未完成ノンフィクション 後編
 それからと言うものの、レノは定期的にガラスを持ってきてくれる様になった。
 その数は大抵1つ2つで、そのガラスは先日案内してもらった場所では見掛けた覚えのない、上質な物だと私は直ぐに気が付いた。間違いなくあの三番街以外の場所から、わざわざ持ってきてくれている。
 ふらりと店にやって来ては、カウンターにそれをコツンお置いて、少しだけ話をする。偶々私が不在の時には、店のドアの足元に置かれていて、レノが来てくれた痕跡を見た様でとても嬉しいと同時に、すれ違いになってしまった事に酷く落胆した。
 その落胆は、私がレノに会える喜びを日毎に味わってしまっている何よりの証拠で、なんて贅沢な感情なのかと一日中頭を抱えてしまった。

 そんな日々を重ねたある日の事、今日も苦手な朝に負けて昼からお店をオープンさせて暫く。休憩がてら偶にはジョニーの店のオレンジジュースでも飲みに行こうかと思い始めた時だ。
 ドアベルの音がしてレノかと期待するが、それはまた落胆へと直ぐに変わる。

「…いらっしゃいませ」

 一応、お客という事にしておこう。愛想を乗せ忘れた私の平坦な声は、やって来た男2人に向けられる。

「おーおー、この前のお嬢さんじゃねぇか。一丁前に店構えてたのか」
「…冷やかしに来たの?」

 くたびれたジャケットに袖を通した彼等の事は忘れもしない、何かと元スラムを毛嫌いしているあの2人組だった。小太りな上に相変わらずの横柄な態度は、狭い店内では余計に大きく見える。

「いやいや、元スラム様の暮らしを見学させてもらいに来たんだよ」

 態とらしく「様」なんて付けて、明らかに彼等は前の一件を根に持っているらしい。ジロジロと店内を物色しながら、棚の商品を適当に摘んでは雑に戻していく。
 元々先に手を出したのはそっちなのに…と、ここで言ってしまえば間違いなくジョニーズ・ヘブンと同じ惨状になってしまう。私はぐっと奥歯を噛み締めて、彼等を睨むだけに留めておく。
 しかし、彼等にとってはそれさえも気に入らなかったらしい。

「おっと手が滑った」

 頬の痩けた方の男は、手にしていた青いブローチをその場で手放され、床に落ちたそれは小さく悲鳴を上げて砕ける。あの青色は結構気に入っていたんだけどな…
 私が何も言わないのを良い事に、また1つ2つと床に落としては、床にガラスの破片を広げて行った。時間を掛けて作り上げた物が、いとも簡単にその形を崩していく。いつか壊れる物だけど、それをこんな形で迎えてしまった物達に、ただ申し訳なさと悲しみがグルグルと私の中を駆け巡った。

「この前は啖呵切って来たわりに、今日は大人しいな」

 その床に目を奪われていると、小太りの男がずいっとカウンター越しに顔を寄せられて、私は思わず一歩後ずされば、直ぐに背中に壁を感じた。唯一の退路である店のドアまでは行けそうもなく、いざとなったら自宅へのドアを開けて篭城するしかないかもしれない。

「そう言えばお前、この前タークスの男と歩いていたな」
「…それが何?」

 突然レノの話題を振られて、私はようやく口を聞いた。レノと共に出歩いたのは、ミッドガルに案内してもらった時だけだ。何処かで目撃していたのだろう。
 男は蔑む様に私の事を上から下まで一瞥すると小さく鼻で笑い、醜悪な表情を浮かべて続ける。

「お前、あいつがタークスだって知ってるのか?都合が悪い奴等はお構い無しに殺す集団だぞ?元スラムの人間といい、ホント何考えてるか分かったもんじゃないな」

 それを聞いた瞬間、私の中の悲しみが消し飛んで、代わりにお腹の底が急激に熱くなり怒りが膨れ上がった。
 タークスっていう肩書きしか知らないくせに…私から言わせればあなた達の方が何考えてるか分からないし、レノの方が何倍も人の心を持っている。
 ゲラゲラと大口を開けて笑う2人に、今直ぐにでも物を投げ付けてやりたい衝動に駆られるけれど、それは絶対に得策ではない。口を強く噤んでそれにじっと耐えていると、反発を全くしない私に飽きたのか、やがて彼等は大きな舌打ちだけを残し、店のドアを乱暴に閉めて出て行った。



