長編小説 | ナノ



 Le précipice est sous la glace


T

互いを瞳に映し合ったまま、過ぎて行った時は数秒程だろうか。
彼は一体誰なのか。何故こんな場所にわざわざ足を運んだのか。次第に募る好奇心は傍へ近付かせようと身体を引き上げた。
すると赤髪の彼は、弾かれたように慌てて両の手のひらを向ける。
「驚かせてごめん!大丈夫、何もしねェから」
害意は無いと懸命に示してくれている彼の挙措からは欺瞞の意思は感じられない。
直感の域を出ないが、彼は危険を齎す人では無いだろう。
私は警戒するどころか、寧ろ感興を抱き始めてさえいる。
しかし、要領の悪いことに筆記帳は家に置いてきてしまっていた。
身振りだけでどのように対話しようか思案していると、彼は愁いの内在を感じる眼差しで聖母を見上げ「歌が……」と呟いた。

「歌が聴こえた気がしたんだ」
まるで聖母の歌声を聞いたのだと訴えかける相好で隻眼の眼差しを向ける。
少なくとも私が教会に訪れてから、今に至るまで絶えず鳴り渡っていたのは、葉擦れで遊ぶ風音と、小鳥の話し声のみだった。
強いて言えば私の頭の中にだけは歌が流れていたが、まさかそれを聴き取った訳ではないだろう。
実に摯実な面持ちで奇抜な発言をする彼に一層興味が唆られ、鼓動が急かす様に脈打つ。

彼は躊躇いつつ数歩前に出て、訊き辛そうに視線を揺らす。逡巡を終えた彼が小さく口を開いた。
「あの、さ。泣いてない、よな?」
まさか。彼に気を取られ無自覚の内に、あれ程強く誓った戒めを破綻させてしまったのかと、慌てて輪郭に沿わせて諸手を添えた。しかし頬、目下、目尻に順番に触れるが涙が通った名残は無い。
どうやら彼の錯覚だ。安堵に短く息を吐き、素早く頷いた。

すると「安心した」と言わんばかりに彼の眼元が綻ぶ。また彼の不思議を垣間見た。
そんな彼の挙動にふと、僅かに疑問が浮かぶ。
私は今にも泣き出しそうな程、深刻な顔をしていたのだろうか。
もしかしたら、母の姿の想起やパトリック達へ抱く愁いが表情に残っていたのかも知れない。
だとしても、何故彼は初対面にも関わらず私を気遣うのか。その理由が考えても解らない。

声を出せない状態で、人気のない森に見知らぬ人と二人きり。
早急に立ち去るべき条件が十分揃っているというのに、沸々と彼を知りたい、信用したい、と横溢する欲求に私は抗えずにいる。

不意に、彼が身に付けている長い首巻きの片端が右肩から滑り落ちた。反射的に目で追いかけた拍子に、垂れた白布に半分程隠れた装飾に気が付いた。胸に飾られているそれは銀の記章だろうか。
……何処かで見聞きした覚えのある形だ。幼い頃の記憶が蘇ろうと脳髄に漣が立てる。
繁々と見つめる私に、彼が「これ?」と銀細工を隠す首巻きを捲って見せてくれた。露わになったのは薔薇十字だった。
思い出した。彼の胸元を飾るのはヴァチカンの権威を宿した紋章だ。欧州ならず同宗教圏内の各国家や公的な機関が無条件に協力を認める程の効力を持つ証であると随分前に聞いた。
但し、其れを掲げる事を教皇から許されているのは、秘密裏に活動する組織である為、一般人や地方の教会に従事する程度の人間にとっては、珍しい形の十字架としか認識されない限定的な印らしい。
つまり彼は、ヴァチカンの名の許、その権力を行使する権限を持っているという事になる。
事情を上手く伝えて彼を説得出来れば、この町と私に降り掛かった問題を解決へ進展させる足掛かりを与えてくれるかも知れない。

