それは、11月14日の夕方の事だった。

日直の仕事が終わって、帰ろうとして、鞄を持ち上げたとき。
唐突に教室のドアが開いて、入ってきた人物はあたしと目が合うと、「居た!」って嬉しそうに叫んだ。あたしの心臓はどくりと跳ねた。

「良かった、晴。まだ帰ってなくて」

よほど急いできたのだろう、肩で息をしている。
どうしたの?と聞こうとしたあたしの声を遮って、彼は唐突にこう言った。

「……あのさ、付き合ってくんない?」




言われた瞬間は、思考がフリーズして、それから、ものの数十秒の間に、あたしの頭の中は猛烈なスピードでまわりはじめた。

はじめて喋ったときのこととか、授業中に教科書のくだらない落書きを見せっこしたこととか、CDとか漫画を貸しあったり、彼の好きなバンドに詳しくなって次の日学校で話をふってみたり、だとか、そういう今までの、長い長い片思いの記憶が、まるで走馬灯みたいに頭をめぐった。

喜びよりも、驚きが強くて。

「つ、つきあう、って、」

やっと出た声は、多分掠れてたし、震えてさえいた。

だけど、あたしのそんな様子には一切気づかなかったようで。
彼は両手を顔の前で合わせて、眉を下げて、

「急にごめんな!買いたいものがあるんだけどさ。オレ一人じゃ選べなくて……悪いけど、付き合ってくんない?」

まったく悪気の無い顔で、そんなことを言われたらもう、あたしは、頷くしかなかった。








たった一言に、振り回される。




チャイムの音に起こされて、顔を上げると、黒板が全部、わけのわからない数式で埋め尽くされていた。下敷きにしていた真っ白なノートを見て、また寝ちゃった、とあまり回らない頭で考える。大きな欠伸をかきながら目を擦った。あーあ……またあの日の夢を見た。

男子がわらわらと廊下へ出て行くのを見て、次は体育だと思い出す。教室は途端に、女子特有の高い声だけで、がやがやと騒がしくなった。あたしは窓際の席なので、そそくさとカーテンを引いて、向かいの建物の視線を遮った。

「今日の持久走、タイム計るんだって」

綺麗に畳まれたジャージを机の上に出しながら、リンがそう言った。

「ってことは、ノルマ決まってるのかな」
「1組は、15周だったって言ってたけど」
「うっそ……最悪」

うちの学校の校庭はそこそこ広いので、15周ともなると結構な長さだ。寒くなってから始まった体育の持久走は、ここのところのあたしの憂鬱のひとつである。
今から30分間で何周できるか、みたいな授業のときは、適当にたらたら走ってても何とも言われないけれど、タイムを計るとなると話は別だ。
とっととノルマの15周を走りきらないと、いつまでも終わらないし、足が遅い場合は、授業の最後の方まで残って、寂しく虚しく走り続けなければならない。

しかも、持久走は男女混合でトラックを使用するのだ。もしかすると、走っている時の疲れ切った顔を意中の人に見られてしまうかもしれない。恋する乙女にとっては、ゆゆしき事態である。

「ま、あたしには関係ないか」
「ん?何が?」
「あはは、何でもない」

不思議そうな顔をしているリンに聞かれて、笑って誤魔化しながら、あたしは慌てて、スカートの下からジャージを履いた。リンはもう、ほとんど着替え終わっている。
髪を後ろでひとつに結ぶのを、何気なく見ていたら、リンの首に、銀色の鎖がひかっているのに気づいてしまった。

「あ、リン。それ外さなきゃ」
「え?……あ、そだね」

あたしに指差されて、大事なそれを外すのを忘れていた事に気づいたリンは、慌てて首の後ろに手をやった。小さなくまの、銀色のネックレス。

「晴ちゃんありがとう。落っことすところだったよ」

柔らかく微笑みながら、リンは大事そうに、制服のポケットにそれをしまった。その様子をあたしは、眩しいものでも見るみたいに、見ていた。実際、まぶしかったのだ。テディベアの華奢なネックレスは、リンに、すごく似合っていたから。

親友である、あたしが選んだのだから、当然である。



校庭に出ると、十二月の冷たい風が、容赦なくジャージをつきぬけた。あたしたちはがくがくと震えながら、校庭の真ん中に走った。赤いジャージの集団と、青いジャージの集団が、白い息を吐きながら、みんな寒そうに肩を擦っている。やっぱり、こんな寒い日に校庭を走らせるなんて、正気の沙汰じゃない。冬なんだから、屋内でできる授業にしてほしい。例えば、バスケとか、バドミントンとか。だけど、毎年この時期は、持久走をやるものと決まっているのだった。1月にマラソン大会があるためだ。いまから憂鬱きわまりない。


準備体操をする時、向かい側で屈伸していた青ジャージ集団……男子たちの中に、こっちを見ている奴がいるのに気づいてしまった。あたしと目が合うと、そいつは、ばつが悪そうに笑ったので、あっかんべーをしてやった。体育のときまでこっち見るなっての。そんなに、目が離せないんだろうか。

まあ、好きな人を目で追っちゃう心理はわかるよ。痛いほど。

あたしが「ばーか」って口パクをしたら、そいつは、「ばか、きづかれる」って、口パクを返してきた。何て言ってるのか解る自分に、感心してしまう。

そんな事をしているうちに、やつは、皆とずれてしまったらしい。一人だけ遅れて、アキレス腱を伸ばし始めた。「ぷぷ、だっさ……」って、笑ってたら、あたしもいつの間にかまわりからずれていて、隣のリンの動きに慌てて合わせた。

「そういえば、今日もカカシ来てないね」
「カカシ……?ああ、そーいえばそーだね」

リンの言葉に上の空で返しながら、青ジャージの集団の中を探すと、確かにはたけカカシの姿は無かった。はたけカカシというのは、リンの幼馴染であり、あたしたちのクラスメイトでもある、いろいろと噂の尽きない男だ。

「まあ、あいつが来ないのはいつもの事でしょ」
「はは……それもそうだね」

リンは笑いながらも、少し、元気が無さそうだ。
やっぱり幼馴染だから心配なんだろうな。
リンに心配されるとは、はたけカカシは羨ましい奴である。

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