公園の中心、ちょこんと佇むイエローのフォルクスワーゲンは夜空からは目立つ。しかし、例え車体の色が黒や迷彩柄、透明だったとしても、瞬時に見つけ出す自信があった。なぜかって?心のオアシスだからだ。もはや俺の目には天国にしか見えない、そう、ここは地上に存在する唯一無二の場所、つまり楽園なのである。女神、天使、マイナスイオンの塊…どう言い表すのが正解なのか分からないが、要するに可愛い花さんが経営するドリンクカーに、今日も今日とてやって来た。パトロールが長引いてしまい、いつもより三十分ほど遅くなってしまったが灯りはついている。良かった、まだ営業中らしい。

近付くにつれ漂ってくるコーヒーの香りを思う存分に吸い込みながら、さて今日も彼女の笑顔を全身に浴びようと噴水の隣に降り立つと、いつもと何かが違うことに気付く。違和感の正体は分からないまま、なんとなく姿を隠しつつ車の裏側に回り込んだ。


「めっちゃ美味いわ〜!自分天才ちゃう?」
「褒めても何も出ませんよ」


普段なら人がいない時間帯なのに、木目調の小さなテーブルと椅子には人影が見える。次いで聞こえる関西弁…キャッキャウフフといった楽しそうな話し声と雰囲気…なんてことだ。俺は思わず天を仰ぐ。二人きりの時間を過ごせると思っていたのに…この為に日中、頑張ったってのに…クッソ、誰だ邪魔しやがる奴は。


「ファットガム、あんまりウザ絡みしない方が…」


え?


「なんや環、俺はホンマのことしか言うてへんで」
「いや、でも…お、お姉さんは仕事中じゃないか…」
「こないな時間に客ら来おへんって!俺らが最後やろ〜」


フォルクスワーゲンの車体と同じ黄色、大きな体の、BMIヒーローがガハガハと笑っているではないか。驚いた、何故ここに…?ファットさんの隣で学生服に身を包んでオドオドしている子は確かインターンの…環、天喰環だ、有名な雄英ビッグ3の一人。いやいやホントなんで福岡に二人が…?活動拠点は大阪のはずなのに。インターン生を連れて遠征にでも来ているのか?


「ふふ、この時間でも来てくれる人はいるんですよ」
「そうなん?あ、駅も近いしサラリーマンとか?」
「ん〜…まあそんな感じです」


え、まじでか、俺以外にもいるのか。嘘だろ全然気付かなかった。毎日ほぼ同じ時間に来ては花さんが立て看板を片付けるまで居座っていたが、まさかその後にも客は来ていた、と?俺が居たら店じまいの邪魔になるかと思い毎日少し早めに帰宅していたが、こんなことなら花さんが運転席に乗り込んで帰っていくまで見送れば良かった。
…サラリーマン。クソ、そいつは俺ですら未だ見たことのない花さんの運転姿を拝んだというのか。羨ましすぎる。絶対に可愛いし可愛いだろ。やばい想像しただけで語彙力が消える。


「にしてもホンマ花ちゃん可愛いなあ、彼氏おるん?」
「お、おいファットガム…そんなセクハラまがいな…!」


ホントだよ。でも待って、それは俺も聞きたい。っていうかファットさん花さんのこと“花ちゃん”ってフランクすぎないか?絶対に今日が初対面だよね、何なの、その距離の詰め方。これが関西人のやり方なのか…!


「ふふっ、ありがとう環くん。私は気にしてないよ」


二コリ。天使の笑顔に心臓を鷲掴みにされる衝撃を受けた。く、苦しい、可愛い。胸を押さえる俺と環君のポーズがシンクロしている。成人している俺でもトキメキが止まらないのだ、高校生には刺激が強すぎる可憐さだったろう…花さんってば罪な人だ。ただ質問の答えを濁したのが気になる、例え彼氏の一人や二人や三人や四人や五人くらいいたとしても諦めるつもりはないし俺の気持ちが変わることはないのだが、心構えとして聞きたかったのが本音である。


「え〜、教えてや」
「ほらほら、お喋りしていたらホットドッグ冷めちゃいますよ」
「あ、ホンマや」


カウンターから少し顔を出してテーブルを指差す花さんは、答える気はないらしい。ファットさんも自分から聞いておいて今はホットドッグに夢中だ。なんだよ畜生、グイグイいくなら最後まで聞いてくれよ。

…なんにしても、だ。俺の癒しの時間を台無しにするなんて許すまじ暴挙。さっさと帰れ。テーブルの上に置いてある皿は空っぽになった、紙コップの中身も見えないが影で少ないことは分かる。食べたなら帰れ…いいから帰れ…バレないように覗きながら念じてみるが男二人は微動だにしない。切実に念力の個性が欲しい。

