エンゲージリング


「ん゛んー…」


スクアーロは伸びをしながら、ゆっくりと目を開ける。すぐに視界に入ってきたのは抱き締めたままの京の寝顔だった。

昨日、廊下でルッスーリアと抱き合っていた京。いくら相手が男の死体にしか興味の無いオカマ野郎でも、男であることには変わりない。あのクソカマ野郎め三枚に卸してやる!と剣を構えようとしたスクアーロだったが、ルッスーリアの表情が見た事のない程の優しさで溢れていることに気付き、スクアーロは剣に伸ばしかけた手を引っ込め、怒鳴るだけで済んだのだった。



***




まだ部屋は薄暗く、起床時間までは数時間ある。


「(ちょっと無理させちまったかぁ…?でも、無防備の京も悪いんだからなぁ…)」


年甲斐もなくルッスーリアにヤキモチを焼いたスクアーロは、あの後すぐに京を部屋に運び問い詰めた後、満足するまで行為をした。疲れたのだろう、深い眠りに入っている京。少し申し訳なく思いながら、その寝顔をじっと見つめ、額に掛かる前髪を優しく払う。そのまま自分とは正反対の漆黒の髪に指を通し、梳かしてみる。サラサラとこぼれ落ちる髪からは自分と同じシャンプーの香りがして、たったそれだけなのに、スクアーロは嬉しくて微笑む。


「んー…」


触られているのが気持ち良いのか、京は小さく声を出しながらスクアーロの腕の中で身動ぎをし、そして、ぎゅ。と。スクアーロの胸に耳を当てるようにくっついた。


「う゛お゛おおい…」


なんつー可愛いこと、しやがるんだぁ…。スクアーロの呟きは、幸せそうに眠る京には届かない。


「京…」


愛しい人の名を呼んで、スクアーロは京を起こさない様に、ゆっくり手を取って抱き締める。

その時、京の左手の薬指の指輪と、自分の右手の薬指の指輪がぶつかり、小さく音が鳴った。プロポーズした時に京に贈ったエンゲージリングだ。スクアーロが付けているのは前々から付けていた京とのペアリング。自分の左手は義手だから右手にしか指輪を付けられないと言った時、京は嬉しそうに「なら手を繋いだ時、指輪が重なりますね」と笑ってくれたことを思い出す。

なんて幸せな時間だろう。京と出会えて、京と一緒にいられて、自分は本当に幸せ者だ。暗殺部隊の作戦隊長である自分にも、こうやって寄り添ってくれる人がいる。そう思うだけで、ただ幸せだった。京に出会えて良かったと心底思う。

まだ起きるまで時間がある。もう一眠りしよう。スクアーロは何となく京との出会いを思い出しながら、もう一度目を閉じた。




***






十年前の、リング争奪戦。スクアーロは一命は取り留めたものの、満身創痍の体を引きずって観戦した大空戦の後は意識を失い、丸々二週間は眠っていた。

その間、スクアーロはこれまでの自分の人生を夢として見ていた。裕福な家庭に生まれたが護身術として始めた剣に惚れ、家族の反対を押し切り剣の修行の為に世界を周り、家出同然で寮付きのマフィア養成学校に入った。左手を斬り落とし、ヴァリアーに入隊するのと同時に家族とは絶縁し、そしてXANXUSに着いて行くと誓った。

死は、怖くない。剣を手に取った時から覚悟は出来ていた。

後悔は、ある。XANXUSの野望を叶えていない。

そう思ったスクアーロは、夢の中で自分を笑った。十四の時、XANXUSにデカイことを言ったくせに自分は結局何の役にも立たなかった。あの頃の自分と同じ年の山本武に敗れ、リングを奪えなかった。自分は、自分が思っているほど強くもなく、何一つ守れやしない…なんて弱い奴なんだ、と。

もういっそ、このまま眠り続けるのも良いかもしれない。弱者は消されるヴァリアーだ、どうせ目が覚めてもロクなことは無いだろうし、第一、自分を待っている者なんていない。なら、もう起きなくても良いのではないか?その方が、これ以上弱い自分を見なくて済む。

