あか、しろ、みどり、もも、きいろ。 色とりどりの飴玉がふってきた。 二階の窓からいくつもいくつも。 落ちてくるそれは地面に当たるたび、こつんと軽い音をたてて跳ね返る。 あたしはしばらく茫然としてしまった。 「何やってるんですか」 二階の窓から飴玉をふらせるというわけのわからない行動をとっているのは、やっぱりカカシ先生だ。 見上げれば、彼は窓枠にもたれながら、愉しそうに目を細める。 あたしがいくら睨もうと全く動じないで、飴の雨を降らし続ける。 「キャンディシャワーだよ」 「何のために?」 「トリックオアトリート」 カカシ先生は横文字しか話せなくなってしまったんだろうか。全くもって意味がわからない、お手上げ状態である。 「先生、あたしの記憶が正しければ、トリックオア…とかいうその呪文は、お菓子をもらうほうが言うんですよ?」 「そうだったっけ。ま、細かいことは気にするな」 「しかも、今何月だと思ってるんですか!ハロウィンのつもりなら遅すぎます!」 こんなに裏庭を散らかして、掃除はどうするつもりだろう。 今年度の清掃委員顧問を担当しているのは国語科のエビス先生だ。これを見たら卒倒するに違いない。 カカシ先生はただでさえ、やる気があるんだかないんだかよくわからない教師(なのに女生徒に人気がある)としてエビス先生に目をつけられている。 これ以上騒ぎをおこしたら職員会議にかけられて木の葉学園から追放されてしまうんじゃないだろうか。 それは困る。あたしが困る。 あたしの心配をよそに、カカシ先生はにこにこ笑っている。 やっと手にもつ飴の袋が空になったようで、なんだか満足げだ。 「それ全部、お前にあげる」 「えっ。……片付けたくないだけでしょ」 「だって、お前にあげるために降らせたんだよ?」 「うそだぁ。散らかすのが楽しいから飴玉なげたんでしょ。絶対そうだ!」 「オレがそんな子どもみたいな理由で飴なんて投げると思う?」 飴をあげるために窓から降らすっていう発想は子どもみたいじゃないんだろうか。 そもそも人にものをあげるのに頭上から落とすっておかしい。 カカシ先生は変な人だ。変人過ぎて手に負えない。 そう思いながらも、あたしはいそいそと飴をひろいはじめた。 先生がじっとこちらを見てくるから、何だか落ち着かない。 アスファルトじゃなくて良かった。 飴はひとつも砕けずに、柔らかい草の上に着地していた。 「ふぅ。これで全部かな」 「まだ一つあるよ、ここに」 「あれ、ほんとだ。……って、カカシ先生、いつのまに降りてきてたんですか!?」 二階の廊下からここまで結構な距離があるはずなのに、カカシ先生はいつもそう。 遠くで見かけてもいつのまにやら近くにいる。そしていつの間にか、また遠くにいってしまう。神出鬼没の人なのだ。 カカシ先生は足元のあかい飴玉をひとつ拾うと、あたしの手にのせた。 あたしはそれを持っていたトートバッグに入れた。 両手じゃもちきれない量の飴でバッグの中はいっぱいになった。 飴の底には勉強道具と筆箱が入っている。 三年のこの時期だと、授業自体は少なく、学校に来る時は身軽なものである。 「この飴どうしたんですか?」 「うん。今朝、イルカ先生にもらった」 「イルカ先生に?」 「トリックオアトリート〜!って言いながら、職員室中の机に、こんなにおっきな飴の袋詰めを一つずつ」 カカシ先生はどさりと音がしそうなジェスチャーをした。 イルカ先生は体育の先生だ。 鼻に大きな傷があるけど、いっつもニコニコ笑ってる優しい人。怒るとちょっと怖い。 だけど、男女問わず生徒からの人気が高い先生だ。 そういえば実家が飴屋さんだって、いつかの授業の時に言っていた。 「オレは甘いの苦手だから。イルカ先生には悪いけど、甘いものが好きなやつにあげたほうが喜ぶかとおもってね」 なるほど、トリックオアトリートとか言いながら飴を渡したのはイルカ先生が元凶だったのね。 「甘いものは好きですけど。この量食べたら……虫歯になりそう」 「一気に食べたらそーなるな。……じゃあ、やっぱりオレが預かっておこうか。