U

この町を苛む奇怪な事件は、自身と無関係ではない気がしてならない。
声を失った原因も、町人の失踪も、人の手には負えないものが引き起こす現象なのではないか。そしてどちらも同じものが起因しているのではないか。薄らと浮かんだ思議は時が立つとともに、私の内に明確に成形されていった。
全面的に非科学的な存在を信じている訳ではないが、有り得ないと証明することも出来ない。僅かな手掛かりを求め町の教会を訪ねても、真実を覆う濃霧は取り払えなかった。
国の中心部にある大聖堂に従事する司教なら、何か解るかもしれない。そう言われたが、辺境の小さな町に大都市の司教を招くというのは現実的ではない。

そして、僅かに諦めを覚え始めた矢先に彼は現れた。
恐らく同年代であろう若年の彼が、大層な権威下に属している意味は、きっと年齢など弊害とならない非凡な功績を残しているからではないだろうか。
例え彼自身がこの町の問題に直接関わらなくとも、他に上手く口添えして貰うことだって期待できる。
「ヴァチカンの名の許」という権力を掲げれば、司教どころか大司教も飛んで来るのでは。そんな期待を抱いた。

先ずは会話が出来ない事情を知って貰わなければ。詰襟の釦を首下まで外し、首に巻いた包帯を取りやすいように開いた。
何故か彼は「見てません」と呟きながら眼元を手で覆っていたが、包帯を解き終えると、すかさず私に近寄り少し背中を丸めて跼み、真剣な面持ちとなった。
「それ、誰かにやられたのか」
低く怒りを含んでいるような声音だ。もしかして、虐遇されていると勘違いが起きているのだろうか。
慌てて大きく首を振り喉の十字を指差しながら、口を開き「声が出せなくなった」と出来る限り丁寧に唇を動かす。
まじまじと十字を見つめ直す彼は、納得出来ないと言いたげに怪訝な表情をしている。
嘘偽り無いと示すべくじっと彼を見据えるが、当人は沈吟している様子で口元に手を当て黙ったまま、私の首元に視線を留めている。

真摯な鋭さを宿す隻眼は伏した睫毛の下、やや薄暗い屋内も手伝って深山に繁る木立と同じ色に沈んでいる。
きっと大窓の許に落ちる陽の光を受ければ、濃く鮮やかに発色し、春光を蓄えた新緑に等しい翠玉の色彩に変わるのだろう。
手を伸ばしかけた時、翠の瞳が此方へ向く。しっかりと互いの眼差しが交差した瞬間、彼は面食らったように眼を見開く。直ぐさま謝りながら、仰け反りそうな程素早く半歩引いて離れていってしまった。
遂には背中を向けられ「……詳しく訊きたいし、町に戻ろう」行ったきり此方を向こうとしなくなった。
思案している最中、初対面の人間に近距離且つ無言で凝視などされれば、不躾だと気分を害したとしても不思議ではない。
声さえ発せられれば謝罪だけでも出来るのに。今更に悔恨を抱きながら、行動に気を付けなければと心中で自身を戒め反省した。しかし、時を待たずして赤髪の彼は振り返り穏やかな表情を見せた。
「宿に人を待たせてるから、良ければ一緒に来てもらっていい?」
感情の切り替えが早いのか、不躾な私を憐れんで気を配ってくれたのか、心緒の程は読み取れない。
どちらにせよ怒りや嫌悪は今の所抱かれていないことは確かだ。彼の配慮に甘えて、都合良く前向きに解釈しつつ、深く頷いた。

彼が取っている宿を教えてもらった所、偶然にも私の家だった。
幾つか有る宿場の中で、私の家が選ばれたのは数奇だと心が弾む。
その心のまま私はその宿の娘だと伝えるべきかと考えたが、直ぐに分かる事だ。何より身振りや口の動きだけで初対面の彼に上手く伝えるのに時間を無駄に取らせてしまう。
仄かな喜びを伝えることなく二人で教会を後にしたのだった。