スクアーロにとって山本との戦いは、これまでのどの戦いよりも大きかった。そしてそれに敗れたスクアーロは、つい弱気になってしまうほど、立ち直れないほどに憔悴していた。


「(もう夢はいい…熟睡させてくれぇ゛…)」



誰に言うでも無く、夢の中で呟いた時。


「この人、もう起きないんですか?」



声が、聞こえた。初めて聞く、女の声。スクアーロは何となく気になって耳を傾ける。


「そんな事はないわ。この子は強い子だから、今は眠っているだけよ」



次いで聞こえるルッスーリアの声。


「そうですか…早く、見てみたいな。この人の瞳」

「瞳?どうして?」

「瞳も、綺麗な銀色なのかな、って…髪もすごく綺麗だから」

「…そうねぇ。スクちゃん目付きは悪いけど、瞳は綺麗よ」

「スクちゃん?」

「彼の名前よ。スクアーロっていうの。ほら、京も呼んであげなさいな」



人のことを勝手にベラベラ喋りやがって、と思うものの、弱気になっているからだろうか…何故だか、スクアーロにとって、二人の会話は嫌じゃなかった。


「…スクアーロ、さん」


そして、控えめに、けれどハッキリと呼ばれた自分の名前。まだ、自分を待っている者がいるというのか、こんな弱い自分を、何も守れなかった小さな自分を。スクアーロは、意識が覚醒していくのを感じながら、ゆっくりと目を開けた。

最初に視界に入ってきたのは、白い天井。おそらく自分が繋がっている数多のチューブや管。そして…


「…お、起きた…!」

「んまぁ!大変、看護師さーん!!」



漆黒の髪の少女と、ルッスーリア。ルッスーリアは凄いスピードでどこかへと走り去る。この少女が、自分を呼んだのか。スクアーロが向けた視線に、少女は驚いた顔から柔らかい微笑みを浮かべ、


「…ホントだ…すごく綺麗な銀色…」


呟く言葉。スクアーロは言葉を発しようとしたが、口元には酸素マスクの様なものが取り付けられており話せない。その少女の優しげな、嬉しそうな表情を見ていると、スクアーロは自分でも止められない程に眠っていた時の弱い気持ちが溢れ出て、それが、目から零れ落ちた。

少女は驚きつつも、躊躇いながら、スクアーロの目尻に手を伸ばし、雫を拭った。




***





「スクアーロさん」

「ん゛あ…?」

「朝ですよ。おはようございます」

「…おお゛…」


名を呼ばれ目を開けると、微笑んでいる京。今しがた見た夢…京との出会いと同じシチュエーションで、これが夢か現実か一瞬分からなくなった。

しかし、腕の中の京の温もりが、これが現実なんだとスクアーロに伝えている。スクアーロは京をぎゅっと抱き締めた。


「あ゛ー…久しぶりに夢、見たぞぉ…」

「どんな夢ですか?」


腕の中でもぞもぞと動きながら、京はスクアーロを見上げる。スクアーロは京を優しい目で見つめた。


「お前と、出会った時の夢だぁ…」

「…スクアーロさんが、泣いちゃった時ですね?」


悪戯に笑う京に、恥ずかしさを隠す様に力の限り抱き締める。京は痛いだの苦しいだのと言っているが、知るものか。


「…あの時、俺は…」

「…」

「嬉しかったんだ…」


そう、嬉しかったのだ。どうして泣いたのかは分からない。でも…単純に。どこの誰かも分からない少女が、自分が目覚めるのを待っていてくれたことが。それだけで、あの時のスクアーロは救われたし、生きなければと思えた。


「スクアーロさん…」

「…」

「私の前では…泣きたい時は我慢しないで泣いて下さい。私が全部、拭いますから」


スクアーロの顔に手を伸ばし、頬を優しく撫でる。あの時、涙を拭った時と同じ、暖かくて優しい、小さな手。


「それは男の台詞だろぉ…」

「ふふ、そうですね」

「…だが、ありがとなぁ…京」

「…いいえ」


スクアーロは京の手に頬擦りをし、そしてその手のひらにキスを落とす。朝日が差し込む部屋の中で、二人は抱き締め合い、そして、笑った。





20170305





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