一日一個ずつ取りにきなさい。化学準備室」 「え〜!一日一個はけちだと思います。そんなんじゃ食べ終わる頃には卒業してるよ!」 卒業。 その言葉を口にすると、胸のどこかがすっと冷えた。卒業まであと、どれくらい学校にこれるんだろう。あと何回、 「あと何回オレに会えるだろうって考えた?」 「……!!」 「わかりやすくてかわいいね、オマエ」 カカシ先生がくすくすと笑う。……バレていたんだ!動揺しながら、何か言わなきゃと口を開いた。 「そ、そういう事、教師が生徒に言っていいんですか?」 「いいんじゃない?もうすぐオレもこの学校を卒業するから」 「え……っ」 カカシ先生の言葉が信じられなくて絶句する。 先生がこの学校からいなくなるなんて、そんなの聞いてない! 「ま、心配するな。次の勤務地もそんなに遠くないから。何かあってもなくても、いつでも会いに来ていいぞ」 「……」 そんな事を言ってくれたって、何かなきゃ、会いに行く勇気なんてない。 母校だったら、いつでも顔だせるって思ってたのに……。 こんな風に言ってくれる先生の優しさが嬉しくもあり、悲しくもありで、どんな顔をすればいいかわからない。先生はあたしの気持ちをしっているんだろう。 でも、ごく普通に、先生としての温かい言葉をかけてくれる。 そりゃそうだ。先生からしてみたらあたしは子どもも子どものガキンチョなのだから、恋心をもたれようが大した事じゃない。きっと。 「なに悲しい顔してんの。もっと喜びなさいよ」 「喜ぶって何を……」 「いつでも会いに来ていいって言ったんだからさ。このオレが」 「そんなこといったって……」 そんなの誰にでも言ってるんでしょ。それに、卒業したわけでもない高校に、いくら近くたって行けないよ。 俯いて黙っていると、カカシ先生が言葉を続けた。 「誰にでも言うんだろうって、思ってる?」 先生はいつもそうだ。言わなくても、あたしの考えてる事をあててしまう。 「いつでも会いに来いなんて、お前にしかいわないよ」 「え……」 「それと、次の勤務地は高校じゃない」 そういうとカカシ先生は、白衣のポケットから封筒をとりだした。見慣れた大学名が封筒に印字されている。 「この大学の研究室に呼ばれてて、4月から行く事になったんだ。オレの母校だって話、前にしただろ?」 「うそ……」 その大学がカカシ先生の母校だって事はよーく知っている。だって、だからあたしは今、その大学を目指しているんだもん。 「ま、勉強がんばれよ」 目を細めて笑うカカシ先生を、信じられない思いで見つめる。 「飴はやっぱり持って帰っていいよ。でも、化学準備室には毎日来なさい」 「何でですか?」 「オレって実は英語も教えられるんだよね。いまのままじゃ危ないでしょ。特別に教えてあげる」 「どうして……」 その時、1階廊下を通りかかったイルカ先生があたしたちを見つけた。 「あ、カカシ先生!!職員会議はじまりますよー!」 「あぁ、今行きます。……じゃ、気をつけて帰りなさい」 「は、はい」 どうしてそこまでカカシ先生はしてくれるの? 黙って先生を見つめると、先生はやっぱり優しく微笑んで、こう言った。 「これ以上はさすがに、卒業してからだな」 「カカシ先生?」 「ま!しっかり勉強して、大学合格して、早く卒業してちょうだい。オレはお前を信じてるよ」 「うわ、プレッシャー」 「プレッシャーかけた分だけ勉強は見てあげるから。明日から早起きしなさい。」 「カカシ先生は起きれるの?」 「起きるよ。じゃ、また明日」 カカシ先生が歩いて去っていくのを見ながら、あたしはしばらく茫然としてしまった。 「もうすぐ、卒業」 つぶやいてみてから気付いた。もう、胸のどこかがすっと冷たくなったりしない。 がむしゃらにがんばるその先に、先生がいてくれるなら。 思わせぶりな態度が、あたしにやる気を出させるためだった、なんて言ったら承知しないんだから。 とにかく今はまっすぐ、前に向かって進むだけだ。 あかい飴玉をひとつ舐めたらびっくりするほど美味しくて、顔がほころんだ。 |