07 Miles Edgeworth



 10月になって、なまえと決めたルールの一つを実行することになった。10月7日から9日まで、絵瀬まことの裁判で対立することになったからだ。その間は連絡を取らないし接触もしない。
 お互いそ知らぬふりをしながら第三法廷で顔を合わせるのは、妙な心地がした。なまえは牙琉の側に控え、ノートPCを操作していた。検事がぱちんと指を鳴らすタイミングで、なまえがスクリーンに証拠品を映し出す。その阿吽の呼吸ともいえる絶妙なやり取りを見ていると、相棒という言葉がしっくりときた。本当に二人三脚で事件に取り組んでいるのが肌で感じられる。
 日本初の裁判員裁判を終えて、法曹界に激震が走った。成歩堂龍一の名誉も回復し、成歩堂なんでも事務所にも問い合わせの電話がかかってきた。どの声も、弁護士の成歩堂龍一を求めるものだった。そのことを成歩堂に伝えると、「もう一度、司法試験でも受けてみようかな」などと言い出し、王泥喜はひそかに歓喜に打ち震えたのだ。
 裁判が終わってから遺品整理でなまえと顔を合わせるのは、なんともいえない気恥ずかしさがあった。
「……どうも、お久しぶりです」
 この間まで対立していたのだと思うと、玄関を開けてなまえの部屋に入るのも、なんだか悪いことをしているように感じられてどぎまぎする。
「どうしたの。へんにかしこまっちゃって」
 なまえのほうはまったく気にしていない様子で、いつものジャージ姿で「あがって」と王泥喜に入室を促し、お茶を淹れてくれた。
「え、ガリューウエーブ解散するんですか!?」
「まだ内々のことだから内緒にしておいてね。検事が本業に専念したいんだって」
「へえ」
 あの法廷で強いショックを受けていた様子だったが、どうやら心配の必要はないらしい。
「もっと、おデコくんと、熱いギグをやりたいんだってさ!」
 なまえが面白そうに王泥喜を見つめてくる。
「はあ。そうですか」
 好敵手扱いされて嬉しくないわけはないが、やはり検事のこととなるとそっけない返答をしてしまう王泥喜だった。
 最近のなまえはネットオークションにはまっているらしい。あれからトノサマングッズがよく売れているというのだ。遺品の漫画や雑誌を買い取り業者へ配送する手続きをする合間にも、ノートPCにかじりついてオークションのゆくえに興奮している。
「ほら、みて! またMiles Edgeworthさんが落札したよ!」
「マイルズ・エッジワース? 誰ですか、それ?」
「トノサマン愛の強い人、かな。今まで出品したトノサマングッズ、この人が全部買ってくれてるの」
「へえ。その人、金持ちなんだな……」
 趣味のためなら、金に糸目をつけないタイプじゃないだろうか。
「昨夜も激しい入札バトルが繰り広げられてて、かなりの高値になったよ」
「おまけに負けず嫌いですか」
「語尾がたまに独特なんだよね」
「……語尾?」
「だから、てっきり外国人かと思って、『日本語、お上手ですね』って書いたら、『私は日本人だ』って返ってきて……気まずかったな」
「なんの話ですか?」
 なまえに促されてノートPCを覗きこめば、そのMiles Edgeworthとかいうハンドルネームの男となまえが、取引画面でメッセージのやり取りをしているのが見えた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」
 画面を上へスクロールさせながらチャットログを素早くチェックする間にも、王泥喜の頭の中は真っ白になっていく。
「なんでこんな個人的なメッセージのやり取りまでしてるんですか!?」
「なんとなく、流れで?」
「はあ!?」
 思いっきり呆れた声を出してしまった。
「いや、ありえないだろ、こんなの」
 メッセージのやり取りを一字一句細かく読み込みながらも、ふつふつと腹の底から怒りがわいてくるのを感じる。
『保存状態が大変素晴らしいです。他にもトノサマンのグッズをお持ちでしょうか』
『遺品整理中ですので、他にも出てくるかもしれません』
『遺品整理のためだったのですか』
『はい。故人が大切にしていたものですので、処分するのは忍びなくて。大事にしてくださる方に引き取っていただきたいのです』
『素晴らしい考えだと思います。あなたのおかげで天国の故人も浮かばれるでしょう。私もこうして、希少価値の高いトノサマングッズを手に入れることができ――』
 などといった、男の感謝の言葉が綴られている文面が続く。ここまではまあ、まだいい。取引中に偶然発生した話題としてギリギリ許容範囲といえる。問題はそこからだ。
『毎回落札してくださるのは嬉しいのですけれど、すでにお持ちの商品などはないのですか? 遺品整理という事をご存じの上で、すでにお持ちのものまで無理に購入していただいていたらと思うと、なんだか申し訳なくて……』
『お気遣いいただき、感謝する。だが心配には及ばない。今手元にあるものは保存用として、あなたから届くものは鑑賞用として、末永く大切にしたいと考えている』
『本当にトノサマン愛の強い方なのですね!』 
(「感謝する」ってなんだよ。なんでいきなり砕けた口調になるんだよ!)
 しかもなまえの返信でこの男に妙な火がついたのか、自分は初期の頃から毎週欠かさずトノサマンを観ているだの、愛蔵版の初回限定DVDの特典映像が素晴らしいだの、堰を切ったような長文をなまえに送りつけ始めた。
(この男、天然なのか?)
 なまえも特典映像を観たことがあるだの言って、なんだかんだと楽しそうなノリで律儀に返信して盛り上がっているのだ。
 だめだ。今すぐやり取りを止めさせないと。そのうち「今度会いませんか」などと男のほうから言い出しかねない 
「貸してください! オレが返事を書きます」
(絶対に、縁なんか繋げさせるものか!)
 こんなことに嫉妬したせいで、なまえを誰にも渡したくないという、腹の内にある黒い感情をはっきりと自覚してしまった。
(なんでオレの知らない話題で、よく知らない男と盛り上がってるんだよ。冗談じゃねえよ。オレにだってメールの返信遅いときあるくせに)
 だめだ。胸がむかむかする。
「ねえ、Edgeworthさんて、どんな人だと思う? シグナルザムライのキーホルダーも三色全部落札してたし、うちらより上の世代の人かなって思うんだけど」
「もういいじゃないですか。どうせロマンス詐欺とかそういう類のことをやってる、ろくでもないクソ野郎ですよ!」
「そんなふうに見えないけどなあ。文面から誠実そうな人柄がうかがえるし……私はいい人だと思うなあ」
「この話題はいつまで続くんですか?」
「王泥喜くん……怒ってる?」
「べつに、怒ってませんけど」
「ほんとに?」
「ただ、呆れただけです。あなたのネットリテラシーの低さに」
「ネットリテラシーって」
「お姉さんは常識を知らなさすぎるんですよ」
 王泥喜はイライラしながらMiles Edgeworthとやらに返事を書いた。
『あの、大変申し上げにくいのですが……彼氏がこのメッセージ欄を見て怒ってしまいまして。私としてはこのへんでやり取りを切り上げさせていただいて、通常のお取引に戻らせていただきたいのですが』
 精一杯の嫌味をこめて返信してやった。
「送信、っと」
「あ。なに勝手にへんなこと書いて送ってるの! 彼氏って何?! 怒ってるのは王泥喜くんだよね!?」
「あんたを狙ってたんなら、彼氏の話題を出せば相手だって引き下がるだろ?」
「狙ってた、って……この人が狙ってたのはトノサマングッズのほうでしょ?」
 にぶいなまえにイライラする。
「やっぱり、女ってわかる表示名じゃだめだな。もっと性別がわからない名前に変更してください」
「そこまで、する?」
「一目で女だってわかるようなニックネームにするから、こういうことになるんです。サクラじゃない女とメールで話せるだけで嬉しいって男だっているだろうし」
 なまえは男にとっての女の価値を知らなさすぎる。
「さあ、早く変えてください!」
 夜になってエッジワースのほうから返信があった。
『長々と申し訳なかった』といった謝罪の言葉が簡潔に綴られていた。
 王泥喜はその返信を見届けてから、ようやく安心して帰宅できたのである。