V

町へ続く道のりは、険しくはないが手入れが施されていない。草木が青々と茂り並んで歩くには少々狭い。
時折振り返っては私の歩みの早さを気に掛け、あれこれ話しながら前を歩く彼の肩に、春らしい淡い木漏れ日が揺れている。
話を聞く所に寄ると、彼は聖職者であった。思い掛けず重なる偶然に更に一人で欣悦した。
この町には数刻前に到着したばかりで、ある調査の為に訪れたのだという。廃教会にたどり着いた理由は面白い事に迷子になったからだそうだ。
無言で話を聞くだけしか出来ないのは申し訳ない限りだが、語りかける彼の声は清爽で聴き心地が良い。

もっと聴き入っていたいと思った矢先。
一度だけ強く吹き込んだ向かい風が、木の葉を騒めかせる。
阻まれたように彼が立ち止まった。沈思しているのか、何も言わずに僅かに首を擡げ、動きだす様子は無い。詮索しても良いのか迷ったが、真後ろから少し横に逸れて覗き込みながら横顔を見上げる。俯きかけて煩い気味の顔が此方へ傾いた。

「……名前、聞いてもいい?」
もしかして、その一言を投げかけるのに迷っていたのだろうか。
何も憚る事はないと込めながら頷き笑い掛けると、彼は改めて向き直り「ラビ」と名乗った。
次いで手の平を差し出す。家族や気心の知れた友人以外の異性の手に触れるのは少し緊張する。自分よりひと回りもふた回りも大きな掌に、片手を添えもう一方の手で名を綴った。
「アリス……」
手の平を辿った線を読み上げるラビに、深く頷いて笑い掛けると、もう一度私の名を口に出して眼を細めた。
端正な彼の表情は細やかな動きまで洗練されている。他人の名前を聞いただけでこれ程清艶に微笑む人に出逢ったのは初めてだ。

再び進み始め漸く道が開けてきたので横並びに歩きながら、ラビの話を聞かせてもらった。
彼は「祓魔師」として、町の失踪事件に人ならざる存在が関わっているかどうかを確認する為にこの町へ来たという。もしかしたら「悪魔」か他の物が原因となっている可能性があるのだと言った。
また、この町の発展に深く結びついている、ある現象についても、同時に詳しく見聞したいのだそうだ。

まさか彼の調査の対象と、私が助力を切望していた件が一致していたとは思ってもいなかった。
しかし少し落ち着いた所で不意に思った。母体宗教組織とはいえ、凡ゆる機関に認知されて活動する組織の人間から「悪魔」という非科学的な言葉が出た事に少々疑心が芽生える。
私自身も異変や事件に対して現実的な追及への思考を諦めてはいたが、「悪魔」の仕業だとは考えもしなかった。
遥か昔「悪魔」の存在は人々から信じられていたが、現在ではその超自然な概念は薄れ「祓魔師」が生業とする「悪魔払い」は儀式的な行いとなっている。「祓魔師」という職自体、形骸化している事は誰もが周知している。
彼が語る「祓魔師」や「悪魔」という名称やそれに伴った活動は、一般人に接触した際に説明する為の方便であり、本来の目的は隠秘する決まりなのかも知れない。
秘匿された組織の情報をそう簡単に唯の町人が教えてもらえる訳は無い。当然の事だとは理解しているが、物腰の柔らかい彼の態度に反して、内面には厚く堅い壁があるようで密かに心淋しさを覚えた。

然う斯うする内、町中に入り人通りの増した中心地へ差し掛かった。すると程なくして、前触れも無くラビの纏う気配が鋭く切迫し始める。
動作には殆ど現れていないものの、何かを探っている様子だ。道に迷っている風ではない。
控えめに彼の袖を引っ張り緊迫の原因を窺ってみるも、笑みで誤魔化され答えては貰えなかった。
やはり何も話してはくれないのだと緩く肩を落とした時、前触れなく互いの身体が触れそうな程、彼は私との距離を縮める。
理由を問う眼を向けるより先に「オレ、また迷子になりそうだからさ」と軽い口調で言う。側から見れば人懐こく口角を上げて、他意の無さそうな行動に見えるだろう。しかし真意は別にあるのだと推察した。

