帰ってきた大好きな人



福岡中心部にそびえ立つ高層マンション、その最上階から。


「母ちゃん、オレの靴下どこー?」
「ママ〜、ボクのハンカチもない〜」


今日も今日もて、元気な声が響いている。

そんな二つの可愛らしい声に、キッチンからは怒声が返ってきた。


「あんた達!昨日のうちに準備しときなさいって言ったでしょうが!」


カチャカチャ、ジャブジャブ。食器の洗う音と共に聞こえた言葉に、玄関にいた子ども達は「ひえ〜」と笑いながら自分達の部屋へと駆ける。子ども部屋の大きなクローゼットを二人でよいしょと開けて、目当ての靴下とハンカチをいそいそと探した。


「あっ、啓一、その靴下ボクの…」


“啓一”と呼ばれた男の子は父親そっくりの容姿で、自分の半身である弟をギロッと睨む。その目付きは齢六歳にしては鋭いものの可愛らしさも兼ね備えており、夜空を詰め込んだビー玉のような瞳だ。ふわふわの髪の色も母親譲りの黒で、個性も母親と同じ“パワー”である。


「いいじゃん。貸してよ」
「だ、だめ…それお気に入りなの、返してっ」


普段からヤンチャで気の強い啓一は、ぷくっと頬を膨らませながら赤の靴下を履く。弟の懇願するような声なんて聞いちゃいないとばかりに言い返した。


「別にいいだろっ、オレ赤がいいの!」


そんな啓一を涙目で見つめるのは、弟の“啓二”だ。見た目は母親と瓜二つで、蜂蜜色の大きな丸い目を潤ませている。七三に分けられた金髪のストレートヘアに、背に生えているのは真紅の翼。まだまだ小さな翼だったが父親の個性をしっかり引き継いでいた。性格は誰に似たのか、小心者でとっても泣き虫。

――二人は二卵性の双子、兄弟だ。


「やだ!返して!」
「うるさいな、ケチ!」
「…う、」
「…げ」
「う、うわあああん!啓一がボクの靴下とったぁー!」


しゅん。赤い翼を垂れさせながら突然ぽろぽろと雫をこぼし出す弟に、啓一はギョッとした。大きな声で泣くもんだからキッチンからはドタドタと足音が聞こえてくる。次いでスパン!と勢いよく子ども部屋のドアが開かれて現れたのは、もちろん母親だ。


「もう!何騒いでるの、幼稚園のバス来ちゃうよ?!」
「か、母ちゃん…」
「マーマー!!」


双子の母親である律子は、わんわん泣きながら自分に突進してきた啓二を屈んで抱き留める。やれやれと思いつつ、クローゼットの前で小さな両手をモジモジ絡ませている啓一を見た。


「…啓一、その靴下は啓二のでしょ?どうして自分の履かないの」


出来るだけ優しく問いかけると、啓一は唇を尖らせつつ「だって…」と小さく口を開く。そして俯きながら、絞り出すような涙声で続けた。


「だって、父ちゃんの色だもん」
「啓一…」
「オレの赤いやつは昨日履いたもん…」
「…」
「…オレ、今日も赤がいいんだもん」


半ベソをかいていた啓一はそう言って、「ひっく…うう…」と泣き出してしまった。律子が手招きすると鼻水をすすりながらも素直に寄ってきて、啓二と同じように抱き着いてくる。
ぐいぐいと顔を埋めるようにして泣きつく子ども達に律子は苦笑しつつ、二人の髪をそっと撫でてやった。


「…二人とも、パパが大好きね」


腕の中で息子達がコクリと頷く。啓一のふわふわの黒髪と、啓二のサラサラの金髪が揺れて、律子の頬をくすぐった。


「パパが帰ってきたら思いっきり甘えようね。そんで、いっぱい遊んでもらおう」


双子の父親は現在、関東方面に出張中である。今回の任務は一週間と長く続いており、未だ帰宅の連絡はない。
まだ五歳の子ども達は随分と寂しい思いをしているらしかった。父親のトレードマークともいえる、剛翼の色を取り合ってしまう程に。


「…ほら、もう涙を拭いて。仲直り。ね?」


律子が言うと、幼い二人は見つめ合った。


「…啓一、靴下よごしちゃダメだよ?」
「…貸してくれんの?」
「ん、今日だけね」
「…へへっ、ありがと」


双子は互いに、にこっと笑う。シンクロしている動きに律子も頬を緩ませて、「さ、バスに遅れちゃうよ」と二人の背を押して玄関に向かった。

マンションの下まで来てくれる幼稚園の送迎バスに乗る為、んしょ、っと靴を履いている息子達を見ながら律子が玄関のドアを開けようとした時。力を入れていないのにドアが開き、同時に柔らかい風がふわり、部屋に入ってきて。


「良かった、間に合った」


心地よい声と共に現れたのは、子ども達が待ち望んだ人。


「父ちゃん!」
「パパ!」


声を重ねた双子は満面の笑顔で父親に飛びつく。それを難なく受け止めた彼は、驚いている律子に申し訳なさそうな笑顔を向けた。


「帰りの連絡しようと思ったんだけど充電切れちゃって…ごめんね。二人のお見送りしたくて、急いで帰ってきたんだ」


双子の父親であり律子の夫である彼は、キャッキャッと嬉しそうに騒いでいる子ども達を軽々と抱き上げる。


「…そっか。お疲れ様」


そんな様子に律子も小さく笑顔を浮かべながら、少々寝不足気味に見える彼の顔に手を伸ばした。怪我等はしていないらしい。長期出張なんて珍しくはないものの、ヒーローという仕事柄、常に危険とは隣り合わせなのだ。心配していない訳がなく、こうして無事に帰ってきてくれたことにひどく安心した。


「ただいま、律子さん」
「…おかえり、啓悟」


双子を挟むように抱き締め合いながら触れ合うだけのキスを交わすと、間髪入れずに「オレも!」「ボクも!」とせがむ声が聞こえる。

夫婦は笑い合いながら、自分達を見上げる可愛い息子達の額にチュッと唇を落とした。


――これは、鷹見夫婦と双子の幸せな物語である。









――多くの者が犠牲となった、全面戦争から約十年。

当時、ヒーローとしての人気を集める裏で公安のスパイ活動をしていたウイングヒーロー・ホークス。彼は戦いの代償として、顔の左側、額から頬にかけて広範囲の深い火傷を負った。その傷跡は今もなお端正な顔に堂々と存在している。
一時全焼してしまった彼の個性である剛翼だけは、数ヶ月の入院生活を要したものの、無事に元通りになった。

そうして、彼がヒーロー活動を再開する日。


「ホークス。…いいえ、鷹見啓悟くん。今までよく平和の為に働いてくれましたね。これからは自由に生きなさい」


ヒーロー公安委員会の会長が告げた言葉は、幼少期から籠に閉じ込めていた一人の青年を解放するものだった。

極秘であったホークスの本名は世間に公開され、もう何も隠すことなく生きていけるのだと実感した彼は真っ先に、長く想いを寄せていた女性に告白する。

ずっと一番近くで、誰よりも何よりも、自分を信じてくれていた律子に。


「律子さん、ずっと…ずっと好きでした。俺と付き合ってくれませんか」


顔を真っ赤にしながら、それでも目だけは逸らさずに伝えられた真っ直ぐな想い。律子は彼の顔に浮かぶ真新しい火傷の痕を愛おしそうに撫でながら、


「…うん」


勿論、頷いた。




20201026





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