「いらっしゃー…うわ、あんたか」
「うわ、態度悪」


ガラッと引き戸を開けた瞬間浴びせられた言葉にホークスは呆れながらも、五つしかないカウンター席の真ん中に腰を下ろす。ここは以前立ち寄った定食屋、人柄の良い店主の姿はなく、代わりに無愛想でやる気の無さそうな店員がエプロンを着用しキッチンに立っていた。22時を過ぎた現在、客は誰もいない。奥のテーブルには食べ終わった食器が放置されてあり、奈穂はカチャカチャと音を立てながら洗い物の作業中。


「店主さんはいないんです?」
「…ギックリ腰」
「え、いつから」
「三日前」
「三日…もしかして奈穂さんが代わりに切り盛りしてる?」
「見たら分かるでしょ」


いちいちうるさいな、と悪態をつきながらも、彼女は手を動かすのをやめずに大量の洗い物を片付けていた。ホークスは「大変そうだなあ」と呟きつつも、小さなメニュー表を手に取って眺める。


「ねえ、おススメとかありますか?」
「え、食べていくつもり?」
「当たり前でしょ定食屋なんだから。仕事終わりで腹減ってるし」
「いや状況見てよ。私忙しいんだけど」


とてもじゃないが店員が発する言葉ではない。しかし彼女から邪険に扱われることにスッカリ慣れてしまったホークスは特に気にするでもなく、剛翼の数枚を飛ばして奥に放置されている汚れた食器を洗い場まで運んでやった。驚く奈穂に構わず、今度は水切りカゴに並べられている皿やお椀を布巾で拭いて、後ろの食器棚へと片付ける。時間にして数秒、今日も我が個性の調子は良いようだ。


「これで飯作る余裕できたでしょ」
「……随分とまあ便利な個性ですこと」
「鍛えましたからねえ、で、おススメは?」


個性乱用…と呆れながらも呟いた彼女は、「…チキン南蛮か、唐揚げ」と小さく続ける。どちらも好物の鶏肉なので迷いつつ、ホークスは「じゃあ唐揚げで」と注文した。それに返事はせずにコンロに向かった奈穂は冷蔵庫から漬けていた肉を取り出し、無言でテキパキと調理し始める。自分以外の客にもこんなに愛想がないのだろうか…店主が早く復帰しないと店が潰れるのも時間の問題だなと思いつつ、カウンター越しで奈穂の手元を見つめた。

油の跳ねる音と、漂う香ばしい良い匂い。彼女はスポーツだけでなく料理も出来るらしい、手際が良くて、皿の上にはどんどんと料理が乗せられていく。今日は朝から忙しくて昼もろくに食べられず空腹は限界を迎えていたが、やっとまともな食事にありつける。ぐう、大きく腹の虫が鳴いた瞬間、ホークスの目の前に出来立ての湯気が立つ料理達が置かれた。

千切りキャベツとレモンが添えられた唐揚げ、艶々の白米に、野菜がたっぷりの味噌汁。二つの小鉢にはホウレン草のお浸しとキュウリの漬物がそれぞれ彩りよく並んでいる。美味そうと感想を述べる時間も惜しいホークスは「いただきます」の言葉と同時に箸を持ち、早速メインの唐揚げを口に運ぶ。


「アッ熱っ!!」
「…何やってんの」


冷たい視線を寄越す奈穂だが、ホークスが口を押さえながら「ぐ、熱…肉汁すご…ウマ…」と呟く姿を見て、小さく吹き出した。


「子どもみたい」


クスクス笑う彼女の表情は、先日の河川敷で見たモノと同じ、優しい微笑み。もぐもぐ口を動かしていたホークスはゴクリと飲み込み、彼もまた、つられるように笑う。


「…だって美味いんですもん。こんな美味い唐揚げ初めて食いました」
「大袈裟」
「ホントですって」


空腹ということを抜きにしても、彼女が作った唐揚げは絶品だった。サクッとした表面に中はジューシー、なんて、ありきたりな表現だが、まさにその通り。野菜の旨味が染み出た味噌汁も、あっさりしたお浸しも、どれもこれも自分好みの味。前回食べた店主が作った料理もものすごく美味しかったが、この唐揚げ定食はそれを超える勢いだ。

口いっぱいに頬張るホークスを横目に奈穂はキッチンから出て入り口に向かい、店先の提灯と暖簾を片付け始める。もう今日は店じまいなのだろう。扉が開いた拍子に外の冷たい空気が少し流れ込んできたが、熱々の食事で温まった体には気持ち良く感じた。

