彼女と天井

「じゃあちょっと行ってくるね。留守番宜しく」
「はい!いってらっしゃい」

午後から上忍数名を集めての会議がある為、執務室を出て行こうとしたら、オレを見送る専属事務官兼恋人の笑顔があまりに可愛らしいので足が止まった。
数歩戻って近づくと、ハルは書類仕事の手を止めたまま、きょとんと目を丸くした。顎を掴んで上向かせ、彼女の小さな唇を奪う。

「……カカシさん!」

顔を真っ赤にして怒るハルにオレは笑顔を返した。

「行ってきます」



先日うっかり口を滑らせて、執務室には常に暗部が控えているという事をハルに話してしまった。それからというものの、ハルの恥ずかしがり方はそれまで以上になったけれど、かといって彼女の回避能力は特に上がってないので、オレはこれまでと変わらずスキンシップを取り放題だった。恋人同士になったというのにハルは相変わらずセクハラだの何だのと騒いでいるけど、オレはこれでも我慢している方で、むしろ褒めて貰いたいくらいだ。

もっとも、家に帰って本当に二人きりになってからは、まるで我慢なんてしていない。

合鍵を渡してから、最初の内は遠慮してか、ハルはオレの部屋になかなか来なかった。けれど、不機嫌を表に出して問い詰めてからは、彼女は度々オレの部屋を訪れるようになった。このまま同居に持ち込みたいところだ。一緒に住んでしまえばあとは指輪も渡しているのだからもうなし崩し的に……という思惑は、まだ彼女にはばれていない。

七つも年下の彼女に、つい大人げない態度をとってしまったり、ワガママを言って甘えてしまうのは不思議だった。けれどハルはオレのワガママを許してくれているような所があって、その優しさにつけこんでしまっている。

先日も教え子の一人に『カカシ先生、あんまり重たいとハルさんにフラれちゃいますよ』と釘を刺されたばかりなのだった。『ハル、オレの事何か言ってた?』と内心焦りながら問うと、桜色の髪の教え子は溜息をついた。

『何も聞いてないですけど……さっきも、イルカ先生とハルさんが立ち話してるの、カカシ先生すごい顔で見てたから』
『すごい顔って……』
『黒いチャクラが漏れてましたよ。……先生って、好きな人にはわかりやすく嫉妬深いんですね』

黒いチャクラって……。
サクラはオレをからかうように笑っている。

反論できなかったのは、嫉妬深さと独占欲が、ハルを手に入れてから余計に増していることを自覚していたからだ。




余裕が無い自分にはうんざりだけど、好きで堪らないのだから仕方が無い。
大体ハルがなにかと可愛すぎるのがいけないのだ。他の男に奪われないか不安にもなるというものだ。

会議から戻ったオレは、彼女の行動を見てまたもや悶絶する事となった。


執務室のドアの前で咄嗟に気配を消したのは、中で話し声がしたからだ。

「……?」

しかし耳を澄ませてみても、聞こえるのはハルの声だけだった。
何をしているのだろう。
細くドアを開けて、中の様子を伺う。

ハルは天井に向かって話しかけているようだった。

「すいませーん……誰かいらっしゃるんですか?」

恐る恐るといった様子で、ハルは天井を見上げている。
他の誰が見ても奇行にしか見えないだろうが、オレには彼女が何をしているのかがわかった。

「……やっぱり私が話しかけても出てきてくれないか……」

ハルはきっと暗部の存在を確かめているのだ。
解った途端、必死に笑いを堪えた。

護衛の暗部は常に火影についてまわるので、オレが執務室を外しているときは暗部も一緒にそこからいなくなるという事を、ハルに教えてあげなくては。

「カカシ先輩入らないで何やってるんですか?」

背後から声を掛けられた。今日の護衛担当は、よく知る間柄のその男だった。

「丁度良かった。テンゾウ、お前をハルに紹介したいんだけど」
「え、どういう風の吹き回しですか……」

テンゾウが引き攣ったような声で言う。『常に暗部が控えているって知ったらハルが怖がるかもしれないし、基本的に気配は消すように』それが火影を護衛する暗部全員に通達していたオーダーの一つだった。

「いやー、お前らの存在がばれちゃってね」
「ばれたって……どうせばらしたんでしょう」
「ま、そうなんだけど」

ドアを開けると、ハルはびくりと体を揺らしてこちらを見た。

「あ、カカシさん、おかえりなさい……」

慌てている様子が可愛いらしい。天井に話しかけていた事についてつっこむのはかわいそうになって、オレは何も見ていなかったという顔をつくった。

ハルの視線がオレについて入ってきたテンゾウへと向かう。暗部装束を着ているのを見て、彼女の目は大きく見開かれた。

「ハル、紹介するよ。コイツは暗部のテンゾウ」
「……はじめまして。テンゾウです。(ヤマトじゃなくてテンゾウの方がいいんだろうか……)」

テンゾウが猫面を外す。ハルは何故か、きらきらとした目でテンゾウを見上げた。

受付所事務として長年働いてきたハルだけれど、暗部の忍と会話するのはこれが初めてなのかもしれない。

ハルが尊敬の籠もった眼差しをテンゾウに向けている事に、少しだけ苛々した。
すぐに、そんなことでもやもやする自分の心の狭さに驚いた。
どんだけ嫉妬心が強いんだオレは……。

しかし、その後ハルの放った言葉に、オレの嫉妬心は一瞬でかき消えてしまった。


「はじめまして、テンジョウさん!……あっ!」

耐えきれず、オレは大きく吹き出してしまった。

「え?……テンジョウ……?」
「申し訳ありませんっ!お名前を噛んでしまいました……大変な失礼をっ……!!」


ハルは真っ赤になって、大慌てで謝った。
テンゾウは首を傾げている。
天井裏の暗部について考えていたところ紹介をされたもんだから、ハルの頭のなかが混線してしまったのだとおもう。


「くくく……お前は今日からテンジョウを名乗れ」
「は!?何でですか先輩!」
「違うんです!噛んじゃっただけですって!!」

真っ赤になるハルはやっぱり可愛いし、面白い子だと思う。この魅力に気づいているのがオレだけならいいのに。

執務室に事務官を迎えてからもう一年になるが、彼女との日々は本当に退屈しない。
一年前より大分にぎやかになった執務室には、春の陽光が差し込んでいる。

20180310
(22/23)
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