12 高菱屋のパンケーキ



「王泥喜法介は、みょうじなまえさんが好きです!」
 私の目を見て真っ直ぐにそう叫んだ後、王泥喜くんがもう一度挑むように検事を振り返った。
「これがオレの答えです。牙琉検事」
「いいね……上等だ」
 お互い不敵な笑みを交わし、王泥喜くんがもう一度私のほうを向いた。
 両肩をぐっと掴まれたままで、なんだか捕まえられているような心地になってしまう。
「大好きです。なまえさん。オレと付き合ってください」
 ストレートな告白の後、常夏みたいな笑顔でニカッと笑いかけられて、酔ったみたいに頭がぼうっとした。私の大好きな笑顔。
「…………」
 言葉をなくして陶然としている私の前で、王泥喜くんの顔がみるみるうちに不安そうにしぼんでいく。あ。そうか、返事をしてない。
 あわてて頷くと、王泥喜くんが両拳を握り締めてガッツポーズを決めた。
「よっしゃあああ!」 
 まるでスポーツ観戦で自分の応援しているチームが勝った時のように、飛び上がらんばかりに喜んでいる。
 可愛いな。無邪気な様子を微笑ましく見ていると、視線に気付いた王泥喜くんが、にいっと悪戯っぽく笑う。 
「今度、一緒に映画館行ってポップコーン食べましょう? もちろんコーラもつけて」
 さっき投げかけた誘いの答えが、ロングパスのような時間差で返ってきた。
「バンドーランドでも、荒船水族館でも、なまえさんが行きたいところなら、オレがどこへだって連れていきます」
「ぜんぶ叶えてくれるの?」
「もちろん」
 少し得意げに腕を組んで、にこにこしている。
 ああ、この人が大好きだ。
 前だったら平気で「王泥喜くん、大好き!」なんて無邪気に抱きついて、彼を戸惑わせていたかもしれない。
 でも、王泥喜くんへの気持ちを自覚した今はそんなこと、恥ずかしくてとてもできそうになかった。
「GYAXAに行ったら、オレの親友にも会ってやってください。あいつ、なまえさんに会ってみたいっていつも言ってるんで」
「いつも私の話してたの?」
 王泥喜くんが照れたようにはにかんで、うさぎのように立った頭の角に左手を置く。
「……なまえさんのこと、よく相談してたんで」
 けっこう前から想ってくれていたのを感じて、わずかに頬が熱くなった。
 そこに冷やかすような口笛の音が響く。
「お熱いねえ、おふたりさん」
「が、がりゅう検事!?」
 王泥喜くんがぎょっとしたように検事を見た。
「見せつけてくれるねえ、おデコくん」
 そのおデコをしたり顔で見つめ、検事はわざと身長差を強調するように屈んで、王泥喜くんを挑発している。それに対し、王泥喜くんが真顔で検事を見上げた。
「あんたの存在、すっかり忘れてました」
 いつもの塩対応というか、ドライな態度を取られて、検事が声を出して笑った。
「それだけみょうじくんに夢中というわけかい。まったく。火傷しちまうぜ!」
 細い眉を片方上げて、検事が面白そうに私たちを見た。それから、身を屈めて私のほうに顔を寄せる。
「お幸せに」
 ささやくような声で言って、私に優しく微笑んだ。
「みょうじくんを泣かせたら、ただじゃおかないからな!」
 王泥喜くんには厳しい言葉を言い残して、検事は屋外テラスを出ていった。
「私たちもそろそろ行かないと」
 時計を見れば、カフェの予約時間が近付いている。
「じゃあ、手、繋いで行きましょうか」
 少し日に焼けた、私よりも大きい男の人の手が差し出される。
 スマートに繋げばいいのに、わざわざ誘ってくるところが王泥喜くんらしい。
 こちらもそっと手を差し出せば、いきなり恋人繋ぎにされて、軽くパニックになってしまった。恥ずかしすぎて手を引っ込めようとしたら、王泥喜くんがぎゅっと手を握ってくる。
 さらに密着度が強まって、赤面しそうになった。
 付き合ったとたんに積極的になってきて、私のほうがたじたじだ。
