ぶつかる殺気



『目視確認だけでいいからな、高山。無理は禁止だぞ?』

「了解です」


上司である村上との通話を切り、高山と呼ばれた女、高山 咲はスマートフォンをポケットに入れた。

季節は二月初旬。時刻は夜中の一時。黒のロングコートのフードをかぶり、革手袋をした咲の格好は暗闇に溶け込むように馴染んでいる。

寂れた裏路地の廃墟になったビルに体を添わせ、五十メートル先にある建物を覗くように見る。その建物とは数年前に営業停止になったラブホテル。入り口には体格の良い男が二人、辺りを警戒するように見渡していた。

雪は降っていないが、吐く息は白い。暗闇に舞い上がる白い息は目立つ。咲は息を消すようにフードを深くかぶり、襟で口元を覆った。


「(…寒い)」


着込んでいても、この季節に二時間も外にいれば体は底冷えするし、気を抜いたら身体が震え出しそうだ。頭の中で寒いを連呼しつつも、視線だけは建物から逸らさない様に必死で努力していた。


―――警視庁組織犯罪対策課。通称・対策課。

警視庁の数ある課の一つで、集団で犯罪に取り組む組織を調査し、取り締まる専門の課。

咲は、対策課の捜査官だ。そして現在、張り込み中である。何故こんな夜中に一人で張り込みをしているのかというと、今朝、対策課に入った情報が原因だった。その情報とは、【海外から銃器物や違法薬物を密輸入し、それを高値で売り捌いている暴力団がいる】というものである。

情報元は、対策課の課長にして咲の上司、村上の、昔からの友人である沢田 家光という男からだった。

いつも作業着とヘルメットを被り、関係者以外立ち入り禁止である警視庁本部の対策課フロアに何の躊躇いも無く入ってきては「ご苦労さん!おら、土産だ!」と、お菓子や飲み物を差し入れにくる、正体不明の男だ。

咲を含め、対策課のメンバーは、沢田の事を村上の友人で、普段は工事現場監督をしている情報屋、ということしか知らされていない。

この男は、一体何者なんだ。

誰しも最初は警戒するのだが、部下からの信頼の厚い村上の友人であること、沢田自身の人柄の良さ(かなりの愛妻家)、そして何より、沢田の情報は信憑性が高く、的確なものばかりだった為、いつの間にか対策課のメンバーの信頼も得ていた。

それは咲も例外ではなく、沢田のことは情報屋として信頼していたし、対策課で唯一の女捜査官である咲を沢田は気にかけているのか、日常会話くらいはする仲だった。

そんな沢田からの情報だ。対策課はすぐに動いた。

情報によると、主犯の暴力団の名前は【宇井(うい)】組。

この名に、咲は瞬時にピンときた。

咲が約一年前、オレオレ詐欺で摘発した暴力団が宇井組だったのだ。

宇井組は小さな暴力団で、資金調達の為にオレオレ詐欺をしていた。しかし、手口が荒い上に古かったため、被害者からの証言を元に捜査を進めればすぐに証拠が集まり、宇井組員は全員逮捕した。

小さな暴力団、オレオレ詐欺という、組織犯罪の中では小さな部類に入る捜査だった為、咲は1人で宇井組を担当していた。

だから、鮮明に覚えている。そして、同時に疑問だった。

毎日が生きるか死ぬかの貧乏暴力団だった宇井組。もし逮捕から逃れた組員がいたとしても、海外と取引をする資金も繋がりも無いはず。

沢田の情報は、いつも正しい。だから咲は、自分の中に浮かんだ疑問は口に出さず、その代わりに一年前に宇井組について調べた資料を引っ張り出し、組員や関係者が出入りしていた場所をリストアップし提出した。

そして現在、その場所を対策課の捜査官達が分かれて張り込みをしている。

このラブホテルは、宇井組が事務所兼生活の場として使用していた場所の1つだ。

営業停止になったラブホテルは出入り口こそ封鎖されていたものの、管理者とは連絡が取れず放置されていた。そこに宇井組は無断侵入し、警察や他の暴力団から隠れるように、ひっそりと生活していた。

他にも、ボロボロの空き家だったり、管理者不在の倉庫だったり、宇井組は様々な場所を転々としており、その中から咲は、このラブホテルの張り込みをすることになったのだった。


「(…まさか、本当に宇井組が…?)」


冷えた体を縮こませながら、ラブホテルを見る。

この二時間で、三十人以上の人間がラブホテルに入った。その中に咲が把握している宇井組員はいないものの(全員逮捕したのだから当たり前だが)、どいつもこいつも暴力団リストに載っている組員や関係者ばかりだった。

