんか、ひとりもおらんかった」

侑士先輩の顔は、超真剣だった。というか……見たことのない、顔だった。
少し、余裕を失くしているような、訴えかける表情。

「自分からこんなに口説いて、口説いて、口説きまくって自分のものにしたいって思ったの、伊織がはじめてなんや」

口説いて、口説いて、口説きまくられた記憶は全然ないのだけど、もしかしてそれは、いまのこと言ってるのかもしれない。胸が、バクバクとうなりだす。

「ホンマ、なんよ。信じてくれる?」
「そ……」

信じたい、けど、にわかには信じがたい。夢、みたいだから。侑士先輩の彼女になれるなんて、思ってもなかったから。
きっと、これはリップサービスだ。だけど……それが嘘でも、すごく嬉しい。それだけ想ってくれているという、愛ある言葉だから。

「めっちゃ好きや、伊織」
「侑士先輩……」
「せやからこの先、ずっと」
「え?」
「ずっと……伊織の男でおらせてな?」

首をかしげながら、覗きこむように、少し不安そうに、告げられる。
ボンッと、顔が腫れているのかと思うほどに熱くなる。ず、ずっと侑士先輩の女でいたいのは、こっちだというか、こっちからお願いしたいことで!

「そんな、こっちのセリフですよ、侑士先輩」
「ホンマ? 伊織もそう思ってくれとる?」
「あ、あたりまえじゃないですか。侑士先輩はずっと、憧れの人で、それに、はじめての彼氏だし……キスだって、わたしは、侑士先輩が、はじめてだったんですよ?」
「せ……せやん、なあ?」

ぱあっと、侑士先輩の顔はあかるくなった。
お互い、すでに片手ではおさまらず、両手をテーブルの上で握りしめあっていた。
ああ、恥ずかしいけど……いま、ここにわたしと侑士先輩しかいない気がしてる。
信じちゃいますよ? ずっとあなたの女でいれるって……ああ、嘘みたいっ。

「将来的にはさ、伊織」
「へ、将来?」
「ん。将来的な話。やって俺ら、離れんやろ?」
「え……そ、それは」
「死ぬまで一緒やん? 死んでも離したないし」

死。
いまこの瞬間に死にそうだ……。はあああ! こんな幸せがあっていいのかなっ!?
信じられないっ! こ、これ、もう、結婚しようってことだよね!? ひゃああああ交際1日目にいきなりプロポーズされるとかああ! 若いって素晴らしい! なにも考えてないから言えるこの言葉!

「せやから、俺、やっぱり今日は親御さんに挨拶しようと思う」
「……は?」

嬉しさで爆発しかけていた心が、ピタッと急に冷静になった。も、もしかして……だから挨拶したがってたのかと、ようやく気づく。
ちょ、ちょっと待って侑士先輩。
変な人だとは思ってたましたけど、こういうのって普通、恋人同士だけでイチャイチャの延長線上に「将来結婚しような」とか言い合う戯れでしょ!?
あの、シャ乱Qの歌にあるやつでしょ!? 「どっちから別れ話するか賭けてた」的な(時代が追いつけない人はググってみてくださいね!)。
あの歌だって、歌のなかでは別れてるしな! い、いやだからって、侑士先輩と別れるとは思ってないですよ!? そういうことじゃなくてですね!

「侑士先輩あの……」
「その呼びかたもさあ、もうはよ、『侑士』だけで呼んでや」
「え」

わざと「だけ」を強調するように言っている。
ゆゆゆゆゆゆ、侑士って呼べって? 呼び捨てにしろって!? だから、まだ交際1日目で、そんな、なんでもかんでも状況は変えられないんですよっ。かん、簡単じゃないんだから! わたしは、千夏とは違うんですっ!

「あー、またそんな顔する……そない嫌なん?」
「だ、だって侑士先輩、わたし、侑士先輩って呼ぶのも、すごい努力してるんですよ? いままでずっと名字で」
「隙あり」

文句を言いだした唇が、先輩の唇にふさがれた。カフェのなかなのに……恥ずかしい! なんて、もういまさらのような気がしてきてもいた。
今日はもう溶けてしまいそうになるほどに、侑士先輩から愛を注がれていたからだ。

「侑士先輩……ここ公衆の場ですよっ」
「堪忍。伊織が好きやで、我慢できんかった」

大好きだけど、こんな彼氏を、簡単に家族に会わせるわけにはいかなくなってくる。
絶対にぶっ飛んだこと言いだすでしょ、この調子だと……もう、からかわれるとか、不良家族ってバレるとか、そういう問題じゃなくなってきた気がする。
だから、ここぞとばかりに、言ってやった。

「うう……も、うちの両親への挨拶は、ナシです!」
「え、なんで!?」
「侑士先輩がもう少し落ち着いてくれないと、無理です!」
「お、落ち着いとるで俺? 今日かて落ち着いた格好やろ? 好印象に努めなって思たんや。せやからほら、黒縁メガネやし」
「そういうところが、落ち着いてないんですっ」
「え、えー? なんで……なんで伊織? 教えて?」

このあと3時間近く、侑士先輩の説得をした。
少し、先が思いやられると感じたのは、ここだけの話にしておいてください……。





fin.

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