波紋疾走オーバードライブ

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お礼小説『ネアポリスな日常-ミスタ編-』をどうぞ〜
※長編二章Z.4-5付近のこぼれ話になります。
(単独でも読めます)

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ネアポリスな日常 ―ミスタ編―

「なあ、男と女だったら、どっちが幸せなんだ?」

 12月23日、午後3時。
 アセンショーネ教会がクリスマス期間だけ開催するバザーは、聖堂手前の小さな待合スペースが会場だ。ラックに積まれた古着を物色していた少年は、ふと思いついたように、奇妙な問いを口にする。

「あッ……何かご用ですか?」

 長机の前で古着を畳んでいた少女は、手を止めて声がした方を見る。客は一人で、臙脂色のニット帽に同色のセーターを着た少年だけだった。彼は五分ほど前にフラリとやってきて、開口一番『ここで作ってるケーキとかクッキーってあるか?』と尋ねてきたのだが、菓子類はちょうど売り切れになったところだった。そう伝えると、彼は『やっぱりな』と肩をすくめ、以降は新古品の食器だの古本だのを、ぶらぶらと眺めているようだった、が。

「えぇと……男と女っておっしゃいました? なんのことです?」
「いやな。世の中にはよ、性別が二つあるだろ? 左と右、黒と白、みたいにさ。で、オレが聞きたいのは、どっちがより幸福かってことなんだ。男と女の」
「? はぁ」
「まあ、比べるもんじゃあないってのはわかってる。だが、例えばこのヴィンテージシャツだって、ボトムに白を合わせるか黒を持ってくるかで、ゼンゼン印象が変わるはずだ。白は目を引くが人を選ぶし、なら黒がいいかっつーと、今度は無難すぎる。じゃあどっちが正解だ? って考えちまわねーか?」
「うぅん……えー、そうです、かね……」

 気のない相槌に臆することなく、少年は「そうなんだよ」とシャツを放るように戻し、少女のいる机に歩いてくる。

「だからな、男と女、人生どっちがラッキーか、気にならねーか?」
「……はぁ。うーん……どうでしょう……」

 バザーとは全く関係なさそうな問い。それに困惑しながらも、売り子の少女は考えるように目を伏せる。

「……男と女……どっちが幸せか、ですか……」
「あ、妙なコト聞きやがるってカオだな。いちおー理由っつーか、背景はあるぜ。……オレよ、明日は2日だから、家に引き篭もるんだよ。これから食料の調達して帰るつもりだ。で、明日の食いもんっていやあ、〈カピトーネ〉だろ?」
「カピトーネ。ウナギですね」
「そう、ウナギ。なぁ、知ってるか? ウナギってのは、大人になってから性別が決まるんだってな。美味いのはメスで、オスよりデカくって身が柔らかいんだとよ」
「ええ。〈カピトーネ〉自体に〈メスの大ウナギ〉という意味があると、イザベラ……ここのシスター長から聞いたことがあります」

 12月24日のナターレ前夜は、心身を清めるため、肉を食べてはいけないとされている。教会暮らしの者は野菜スープとパンくらいだが、一般家庭においては魚がメインの食卓となり、ウナギ料理はその代表格だ。

「で、だ。後から性別が決まるって話が、オレ的に引っかかったんだ。ウナギもヒトもよ、オスメスどっちが幸福だ? ってな」

「え……と、」最初の質問に戻り、少女は答えに窮して少年を見た。彼にふざけている様子は見られない。しかし黒褐色の瞳は問答そのものを楽しむような、人懐っこい気配も漂わせている。

「んん……そう、ですね……人間もウナギも、男性の方が幸せ、なのかな」
「ほお? なんでだ?」

 知識欲、と言うよりは純粋な好奇心でいっぱいの少年は、初めて回答らしき意見を得て、興味深そうに身を乗り出した。少女は僅かにたじろいだが、それでも思いついた事を並べてみる。

「……ほら、ウナギのメスは食べられちゃうでしょう? なら、オスの方が寿命を全うできるかも、ですし。人間だって、男の人の方が仕事の幅があって、選択肢が多いというか……例えば教会だって、神父と修道女では扱いが違いますから……」

 男と女。
 その違いを考える時、彼女が思い出すのは母親のことだ。男性相手に春を売る仕事をしていた母は、けして幸福だったとは言えないだろう。母が男に生まれていたら? という想像は馬鹿げているが、もしそうだったら、実の両親から疎まれ、家と故郷を捨てた挙句命も落とす――なんて悲劇は起こらなかったかもしれないし、それどころか家督を継ぐ長男として、大事にされた可能性だってある。女性に優しいとされるこの国だが、結局は男尊女卑が根強いのだ。

「……あとは、そうですね。女性は仕事だけじゃなく、結婚したり子供を産むことで、人生が大きく変わるというか……でもそれで幸せになれるかもわからない、ですし」
「なるほどな。だが、ウナギがオスになる環境ってのも、厳しいみたいだぜ? 養殖ウナギってのは、狭い水槽の中で窮屈に育つせいか、殆どがオスなんだとよ。一方で天然ウナギは川の上流――つまり綺麗な方にメスが多いそうだ」
「では、下流はオスが多いんですか?」
「そうだ。だからストレス環境に適応しようとした結果、オスになるんじゃねーか、とされてる。人間でも、バリバリ働いてる女にヒゲが生えたりする話、聞いたことないか? あれと同じだな」

