プロローグ
今でも鮮明に覚えてる。
「ニーナ、大丈夫よ、大丈夫」
足を怪我して泣き続ける私を、自身も傷だらけなのに笑って抱き締める母を。
「そうだ、貴方の預言を詠んであげるわ」
母は笑って、心地良い譜歌を奏でて。
「…ああ、ニーナ、そんな、まさか…」
「大変だ!火がすぐ其処まできてる!逃げるぞ!」
「…なんですって?!行きましょうニーナ!」
私の預言を詠んだ母は青ざめて。けれど血相を変えて飛んできた父の言葉に、私を抱き上げて走り出す。父も母も、私を守りながら赤く燃え上がる森の中を駆け抜ける。まだ5歳だった私は、ただただ恐怖で泣きながら、母にしがみつくしか出来なかった。
「もう少しで湖がある!そこまで耐えるんだ!」
「ええ!」
もうすぐ湖だった。これで迫り来る炎から逃れらる。そう思った瞬間だった。
「見つけたぞ!アイリアス家の残党だ!」
辺りに響く、知らない声。
「…此処は俺が引き留める、今のうちにニーナを連れて湖に逃げろ」
「…あなた…」
「…レア、ニーナ、愛している。俺は先に、逝ってるよ」
「…っ、ジョン、わたくしも、直ぐに逝きますわ」
そして、父は背丈以上の槍を掲げ、譜術を発動する。
母は泣きながら、湖の中を突き進んで行く。
しばらくして、父が居た場所から大きな爆発が起きて、また見知らぬ声が響き渡った。
「居たぞ!湖の中だ!追えー!」
母は止まり、私を正面から見つめる。
「…貴方の未来は、きっと辛く、苦しく、悲しいことがたくさん起こるわ」
母は涙を流しながら、それでも美しく笑う。
「けれど、ニーナ。貴方はどんな貴方でも、わたくしとジョンの大切な娘。それを忘れないで」
母は、着けていた首飾りを私に掛ける。
「負けないで前へ進みなさい。何があっても、貴方には必ず支えてくれる人が居るから」
首飾りが淡く光る。
「苦しくなったら、歌いなさい。わたくしの全てを、貴方に捧ぐわ」
母は、それまで聞いたことのなかった譜歌を歌う。
強く、美しく、それでいて悲しみに溢れた歌を。
「さよなら、愛しいニーナ…」
辺りに目映い光。
「追いついたぞ!嘆かわしいアイリアス家の残党めが!死ねェェ!!」
ザシュッ……
「っ……」
叫び声と、何かが斬れる音と、声にならなかったであろう母の息の音。
気付いた時、私は静かな森の中にただ一人で、座り込んでいた。
暖かく光る、首飾りを握ったまま。
20120706