不安と心配と支配


目を開けて一番に彼女の寝顔が飛び込んできて、思わず頬が緩む。カーテンの向こうは明るくて枕元にある電子時計は八時を示していた。

少しだけ開いた唇から聞こえる寝息と、あどけない表情。髪に手を伸ばして優しく撫でると、小さな声で「けい、ご…」と呼ばれドキリと心臓が脈打った。


「俺の夢でも見てるの…?」


昨日感じた熱が再び体に集まるのが分かる。もうやめてくれ、こんなに可愛いことをされたら自分は一体どうなってしまうんだ。そう思いながら柔らかい髪を指に絡ませていると、亜希がゆっくりと目を開けた。覚醒していない彼女はホークスをぼんやりと見つめて、数秒。


「うわああ?!」

「おっと」


大声を上げながら勢いよく飛び上がろうとした亜希の体をホークスは逃がさないと抱き締めた。ぎゅっと腕に力を込めて引き寄せると、腕の中で密着した彼女は固まったように動かなくなる。


「な、ななな…」

「慌てすぎでしょ…おはよ」

「お、はよう…え、え?」


慌てふためく亜希は、どうやらこの状況が分かっていないらしい。悪戯心が芽生えたホークスは彼女の耳元に近付いて、


「…昨日の亜希さん、可愛かった」


そう呟くと、亜希の肩に力が入る。彼女の視界には上半身裸のホークス、自身は寝間着を身に纏っているが、僅かに痛む右肩に昨晩たくさん唇を重ねたことと噛み付かれたことを思い出した。しかし、それからの記憶はない。


「ま、まま、まさか…また寝てる間に…?」


以前された仕打ちが蘇り、信じられない、といった様子で口を開く亜希に、ホークスは声を出して笑った。


「あははっ!安心して、たぶん亜希さんが思ってることはしてないよ」

「…本当に?」

「ホント。抱き締めてたら亜希さん寝ちゃったんだ」

「……そう」


安心するように息を吐く亜希に目を合わせるように顔を上げたホークスは、ニヤリと笑う。


「…なに想像したの?」

「なっ…」


今度こそ顔を真っ赤に染めた亜希は恥ずかしさから泣きそうに目を潤ませて、そしてホークスの一瞬の隙をついて布団から飛び出た。


「あっ、なんで逃げるの!」

「うるさい!今日はやること多いから早く起きて!」


キッと睨まれ、ホークスも「はいはい」と渋々起き上がる。彼女は顔を洗う為に洗面所へと走っていった。

確かに、今日は亜希のスマホと住む部屋を見つけなければならない。生活用品の準備も必要だろう。さっさと全部済ませて今日こそ夜はゆっくり過ごしたい。

ホークスもベッドから降り、身支度を始めた。





▽▽▽





「一つは仕事用、もう一つはプライベート…ってか俺用ね」


はい、と手渡された二台のスマートフォンを亜希は唖然と見つめる。ホークスは尋常でない速さでテキパキと手続きをしていき、気付けば携帯ショップを出ていた。「え?え?」と戸惑う彼女を引っ張りながら駐車場に停めていたレンタカーへと戻ったホークスは、すぐさまエンジンを掛ける。


「…あの、一台でいいんだけど」

「だから俺用だって」


最新機種だというスマートフォンを見つめながら、亜希は塚内から教えてもらった警察の給料を思い出す。刑事課にいた頃よりは少ないが低い訳ではない、しかし、ただでさえ貯金がない状態での無駄な出費は避けたかった。
あれよあれよという間に機種代金はホークスがカードで払ってしまったし、亜希は困惑した表情で彼を見つめる。


「一台で十分だよ」

「こっちは電話かけ放題にしてる。料金は俺持ちだから安心して」

「え?!いや自分で払うよ!」

「いいって、俺からのプレゼント」

「そこまでしてもらう訳には…本体代金も返したいし…」


申し訳なさそうな表情を浮かべる亜希に、ホークスは笑顔を向けた。


「俺、自分で言うのもなんだけど稼いでるから大丈夫ですよ。そんなことより亜希さんと連絡取れなくなったら不安でどうにかなるから、絶対肌身離さず持ってて」


絶対ね?と念を押すホークスに何も言えなくなった亜希は、小さく頷く。東京と福岡、すぐに会えない距離に亜希も寂しくない訳はなく、申し訳なさを感じつつも素直に受け取ることにした。いつか貯金が溜まったら彼にお金を返そうと心で思う。
小さく「…ありがと」と言った亜希を満足気に見つつ、じゃあ次は物件探しに行こうか、と、ホークスはハンドルを握った。


「どんな部屋がいいか、希望ある?」

「うーん…特にない、けど……」

「けど?」


きっと自分を待ち受けるのは激務だ。塚内のように徹夜漬けになるのは間違いないし、公安としての任務も入れば家にいる時間の方が少ないだろう。でも、


「…高い場所がいいかな。啓悟がいつでも、飛んで来られるように」


本心を口にした亜希の言葉に、ホークスは思い切り頬が緩んだ。


「え〜…ふふ、じゃあ、俺が決めてもいい?」

「…家賃は、あんまり高くないとこで」

「はーい」


ホークスは、良い物件が揃っていると評判でプロヒーロー御用達の賃貸センターへと車を走らせた。





▽▽▽





「二重オートロックで管理人在中。2LDKは欲しいかな」

「ちょっと、」

「あ、風呂トイレ別はマストで。そんで50階以上の最上階がいいです、できれば角部屋」

「待って待って待って、」

「築年数浅くて場所はこの辺り、即日入居可の部屋って、あります?」


ペラペラと要望を述べるホークスに亜希は冷や汗が止まらない。ここは東京だ、しかも警察本部がある中心地。小さなワンルームでさえ高いだろうに、この男は何を言ってるんだと唖然とする。
そんな亜希に気付かない男性店員はニコニコと愛想笑いを浮かべながら慣れた様子でキーボードを叩き、検索がヒットしたのかパソコンの画面をこちらに向けた。


