亡き友人との記憶待機所の扉を開けると、アスマが一人で煙草を吹かしていた。 オレに気づいてゆっくりと顔を上げる。
「よう、相変わらず辛気くせー面してんな」 「……」
斜め向かいに腰を下ろして、何度も読んで擦り切れた小説を開いた。 同僚兼友人の視線が刺さる。
取ってつけたような同情や、傲慢な憐れみなら、御免こうむるけれど。
――この男の場合は、そうではないようだった。
長い付き合いがそうさせるのか、こいつは、こんなオレの事を本気で心配してくれているらしい。
数少ない友人から向けられる言葉を、そう簡単には撥ね除けられなかった。
そうはいっても、自他共に認めるひねくれ者のオレは。 アスマに何を言われようとも、『余計なお世話だ』と言って、躱してばかりいた。 それはそれで、『おーおー、悪かったな』と、こいつは何もかもわかりきったように笑うのだけれど。
「……今日は、班員の指導は?」
逸らされない視線に諦めて、オレはアスマに尋ねた。
「今日は休みだ。チョウジもまだ本調子じゃないしな」
灰皿に煙草を押しつけながらアスマは応える。
「ナルトはどうだ?」 「もう動き回ってるよ。……自来也様と修業の旅に出るっていうんで、食べ納めだとか言いながら、毎日のように一楽に通ってるらしい」 「ハハハ……さすがの治癒力だな」
サクラも綱手様に弟子入りして、日夜修業に明け暮れているようだ。
――サスケが里を抜けて、第七班はバラバラになった。
ナルトも、サクラも、ほどけてしまった繋がりを取り戻そうと、決して諦めることなく、それぞれの師を見つけて前へ進んでいこうとしている。
「辛気くさいのはオレばかりってね」 「……珍しく落ち込んでるのか」 「そうかもね。部下全員とうまくやってるアスマ先生を見てると、羨ましくて涙が出るよ」
アスマが目を丸くしている。 ――さすがに弱音を吐きすぎたらしい。
「……すまん。疲れてんのかなオレ」 「……吸うか?」
アスマが煙草を差し出してくる。 普段は滅多に吸わないが、礼を言ってアスマからそれを受け取った。
肺の中を煙が満たしていく。 空っぽになるまで深く息をはくと、色づいた煙がゆったりと立ち上っていった。
「また女を振ったんだって?」 「――誰に聞いたの」 「夕べ飲み屋で中忍が、ぎゃんぎゃん泣いてたからよ。お前の名前が漏れ聞こえたんで、気まずくなって移動した」 「全く、迷惑な話だね」
小さく溜息をつくオレを、アスマは呆れたように見ている。
「振ったんじゃ無いよ。オレが振られたの」 「……お前が?」 「いつもそうさ。見てくれと肩書きだけで寄ってきて、こっちが期待通りの態度をとらないと解ると、すぐに癇癪を起こして、勝手に軽蔑して去って行く。女ってのは面倒だね」
愛読書に目を落としながら、重い息を吐き出した。 この小説に出てくる女は面倒くさくないのに、現実は小説のようにはいかないらしい。
「顔が良いってのも考え物だな」 「オレの場合、顔だけが良い訳じゃ無いからね」 「……」 「中身は空っぽだけど」
アスマは憐れむようにオレを見て、煙草をもう一本取り出した。
「期待通りの態度か。――女達は、お前が、自分を拒まないからといって受け入れているわけでもないって事に気づいて、去ってくんだろうな」 「……よくわかるね。お前が今言ったようなこと、よく言われるよ。大体、別れ際になると、ヒステリックに喚き散らされるんだ」 「それでも、来る者拒まずなのは何でだ?」 「……さあ」 「お前は寂しいんだよ」 「……この話もうやめない?」
何か気持ち悪い、と、肩をさする仕草をすると、アスマは気にした風も無くあっけらかんと笑う。
「お前は探してるんだよ。誰か、自分を救ってくれる存在を」 「……」 「本気で人を好きになったことはあるのか?」 「だからやめろって」
面倒だ。こんな話は。 アスマはしかし、煙を吐きながらなおも続けた。
「……お前の数少ない友人であるオレとしては、いつかお前に救いが訪れることを祈ってるよ」
オレは何も言えず、短くなった煙草を灰皿に押しつけた。
照れることなく、あまりにも真っ直ぐに放たれた友人の言葉は、 半分は煩わしく感じられて、けれどもう半分は、不思議とオレの心を温かくした。
何か、言い返そうと思うのに、何も思い浮かばない。 開いた本の同じページを見つめたまま間抜けにも固まっていると、不意に待機所の扉が開く音がした。
