お風呂に入りましょう
「じゃあ今日、早速工房へお出掛けしよう。
けどその前に、お風呂、入ろうか」
「おふろ……」
「気の利いたおもちゃはないけれど……
洗ってくるからゆっくりしていて」
浴槽を洗って、湯を張るボタンを押す。
リビングへ戻ってくると、てんこくんは小さな水槽の中の熱帯魚を眺めていた。一昨日までは唯一の同居人だった、テールベールの、鮮やかな深紅のベタ。
ゆら、と優雅なヒレを僅かに揺らめかせて、ベタの方も見知らぬてんこくんを横目でじっと見ていた。
「綺麗でしょ」
「……これ、食べんの?」
「ううん、それは観る用。小さくて食べるところないわよ」
真面目な顔でぽつりと尋ねられたのがなんだか可笑しくて、くす、と笑ってしまう。
「ほかのは?……いっぴきだけ?」
「そう、この子は一匹が良い魚なの」
「……なんで?」
「ん……自分のお家を独り占めしたいタイプなのよ。
他の子を入れたら喧嘩しちゃうの」
「そー……なんだ……」
「餌あげてみる?」
「……!」
私は餌の袋を取り出した。
こくりと頷いたのを見て、袋を開けて差し出す。
「じゃあ一摘まみ、ちょっとだけ取って、いれてあげて」
「うん……、わあ」
ベタは4粒の餌をぺろりと平らげて、元の定位置に戻った。ほとんど動きのない赤色を、てんこくんは飽きることなく眺め続けていた。
しばらくして、お風呂が沸いたことを知らせる音が鳴る。
「沸いた。入ろっか」
脱衣所に入って服を脱ぐ。
そういえばてんこくん、替えの服がないわね。今着てる服を洗濯して乾燥できるまで、とりあえず私のTシャツでも着ておいてもらうしかないか。日用品も今日揃えないと……
考え事をしながらふと目線を感じて視線を落とすと、てんこくんが目を大きく開けて固まっていた。
「……?どうしたの?」
「……い、いっしょに入るの……?」
「え?あ、嫌?恥ずかしい?」
「……」
……俯いてしまった。
もうこの歳で恥ずかしい、とかあるのね……
「ひとりで入ってみる?」
「……」
どうしよう。答えないな、
「……いっしょに、はいる……」
「あ、そう……?」
返事はもらえたけれどちょっと微妙な空気のまま、湯気のこもった浴室に二人で入った。シャワーのお湯が暖かくなったところで、細い身体に足元からお湯をかけて行く。
「……あったかい……」
「ん……頭にかけるよ、目、瞑ってね」
地肌を撫でながらしっかりと濡らして、一旦お湯を止めてからシャンプーを手に取る。手のひらで少し泡立たせて、ちょこんとお風呂の椅子に座った彼の頭を洗うと……泡はすぐにへたってしまった。
「……一回流してもう一度洗うわよ」
「、うん」
二回目は無事に泡立った。隅々まで洗い上げて、流して、トリートメントを髪に馴染ませてまた洗い流す。とても大人しい。
次に石鹸をボディータオルに取って泡立たせる。
手製のアロマ石鹸からは、甘い花の香りが広がって自然と穏やかな気分になった。
「すごい……なにこれ」
「手作り石鹸、カモミールの香りよ。作るの好きなの」
泡をたっぷり含んだタオルを小さな手にハイ、と渡して、私も自分の髪を洗いにかかった。
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