「ご希望の条件に全て当てはまるのは、こちらですね。眺めも素晴らしいですし新築です。必要最低限の家具も付いておりおススメですよ」

「へえ…ホントだ。内装も綺麗だし、うん。セキュリティー面も申し分ないですね。どう?亜希さん」


指差された物件を見た亜希は、目が飛び出そうな程に見開いた。…0が、多い。給料よりも遥かに高い家賃に、絶句する。


「一度、実際にご覧になられますか?」

「はい、お願いします」

「では車を回してきますので少々お待ちくださいね」


店員が席を外した瞬間、亜希はホークスの胸倉を両手で掴んだ。


「無理無理!絶対無理!金銭感覚どうなってるの?!」

「ちょ、亜希さん痛い!首絞まるっ、俺が決めて良いって言ったじゃないですか」

「限度があるでしょ?!何この家賃?だいたい部屋なんて一部屋あれば十分だから!」


必死の形相で詰め寄る亜希の手を取り、ホークスは咳払いをしながらヘラっと笑みを浮かべる。


「俺が払うって。亜希さんが気にすることないよ」

「はあ?!」


何を言い出すのだ。スマホとは訳が違う。というか桁が違う。当たり前のように言うホークスに亜希は言葉を失った。


「俺も泊まる訳だし。どうせ住むなら良い所の方がいいでしょ?荷物も増えていくから広い方が良いって。あと女性の一人暮らしなんだからセキュリティー整ってないと絶対ダメ」

「お待たせいたしました、お車の御用意できました」

「あ、はい。さあ亜希さん行こ」


強引に引っ張られ、店員が運転する乗用車に力なく乗せられる。さすがにダメだ、ホークスに何もかも甘えてしまうのは気が引けるどころではない。そもそも、ほぼ寝るだけに帰るだろう家に、うん十万も払うなんて亜希には考えられなかった。後部座席でホークスの腕を引っ張るが、こんな時だけ無視する彼に怒りさえ覚える。

ほどなくして物件に到着し、上品なブラウンの外観の高級マンションに亜希は怖気ついた。なんだここは。

顔を青くする亜希を引き摺りながら、ホークスはつい笑いそうになるのを堪える。伊達にNo.3ヒーローをやっていない。芸能活動にだって力を入れているし、金銭面では亜希が想像しているよりも、ずっと余裕があるのだ。

55階のタワーマンションの最上階につき、一番奥の角部屋のドアの鍵が開けられる。


「こちらのお部屋になります。私は外で待っておりますので、ご自由に見学なさってくださいませ」


パタンとドアが閉められた瞬間、呆気に取られていた亜希がハッと意識を取り戻しホークスに掴み掛かろうとしたので、遮るように小さな手を握った。
亜希は泣きそうな顔をしている。


「絶っ対に無理…不相応すぎる…」

「大丈夫だって。ほら見て、店員さんの言う通り景色綺麗だよ」


手を引っ張って窓辺に連れていくと、亜希は一応頷きながらも困惑したままだ。


「…ねえ、ちゃんと自分で払える部屋にするから」

「なんで遠慮するの?」

「遠慮なんて次元の話じゃないよ…」


眉を下げる亜希に、ホークスは断固として首を横に振る。


「…心配なんです。本当は亜希さんを福岡に連れて帰って一緒に住みたい。離れたくない。目が届く場所にいてほしい」

「啓悟、…」

「でも、それは無理ってことは分かってる。だったらせめて、出来る限り安全な場所で過ごしてほしい」

「…」

「俺がいいって言ってるんだから、何も問題ないでしょ?」


捲し立てるよう語尾を強めて言うと、亜希はぐっと唇を引き締めて黙る。

彼女は気付いていないが、このマンションの設備は都内でも随一だ。監視カメラも数多く配置してあり、遠隔操作でスマホから周辺を見ることも出来る。

彼女に伝えたら驚きそうなので言わないが、ホークスはとにかく亜希のことが心配なのと同時に、離れる不安が大きかった。あのショッピングモールの時のような事件が起こったらと思うと、今度こそ心臓がもたない。

身体能力も高く状況判断にも長けた亜希だが、ここは“個性”を持つ者が多く存在する世界。いつ何時、彼女が危機に陥るか分からない。お金で買える安全があるなら何が何でも買うし亜希が住むとなれば尚更だった。

それに、おそらく亜希は連絡不精だとホークスは思っている。電話はタイミングが合えば出てくれるかもしれないが、メッセージなんて読むだけ読んで返事はしなさそうだ。

ならば、こっそり安全確認するくらいは許して欲しい。


「亜希さんは、ここ嫌?」

「嫌とかじゃなくて…」

「じゃあいいじゃん、はい決まり」

「良くないよ、スマホだって…こんなに何もかもしてもらうの申し訳ないんだってば」


それでも食い下がる亜希を、ホークスは抱き締めた。


「言うこと聞いて。それ以上文句言うなら、ここで押し倒すよ」

「なっ…」


赤い顔でわなわなと震える亜希の首筋に顔を埋めて、ホークスは思う。


「(…俺がいないと生きていけない、ってくらい…依存してくれればいいのに)」


彼女の全部、管理したい。

昨晩つけた鬱血痕が襟元から覗く。強い支配欲を感じながら、ホークスは亜希の髪にキスを落とした。



20200722
亜希さん→←←←←←←←←ホークス、という感じの気持ちが伝われば幸いです。


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