 流れるような話しぶりに、少女は「な、なるほど」と頷いた。
 確かに、納得のいく推論ではある。例えば、男女で力の差があるのは、古くは外敵と戦う必要があったからで、今でも大工とか漁師とか――危険を伴う仕事は男性が圧倒的だ。
 ……いやそもそも。選択肢が多いとかそうでないとかは、きっと問題ではないのだろう。

(うん……そうよ、あの人だって、好きでギャングになったわけじゃあない、のに……)

 この教会で密かに会う少年が浮かび、少女はそっと項垂れた。ひょんなことでその者の過去を知ってから、なんだか物思いに耽ってばかりだ。そうしたところで過去は変わらず、ただ受け入れるしかない、というのに。

――男と女。どっちが幸福かなんて、やっぱり測れないのではないか……。

「……じゃあ。あなたは女性になりたいんですか? 女の方が幸せだと?」
「え……オレェ?」

 少年は自分を指差してから上を向いたが、すぐに答えが出たらしく、再度視線を戻す。

「そうだな、オレはダンゼン男で良かったって思うぜ? 女ってのは何かと面倒だろ、だってさ、ケツを上げるパンティとかオッパイを寄せて上げるブラとかよぉ、オレだったらカユくってムレちまって我慢ならねーって思うしさ、」

「はぁ」目の前の呆れ顔には気付かず、彼は興が乗ったのか、身振り手振りを交えて続ける。

「いやいやッ、待て! 一番は"無い"ってのが問題だッ! ほれ、男にしかないモンがあるだろ? アレがねーってのはもう、土台の無い家みてーなもんで、考えただけで不安っつーか、立ってられねえっつーかさ。あ、"立つ"ってのはソッチの意味じゃあなくてだな?」
「…………」
「うーむ……そんでも、そんでもよ……オッパイが付いてんのは正直羨ましい、か……。男ってのは見ての通り"平ら"だろ? 女の特権じゃあねーか? 下を見ればオッパイ、手を伸ばせばオッパイ、ってのはよ?」
「……あの、お買い上げの品ってあります?」

 胸の前でスカスカと手を上下させていた少年は、冷え切った声でハッと我に帰る。

「……オッパイオッパイって……"無い"女もいるんですけど……?」
「――あ」

 ポツリとした一言に視線を向ければ、少女の胸のあたりはささやかな膨らみがあるだけで、けして豊かとは言えない形状だ。認識した途端、空気がズンと重くなり、彼は大慌てで笑顔を作った。

「ッい、いや〜〜! オレはデカけりゃあいいって思わないぜ? ウナギのメスと違うんだからよ。いや、気になってんなら育ててもらう手もあるぜ? 『揉むとデカくなる』って聞いたことあるだろ? だからさ、恋人とかにさ、」
「恋人……それも"無い"ですが?」
「い、いやあ、その〜〜……」

 ゴゴゴ、という擬音がしそうな眼差しに、少年は乾いた笑いを浮かべて後じさった。

(ハハ……大人しそーなオンナ、って思ったが)

 彼女もこの国の女らしく、激しい気性の持ち主なのだろうか? きついビンタでもお見舞いされそうな空気に、彼はぽりぽりと頬を掻く。

「〜〜ま、まあよ。好き勝手言っちまったが、結局のところ、女ってのはけっこう強いよな。男は案外繊細で、いつだって悩んでばっかでよ。……オレも神は信じてるが、信仰心とは別モンだ。なのに教会まで来ちまったのは、いよいよヤバいから、なんだよな……」

 居た堪れず始まった話は、だんだんと暗いトーンになっていた。

「? ……ヤバい、とは?」
「あー。……言いたくねーけどよ、……あんたはさ、その……数字が怖いとか、あるかい?」
「は……数字?」

 また妙な話だと思い、少女は眉をひそめた。

「そう、数字。オレはよ、基本怖いものなんかねーラッキーボーイなんだが。……4だけはダメなんだ。ジンクスっつーか、オレだけの法則っつーかさ。……ピンとこねーだろうが、身の回りに4さえ無ければハッピーに生きられるって確信があんだよ、昔っからな」

「はぁ」少女は曖昧に頷く。
 ……4。それは数を表すだけで、それ以上でもそれ以下でもない記号だ。しかし彼はギュッと身を縮め、吐き出すように続ける。

「なのに、だ。……オレは今月、じ、じゅ、1歳、になっちまったんだ! ヤバすぎだろ、オレ……ッ、グイード・ミスタに、4はあっちゃあならねぇのによッ……!!」
「……えぇと。それ、13は縁起が悪いとか、そんな感じですか?」
「13? あーそりゃ、キリストの磔刑が13日だったとか、最後の晩餐が13人だったとかいうハナシだろ? ちげーよ、そんなフワッとしたこじつけじゃあなく、オレの経験上、オレにとって4が不吉で不幸なんだ! 理屈抜きに!」
「では……ゲン担ぎやおまじないじゃなくて、本当に何か、実害があるんですか?」
「ああッ、そうだ! 実際、今月3日に14になってから、オレは不幸続きだ。競馬は負け続きでナンパはことごとく失敗、今朝なんてトマト缶の切り口で指を切って、ついでに足の小指もぶつけるしよ。もう……最悪なんだ、ありとあらゆる全てが」