 どうしよう。このままじゃ、王泥喜くんのペースでどんどん先に進んでいってしまいそう。
 あたたかい掌を通じて彼の脈動が伝わってくる気がして、高鳴る鼓動を意識しながらカフェへの道を歩いた。

 カフェに着いて、絡められた手をそっと離すと、王泥喜くんが名残惜しそうな表情をしていたのが可愛かった。またお店を出たら手を繋ぎたいなと思った。
 前へ進み出て受付の人に声をかける。
「三時から予約しているみょうじです」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
 案内された店内は、高級ホテルのような高い天井にシャンデリアが輝いている。それぞれのテーブルの間隔にかなりのゆとりがあって、解放感のある贅沢な空間が広がっていた。
「すげえな、ここ」
 席を案内されてすぐ、王泥喜くんが物珍しげにきょろきょろと辺りを見回す。
「狩魔検事がよく来るんだって。それで気になっちゃって」
「狩魔検事ってあの、法廷で鞭を振るう女検事ですよね?」
 おっかねえ。王泥喜くんが怯えたような声を出す。
「ここのふわふわパンケーキに目がないんだって。それ聞いたら、ちょっと可愛い人だなあって思っちゃった」
 そこへちょうどウェイターが来て、オーダーを取っていった。注文を受けてからメレンゲを立て始めるみたいで、パンケーキが焼き上がるまでに20分ほどの時間がかかるようだ。パンケーキの焼ける甘い香りをうっとりと吸い込んだ。
「ベーキングパウダーを使わずに、ふわっふわに仕上げるんだって」
「へえ」
 向かいに座る王泥喜くんが、少しばかり上の空の様子で、やけにチラチラと私の様子をうかがっている。
「もしかして、今日の服、おかしいところあったかな?」
「……へ?」
 視線の注がれている先を見て問いかければ、あきらかに動揺していた。
「いえいえ! なまえさんによく似合ってると思いますッ!」
「なら、よかった」
 デートに来ていく服を友達に相談したら、王泥喜くんのことを色々と聞いてきたうえで、私に似合う色や骨格に合った服を選んでくれたのだ。王泥喜くんの食いつきが凄いところを見ると、彼女の意見は的を射ていたのかもしれない。今度お礼しなきゃ。
「じゃあ、なんでそんなにソワソワしてるの」
「……オレの部屋、覗いたのかなあと思っちまって」
「王泥喜くんの部屋? まだ行ったことないけど?」
「なんでもないです! こっちの話なので!」
 顔が赤いけど、どうしたんだろう。
「熱でもある?」
 おでこに手を伸ばそうとしたら、あわてたように逃げられた。
「いえ! 大丈夫ですッ!」
 王泥喜くんの大声に、周りの席の人達が目を丸くしてこちらを見てくる。
「みんな見てるよ、声のトーン落として」
「すみません」
 まだ頬を染めたまま、恥ずかしそうに縮こまって、俯いてしまった。
 どうしたんだろう、本当に。
 首をかしげていると、王泥喜くんが俯いたまま上目づかいでこちらを見てきた。
「ブラウス……」
「うん?」
「そういう服。またデートで着てほしいです」
「気に入った?」
「はい。お姉さんぽくて、いいと思います!」
 ほんとに好きなんだ、こういうの。なんだか異様に興奮してる気がするけど、これは本格的に友達にお礼しないと。私が決意を固めている間にも、王泥喜くんはやっぱりブラウスをちらちらと盗み見ている。
 それにしても、友達の冗談には困ったものだ。童貞を殺すセーターなんていう画像を見せられて、「これでおうちデートに誘えば一発で落とせるのに」と勿体なさそうに言われた。あれはぜったいに面白がってたと思う。もう、王泥喜くんを部屋に入れるなんてぜったい出来そうもないぐらい、異性として意識してしまっているのに。
「失礼いたします」