……彼と歩く帰路の最中、気に掛かる事があった。
森が一本道であることを除外しても、彼の足取りは真っ直ぐで少しの迷いも無かったのだ。
教会と町を結ぶ「道」とは言っても、私達が歩いてきたのは草木が茂っていて正確な順路が判然としない獣道に等しい。
町へ入っても同様に彼は常に進むべき方向を向いていて、まるで行き慣れているようであった。
また、出会った時には有り余る程見せていた隙が、今は全く無い。
彼は道に迷っていたのではなく、私と出会う前から既に調査活動を始めており、今は何らかの異変を察知しているのではないだろうか。
何を警戒しているのか気掛かりではあるが、大人しく彼から離れず歩みを進めた。協力は出来ずとも邪魔だけはしてはならない。そんな空気を感じていた。

W

宿の近くまで来たが、今の所何事もなく歩みを進めている。気を張っている様子はそのままだが徐々にラビとの距離は開いていった。
ゆくりなく行き慣れた花屋の看板が眼に映る。都合良くパトリックがふらっと帰ってきた、なんてことはやはり今日も無さそうだ。彼の失踪以来家族達は夜を恐れているのか、陽が傾き始めると直ぐに店を閉じてしまう。
既に堅く閉ざされた店頭は、この町から切り離されたように寂寞としている。言いようの無い雰囲気に、パトリックの家族の傷の深さを惟る。
数歩遅れてしまった私に、ラビの呼び声が飛んで来た。邪魔をしないよう気を付けなければならなかったのに、早速煩わせてしまった。
慌てて傍へ行き「大丈夫?」と声を掛ける彼に「何でもない」と込めた笑みで返そうとするも、ふと彼と同じはぐらかし方だと気付く。自身が抱いた感情を思い起こしてしまい、冴えない面持ちのまま視線を落とす。

「ここの店主が、初めの失踪者だよな」
ラビは反応のない私に言及するでもなく店に向き直り、花屋の外観を見据える。
事件について、漠然としか情報を知らないものだとばかり思っていたが、ある程度の概要を知っていたらしい。私は頷き、そのまま俯向く。
毎日色とりどりで形のさまざまな美しい花に囲まれ、忙しなく働くパトリックの楽しげな姿は、有って当然の景色だった。例え忘れ去ろうとしても簡単に脳裏から消えるものではない。

声を出せないことが酷く口惜しく思った。
店主はパトリックという名の男性で、見た目に反して気さくで優しく、知れば知るほど花の扱いに長けているのが頷ける円やかな性格だ。それから繊細で人の喜びや悲しみに深く共感してくれる人であると、彼の断片だけでも伝えたかった。
けれど同情を引きたいわけではない。
事件の解決には何一つ役に立たない情報だが「初めの失踪者」という簡素な一言でパトリックが誰かの記憶に留められるのは寂しいと思ったからだ。
彼の一件以降、行方の分からなくなった人々も同じだ。彼等には彼等の生活があって、大切な家族や親しい間柄の人がいて、毎日を懸命に、苦楽を繰り返しながらも過ごしていただろう。

町にやってきて間もない彼に、見ず知らずの人間一人一人を知って欲しい、覚えていて欲しい、と願うのは利己的だ。それでも眼前の彼は、この我儘を聞いてくれるだろうか。
上目に窺い見ると、ラビは見上げる視線を私へ下ろす。いつの間にか、町中で見せていた瞳の鋭さが、余韻も残らず取り払われていた。
俄かに胸が締め付けられ、息を呑んだ。向けられた一筋の眼差しから、心の淵の悲嘆を掬い上げんとする憐情をはっきりと感じたからだ。

「その人ってさ、どんな人?」
突然の言葉に理解が追いつかず、都合良い聞き間違いだろうかと思わず首を傾げた。
「この花屋の店主。仲、良かったんじゃねぇの?」と付け足されると、漸く聞き間違いではなかったと理解した。
次に何故私の考えている事が解ったのか、疑問符が頭いっぱいに散らばった。
「分かるよ。……すげー顔に出てんだもん」
ラビは眼を細めて、愉快そうに笑みを零す。
今まで誰からも言われたことのなかった言葉に衝撃を隠せなかった。とうとう会話が出来なくなった代わりに喋るよりも大袈裟に語る表情を会得してしまったようだ。
「もっとこっち見て、念じてみてくんない?全部伝わったりして」
彼の言葉の通りになりそうで、恥ずかしさに顔を覆う。
きっと家族や町の人々は敢えて言わなかったのだろう。これまで目紛しく様々な人の前で百面相を披露していたのだと思い起こすと、更に羞恥で頭が熱くなった。

