ただ気が済まないだけ


「…喉、渇いた」

「水どうぞ」


目を覚ました亜希は虚ろな目を向けながら、掠れた声を出した。彼女より少し早く起きて寝顔を見つめていたホークスは即座に冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、ペットボトルの蓋を開けて渡す。


「痛っ…」

「大丈夫?」


ゆっくりと起き上がろうとした亜希が眉を顰めた為、背中を支えるように腕を回したホークスは、彼女の背中が異様に熱いことに気付いた。

ぬめり、生暖かい感触に視線を向ければ彼女の体温が残るシワだらけの白いシーツに、微かに滲む赤い血。

ホークスが慌てて亜希の背中を見ると、大きな火傷の跡。傷口が擦れたのか痛々しく鮮血が滲み出していた。


「これ…」


ふと思い出す。これは、彼女が先日の爆発で追った火傷だ。全然気付かなかった。昨晩あんなに抱き締めていたのに。明るい光の下で全てを見ていたのに。


「…あ、大丈夫、ちょっとヒリついてるだけだから」


驚くホークスを気遣うように亜希は口を開く。

大丈夫なもんか。きっと行為の最中も痛みを我慢していたのだろう。シーツに広がる血は乾いて少し黒くなっている。自分が力任せに腰を掴んで打ち付けたせいで、擦れてしまったのだ。


「ごめん…俺、」

「本当に大丈夫だよ、リカバリーガールさんに貰った軟膏塗れば治る」


俯くホークスに、亜希は小さな笑みを浮かべなら「でも…」と続ける。


「…背中より、腰と…こっちの方が痛い」


亜希は、頬を赤くしながらホークスが噛み付いた右肩を触る。もう血は止まっているが、二度も深く噛んだせいで瘡蓋になっていた。


「…ごめんなさい」

「ん、いいよ」

「…いっぱい、痛いことしてごめんね」


一夜明けて冷静になると、とてつもない罪悪感が襲ってきた。どこまでも優しい彼女は一切怒らないが、自分自身を許せそうにない。

素直に謝るホークスに亜希は笑いながら凭れかかる。ホークスは傷口に触れないように細い体を包み込んだ。


「もう謝らないで。私、痛みには強い方だし」

「…そういう問題じゃないです」

「大丈夫だって」


項垂れるホークスは亜希を抱き締めつつ、何か彼女にしてあげられることはないかと考える。そして、


「…そうだ、亜希さん、シャワー浴びよう」

「あ、そうだね…って、わっ!」


ふと、体がベタついていることに気付いた亜希が頷いたのを確認し、ホークスは彼女を優しく抱き上げた。


「俺が洗う」

「えっ、いや自分で、」

「いいから、変なことしないから!多分」

「多分って…」


そう言いつつ、亜希は赤い顔のまま「…じゃあ、お願いしようかな」と笑顔を向けてくれたので、ホークスは任せろ!と真っ直ぐに風呂場へと進む。彼女が恥ずかしがったので自分は腰にタオルを巻いた。

風呂椅子に彼女を座らせて、温い温度のシャワーを弱く出しながら細い足から順に掛けていく。立ち込める湯気に亜希の白い肌がほんのり赤く染まり、その姿に自身はしっかり反応したが、なけなしの理性で無理矢理に抑え込んだ。

髪も、体も、出来るだけ優しく、ゆっくりと時間を掛けて洗う。飛沫が傷に掛かる度に亜希は唇を噛み締めて我慢しており、ただただ申し訳なかった。

ホークスも自分の体を洗い、二人で一緒に脱衣室で拭き合う。ポンポンとタオルで水滴を吸い取り、リカバリーガールが処方した軟膏を彼女の背中に塗り込むと、冷たくて気持ち良いらしく亜希は「ありがとう」と笑ってくれた。

そして、部屋に戻った亜希は、スーツに手を伸ばす。


「…え、今日も休みですよ?」

「まだ乾いてないから」


以前ホークスがプレゼントした彼女の唯一の私服は昨日着て現在は洗濯中だった。しばらく考えたホークスは全身をタオルで隠している亜希にホテルのガウンを被せる。彼女が口を開く前に素早く身支度をした彼はスタスタと窓まで歩み、


「ちょっと待ってて」


一言言い残し、勢いよく飛んで行った。亜希は「え?」と疑問を浮かべつつ、とりあえず髪でも乾かそうとドライヤーをかける。
程なくして、両手に紙袋を抱えたホークスが帰ってきた。


「どこ行ってたの?」

「はい、プレゼント」


驚いて中を覗くと、無地のワンピース。色は上品なネイビーで、首元が隠された膝が隠れる長さのタイトなシルエットのもの。


「え…え?」

「亜希さんワンピース着ないかなって思ったんだけど、似合うと思うから」

「…待って、受け取れないよ」


ほんの数分でよく買いに行けたなと思いつつ、亜希は紙袋を押し返す。ホークスは昨日から自分に対してとんでもない額のお金を使いすぎだ。もう本当に、これ以上は甘える訳にはいかない。
しかしホークスが引き下がる訳もなく、さらにもう一つ小さな紙袋も差し出した。


「これも。あ、サイズは昨日見たから大丈夫」


笑顔のホークスに困惑しつつ中身を見ると、なんと下着セットが。昨晩あんな一瞬でサイズを覚えたのかと亜希は唖然とする。


「えと、あの…」

「…背中、痛いでしょ?その下着、生地が柔らかいからマシだと思う。ワンピースもウエスト部分は細くなってるけど、後ろは緩くなってるから」

「啓悟…」

「…ごめんね、こんなことしか出来なくて」
  

彼なりに、心配してくれているのだろう。お金を使わせてしまって申し訳ない気持ちはあるが心遣いは嬉しい。それに、亜希の好みをよく分かっているホークスが選んだワンピースは彼女が十分に気に入る物だった。