 黙々と箒と塵取りで床を掃除していく。沢山の欠片達が床を引っ掻きながら、一箇所に集められて小さな山が出来上がった。こうなってしまっては、アクセサリーのアの字も見当たらない。
 私が拾って加工しなければ、やがてミッドガルの地でこの姿になっていたのだろう。少しの間だけでも、綺麗な形にしてあげられて良かった。棚に残った商品はおよそ6割程。まぁ、この量なら明日もお店は営業出来そうだし、また地道に作ればいい。ガラスはレノが持ってきてくれた物がまだ沢山あるし。
 そこまで考えた時、本日2度目のドアベルの音がした。
 ドアプレートはあいつ等が帰った直後にClosedにしたはずだ。にも関わらずドアを開けて来る様な人間を、私は1人しか知らない。

「おいおい何があったんだよ、と」

 やはりレノだった。入り口に佇んで唖然と店内を見回すその姿を見て、沈んでいた気持ちがふっと薄らいでいく。床のガラスは大方片付いていたけれど、歯抜けになった棚と私が手にした掃除用具を見て、大体の事を把握してしまったらしい。
 出来れば、見られたくなかったな…あと30分遅く来てくれたら、どうにか誤魔化せたと思うんだけど。諦めた私は、塵取りに溜まったガラスをゴミ箱に落とし込みながら、下手な作り笑いを浮かべた。

「んー…嵐が来たのかな?」
「真面目に答えろよ」

 酷く苛付いているその声は私の弱っていた心臓を鷲掴んで、ツンと鼻の奥が痛み、絶対泣くもんかと深くゆっくり深呼吸する。気のせいか、レノの香水の匂いが鼻を掠めた気がして、その瞬間視界が滲んでしまった。レノが店内に足を踏み入れた気配を感じて私は慌てて背を向けると、あと一歩で落ち掛けた涙を素早く拭き取る。

「…元スラムの私が、一丁前に商売してるのが面白くないみたい」

 簡潔な一言に含まれたキーワードに、その嵐の正体が誰であるのか直ぐに察しが付いたらしいレノは、そっと私の両手を掴んで振り返らせると掌を確認した。そこにはもう以前処置してもらった絆創膏はなく、薄くなった傷跡があるだけ。

「どっか怪我は?」
「大丈夫」

 レノは少し安堵したのか、肩の力が抜けるのが気配で知れた。そして改めて店内を見渡すと「壊されたのか?」と聞いた。

「もう、気にしてないよ」

 これは嘘じゃない。悲しかった気持ちは、ガラスの破片と一緒にゴミ箱に捨てたつもりだ。
 未だ握られたままの両手がじんわりとレノの体温と合わさると、次第にいつも抱いていたレノへの気持ちが顔を出し始める。

「でも…」

 先程の男達の台詞が脳内に蘇り、一度は収まっていた怒りが再びフツフツと湧き上がって来た。レノはそんな私の気配の変化を感じ取ったのか、僅かに首を傾げて顔を覗き込む。

「レノの事を悪く言ったのは、絶対許さない」



 ガチャガチャと私の身体は歩く度に音を立て、静かな夜のエッジ郊外に溶けていく。夜空には頼りないぐらいに細い月が浮かび、月明かりなんて物は無いに等しかった。この辺りは未だ建設の進みが遅く、掘っ建て小屋と言っても差し支えのない建屋が点在していた。当然街灯の設置もされておらず、私の足元を照らすのは左手に持った小さなペンライトだけ。
 正直、かなり怖い。僅かな音に何度も立ち止まっては振り返り、ここまで歩いて来るのだって予定の倍以上の時間を費やし、もう引き返す事すら怖くて出来ない。しかし、どうにか昼間の怒りを呼び覚まして、自分を奮い立たせる。
 私の好きな人を嫌うのは勝手だけど、馬鹿にするのなら話は別だ…どんな理由があったって、それだけは許せない。

 店を片付け終えた後、レノは「明日また来るから、今日はもう出歩くなよ」と言い残して帰ってしまったけれど、私はそれに従う事が出来なかった。
 ジョニーズ・ヘブンに直行して、ジョニーからあの男達の居場所を知らないか尋ねた。相当危ない剣幕をしていたらしく、ジョニーはなぜかビクビクしながらオレンジジュースを奢ってくれて、そこそこ情報通の彼は「俺から聞いたって言うなよ」と釘を刺しつつその場所を教えてくれた。それが、今私が向かっている目的地だ。
 ギュッと再び身を固くすれば、再びガチャリと音が鳴る。非力な私では、正攻法では絶対に勝てるはずがないので、思いつく限りの武装をしたつもりだ。頭に鍋、右手にはスラムで拾ってきた角材、軍手も2重に付けて、ウエストには古雑誌を挟み込んである。滑稽と言われようが何だろうが、こっちだって本気だ。
 そんなに「元スラム」って言い続けたいなら、それらしく卑怯な手だって使ってやる。