X

「お熱いなぁ」
背後から現れた声に二人揃って振り返ると、大きな紙袋が二つ、眼前を塞ぐ。
声の主は顔を隠す為にわざと重々しそうな袋突き出していたようだ。紙袋を抱え直し、茫然自失としている私達に姿を露わにした。
そこに居たのは気心の知れた友人であった。国を跨いで欧州のあちこちを回って商いをしている一家の息子、シモンだ。
小柄で私と左程変わらなさそうな年齢に見える出で立ちだが、彼はアジュールと同い年で幼馴染である。
以前は仲の良い二人が私の面倒を見てくれる、という構図の元、構ってもらっていたが、三年前から彼は家業を手伝って町の外へ出ていく事が多くなった。実際彼とは四ヶ月ぶりの再会になる。
「アリス久し振り。で、そこの初めましてのお兄さんは、まさか恋人?」
爽やかな笑顔から一変し、とっておきの悪巧みを考案した子供さながらの面持ちで、シモンはラビの前に立つ。そして呆気に取られているラビの姿を、上から下へと好奇の視線で眺めはじめた。
私は捻り込む勢いで二人の間に入り、シモンに向かって大きく何度も首を振る。

「なんだ。でも考えてみれば、あいつが許す訳無いか」
茶化されるかと思ったが、彼は色素が淡く癖のある髪を揺らし納得した。反対に私は「あいつ」と呼ばれた人が誰なのか分からず小首を傾げた。
「色々大変だったみたいだな。でも、お前達は皆元気そうで安心したよ」
忙しなく変動するシモンの相好は、次に和らいだ笑顔を浮かべる。どうやら既にアジュール達に挨拶を済ませているようだ。町のや私の様子もその際聞いたのだろう。
「あ、俺シモンね。普段はこの町にはいないんだけど、アリスの友達!」
シモンが手を差し出し、ラビが応えると、がっしりと両手で握った手を大きく上下させる。ラビが気圧されて迷惑していないか心配で見遣ったが、案外打ち解けつつある様子だった。

シモンはラビに興味深々らしく、続いて矢継ぎ早に年齢や何処から来たのか等質問を投げ付けている。思い掛けずラビが十六歳である事を聞けた。
この町に至る経緯や目的の説明に話題が切り替わると、珍しくシモンは大人しく聴き入っていた。
彼も私と同様、霊的な現象に否定的でも肯定的でもない性分だが、度重なる事象についてどのように捉えているのか気になった。真面目に思案していて不審がっている様子は見られない。
シモンの意見を聞こうと顔を覗き込んだ途端、彼は短く声を上げる。
「俺、明日の準備忘れてた。はいラビ君、これ持ってあげてね!」とシモンは終始抱えていた荷物を流れるような動作でラビに押し付けた。
「声、早く戻ると良いね。…あ、そうそう。あんまりこの子に近付くとアズに睨まれるから気をつけて」と、高速で活字を打ち込む機械音さながらの忙しなさで其々に告げる。
別れ際にシモンは私の肩に手を置く。対して私も旅路の無事を願いながら彼の腕に軽く手を添えた。遠方に発つ彼を送り出す際の慣例のようなものだ。

「またね」
昔から変わらずいつでも駆け足な彼なので、いつも丁重な送り出しが出来ない。
明日陽が昇る前に恐らく町を発つであろう彼と再会するのは、また数ヶ月後になる。
黄昏に傾いた陽日の方角へ遠ざかる姿は、疎らに歩く人の群れに紛れて町並みと一つになった。
ラビは流石に呆気にとられているようだ。両手の重々しい荷物に埋もれかけた横顔は、嵐にも似た人の背中を、未だ遠く見つめていた。

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