同じ名前
「やはり…和議は成りませんでしたね…」
そう呟く経正さんは、悲しそうで、悔しそうだ。
将臣君も複雑な顔で頭をかく。法皇様に和議を持ち掛けたのは将臣君だから…成らなかったのは想定の範囲内でも辛いだろう。
これで、後白河法皇様は完全に平家に見切りを付けたことになる…
そして、予想通りに。和議は源氏の罠だった。もうすぐこの一ノ谷にもやって来るだろう。
すると、息を切らした伝令の兵がやってきた。
「申し上げます!源氏の軍勢が、西に姿を現しました!」
「西…待ち伏せは失敗だな。奴らもそんなに間抜けじゃねぇか」
将臣君の言葉に落胆する。崖からの奇襲に備えていたのに…教科書と、違う。
私は崖に伏兵を潜ませていたことを思い出した。
「将臣君、伏兵を呼び戻す?」
「…いや、時間がねぇ…退くぞ。ここに残っていても、最後には負ける」
「戦わずに…負けると分かるのですか?」
「ここで退けば、不戦敗で済むだろ」
将臣君は少し考えて、真剣な表情で経正さんと話す。
「帝と尼御前は生田にいるな?」
「はい。忠度殿が生田の知盛殿の下へお連れ申し上げたと」
「安全な沖へ逃げてもらおう…知盛へ伝えろ!」
「御意!」
経正さんは伝令に「帝を海上にお遷し奉るよう申し上げよ、行け!」と命令し、将臣君は私達に向かって大声を上げる。
「俺達も退くぞ!大輪田泊の沖で帝を待つ!」
そして、私達は一ノ谷の陣を放棄して、急いで東の大輪田泊へと馬を走らせた。
…生田で、源氏との戦いが始まったと伝令の兵が言っていた。
知盛さん…大丈夫かな…怪我なんてしていないだろうか?龍神の加護を持つ神子と戦っているのだろうか?
心配で心配で…だけど、生田に行くことは出来ない。自分勝手な行動のせいで平家を潰してしまうかもしれないから…
でも。
知盛さんなら…きっと大丈夫だよね?
***
「お前が源氏の神子…か…」
生田に源氏の増援が来た。帝は伝令通りに沖へと遷し奉った…忠度殿まで付けて。
生きのいい増援だと聞き、楽しめるかと思い待ち伏せていた。
「そうだよ。春日望美、私が白龍の神子」
噂の源氏の神子がやって来た。どんな女か気にはなっていたが…少し気の強い、ただの女だ。
こいつに夕の相手が務まるか手合わせをして…驚く。
中々やるじゃないか…だが、源氏の神子には、「殺気」が無い。敦盛を目の前で殺された夕が持つ凄まじい「殺気」が。
俺は刀を凪ぎ払い、馬に跨がる。
「…お前の相手をするのは…我が平家の舞姫…」
「平家の…舞姫…?」
困惑する神子に嘲笑い、俺は馬に跨がり沖へと向かった。
***
「碇を上げろ!船を出す準備をするんだ!」
将臣君の言葉に、兵達は急いで準備に取り掛かる。忠度さんが帝と時子さんをちゃんと連れて来てくれたから、あとは知盛さんだけだ。
「将臣君、知盛さんは?」
「もう来る頃なんだが…クソ、何やってんだアイツ…!」
待ち合わせの時間に来ない。まさか…知盛さんに何かあったんじゃ…?
その時、遠くから馬の走る音が聞こえてきた。
「…知盛さん!」
良かった…知盛さんの部隊、みんな疲れた表情だけど、大怪我をしている人は居ないみたいだ。
「早く乗れ!出るぞ!」
馬に乗りながら船に突っ込む。その反動で、船は全て出発した。
私は走って知盛さんに近寄る。
「知盛さん!良かった…」
「心配したか…?」
「はい…無事で良かった…」
「お前も、傷が付いていなくて安心…だ」
優しく微笑んで、頭をポンとしてくれる。それに照れる間もなく、将臣君がどかどかとやって来た。
「知盛!また余計な戦いでもやってたんだろ!こっちは時間ギリギリだったんだからな!」
「クッ…そう怒るな…良い女を見つけて来たぜ?」
「はぁ?」
良い、女…
「源氏の神子様だ」
「え…」
も、もしかして知盛さん…その源氏の神子のこと…!
「だが…まだまだ、だな。龍神に守られるようなひ弱な女だ…夕のように、美しくない」
目を細め笑う知盛さんに、心臓が跳ねる。そんな私達を見て将臣君は溜め息を吐いた。
「…源氏の神子に会ったのかよ…で、どうだった?」
「封印の力は見ていないが…ただの、お嬢さんだ」
「そうか…ま、油断しなかったら大丈夫か」
…良かった。知盛さん、源氏の神子の事が気になってるのかと思った…
馬鹿だな、私。知盛さんは私の恋人でも何でも無いのに。知盛さんの言葉に一喜一憂するなんて…
「…帝に会いに行く。来い」
「…はい」
優しく私の手を取って歩き出す知盛さん。その大きくて暖かい手のひらをギュッと握って、私は密かに心に誓う。
…いつか、知盛さんに想いを伝えよう…
驚くかな?喜んで、くれるかな…?
***
「船が…あんなに遠くに…」
「クソ…!」
逃げた知盛を追いかけたものの、平家は完全に海上に逃げ切った。悔しそうな九郎さんにヒノエ君は呆れたように言う。
「福原の合戦は源氏の勝ちだけど、平家は結構な量の戦力温存に成功したね」
「……」
九郎さんは黙り込む。
…平家が福原を捨てるのを見定めたんだから、それで良いじゃないか。そう思うのは、あたしが甘いからなのかな…
その夜。
祝勝で打ち上げをしている兵達の近くで、昼間の知盛の言葉を思い出していた。
――平家の舞姫…
そんな人、前の時空には居なかった。いや…私が会っていないだけなんだろうか?
考えていると、隣に気配がして振り向く。
「神子」
「先生…」
「飲まないのか?」
「ちょっと考え事があって…先生、平家の舞姫って…なんですか?」
先生は隣に座った。
「平家には有名な舞の一族が居た…その中で一際美しく、強い舞を舞う女人が居た」
「はい」
「その女人の名は…
平 夕という」
…夕…?
「夕ノ姫と呼ばれた舞姫は、平 知盛と恋仲だった」
「え…」
「だが…戦の最中、矢に当たり亡くなった…姫の舞は源平関係なく、皆が美しいと口を揃えた。私も何度か拝見したが…本当に素晴らしい舞だった」
そんな…それに、なんで夕と同じ名前なの?
「…なんで、もう亡くなっているのに…、私の相手が舞姫なの…?」
…分からない。あの時の知盛の、自信のある強い瞳、ハッタリだとは思えない。
「…怨霊として、還って来たのかもしれぬな」
「怨霊…そう、ですね」
怨霊…
夕という名前…
この、嫌な予感が、どうか外れていますように。
20101104