中腰のまま、ギリギリと歯を食いしばりつつ談笑している花さんを見つめ、外野は睨む。頼むから早く帰ってほしいマジで。というか俺もなんで隠れてウジウジしてるんだろ。なんか完全に出るタイミングを見失ってしまったのだ。突然車の裏側から出てきたら花さんに驚かれるのは間違いないだろう、「盗み聞きしてたんですか?」なんて引き顔で誤解されたら立ち直れない。…誤解ではないけど、ホントのことだけど。
こうなったら、もう一度、夜空に昇って何食わぬ顔で降り立ってみようかな。


「ファットガム…そろそろ帰らないか?その、福岡には遊びに来ている訳じゃないし…」


お、いいぞ環君、その意気だ。そのままファットさんを連行して帰れ、できれば大阪まで。


「かたいこと言うなって、なあ花ちゃん?」
「でも明日もお仕事なんですよね?早く帰って休んだ方が…」


そう、そうですよね花さん、さすがよく分かってらっしゃる。


「ちょっとくらい大丈夫やって。あ、そうや連絡先!教えてや」


…なんだと?!


「ちょっと待ったぁぁ!!!!」
「「「え?」」」


…ハッ?!や、やってしまった。ファットさんの言葉に飛び出してしまった。やばい、完全に不審者だ、車の裏から転ぶ勢いで突然姿を現すなんて最悪の登場すぎる。花さんのみならずファットさんも環君もポカンと口を開けたままだ、どうしよう、この場の時間が完全に止まった。数分間中腰でいたせいで俺の体勢は前屈み、両手も謎に構えてしまっている。何このポーズ、あれだ、相撲だ、シコでも踏む気か俺は。


「…ホークスさん?」


真っ先に口を開いてくれたのは、花さん。大きな瞳をパチパチと数回瞬きしてから、額から冷や汗をダラダラ流す俺を見て、小さく微笑んでくれた。普段の営業満面スマイルではない、優し気で綺麗な微笑に思わず見惚れる。可愛いのに綺麗って、もう無敵だ。


「ホークスやん!えらい久しぶりやなあ、元気やった?」
「…い、今、車の裏から、」


細かいことには気にしていないファットさんと、俺の飛び出してきた方向を見てギョッとしている環君。「ま、まさか、ずっとそこに…」と言いかけた環君の台詞に被せるように俺はカウンターに滑り込み、ファットさんと花さんの間に入り込んだ。


「い、いつもの、下さい」


もはや冷や汗なのか何なのか分からない汗がすごいが、こうなったら突っ切るしかない。花さんをガン見して言うと、「…はい、甘々カフェオレですね!」と、ふんわり、可愛らしく返事をしてくれた。あー可愛い、やはり盗み見よりも至近距離で眺めているのが一番だと思いつつ、車内でいそいそと準備を始める花さんの背を横目に深呼吸を一つして、振り返る。僅かに残っていただろうドリンクを飲み干した様子のファットさんと、俺の視線から逃れるように背中を向けて俯く環君に、出来る限りの笑顔を向けた。


「…ドーモ。珍しいですね、福岡にいるなんて」
「こっちでチームアップの依頼があってな〜、ほんで仕事終わりにココ見つけて寄ったんや」
「こ、こんばんは…」
「コンバンハ」


一瞬だけ目が合った環君は、「うっ、胃が…!」と呻きながら椅子から滑り落ち、両手で腹部を押さえてしまった。あ、ごめん…余計なこと言うなよ、って顔に出ていたかもしれない。つい睨んじゃった、えへ、ごめんね。でも絶対に言うなよ。


「環、大丈夫か?」
「く、…ファットガム、もう帰ろう、今すぐ帰ろう、即刻帰ろう」
「な、なんや、そんな痛いん?」
「…胃もそうだが、何よりも視線が痛い」
「へ?」


いいから帰るぞ!と立ち上がった環君は、頭に疑問符を浮かべているファットさんの背中を押し出すように動く。


「ホ、ホークス。お、お姉さんにご馳走様でしたとお伝えください」
「はいはい」
「よし帰ろうファットガム!」
「ちょ、そんな押すなって…もう、しゃあないな」


ホークスまたな〜!と、何も気にしていないファットさんが笑顔で手を振るので、適当に相槌を返しながら作り笑顔で見送った。もう二度と俺のオアシスに来ないでくれ、関西方面に塩でも盛っておくか…いやでもそんなことしたら普通に店の営業妨害になってしまう、花さんに嫌われたくはないので我慢はするが、また懲りずにやってきたら今度こそ正面から追い払おう。


「お待たせいたしました。…あれ?お二人はもう帰られたんですか?」
「あ、はい、ちょうど今…」


言いながら振り返ると、両手で紙コップを持った可愛い人が視界いっぱいに映って頬が思い切り緩んだ。受け取ろうと手を伸ばした瞬間、花さんが「あ、あの、」と上目遣いで俺を見る。上目遣い、え、待って待って待って、超可愛いんですけど。


「今日はもう、来てくれないのかなって思ってました」
「え」
「だから、嬉しいです」


はにかむ花さんが可愛すぎて目玉が落ちそうになった。上目遣いからの、はにかみ笑顔、そんな合わせ技どこで覚えてきたんだ、俺のこと萌え殺す気か。いや待て、嬉しいって、嬉しい…?普段よりも三十分以上も遅れてきた俺のこと、まさか、もしかして待っててくれたの?マジで?