「失礼します」 「おう。……あー、持ってきて貰って悪かったな。助かる」 「いいえ。これで全部だと思います」
何かの資料を抱えて待機所に入ってきたのは、受付所で働いている事務のみやまハルだった。オレに気づくと小さく会釈をくれたので、オレも手を上げて微笑み返した。
ハルはアスマと二言三言会話を交わした後、 「今度の任務も、気をつけていってきてくださいね」と言って、愛嬌のある笑みを浮かべた。
小さく一礼して退室する様は、実に礼儀正しかった。
「……あの子はいいよな」 「え。……アスマ、狙ってるの?」 「いや、狙っちゃいねーけどよ。愛想も良いし仕事も早くて気が利く。良い子だよ」
アスマは親戚の子でも紹介するみたいに、和やかに笑った。
「……笑顔も可愛いしね。あの子の『いってらっしゃい』と『おかえりなさい』には、何と無く癒やされるよ」
ついうっかり口を滑らすと、アスマは目を見開いてオレの顔を見つめる。
「……お、まさかお前」
面白がるような目をするので、オレは溜息をつきながら本を閉じ、大きく伸びをした。
「いいんじゃねーか?お前には、ああいう癒やし系の子が」 「……ああいう子はね、オレみたいな馬鹿には引っかからないよ」 「引っかかるのを待ってないで自分から行けよ」 「……」
軽率な友人の発言に舌打ちしたくなりながら、オレは壁に掛かる時計を見た。 もうすぐ、任務の時間だ。
「まあね。彼女を見てるとほっとするよ。……任務から戻ってあの子の顔を見ると、ああ、今日も無事に里へ戻ってきちゃったなあ、なんて思う」 「……何だそりゃ」 「ああいう子の笑顔を守れたらいいなって思うよ」 「……おいカカシ、それって……」 「でも、あの子は別世界の子。忍でも無いしね。……オレでは釣り合わないよ」
少し喋りすぎてしまった。 アスマは何かに驚いたように、言葉を探している様子だ。 オレは視線を振り切るように立ち上がった。
あの頃は、彼女の事を、特別な力など持たないただの女性として見ていた。
――ただ眺めているだけで勝手にほっとしてしまうような、日常の象徴として。
忍である自分達が、守るべき、愛すべき存在として。
だから、受付所でハルに笑いかけられる度、何となく癒やされた。
こんな自分でも、誰かの日常を守っている。 誰かの笑顔を守れていると、そんな風に思えて。
――勝手に、許されているような気持ちになっていた。
彼女はきっとこれからも、自分とは関係の無いところで、あんなふうに穏やかに笑って、どこかでずっと幸せに暮らしていくんだろう。
そうならばいいと思った。 それでいいと思っていた。
血なまぐさい日々を過ごすのは、オレ達だけでいい。
そこに自分は行けなくても、この世界のどこかには、誰にも傷つけられない優しい場所があってもいいはずだ。
そんなきれい事を、勝手に押しつけていた。
気にかけてくれていた友が、また一人去って。
死してなお、あいつの言っていた言葉は、折に触れて思い出された。
『……お前の数少ない友人であるオレとしては、いつかお前に救いが訪れることを祈ってるよ』
アスマが、あんな風に言ってくれたのは何故だろう。
守るべき大切な存在がいるアスマが死んで、 何も持たないオレが何故、生き延び続けているのか。
後悔ばかりだ。
ペインが里に来襲した時、 オレはハルの知らなかった一面を知った。
彼女は、特別な力などなくとも、オレよりよほど勇気のある人だった。
力など持たずとも、人を救おうとするその姿にまた、惹かれて。
そう。いつの間にかオレは、彼女に惹かれていた。けれど同時に、オレなんかが手にして良い人ではないと、最初から諦めていたのだと思う。
オレに幸せを求める資格などないと、そう思ってきたから。
オビトに託された約束を、オレはやっと一つだけ守ることが出来た。
『火影』の名を背負うようになって数年。
久しぶりに、彼女の『いってらっしゃい』と『おかえりなさい』が聞きたくなった。
――そうしてついに、職権濫用に踏み切ったのだと、 もし正直に理由を話したら、ハルは笑って許してくれるだろうか。
end. 20180213
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