 やがて教えてもらったトタン屋根の平家を見つけて、私はゴクリと喉を上下させる。話では、ここに彼等は住んでいるらしい。住んでいると言っても、見る限りは寝泊まりするのが精々と言った小さな平家で、外観を見る限り生活感なんてものは皆無だった。窓すらなく、正面突破しかなさそうだったけれど、こんな真夜中だし寝込みを襲う事だって可能だ。
 中から物音がしないか耳をそばだてようと、そっと入り口らしきドアの横に身を寄せてみて、私はある事に気がついた。
 …ドアが、開いている?
 建て付けが悪いにしては、上から下までまっすぐに一直線隙間が出来ていて、まるで来訪者を誘うかの様なその様子に訝しむ。緊張からドキドキと心臓が早鐘の様に鳴り響き手に汗が滲み始めて、私はその手を一旦自分の服に擦り付けて拭うと、角材を抱き込みながらそっとドアの隙間に足先を滑り込ませた。そして音を立てないよう慎重にその隙間を広げていき、数分じっくり時間をかけて頭がどうにか通る程まで開ける事に成功した。
 よし…大丈夫…ここまでは上手く出来てる。そう自分に言い聞かせ、ドアを開けた時よりも更に時間をかけて、中の様子を覗き込むと…

「…?」

 あまりに静か過ぎて、もしかして不在なのでは?と思い、思い切って手にしていたライトの光を中へと向ければ、そこには確かにあの2人が居た。何故か気絶した状態でグルグル巻きに縛り上げられ、仲良く床に転がって。

「よぉ、遅かったな、と」
「レノ!?」

 耳慣れた声がした方にライトを向ければ、古いカウチソファーにどっかりと腰掛けたレノが、まるで昼下がりに交わす挨拶みたいに軽く手を挙げて私を招き入れる。その口振りから察するに、私が今日ここに来ることを見越していた様だ。そして、先回りしてこの2人を転がしたのもレノの仕業だろう。
 レノはソファーからひょいと立ち上がると、転がっている2人を爪先で突き、未だ起きる気配が無い事を私に示した。

「どうする?こいつら今なら殴り放題だぞ、と」

 ライトで彼等の顔を照らしてみると、それは見事な青痣が出来ていて、乾いた鼻血の跡が付いていた。一方、レノは埃ひとつ付いた様子がなく、その力の差が圧倒的だった事が分かった。
 すっかり肩透かしを食らってしまった私は、レノの提案に小さく被りを振る。

「いいよ、こんなの見ちゃったらもう満足」
「そうか、んじゃこんな似合わないもんは捨てとけ」

 レノは私の視界から彼等を消す様に前に立つと、握っていた角材をするりと抜き取り適当に放り投げてしまった。それは偶然なのか、転がっている男に当たったらしく「うっ…」と小さな呻き声が聞こえた。
 
「それにしても、よく一人でここまで来たな。まぁ、来るかなーと思って待ってたけどよ」
「だって…大好きな人の事馬鹿にされて、許せる人なんて居ないでしょ?」
「その気持ち今ならよーく分かるぞ、と」

 何気なく発せられたその一言に思わず固まってしまう。それってつまり…そういう事?
 しかし確認するよりも先にレノは私の手を取ると、「帰るぞ」と外へと連れ出した。ガチャガチャと鳴る鍋はやっぱり滑稽だったらしく、耐え切れなかったレノの笑い声が夜空に響いた。



 約束通りレノは翌日もお店にやって来て、手土産に1つ、青く綺麗なガラス瓶を持って来てくれた。その青は昨日割られてしまったブローチの色によく似ていて、私はこのガラスを使ってもう一度同じ物を作ろうと決めた。

「ねぇレノ、実はお礼の物出来たんだけど…」

 カウンターの小さな引き出しから、1粒のワンポイントピアスを取り出した。レノの髪色によく似たそれは、ある日レノが店先に置いて行ったガラスから作った物だ。きっと、その赤髪にも負けないぐらい良く似合うはず。
 私の手の平の上に置かれたピアスを受け取るかと思いきや、レノはピアスごと私の手をギュッと握り込んだ。2人の手に挟まれたピアスが少し手の平に食い込んで、その存在を強調する。
 予想外の展開に驚いて顔を上げると、目の前にはレノの顔。あ、私がずっと見ていたいと思った目だ…そんな事を思った瞬間、唇を掠める程度のキスが落とされる。