 次の日の定時後、絵瀬まことから返却された分のトノサマンのビデオを事務所のデッキで再生した。そんな王泥喜を見て、成歩堂が面白がっている。
「……へえ、王泥喜くん、トノサマン観るんだ。急にどうしたの?」
「まあ。たまにはこういうのも観てみようかと思いまして」
「どういう風の吹き回しかな。ま、どうでもいいけど。ぼくもそろそろ全部観終わるし、借りたきゃ好きに観てもいいよ」
 まだ全部は観ていなかったらしい。
「真宵さんにレポートは書いたんですか?」
「大まかにはね……そのレポートもそろそろ終わりかな」
 例の裁判員裁判が終わってから、成歩堂は前よりも自分のことを話してくれるようになった。真宵の名前をきちんと教えてくれたのも、最近のことだ。
 この気まぐれそうな男にレポートを律儀に書かせるなんて、よほどの間柄の人間だとは思っていたが、まさかここの元副所長だったとは。
 彼女もそうとう成歩堂を心配していたのだろう。急にフラッといなくならないように、生存確認もかねてトノサマンのレポートを書かせていたのだろうかと勘ぐってしまった。なんせニット帽の成歩堂は基本的にやさぐれた雰囲気があって、野良猫のようにどこかにいなくなりそうな感じがするからだ。
 まあ、師匠から引き継いだらしい大事な事務所を捨ててどこかに消えるなんて、この男がするわけもないか、と途中で考えを改めたが。
「これからは司法試験に集中するってことで、いいんですよね?」
「そういうことに、なるのかな」
 どこか挑戦的な表情で成歩堂が薄く笑う。
 相変わらずニット帽に無精ひげだが、面構えが既に変わってきている。いずれ弁護士に復帰しそうな気配が漂っていた。


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