桜のみる夢 | ナノ


 心をこめて

この世界に降り立ち 早くも数月が経つ

主はもうすぐ 20歳になられるらしい
十の節目を数える誕生日は盛大なお祝いが行われるようで
屋敷は ばたばたと準備に慌ただしくなってきた

忙し気な屋敷の様子に 私も落ち着かず
主に申し出て単独行動の許可をとり
ヨシュア様やメイド長から御用をいただくことにした

初めは主にも そしてヨシュア様にも驚いた顔をされたが
やはり猫の手も借りたい状況であったのだろう

覚えた魔法で 敷物や窓帷 壁面や照明具
人の手の届きにくい場所など
屋敷の灑掃の多くを任せてもらえた
誠に水系の力は偉大である

屋敷の人々とも この数日でとても距離が縮まった気がする
これからも大規模な灑掃は私が任されよう

「セレ、ありがとうございます。お陰で日々の仕事を
 滞らせることなく済んで本当に助かりました……!」
「お役に立てて幸いです。私の魔法の鍛練にもなりました」

準備も佳境 明日が祝宴だ
ご休憩に入られたヨシュア様と笑顔を交わす

こちらの火季は 日本の夏と異なり
空気がからりと乾いていて
いかにも火のマナが溢れているような季節だ

暑さはまだ本番ではないようだが 外の日射しは眩しく
屋敷の中には影が濃く落ち 風が通り抜けて心地よい
ヨシュア様の手元の 洋盃の中の氷が涼しげな音を立てた

「それで、手伝っていただいた報酬ですが」
「報酬……? いえそんな、手持ち無沙汰だったので
 願い出たことですから」
「いえいえ、兄様の精霊と言えど、働きには正当な対価を。
 厚意として甘えるのは資産家の面子も立ちません」

生真面目な瞳が濁りなく私を写す

事実 明日の祝宴も 主は自領のために節約して
かなり小規模なものを提案しようとしていたらしいのだが
当主となって初めての節目の祝いにそれでは箔がないと
弟君や執事長から猛反対されたようだ

王の不在で 国の財政は良くはない
しかし貴族としての威も損ねてはならない
難しいところなのだろうな

しかし精霊が人のように金銭をもらっても──
そうだ それならば──

「では、お願いがございます」

報酬として望むのは いくらかの金銭と
ヨシュア様の時間を少し



* * *



屋敷中が寝静まった夜
窓からそっと出て 陰のマナに助けてもらい
ふわりと風に乗って屋根へと登る
液体の満ちた小瓶を夜空に掲げ マナを身体に取り込んだ

「母なる大地よ 夜露の輝きよ ……私の花よ」

高潔な優しさ 意志の強い目 時折見せる悪戯な表情

くす と笑んで 想いをマナに変じて放つ
ひらめいた花をすぐに凝縮させて 小瓶へと注ぐ

「この香纏うものに星の加護を授け給う」




* * *



ユークリウス邸は 本日は一段と煌びやかで
広間には 他貴族諸侯や名のある商人
それに騎士の方々が訪れ 賑わっている

令嬢も挨拶に来られているが 皆 主の甘いお顔立ちと
気品ある佇まいに熱を上げているご様子だ
そういえば主には 許嫁などはおられないのか──

変に胸が騒ぐ ──弁えよう

庭園へそっと移って さざめく星空を仰ぐ
星の並びは故郷と違うが 星河はこの地にもあるようだ


木を隠すには森 という言葉が故郷にはある
私も今日は 令嬢たちがお召しのような
流行をおさえた淡い彩の礼装を魔力で模しているので
地に裾を擦らないよう 骨組みを持ち上げ
庭園の石畳を歩いてみる

外の静寂に柔らかに響く虫たちの声も
人の子らのつくる屋敷の賑わいも
どちらも私にとっては愛しく 優しい気持ちにさせる

夜風が心を凪いでいく


「セレ」

はっとして振り返る 主の声だ
貴族らしい盛装に 髪をまとめ上げたそのお姿は
一段と麗しく 宵闇によく映えた

「主役が抜けてこられてよろしいのですか?」

「少し休憩だ。君が出ていったのが見えたのでね。
 すまない、口実にさせてもらった」

「まあ……」

口実にされたとしても
私を見つけて追ってきてくれたことに
くすぐったい想いが駆けて 思わず笑ってしまった

そのまま喧騒から離れて 二人で庭園をゆっくりと歩く


「ヨシュアが随分セレに感謝していたよ」

「ええ、報酬までいただいてしまって。それで……
 ささやかですが贈り物を用意できました。
 ユリウス様、お誕生日おめでとうございます」

祝いの言葉とともに
装飾の美しい小さな化粧箱を取り出して差し出す
主は琥珀色の目をぱちぱちと瞬きしてそれを受け取った

「ありがとう、君からもらえるとは思わなかった……
 開けても?」

「どうぞ。お気に召すものであれば良いのですが」


かた と音がなって 箱が開けられ
星明かりに小瓶が照らされる


「これは……香水?」

「はい、ヨシュア様にご助言いただきながら
 精油を選んで合わせ、最後に私の魔力を込めました」

少し恥ずかしいが 香の説明をせねばなるまい

「最初に香るのは、優しく爽やかな柑橘。
 その後に、主の髪色に似た薬花たちと
 ……夜露に濡れた桜の香。
 時の経つにつれて麝角と甘やかな果実が香り立ちます」
 
それぞれの精油が 時とともに主を包むだろう
小瓶の中には注いだマナの影響か
星屑のような光がきらきらと舞っている

「私のために作ってくれた一点物なのだね。しかも
 セレの樹属性魔力の込められた……素晴らしい……!
 大切に使わせてもらうよ」

小瓶を見る主の目もきらきらと輝いている
今すぐ使ってみたいという気持ちが手に取るようだ
主らしい反応に笑いが漏れ あたたかな気持ちで満たされる

「嬉しい……ありがとうございます」

「礼を言うのはこちらだろう?」

「いいえ、主」

心をこめて 心からの言葉を伝えよう
言葉を介してでは 想いをそのまま伝えられないけれど
それでも──この世界の 人の言葉で

「あなたと出逢ってから、私はたくさんの初めての感情を、
 経験を、いただきました。それはきっとこれからも。
 それがとても、とても嬉しいのです。
 ……生まれてきてくださってありがとうございます。
 ユリウス様」

言葉だけで伝えられない想いが
精霊の契約を通じて 恐らく主へと流れている
忠義 信頼 親愛 期待 そして芽生えた──恋慕


「……セレシェイラ」


賜った名を呼ばれ 手をとられて
主の唇が僅かに 私の指先に触れた
その光景の美しさに マナの波立つ間もなく見惚れてしまう


「私は君が望むなら、君が故郷へ帰る方法を探してみようと
 思っていた。しかし君から伝わる想いが……私も嬉しい。
 君を手離したく、ない」

手離したくない──その言葉で 全身が震える
きっと今 主は 私を一人の女性として
対等の存在としてお話ししてくださっている

主のお顔が赤く染まっているのが分かる
そして少し苦しそうに眉を寄せて──言葉を続ける

「……セレの全ての想いには応えられないだろう。
 それでもこの世界で、これからもずっと。
 私と運命を共にしてくれるだろうか」

「もちろん、です……!」

人と人が結ぶ形の絆でなくてもいい
心の深いところで 別の形の絆で繋がることができる
それはきっと唯一なのだ

「どのような時も、たとえ距離があったとしても、
 存在が尽きるまであなたと共に駆けましょう」

再び心から誓い合うと
やっと真の契約を結べたような気がした

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