こんな時間に、こんな廃墟になったラブホテルに暴力団の人間が集まり、入り口には見張りまでいる。

…やはり、沢田の情報は本物だったのか。

咲が思った、その時、ラブホテルの前に黒いベンツが音も無くやってきた。運転席から細身の男が出てきて、後部座席を開く。そこから出てきた人物を見た瞬間、いつも冷静な咲が、思わず驚きの声を上げそうになった。


「(…谷川、誠人…官房長官?!)」


四十歳の若さで、議員から内閣官房長官にまで登りつめた、時期首相に最も近いとされている人物。

学生時代はラグビー部で、その鍛え抜かれた身体と爽やかな笑顔、気さくな人柄で国民から支持を得ている政治家だ。

メディアで谷川を見ない日は無い、という程の大物が今、ラブホテルの前にいる。ベンツが発進したので、咲の位置からは谷川の顔がハッキリと見える。

谷川は入り口にいる見張りの2人の大男を連れて、ラブホテルに入っていった。

入り口のドアに灯っていた電気が消え、真っ暗になる。咲はただ、呆然と立ち尽くした。


「(…こんな場所に、谷川の様な政治家が来るなんて…)」


政治家が裏の組織と繋がり水面下で悪さをしているのは、よくある話だ。しかし、次期首相と言われるまでの大物の、しかも密輸入などという最悪のスキャンダルは、初めてだ。

咲は辺りを確認してから胸元に手を入れ、各捜査官に支給されている拳銃を静かに取り出した。

組織犯罪対策課の捜査官は捜査に危険が伴うことが多い為、交番勤務の警察官よりも段違いで、拳銃の使用率が高い。

咲自身、これまでに何度も拳銃を使用してきた。犯人を捕まえる為、正当防衛の為、人質等を守る為。命を奪った事は無いが、日頃の惜しみ無い射撃訓練や数多の実戦で、咲の狙撃の腕は警視庁内でも上位だ。


「(…村上警部には目視確認だけで良いと言われたけれど、仕方ない)」


状況が変わった。沢田の情報は、予想を上回る大きな事件の予感がする。張り込み1日目にして、こんな事態になるとは…しかし、今なら確証のある証拠を何か持って帰れるかもしれない。

咲は万が一の時の為、拳銃を小さく構え、そして前に一歩踏み出そうとした。

その瞬間。







「お前、何者だぁ。こんな所で何してやがる」


自分の後頭部の一点に突き付けられた凄まじい殺気に、咲の背筋は一瞬で凍りついた。


「(…!…しまった…谷川の様な大物が足を運ぶくらいだ、入り口の他にも見張りが居るだろうに…)」


目の前の状況に気を取られ背後を疎かにしてしまった事を後悔しながらも、なんとか冷静に考える。

後頭部に突き付けられているのは、きっと刃物だろう。銃口の気配では無い。


「…うお゛おおい、答えろぉ。お前は何者だぁ」


低い声、男だ。

語尾を伸ばす特徴時な話し方の男は、何も答えない咲に苛立ったのか、後頭部に刃物を少し押し付ける。

咲は拳銃を強く握った。そして、小さく呟く。


「…警察だ」

「…あぁ゛?」


咲の言葉に、男の気配がほんの一瞬だけ乱れた。

その乱れた隙を見逃さず、咲が素早く身を屈めながら振り向き、胸元の拳銃を男の顔面に向かって構えるのと。

男の刃物が咲の左の首筋をかすり、裂かれたフードの一部が地面に落ちたのが、同時だった。

咲は拳銃を構えたまま、男を見て驚く。


「(…銀、色……)」


銀色の、長い髪。冬の冷たい風に揺られ、暗闇の中、月明かりを反射しながら輝いている。

髪と同じ色の瞳は鋭く、しかし驚愕の色を浮かべている。外国人だろうか、恐ろしい程に端正な顔立ちをした男は長い剣を左手に巻きつけており、そのギラギラとした刃が自分の首に添わされているというのに。

自然に、当然の様に、咲は目の前の男を、美しいと思う。そう思うのと同時に、自分とは掛け離れすぎた異質な人物、敵だと判断し、拳銃を握る右手に力を込めた。


睨み合いながら、互いに殺気をぶつけ合う。

数秒後、男が、ポツリと呟いた。


「…女?」



20170130