 メイド服を着たウェイトレスが、ワゴンと共に訪れた。オーダーした紅茶が先に届いたのだ。白磁金彩のティーカップに、ウェイトレスが湯気の立つ紅茶を注いでいく。
「ごゆっくりお過ごしください」
 ティーポットにカバーを被せ、ウェイトレスは一礼して去った。
 王泥喜くんは「うわ、紅茶も絶対高いやつだ」と興奮している。
 どうも金銭のことになると、彼は敏感な発言をする。成歩堂さんのところで経理もやってるからかな。食材も底値に近いものや旬の野菜を選んでくるし、しっかりとした金銭感覚のある子だ。
 王泥喜くんは犬みたいにくんくんと鼻を動かして、「いい匂い」とダージリンの香りを嗅いでいる。その仕草が男の子っぽくて、眺めているだけでときめいてしまう。
「オレには紅茶のことはよくわからないけど、事務所で淹れるティーバックのやつと全然違います」
 いつも、成歩堂さんたちにお茶を淹れてるんだろうな。こまめにお茶くみをする王泥喜くんの姿が浮かんだ。私の部屋でも食後にお茶を淹れてくれてたし。
「前の事務所では淹れなかった? 紅茶とか」
「そういえば、淹れましたね。先生は紅茶派だったので」
 もう先生と呼んでいいのかと戸惑っていたけれど、私と話すときは先生で通すことにしたらしい。
「ちなみに検事はブラックコーヒー派」
「いかにも、それっぽいですね」
「睡魔が一瞬で覚醒しそうな、ガンッガンに刺激のあるやつ。しゅわしゅわ〜んの飴といい、刺激物が好きなんだよね。あ、でも、たまに缶コーヒーの甘いやつも飲んでるよ。わりと甘党なとこあるんだよね、検事は」
「検事検事って、あなた検事のことになると、話長くなるなあ。今はあの人のこと話すのやめてください。せっかく、二人きりなのに……」
「嫉妬?」
「してません!」
 あ。唇を尖らせて拗ねてる。可愛い。
 でもそこを弄ってもまた拗ねそうなので、話題を変えることにした。
「そういえば、映画なに観たい?」
「なんでもいいですよ。観たいの決まったら連絡ください。オレがネットで席予約しとくんで」
「せっかくだから、ふたりとも観たいやつにしようよ。どっちかが我慢するとか嫌だし」
「ほんとに、なんでもいいんだけどな……」
 王泥喜くんが目を伏せて、俯きがちになる。そういうとき、微かに口元は上がっていて、それがミステリアスに感じられてドキッとする。
 たまに敬語が抜けてるのに気づいているのだろうか。このまま、王泥喜くんがだんだんタメ口になっていくのも面白いかもと思う。
「そんなこというと、メロメロの恋愛ものにしちゃうぞ!」
 にやにやしながら話しかけたのに、「なまえさんが一番観たいやつがいいです」と微笑んで言われてしまった。
「むしろオレ、今回はなまえさんを見に行くようなものなので」
「え?」
「一緒にポップコーン齧って、映画観られたら、オレはそれでいいんですよ。あんたの喜ぶ顔が見られれば、それで」
 ちょっと、この子、ずるいんじゃないかな。そんなに真っ直ぐな目で言わないでほしい。恥ずかしいことを真正面から言われて今にも赤面しそうだ。
 だから私は照れを誤魔化すように、揶揄うような口調を装う。
「そんなこと言ってたら、そのうちストレス溜まっちゃうよ〜? 長く付き合いたいんなら、絶対自己主張しないとだめ」
「なまえさんと末永くお付き合いしたいです! オレが観たい映画が上映されたら、なまえさんを誘いますね!」
 だから、そういうことを、きらっきらした目で嬉しそうに言わないでほしい。検事も真っ直ぐな人だけど、王泥喜くんはそれに輪をかけて真っ直ぐというか、すごく純粋。
 たぶん私は、王泥喜くんに恋愛感情を抱く前から、無意識のうちにそこに惹かれていたんだと思う。
 それからスケジュールを確認し合って、来週の金曜日の夜、一緒に映画館に行くことになった。