「…ありがと、大事にする」

「ん」


ホークスは満足気に笑って、はにかむ彼女の髪を撫でる。

着替えた亜希はホークスの見立て通り、やはりよく似合っていた。目鼻立ちがハッキリしていてスタイルが良い彼女には、シンプルでタイトな服がピッタリだ。


「スカート初めて履いたけど、案外動きやすいんだね」

「薄手のニット生地だからね。すごく可愛いし綺麗だよ。とっても似合ってる」


亜希を抱き締めながら思ったことを口にすると、彼女は恥ずかしそうにしながらも笑う。本当に、本当によく笑ってくれるようになったな、とホークスは改めて嬉しくなった。


「啓悟は、明日仕事何時から?」

「えっとねー…朝八時までに事務所に着けば良いから、明日の朝一にこっち出発するよ」

「…そっか。じゃあ、今日も一緒にいられるね」


満面の笑みで見上げる亜希が愛らしくて、触れるだけのキスを落として笑い合う。

そうして、ゆっくり準備をし、昼前。二人は長い時間を過ごした警察管轄のホテルをチェックアウトした。たくさんの思い出が詰まっている、この場所。離れるのは寂しい気もするが、新しい居場所へと足を踏み出した。





▽▽▽



 

契約した部屋の内装クリーニングは、今日の午前中には完了している。ホークスと亜希はマンションへ向かう道すがら昼食を済ませ、生活用品を買いにドラックストアやホームセンターが併設された大型家電量販店に来た。


「赤と青どっちがいい?俺的に、亜希さんは青っぽいな〜」


楽しそうにお揃いの歯ブラシを手に取るホークスが可愛らしく、亜希は思わず声を出して笑う。


「どっちでもいいよ。でも、どうして青なの?」

「んー、ドミネーター構えてた時の印象が強くって。目が青くなった亜希さん本当に綺麗だったから」


もちろん普段も綺麗だよ、と付け加えるホークスに照れながらも、亜希は「じゃあ私は青にする」と頷く。


「啓悟は赤って感じだね。剛翼の色」

「あ、やっぱり?」

「うん」


ホークスは嬉しそうに二本の歯ブラシをカゴに入れた。一緒に住む訳ではないが、いつでも彼女の家に泊まれるよう準備するのはかなり楽しい。
お揃いのパジャマやマグカップも選んで会計に向かった時、ふとホークスの脳内に一つの疑問が浮かんだ。


「そう言えば、亜希さんって料理できるの?」


その一言に、亜希が固まる。


「…したことない」


そもそも、必要無かった。加工されたハイパーオーツで十分だったし、本物の食材も縢が趣味で作った料理でしか食べる機会がなかったのだ。宿泊していたホテルにもレストランが併設されていた為、食事には困らなかったが…どうしよう。

元々よく食べる方だったが、この世界にやってきて改めて食事の楽しさを知った亜希は、考える。

確か塚内が、警察本部に二十四時間営業している食堂があると言っていた。マンションの近くにコンビニや居酒屋もたくさんあったはず。一瞬、死活問題かと思ったが大丈夫だろう。

しかしホークスは「それはいかん」とレジとは反対方向へと亜希の手を引いて歩き出した。


「どうしたの?」

「冷蔵庫と電子レンジはマンションに置いてたはずだから…よし、とりあえずキッチン用品一式と、圧力鍋、あと多機能炊飯器を買おう」

「え、要らないよ。いつでも外で食べられるし」

「まぁ…忙しい時はそれでいいけどさ。でも一応、揃えるだけ揃えとこ?」

「…料理なんて出来ない」

「俺も得意って訳じゃないけど、簡単な物だったら作れるから教えてあげる。今日の晩飯は一緒に作ろっか」


亜希にとって食べることは日々の唯一の楽しみだ。確かに自分でも作れないと不便かもしれないと思い、ホークスの申し出を受けることにする。
カゴに入り切らなくなった家電、お揃いの食器等をカートに入れていくと、とんでもない量になった。
亜希がほんの一瞬目を離した隙に、またもやホークスがあっという間に会計を済ませてしまう。


「も、本当ダメだって!お願いだからお金出させて!」


亜希が半泣きで財布ごとホークスに突き出すが、ホークスはどこ吹く風。「羽で運んじゃお〜」と梱包された荷物を羽で浮かせている。


「何回も言うけどさ、俺まじで金持ってるから大丈夫だって。使う暇なくて貯まりまくってる余裕です」

「いや、申し訳なさすぎて無理なんだよ…」

「いいって。俺が亜希さんに貢ぎたいだけ」

「なっ、貢ぐって…」

「それに、俺は亜希さんの“初めて”貰ったから」


だから、そのお返し。そう耳元で言うと真っ赤になってオロオロする亜希に、ホークスは声を出して笑う。

彼女からはたくさんのモノを貰ったのだから、これくらいさせてほしい。じゃないと気が済まない。まだまだ足りないくらいだ。

俯いて頭を抱えてしまった亜希の腕を掴んだホークスは、軽い足取りで店を出る。大量の荷物を落とさないよう注意しながら空に浮かばせ、自分もまた、彼女を抱き上げてマンションへと飛び立つ為に翼を羽ばたかせた。




20200724


- ナノ -