01 おデコくんと離婚裁判



「このあいだの民事裁判、結果はどうだったんだい、おデコくん」

 独特のリズムが感じられる台詞めいた言い回しに、王泥喜法介はげんなりした。ただでさえ、外から聞こえてくるミンミンゼミの鳴き声にうんざりしているというのに、さらに暑苦しい男の登場だ。気になっていた事件の裁判傍聴を終えて、昼飯でも食べに行こうと第二法廷を出た途端にこれだ。
(やっかいな奴に捕まっちまったなあ)
 嘆息する王泥喜の横で、みぬきが「きゃあ!」だの「ガリューさん」だの、感激をあらわにした黄色い声ではしゃぐから、周囲の弁護士や検事たちからの視線が痛い。
「裁判所では静かにしてくれよ」
 社会科見学の学生に注意するような口調で言う間にも、二人の会話は恐ろしいスピードで盛り上がっていく。
「おデコくんと離婚裁判なんて、これほど面白い組み合わせがこの世にあると思うかい!? いや、ないね。聞いた時は正気かと思って笑っちまったよ」
「ほんっと、ありえないですよね!」
「おおかた、人妻の色香によろめいて、うっかり依頼を引き受けちまったわけだろ? そこのおデコは」
「オドロキさんたら、鼻の下、こ〜んなに伸ばしてましたもん。できるだけ旦那から搾り取りましょう! なんて張り切っちゃって……結局、奥さんのほうも不倫してたんですけどね」
 依頼を受けた段階では、旦那の浮気が原因で離婚を考えているという話だったのに、いざ蓋を開けてみれば、妻のほうも旦那に隠れて浮気をしていたわけだ。
 みぬきに言われて腕輪の力を使うまで、依頼人の嘘に気づけなかった。開廷直前に示談が成立しなければ、おそらく敗訴していただろう。
「みぬきがいなかったら、ほんっと! 危なかったんですよ。相手は離婚に強い弁護士でしたからね」
「法廷で争ってたら負けてたわけか。ギリギリ首の皮一枚、繋がったといったところかな?」
「みぬきに感謝ですよ!」
(もう、やめてくれ!)
 辛辣なみぬきとおしゃべりな検事に好き放題に言われて、ぼこぼこに殴られたような気分だ。
「……悪かったですね。女を見る目がなくて」
 つい、拗ねたような一言が漏れてしまうのを止められなかった。
「べつにそこまでは言ってないさ」
 途端にフォローに回り始めて、またあれこれ話し始める検事にうんざりする。
(ああ、めんどくせぇ)
 アメリカ人みたいな人だなと言ったら、アメリカ人に失礼か。答えたくない質問をされたら、同じ質問を検事に返せば嬉々として自分のことを語ってくれる点は楽でいいが、よくまあこれだけしゃべれるなと呆れてしまう。
「……ほんとにあんた、自分大好き人間だよな」
 王泥喜の皮肉を含んだ独り言は検事には届かず、みぬきとまだ盛り上がっている。
 かわりに眼鏡越しに微笑んだのは、牙琉検事の後ろに控えていた事務官の女性だった。立会事務官のみょうじなまえだ。
 なんとなく気まずい思いで目礼を交わす。全部聞かれていたと思うとばつが悪い。
 知的といえば聞こえはいいが、大きなフレームの分厚い眼鏡や、きつくひっつめた髪のせいで、ダークグレイのパンツスーツ姿がどこか野暮ったく、派手な検事の影に隠れてしまっているように存在感がない。華やかな検事に対して、目立たない止まり木のような、あまりにも地味すぎる存在。それがみょうじなまえに対して王泥喜が抱いた印象だった。
 スーツの左襟には桐の紋のバッジをつけている。茶色であまり目立たない検察事務官バッジは、まるで彼女を象徴しているかのように見えた。
 検察事務官証票を首から下げているのは、フットワークの軽い検事に振り回されて事件現場に駆けつけているからだろう。
 右肩には黒い革製の鞄をかけ、左脇には紺色の包みを抱えている。五三の桐紋が入ったその風呂敷は、検事局から検察官に配布されるものらしい。直方体の形状からすると、証拠品の凶器などではなく、ノートパソコンや裁判資料が包まれているように見える。
「その風呂敷、べんりですか」
 思わず話しかけていた。なまえは一瞬目をぱちぱちさせると、すぐに感じのいい笑みを浮かべる。
「どんな形状の証拠品でも包んで運べるので、重宝してますよ」
 そういえばこの人に初めて声をかけたなと思いながらも、王泥喜は丁寧に説明してくれるなまえに好感を持った。資料提出後は畳んでコンパクトに仕舞えるのもいいらしいと聞いて、風呂敷に興味がわいてくる。
「へえ。オレも使ってみようかな」
 盛り上がり始めたところに、すぐさまみぬきが茶々を入れた。
「オドロキさんが使ったら、泥棒だと思われちゃいますよ!」
「うるさいなあ」
 弁護士なのに、みぬきには口で勝てそうにない。邪魔されてむっとする王泥喜のそばで、検事がなまえの風呂敷に手を伸ばしていた。