 そう言ってガクリと肩を落とす、グイード・ミスタという名の少年。訴えの内容は〈不幸〉とするには些か微妙すぎると感じられたが、彼は本気で怯えているらしく、言い終えた後でブルリと震えている。

「だからさ、オレ……この一年の不幸を限りなくゼロにしたいと思ってよ、このところ開運とか厄除けとかには目がないんだ。この教会にも、だから来たんだがな」
「か、開運、厄除け? うちの教会が、ですか?」
「ああ。行きつけの食堂のオヤジが言ってたんだ、『アセンショーネ教会のワインは幸運を呼ぶ』、『神のブドウだからだ』ってよ。で、ワインは入手困難でも、同じブドウを使ったケーキやクッキーが、ここのバザーで売られてるって聞いてな……」

(あ。それで最初に)

『ここで作ってるケーキとかクッキーってあるか?』――その質問には〈売り切れ〉と答えたが、後に続いた『やっぱりな』とはつまり、売り切れも4のせい、ということか。

「あまりにも不幸続きだとよ、『オレがオレであることがいけねーのか』って思ったりもするんだ。他のヤツにとって4がなんでもないように、オレがオレでなくなれば、4なんか気にせず生きれるのか? ってな」
「……それで"男か女か"って聞いたんですか?」
「まあ……だからって性転換しようなんて思わねーが、どうすれば4から逃れられるか、いつだって考えちまうんだよ、年齢トシは変えらんねーからな。今年を乗り切ったとして、24、34、よ、よんじゅう――なんて、クチに出すのもオゾましい年が、これから待ってんのかと思うとさ、……もうイヤんなってくるだろ?」
「あ、あ〜〜。なるほど……」

 グイード・ミスタの理論だと、「44歳」は最も忌むべき歳だろう。彼がどんな大人になるかはわからないが、その年を迎えたら、核シェルターにでも篭りそうな気がする――

「う、う〜〜ん、あの、じゃあ、」

 悲嘆でいっぱいの彼を見かねて、少女は机の引き出しを覗く。そう、確かそこには――(あ、あった)

「これ。売り物じゃあなくて、わたしが自分で焼いたもの、なんですが」

 他に誰もいないのを確認し、彼女はそっと小さな袋を差し出した。中には大判のクッキーが一枚入っていて、店番中のオヤツにと持ち込んだものだ。余った材料で焼いたからやや不恰好だが、ワインと同じブドウも、ちゃんと入っている。

「良かったらその……差し上げます。開運とか厄除け効果は、わからないですけど」
「マ、マジか……?!」

 信じられない、といった面持ちで受け取ったクッキーを、グイード・ミスタはさっそく取り出している。すぐに食べるのかと思いきや、彼は摘んだそれをじっと見つめ、面白そうに眉を上げた。

「これ、6……いや、7、か。弾丸みてーだな、ピストルの」

「?」少女はミスタの手元を覗き込む。
 丸いクッキーには、円を描くように6粒のレーズンが配置されている。あえて言えば時計かレンコンのようだが、彼には違うようだった。「このクッキーが弾倉で、レーズンが弾丸。見えねーか?」

「う、うーん。弾丸、ですか」
「おうよ、7発だ」
「7……? レーズンは6粒、ですけど」
「ああ。オレの世界に4はねーからな、1、2、3、5と、こう数える」
「な、なるほど……」
「いいぜ、このカタチ。スゲーいい。あんたが持ってきたこれは、神が『諦めんな』って――オレのままでいいって、そういう意味だろ?」

「え? ええ、はい……?」勢いに圧されたように頷くと、少年はすっかり気を取り直したらしかった。その単純さ――いや、いっそ清々しくさえある素直さに、彼女は呆気に取られて瞬いた。

「よし……! オレはこの一年を乗り切るぜ。教会ここで出た数字は4じゃあないからな……」

 そう言うと、ミスタはがぶりとクッキーに齧り付く。ザクザクと香ばしい音と匂いをさせながら、彼はニヤリと笑って「うめーな。こりゃ確かに幸運を運びそうだ」と呟いた。

「……良かったです、お役に立てたようで……」
「ありがとな。……ッと、こんな時間か」

時前には帰らねーと」と背を向けるミスタに、少女はまだ呆然としながらも手を振った。「あの、良いナターレを」

「おうよ! あんたもな」

 食べかけのクッキーを片手に、嬉しそうに振り返るミスタ。そして思いついたように口を開くと、

「諦めなくっていいぜ! オッパイも恋人もな!」

――と、晴れやかな声を響かせる。

 ……アセンショーネ教会、聖堂前。
 クリスマスを控えながらも厳粛なその場には、この日、耳まで赤くして震える少女だけが残された。




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