「なぁ、俺ルイの事好きだぞ、と」

 顔が近い…少しでも動けば自分からレノの唇に触れてしまいそうな距離に、私は自分の息をレノにかけてしまう事も恥ずかしくなり、グッと呼吸を止めてしまう。しかしバクバクと鳴る心臓は余計に酸素を欲してしまい、直ぐに苦しくなってどうにか声と共に息を吐き出す。

「そ、そういうのはダメ」

 本当にこれ以上は無理だ。死んでしまう。
 情けなくも私の声は震えていて、それが余計に恥ずかしくて、逃げようにも繋がれたままの手がそれを許してくれない。それを察知したらしいレノが半ば強引に私をカウンターの内側から引き摺り出すと、少し身を屈めて私と視線を合わせる。

「俺のこと好きなんだろ?その俺がこうして告白してんのに、何で俺フラれてんだ?」

 そう言って尖らせた口元は、まるで拗ねた子供の様だったので、私は思わず言い聞かせるように
「大好きだよ」と気持ちを込めて何度目かになる告白をする。しかし何故かレノは更に不機嫌そうに顔を歪めてしまった。

「私、レノに片想いするのが好きなの。今日は見付ける事出来たなーとか、笑ってる顔が良かったなーとか、小さな幸せで一喜一憂するのが楽しいの」

 それが私の日常だった。その小さな幸せを噛みしめたくて、広場に通い詰める様な事はしなかったし、もっともっとと欲を出さないように、レノを見かけた日の一瞬を、他の大きな幸せで埋めてしまわない様に大事にした。
 ぽつりぽつりと話していく私の言葉を、レノは一言も聞き逃すまいと、そのガラスの様に綺麗な目を一度も瞬きで隠さず、じっと私を見つめていた。

「最近はよくレノと話せるし、昨日だって手繋いだし、そろそろ決壊しちゃいそうで…」

 押し込めていたはずの欲は、時間と共に消化されると思っていたのに、私の内側で膨らむ一方だ。
 いつだって胸が苦しいし、レノが持ってきてくれたガラスを見ては、恋の溜息が何度も漏れた。そしてその溜め息を一番吸い込んでしまったガラスは、今私達の手の中にある。

「実は、あれからずっと考えてたの」
「何をだ?」
「レノがもう、エッジに来なくなったらって話」

 言葉にするだけで寂しくなってしまう。足元がグラグラと揺れて、そのまま失意の底に落ちてしまう錯覚を幾度となく見てきた。

「そんな事になったら、私きっと1ヶ月ぐらい泣いちゃうし、ずっと引き摺っちゃう。そんなの無理。だけど両思いなんていう完璧は嫌…」
「完璧にはならないだろ。ほら、恋人っつーのはそこで終わりじゃなくて建設的なもんだろ?」

 今まで見てきたレノからは考えられないセリフは、驚くほど真っ直ぐに私の中にストンと収まって、思わず小さく笑ってしまう。これもきっと、私が知らなかったレノの一面なんだろう。隙を中々見せないと思っていたレノは、時間を共にすればする程に、色んな顔や感情をチラつかせてくれる。きっとまだまだ隠されているに違いない。

「…言ってて恥ずかしくない?」
「恥ずかし気もなく何度も告白してくる奴に言われたくないぞ、と」

 それもそうか。でも、好きなんだから何度だって私はその想いを告げてみせる。それがエッジの広場だろうが、苦手な夜道だろうが、全く関係ない。
 レノは私の手をそっと離すと、付けていたフープピアスと渡したばかりの赤いピアスを付け替えた。思った通りよく似合うし、我ながら上手く仕上がっているなと感心する。

「ほら、そろそろ来いよ」

 レノはその場で軽く両手を広げて、その胸を私に向ける。すると急かす様に天井の電球が瞬いたので、私は素直に足を踏み出してレノの身体に腕を巻き付けた。
 レノの香りと、心臓の音、ジンワリと心まで浸透する温もり。こんな物を知ってしまっては、もう絶対に戻れない。
 今まで経験した事のない大きな幸せを逃さない様に、ぎゅっと腕に力を込めると、レノもそれに応えて私を掻き抱いた。
 そして肩口に顎を乗せて、そっと耳元で囁く。

「これからは、片想いじゃ出来ない事沢山してやるぞ、と」


-fin-


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