「じゃあ、お言葉に甘えて、今回は私の気になるやつを選ぶね。次に映画館行くときは、土曜か日曜に行って、映画館をはしごしようよ。私が観たいやつと、王泥喜くんが観たいやつを一個ずつ選んで順番に観るの」
「いいですね、それ!」
「王泥喜くんが観たい映画にも興味あるしさ」
「ほんとに、オレに興味あるんだ……」
 王泥喜くんがほっぺを赤くしながら口元を押さえて、何か呟いてる。
「お待たせ致しました。シチリア産岩塩の塩キャラメルパンケーキと、完熟苺のショートパンケーキでございます」
 今度はウェイターが給仕に来た。王泥喜くんの前に塩キャラメルパンケーキ、私の前に季節限定の苺のパンケーキが置かれていく。
「それでは、ごゆっくりとお楽しみください」
 ウェイターが優雅に一礼して去っていった。少し、御剣検事局長とお辞儀の仕方が似ているかもしれない。このお店のこういうところも狩魔検事は気に入ってるのだろうか。
「うわぁ、おいしそう!」
 ふんわりと厚みのあるスフレパンケーキは、桜色のホイップクリームと旬の苺で彩られ、その上から雪のように粉糖がふるわれている。
 王泥喜くんのほうは、キャラメルソースがたっぷりとかけられたパンケーキとホイップバターの上に、ローストされたヘーゼルナッツが載せられていた。シチリア岩塩の塩キャラメルか。美味しそうだな。
「こっちも気になりますか?」
「うん」 
 正直に頷く私を見て、王泥喜くんが少し笑ってる気がする。きっと、食い意地張ってる女だと思われてるんだろうな。
「そんなに物欲しそうな顔されちゃしょうがないな〜。あとで半分オレのをあげますよ」
「ほんとに!?」
 あ。食いついた。とでも言いたそうに、その唇がニヤついた。
「特別ですからね、特別。そのかわりなにかお礼してもらおうかな〜」
 浅黄色のネクタイを指先で弄びながら、王泥喜くんがどこか思わせぶりに言う。
「お礼って?」
「膝枕。さっきの屋外テラスで膝枕してもらうのもいいな。あそこカップルがすごいいちゃついてたし……オレたちも、もうカップルですよね?」
 にやにやしながら問いかけられても答えられない。私の思考は膝枕で止まってしまっていた。
「ちょっと、待って……膝枕?」
 王泥喜くんの頭が、私の膝の上に乗るの?
 彼の頭の重みや、あの体温の高そうな身体が至近距離にあるのを具体的に想像してしまって、頬が一気に火照ってくるのを感じた。
 そんな……そんなの、むりだ。恥ずかしすぎる。さっき恋人繋ぎされたばかりなのに、それ以上なんて、今すぐは無理。ぎゅっと目を瞑って羞恥心をやりすごそうとしている私に、はやし立てるような王泥喜くんの声がかかる。
「膝枕してくださいよ、なまえさん。それぐらい、いいだろ?」
「それぐらいって、そんな簡単にできないよ……」
 困っている私の顔をたっぷりと楽しむような表情をした後、王泥喜くんが嬉しそうにニヤっとした。
「なあんて、冗談ですよ」
「いじわる」
 面白がってるのに腹が立って睨みつけた。
「可愛いな、なまえさん」
 急に真顔になって言われて、また胸がどきどきしてくる。
 少しだけ短めの眉の下に、やんちゃそうな表情を浮かべる瞳。童顔でも子どもに見えないのは、オレは男だっていう不敵な面構えをしているからかもしれない。
 どうしよう。この人、年下だったはずだよね。なんで私が、揶揄われたりしてるんだろう。立場逆転? そんな、バカな……。動揺を隠せない私を見て、王泥喜くんがクスッと笑った。
「冷める前に食べちゃいましょうか」
 王泥喜くんに振り回されて悔しいのに、食べ始めると美味しくて、気がついたらパンケーキに夢中になっていた。
 ホイップクリームには苺が練りこんであって、口の中にフレッシュな香りが広がる。甘酸っぱい苺と生クリーム、しゅわっととろけるスフレパンケーキを堪能していると、視線を感じた。
 あ。また私の顔を見てる。