「あ、の…花さん」
「はい?」
「そのー…」
「どうしたんですか?」


よし、いいぞ、このタイミングだ。連絡先を聞け、頑張れ俺!一言、教えてくださいって言うだけだから!ホント頼む俺の口よ動いてくれ!


「かっ、彼氏、いるんですか」


ちっがーーーう!!聞きたいけども!さっきの答えが気になりすぎて潜在意識の中で考えすぎていたんだ、うっかり口が滑ってしまった。しかし言ってしまった言葉は消せない、どうしようかと思って花さんを見ると、また一瞬だけポカンとした後、少しだけ恥ずかしそうに頬を赤くして、


「…いませんよ。いたら、こんな時間までお店なんてやってません」


良かったー!!心の中でガッツポーズを決める。しかも、ぷいっとそっぽ向く花さんの照れた顔まで見れたのだから最高すぎる。この顔も言うまでもなく可愛い、可愛すぎて泣けてきた。


「そう、ですか」


必死でポーカーフェイスを保ち、にやける顔を引き締める。キツイ、唇の端がプルプル震えているのが分かる。何もかも解放させて、この喜びを全身で表現したい、踊りたい、ダメだ落ち着け、いきなり目の前で小躍り始めるヒーローなんて意味不明すぎる。
とりあえず甘々カフェオレを飲んで冷静になろう、うん、今日もめちゃくちゃ甘くて喉が焼けるが美味い。

…あ、でも。


「…サラリーマン、」
「え?」
「あっ」
「?」


しまった、また口が滑った。俺の他にもいるという、常連の存在。ふと思い出してしまった。今日は来ていないようだが…ええい、もうここまできたらヤケだ、ちゃんとハッキリ聞くしかない。


「や、あの…たまたま聞こえたっていうか、その、常連さん、俺以外にもいるんかな、って…」


あ〜〜なんて歯切れが悪いんだ。我ながら驚く程もじもじしている、たまたま聞こえた訳ないだろう、あの会話は随分前だ、盗み聞きしていたのバレバレである。


「聞いてたんですか?」
「…」


首を傾げる花さんに見つめられ、うっと言葉に詰まりながらも小さく頷く。気持ち悪いって思われたらどうしよう、俺たぶん寝込む。


「えっと…」


しかし花さんは罵ることなく、また少しだけ、顔を赤くさせた。え、思ってた反応と違い過ぎる、何この可愛い顔、待って待って心臓がバクバク煩い。


「…あれは、ホークスさんのことです」
「え」
「その、ファットガムさんはホークスさんと同じヒーローだし、お名前出すのも悪いかなって思って」
「…」
「…ホークスさん?」
「…」


顔が熱い、凄まじいスピードで頭に上った血が沸騰している。若干の目眩のあと、鼻から何かがポタリと落ちた。


「え、は、鼻血…なんで?!」


急いで数枚のティッシュを取り、俺の鼻を塞ごうと花さんが慌てている。その姿も可愛すぎる。可愛すぎる人を見て鼻血を出すなんて生まれて初めてだと思いつつ、俺は勢いのまま、自分に伸ばされた細い手をグッと掴んだ。


「れ、連絡先、教えてください」


どこの世界に鼻血を垂らしながら連絡先を聞く男がいることだろう。前代未聞、カッコ悪いなんてもんじゃない、もはや不気味だ。でも、この機を逃したら俺はいつまで経っても可愛さに悶絶して上手く話せないだろう、つまり、今しかない。
しばらく無言で見つめ合う。その間にも俺の鼻から流れる血はボタボタと顎を伝い地面に染みを作っていく。そして、


「…はい」


可愛い笑顔と、静かに告げられたイエスの言葉。俺は今度こそ「やったーー!!」と声に出して叫び、そうして、ぶっ倒れた。


「え?!ホークスさん?!」


貧血で倒れた俺に花さんが駆け寄ってくる。鼻血を撒き散らしながらナンパしにくる男なんて気持ち悪い以外の何者でもないのに、優しい花さんは仰向けで横たわる俺の頭をガシッと掴み、鼻の穴にティッシュをこれでもかという程ギュウギュウに詰め込み続けてくれた。突っ込まれすぎて痛いけど、メリメリいってるけど、穴が広がりそうだけど。でも。


「あわわ、どうしよう…ホークスさん、しっかり!」
「…ふふふ、いて、ふふふ」


下から可愛い顔を見上げられる、この近い距離を堪能できるハッピーすぎる時間と、やっと聞けた連絡先。鼻血に大感謝だ。



20201016


prev | title | next


- ナノ -