「やっぱりそれ、ぼくが持つよ。あまり女の子に重いものは持たせたくないんだ」
「いえ、これが私の仕事なので」
 なまえは伸ばされた検事の手から風呂敷を庇うようにして、ますます強く抱え込んでしまった。そのやりとりを見つめる王泥喜に気づき、検事が困ったような笑みを浮かべる。
「うちの事務官クンは何度言ってもこうなんだ。カノジョは優秀だけど、つれないのさ」
「そんなに検事に持たれるのが嫌なんですか?」
 この人もしかして、牙琉検事に苦手意識があるんだろうか。そう思った王泥喜の問いかけには予想外の答えが返ってくる。
「検事に風呂敷は似合いませんから」
 きっぱりとした口調からは、検事に対する敬意がうかがえた。
「確かに牙琉検事のイメージじゃないですね。あ、でも、この人なら、ガリューウエーブの風呂敷とか作ってそうだけど」
「ガリューウエーブの風呂敷!」
 ぱちん。長い指先で小気味のいい音を立てて、検事が目を輝かせる。
「うん、いいね。おデコくん。そのデコはなかなか冴えてるぞ。ぜひ今度公式でグッズ展開しよう!」
 デコは余計だ。
「それならぼくが持ってもおかしくないだろう? みょうじくん」
「お似合いかとは思いますが、やっぱり証拠品の管理は私の仕事ですから」
「ほんとに君はつれないなあ」
 牙琉は肩をすくめてみせつつも、どこか嬉しそうだ。
(なんだこの検事。もしかして事務官を口説こうとしてるのか?)
 なんとなくイラっとして、王泥喜は牙琉にジト目を向ける。
「また事件で燃やされるんじゃないですか、風呂敷」
 その毒舌に目を見開いた後、検事は不快そうに眉をひそめた。どうやらギターを燃やされた先日の件がかなりのトラウマになっているらしい。
 今度からかわれたら、またこのネタを使ってやろうと心に決める王泥喜だった。
「だいたい、なんでわざわざやっかいな弁護を引き受けてしまったんだい」
「オレ以外、弁護できる人間がいないんです。うちの事務所は」
 牙琉と王泥喜の言い合いに、なまえがくすくすと笑っている。
(今までもこういうところ、よく見られてたんだろうな……)
 なまえのことを意識すると、検事との子供じみた挑発のし合いが途端に恥ずかしいものに思えてくる。みぬきが会話に乗り込んできたタイミングで歩調を弱め、王泥喜は牙琉の後ろを歩くなまえと並んだ。もう少し話をしてみたいと思ったのだ。
「え。なまえさんて、最寄り駅オレと一緒だったんですか!?」
「どこかで会ってるかもしれないですね」
 そう言ってなまえが眼鏡越しに笑顔を向けてくれる。よく行ってるコンビニまで一緒だというのだから、一気に親近感を覚えてしまった。
 そうして色々と話しているうちに、気がつけば外の駐輪場までついてきてしまっていた。室内から出た途端、さあっと抜けるような青空が目に飛び込んできて、王泥喜は眩しさに目を細めた。まだ9月初旬なだけあって、容赦のない日差しに晒される。裁判所のクーラーでひいていた汗が一気に噴き出してくるのを感じた。
 牙琉検事の歩く先には、燃料タンクに白で『牙』の一文字が書かれているワインレッドに近い色味のバイクが駐輪されている。近付くと、Harley-Davidsonのロゴが目に飛び込んできた。
「検事、事件です!」
 携帯を片手になまえが声を上げたのはそんな時だった。検事が途端に真顔になる。
「現場は」
「あこや町三丁目、二十二番地、リバーサイド101号室です」
「うん、行こう」
 なまえの首に下げられた検察事務官証票にさっと目を走らせ、微笑んでなまえにバイクのヘルメットを渡す。
「君たちと昼飯でもと思ったんだけどね、どうやら事件のほうがぼくを離しちゃくれないらしい」
 そう言って自分もガリューウエーブのロゴ入りの黒ヘルメットを被る。
 なまえのヘルメットの装着が終わったのを確認すると、検事はひらりとバイクに跨った。後部座席になまえが乗り、検事の腰に腕を回す。
「じゃあまたね、おデコくんとお嬢さん」
 歌うように王泥喜とみぬきに声をかけ、なまえを連れてあっという間に現場検証に行ってしまった。
「だからパンツスーツだったんですね、なまえさん……って、オドロキさん? どうしたんですか?」
「ハーレーダビッドソン……」
 住む世界があまりにも違いすぎる。猛暑の中で苦しそうに鳴き続けるミンミンゼミの声を聞きながら、一台百万円はくだらない代物で颯爽と去ってしまった検事となまえの後ろ姿を呆然と見つめる王泥喜だった。


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