 いつからか、食事中の私を、王泥喜くんがじっと見詰めてくるようになっていた。しかも、なんでそんなにいつも嬉しそうなんだろう。
 今だって紅茶を飲みながら、私の様子をうかがっている。
「ねえ、いつから私のこと好きだったの?」
 ごほっごほっ。私のひとことで、王泥喜くんが盛大にむせた。
「いきなり、なんですか」
 不意打ちに驚いたのか、ちょっとあわててる顔が可愛い。
「そういうの気になるじゃない。付き合ったらさ」
「じゃあ、お姉さんがいつからオレのことを気になり始めたのか、教えてくれたら、オレも言います」
 なぜか挑戦的な態度で言われた。目つきが法廷で検事と対峙している時と似ている。
「さっきからずっと気になってたんですよ。なんでいきなりオレと付き合いたくなったのかなって」
「この間、会ったときからかな」
「DVD借りて一緒に観た日ですか? あのときだって、オレのこと恋愛対象外みたいな扱いだったくせに……」
「パスタ茹でたでしょ。あの後ぐらいから、かな……」
「まさか、あの夜ですか?」
 王泥喜くんが、パンケーキをフォークで口元に運んだまま固まった。
「遺品整理終わって、前みたいに料理もできるようになって、ちゃんと区切りがついたなあって思えたら、いきなり王泥喜くんが目の前に飛び込んできたというか……」
「いや、ずっと前からあんたの側にいたじゃないですか!」
「だって、感覚的に、そういうふうにしか言いようがないんだもの。おまけにあんなギャップを見せられたら、びっくりして意識しちゃうでしょ」
「ギャップ?」
「お風呂上り、ふつーに、ふつーに、カッコ良くてびっくりしたし!」
「普通にって、なんですか!? いつもと何が違うんだよっ」
「自分じゃ気付かないのか。その髪型、下ろすとぜんぜん印象変わるんだね」
 もともと顔立ちは整ってるほうだとは思ってたけれど、王泥喜くんが髪を下ろすとびっくりするぐらいのイケメンに見えて心臓に悪かった。
「……ああ、髪。それであんた、オレのこと見てたのか。な〜んか、やけに視線を感じるなあとは思ったけど……髪以外も色々と見てませんでした?」
 その指摘にぎくりとした。
 私の部屋着を着た王泥喜くんの胸板の厚みとか、その他もろもろの部位に目が吸い寄せられていたなんて、さすがに恥ずかしくて言えない。ゆったりした大きめのTシャツと短パンだったのに、私と身体のラインがぜんぜん違っていた。筋肉質な男らしい身体つきに気付いて、今さら異性を意識したなんて、もっと言えない。私はその指摘をなかったことにして話を進めた。
「それに、あんなことを囁かれて、意識しないわけないと思うんだけど」

『そんなエロい格好して。わざとですか。オネーサン、もしかしてオレを誘ってます?』
『……喰っちゃっていいのかな』
『……まったく。人の気も知らないで』
『早く好きになってよ、オレのこと……待ってるから』

 パンケーキを頬張りながらも、王泥喜くんが激しく動揺しているのが伝わってきた。もぐもぐしていたケーキをごくりと嚥下して、震える唇を開く。
「聞こえてた? あれ、聞こえてたんですか?!」
 その顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「もしかしてあれ、ふざけて言ってた? 私をからかってたの?」
 ひどい話だと思う。あんなに色っぽい声で誘っておいて、本人は無自覚だったのだ。あの声のせいで私は意識したのに。『オネーサン』とかいういけない声のせいで、腰が砕けてしまったのに。一晩中眠れなかったのに。
 王泥喜くんは無自覚な色気を振りまいているのだ。自分の魅力に気付いてないのが憎たらしい。翌朝、恥ずかして顔が見られなかった。そのことにもまったく気付いてない王泥喜くんに腹が立った。どうしてこんなことに。散々悶えた私の気持ちを返せ!