戻ってきた彼女はキッチンから少しの味噌汁が注がれたお椀と箸を手に、カウンターの一番端に座る。一席の間隔を空けて隣にいる奈穂はふーふーと必死で味噌汁を冷ましており、猫舌なのかなと思いつつ、ホークスはふと浮かんだ疑問を投げかける。


「…それ晩飯ですか?」
「うん」
「えっ、それだけ?」
「十分」


野菜たくさん入れてるし。そう続ける奈穂は横から見ると随分と細く、エプロンの紐で絞られているせいか腰なんて折れそうだった。ここで初めて出会った時も、茶漬けしか食べていなかったような…思い出したホークスは目の前に詰まれている醤油用の小皿を取り、そこに唐揚を一つ乗せて奈穂の目の前に置く。


「ちゃんと食べなきゃ。唐揚げ美味いですよ」
「…いらない」
「いーから、ホラ食って」


ずずいっと差し出すと心底迷惑そうな顔をされたが、無理矢理小皿を口元まで持っていけば彼女は嫌々ながらも箸で唐揚げを掴み、食べた。


「…美味しい」
「でしょ?まじ絶品ですから」
「作ったの私なんだけど」


何言ってんのよ、と、また笑う奈穂。相変わらず態度は悪いし愛想もないが、“嫌な女”という印象はもう消えていた。

ホークスが一口で食べた唐揚げを彼女は三口に分けて食べる様子を満足げに見つつ、残りの料理も平らげる。「は〜…美味かった。ご馳走様でした」と腹をさすりながら言うと、味噌汁を飲み干した奈穂が食後の熱いお茶を出してくれたので有難く頂戴する。ほうじ茶だ、美味しい。

空腹を満たし一息ついた頃、ここにやってきた本来の目的を思い出したホークスは「そうそう、」と言いながらポケットから取り出したハンカチを奈穂に見せた。


「これ。返しに来ました」
「…わざわざ、この為に来たの?」
「んー、半分はハンカチですけど、もう半分は腹減ってたんで」
「…なんか、新品みたい」
「クリーニングの力ですね」


そっと淡い水色を受け取った彼女は大事そうに一撫でしたあと、聞こえるか聞こえないかの声で「…ありがと」と呟く。その目線はホークスに向けられてはいないが、嬉しそうな、安堵したような顔。そんな顔をするのなら、


「…なんで、捨ててなんて言ったんです?」
「あんたとこんな頻繁に顔合わせるの分かってたら、返せって言った」
「あ、いい加減あんた呼びは止めてくれません?俺にはホークスって立派なヒーロー名があるんですけど」
「……わざとじゃなかったけどパトロール邪魔しちゃったし、ハンカチ一つくらい別にいいかって思ったの」
「……そうですか」


奈穂は雑にエプロンを脱いでハンカチをデニムのポケットに仕舞う。今日は事務員の制服ではないらしい。そういえば日曜か。


「…ねえ、もう食べ終わったなら帰ってくれる?私この後用事あんの」
「え、こんな時間から?もしかしてデート?」
「はあ?仕事だっての」


揶揄う言葉に吐き捨てるような返事をした彼女はホークスの手元にある米粒一つ残っていない食器を下げ、まだ半分以上ほうじ茶が残っている湯飲みも取り上げて、さっさと洗い出した。まだ飲んでいたのに残念。


「なんの仕事してるんですか?」
「色々」
「掛け持ちですよね、確か」
「…何で知ってる訳?」
「いや、いつも制服でしょ?でも前にここで店主さんと言い争ってた時、ほら喧嘩がどうのこうのって」
「だから喧嘩じゃないってば」
「はいはい。まあでも、あの時のお二人の会話から予想しただけですよ」


いつの間にか片付けが終わった奈穂はしばらく黙っていたが、奥の戸棚に詰め込んでいたグレーのダウンジャケットを引っ張り出して着始めたので、ホークスも慌てて立ち上がる。ポケットから財布を取り出そうとすると彼女は「鍵締めるから早く出て」と彼を急かした。


「ちょっと待って、お金…」
「今日はいらない」
「え?」
「…ハンカチのクリーニング代にでもして」
「や、それは俺が勝手に、」
「いいってば。でも…おじさんには内緒にしてよ」


素っ気なく言う奈穂はホークスに構うことなく引き戸を施錠し、「じゃあ」と言って歩き出す。繁華街がある方向だ。足早な後姿に、少し声を張り上げて問いかける。


「…奈穂さん!あの、また来ていいですか」


ゆっくり振り向いた彼女は、ふっと小さく笑い。


「…次は代金取るから」


そう言い残し、今度こそ暗闇に向かって行ってしまう。静かな定食屋の前で一人取り残されたホークスが「…結局、なんの仕事してんのか教えてくれなかったな」と呟いた言葉は、白い息と共に宙へ溶けた。



20200916





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