また来ていいですか。その言葉通り、今日もホークスは定食屋に向かう。あれから毎日やってくる彼に奈穂は呆れ、腰の具合がマシになって戻ってきた店主すらも五日目にはさすがに驚きを隠せなかった。


「まーた来たよコイツ…」
「コラ、常連さんにそんな口利くんじゃない。…にしても…よく飽きないねえ」
「いやあ、俺一回ハマると長いんですよ」


ってことで、今日は煮魚定食で。そう続けるホークスは慣れた様子で定位置となった真ん中のカウンター席に座る。奥のテーブルには中年の酔っ払い二人組がいたが、彼らはNo.3ヒーローに気付くことなく「部長が無理難題押し付けてきて…」だの「嫁が最近冷たくてなあ」だのと愚痴に忙しい。丸まっている体が纏うスーツはくたびれており、サラリーマン独特の苦労が滲み出ていた。


「あんたが魚注文するなんて珍しい」
「そんな気分なもんで。てか、あんた呼び止めてって言ったでしょ?人の話聞いてます?」
「はいはい、ホークス様様」
「…なんか腹立つなあ」


キッと睨んでみるが奈穂はどこ吹く風で、いつもの端の席で味噌汁を飲んでいる。店主が復活したことで彼女の料理が食べられなくなったのは残念だが、この店の主が作る料理は元々絶品なのだ。しかも値段もリーズナブル。加えて静かで落ち着いたこの雰囲気が気に入ったホークスは、日勤だろうが夜勤だろうが晩御飯はここで食べるのが日課になっていた。それに何より奈穂と下らない会話をするのが密かな楽しみだったり。なぜかと言われれば特に答えはないのだが、無愛想な彼女がたまに見せる笑顔がけっこう、いや可愛くて。明らかに自分を馬鹿にしたような笑いの方が多いが、それでも、なんとなく見ていたかったのだ。


「はい、煮魚定食お待ちどうさん」
「ありがとうございます、いっただきまーす…あ、その前に」


ホークスはブリの煮つけの骨がない部分を綺麗に箸で取り分け、目の前の醤油用小皿へ乗せ。そうして一席の間隔を空けて隣に座る奈穂の前に置く。毎日毎日味噌汁か少量の茶漬けしか食べない彼女にメイン料理を少し渡す。これもまた彼の日課になっていたのだが、奈穂はというと相変わらず迷惑そうだ。


「…あのさ、いらないって言ってんでしょ。あんたこそ人の話聞いてる?」
「はい出た、あんた呼びー。罰として食ってください」
「…ホントなんなの」


溜め息を吐く彼女だが、最後にはきちんと食べてくれるので止めるつもりはなかった。今日もこのあと仕事に向かうであろう奈穂は、どうやらほぼ毎日明け方近くまで働いているらしい。日中は事務員、そして夕方は河川敷で子ども達と遊んでいる彼女は一体いつ休んでいるのか分からないが、仕事をするのなら、もっとしっかり食べた方が良い。多忙な彼女をホークスが勝手に気遣い勝手に心配した結果、今の形に落ち着いたのである。


「…いつの間に仲良くなったんだ?二人とも」


楽しそうに笑う店主に「仲良くないし」とハッキリ言い張る奈穂だが早速ブリに箸を伸ばしているので、ホークスも料理に舌鼓を打ちながら笑った。


「冷たいな〜、顔面キャッチボールした仲でしょ、俺達」
「キャッチしたのはあんただけだから」
「ホー・ク・ス。復唱して」
「めんどくさ」
「復唱」
「……ホークス」
「よろしい」


二人のやり取りに、店主はワッハッハッ!と声を上げる。この馬鹿らしく幼稚な空間が疲れた体を癒してくれているようだとホークスがしみじみ思った時、無機質な着信音が鳴った。奈穂のスマートフォンのようで、画面を見て一瞬眉を寄せた彼女は足早に店を出ていく。電話だったのだろう、外から小さな話し声が聞こえた。


「仕事かな」
「あー…ありゃ病院だ」


ホークスがなんとなく言った呟きに思わず返事をしてしまった店主は「あ」と慌てて口を抑えるが、言ってしまった言葉は消せない。「病院って?」と問いかけると、少し困ったような表情を浮かべたまま店主は口を開く。


「…奈穂の弟な、入院してんだ」
「…」
「たぶん入院費の連絡だろう。大人しい医者なんだが…どうにも金にうるさいみたいでな」


奈穂には言わんでくれよと付け加えられ、それ以上何も聞けなくなったホークスは頷きながらも内心で驚いていた。…弟がいたのか。だから子どもの扱いが上手いのかもしれない。そして彼女の働き詰めの理由は、高額医療費。

弟はどんな病気なのか。掛け持ちのバイトで医療費は間に合っているのか。様々な疑問が浮かぶが本人がいないところでプライベートなことを話すのは気が引けてしまい、無言で料理を口に運んだ。
しばらくして食べ終わった頃、奈穂の電話がいやに長いことに気付く。


「あいつ…寒いだろうに上着ほっぽってら」
「あ、俺渡してきます」
「悪いな、頼む」


真冬の今、薄い事務員の制服一つで長時間、外でじっと立っているなんて風邪を引いてしまう。彼女が座っていたカウンター席の椅子の背凭れに掛かっているグレーのダウンジャケットを掴んだホークスがそっと引き戸を開けると、こちらに向けられた小さな背中を見つけた。


「…はい、……そうですね。お願いします…え、…今週、ですか………いえ、分かりました」


会話の内容は分からないが、寒さからか僅かに震える細い肩を放ってはおけず。温かそうなダウンをその肩に掛けてやろうとした時、電話を切った奈穂がゆっくり振り返った。


「…びっくりした、何」
「あ、いえ…寒いだろうなって店主さんが心配してて」
「…そう。ゲホッ、」
「大丈夫ですか」


ダウンを受け取る彼女の手と一瞬だけ触れたホークスは、そのあまりの冷たさに驚く。続けざまに咳き込んだ奈穂は彼と目を合わせないまま素早く上着を身に纏い、明らかに悪い顔色のまま歩き出した。


「…もう時間だから行くって、おじさんに言っといて」
「待って、体調悪そうですけど」
「大丈夫」


咄嗟に、暗闇に向かう彼女の腕を掴む。体の芯から冷えてしまったのだろう、氷のような手はやはり震えている。振り返った奈穂の額に間髪入れずに掌を添えると異様に熱い。


「熱あるじゃないですか、こんなんで仕事は無理でしょ」
「…別に平気だから離して、遅れる」


そう言ってホークスの腕を振り払った奈穂は駆け足で行ってしまった。追いかけようとしたが、タイミング悪く今度はホークスのスマートフォンが鳴る。今日彼は夜勤、街中でイザコザが起こっているので止めに入れとの出動要請だった。

奈穂は大丈夫なのだろうか。心配しつつもヒーロー業務は怠れない。ホークスはすぐに店内へ戻り、定食代金を払いながら彼女が仕事に向かったことを店主に伝える。現場へと飛び立った瞬間、空からは真っ白な雪が降ってきた。



20200917





- ナノ -