 王泥喜くんは「そういうのが、足りなかったのかよ……」とかなんとか、目の前でぶつぶつ言っている。
「ちょっと、聞いてる?」
 気の毒なぐらいに赤面したまま、王泥喜くんが顔を上げた。
「なんだか複雑な心境です。ぜんぜん狙ってないところで、お姉さんがオレに落ちるなんて」
「落ちるって、もう少し言い方ないのかなあ。ちょっとうぬぼれてない?」
「ないです!」
「ほんとに?」
 その問いかけには答えず、王泥喜くんは視線を落として、またあの謎めいた表情をする。
「なまえさんが起きてたんなら、腕輪、付けとけばよかったな……」
 妙にドキドキさせてくる表情と声。これも無自覚なんだろうか。
「腕輪付けてたら、どうなってたの」
「そりゃあ、あの晩……」
 そこまで言いかけて、はっとしたように口を紡ぐ。それ以上突っ込まれたくなさそうな空気を感じたので、最初の質問に戻ることにした。
「で、王泥喜くんはその、いつから私を?」
「黙秘します」
「あ、私から先に聞きだしておいてずるい!」
「だってなまえさんがオレを意識したのって、けっこう最近じゃないですか……なんだか悔しいし」
 拗ねるとすぐに顔に出るところが可愛い。本人は気にしてるみたいだけど。この唇を尖らせるところが私は特に好きだ。
「教えて」
「いやです」
「私、人間的には、最初から王泥喜くんのこと好きだったよ? 一緒にご飯食べて美味しいと思えたのも、王泥喜くんだけだったし」
 微笑んでそう言うと、王泥喜くんは「ああ……くそっ」などと毒づいて、ぐっと拳を握り締めた。
「初めて話したときなのか、一緒の大学だってわかったときなのか、そんなの自分でだってよくわかんないですよ! 気づいたらあなたに惹かれてましたッ」
 憤死しそうな表情で、やけになったように叫んだ。そのせいでまた周りから注目されたけれど、愛の告白だと思われたのか、みんなが微笑ましげに見てきて恥ずかしい。
「こういうこと、言っててこっぱずかしくないですか?」
「あ。照れてる」
「照れてません!」
 そうか。かなり前からだったのか。内心自分も照れながらぼうっとしていると、王泥喜くんの声が聞こえてくる。
「なんで……」
「え?」
「なんで、オレなんですか?」
「なんで、って?」
「だってあんた、牙琉検事のこと尊敬してるって言ってたじゃないですか」
「そりゃ検事のことは尊敬してるけど」
「オレ、バイクないし。免許もないし、成歩堂さんみたいに、できてチャリが限界だし」
「近所散歩したり、一緒にコンビニ行くだけで楽しかったし、べつにそういうのいらなくない? 遠出は電車にすればいいし」
「仕事で毎日のように検事と会ってて、そういう感情を抱いたりしなかったんですか?」
「検事は仕事上のパートナー。でも私がプライベートで付き合いたいのは王泥喜くん。それじゃいけない?」
「というか……なまえさんがオレを選ぶ理由がよくわからないです」
 自分が好かれることを信じられない人なのかな。だから自分に向けられる好意には鈍感なのかも。どんなふうに言えば、彼に伝わるだろうか。少し考えてから、私はゆっくりと口を開いた。
「王泥喜くんだから、助けてって言えたのかも」
 その言葉だけで彼には通じたようだった。
 遺品整理で途方に暮れていたあのとき、そんな私に気づいてくれたのは王泥喜くんだけだった。自分の感情から逃げるなという、当時の私にとっては厳しい言葉を言ってくれたうえで、辛い気持ちにも寄り添ってくれた。一人で頑張らなくていいと言われたようで安心してしまったのだ。
「それが、牙琉検事とオレとの違いですか?」
「たぶん」
「そういえば、なまえさん、わりと検事に対して塩でしたね」
「そう?」
「ほら、だって、風呂敷の荷物抱え込んで、検事に持たせないようにしてただろ」
「そうだっけ」
「無意識ですか」
「じゃあ、王泥喜くんには買い物に付き合ってもらって、すっごい重たい紙袋、いくつも持ってもらおうかな〜」
 わざと面白がったふうに言えば、勝気そうに見える茶色い瞳をにいっと細めて、王泥喜くんがとろけるような笑みを浮かべた。
「これからも、オレにだけ甘えてください。大好きです」





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