三草山、夜陰の戦場
私達は数百の兵士達と共に、山ノ口に仮の陣を用意した。思ったよりも準備は早く終わったので、もうすぐ福原に帰る。
「…よし。これで源氏は本陣だと勘違いすんだろ。敦盛、後は任せた」
「分かった」
敦盛君と、何体もの怨霊を残し、帰る準備をする。
「敦盛君…」
「夕…大丈夫だ。貴方がくれたこの御守りがあれば、私は強くいれる」
「うん…。気を付けてね?」
「ありがとう」
たった一人残されるのに、敦盛君は綺麗に笑う。こんな時でも綺麗なんて思ってしまうほど、彼は本当に綺麗だ。
「敦盛、」
「知盛殿…」
いつの間にか側に居た知盛さんは、敦盛君に向かって何かを投げた。それを何とかキャッチした敦盛君は驚いた顔をしている。
「あの時の、落とし物だ」
「知盛殿…ありがとうございます」
頭を下げる敦盛君に小さく微笑み、知盛さんは元来た道を戻った。
「敦盛君、それは…」
「これは、私が兄上から頂いた大切な笛。あの時に無くしたとばかり思っていたのだが…知盛殿が拾っていて下さっていたのだな」
"あの時"…は、敦盛君が死んだ日の戦だろう。あの戦から敦盛君が笛を吹いているのを見ていなかったから。
「…ねぇ、聞きたいな。敦盛君の笛」
「…私の音色で良ければ、ぜひ」
奏でられる音は、細く。それでいて力強く響いて。このメロディーに経正さんの琵琶も重なれば、もっと素敵なんだろう。
出発まで、私はずっと敦盛君の笛の音を聞いていた。
***
「そろそろ行くか」
「うん…」
将臣君の言葉を合図に、みんな馬に乗ったり整列したりと出発の支度をし、ゆっくりと前へ進む。
私は一人陣に残る敦盛君が心配で何度も振り返るけど、一緒に馬に乗っている知盛さんに顎を掴まれた。
「そんなに、敦盛が気になるか?」
紫の瞳にじっと見つめられ、思わず恥ずかしさがこみ上げてくる。私は下を向いて必死で視線を外した。
「やっぱり、心配で…」
「敦盛は、」
「…」
「敦盛は死なん。怨霊であろうが無かろうが、だ」
「知盛さん…」
きっぱりと言い切る知盛さんは、敦盛君を信じている。それが伝わってきて、たった一言なのに胸の中の不安がスッと消えた。
私が頷くと、知盛さんは優しく微笑んで頭をポンとしてくれた。そして、私達が乗る馬も前へと進み始める。
火の灯りで、まるで何人もの人が居るかのように工夫された陣。その真ん中で、敦盛君はずっとずっと、笛を奏でていた。
***
集中して笛を吹いていると、感覚が研ぎ澄まされ自然の声が聞こえてくる。
「それは、私が怨霊の身だからだろうか…」
ぽつりと呟いた言葉に応えてくれる者は居ない。この広い場所には私一人だから…
「キシャァァ…」
「…いや、一人ではないな」
数体の怨霊が嘆くように私に喋りかける。そう、ここには私一人ではない。
「キシィィ…」
「よし、皆の者、三草川へ向かおう」
「キシャァァ」
もうじきこの陣に罠にかかった源氏が来るはず。出来るだけ明かりを灯し、人が居るかのようにする。
源氏と鉢合わせにならぬよう山道を通り、三草川に行く。
「…来た、な」
数百ほどの源氏の兵達が通り過ぎて行く。最後尾が近付いてきたのと同時に、夕にもらった御守りを強く握った。
「…敦盛君、気を付けてね?」
「あぁ、ありがとう。夕」
暴走しても、この御守りがあるのなら、夕の為に私は怨霊にでも何にでもなろう。
――――シャラン…
首からぶら下がる鎖を外した瞬間、ゆっくりと理性が消えていくのが分かった。
***
「なっ…誰も居ない?!」
「どうやら我々は、環内府殿の手の上で踊らされていたようですね…」
山ノ口の平家の陣には、誰も居なかった。私は前にもこの光景を見たはずなのに…どうして変えられなかったの…
「望美、大丈夫?顔色がよくないわ」
「朔…大丈夫だよ」
心配そうに私の顔を覗き込む朔。曖昧に笑って誤魔化しつつ、前の運命で見たこの状況の続きを必死で思い出そうと考える。その時、
「九郎様!急ぎお戻り下さい!!」
一人の兵が顔面蒼白でやって来た。
「どうした?!」
「怨霊が…このままでは後方部隊が全滅してしまいます!!」
「なんだって?!」
ああ…そうだ。怨霊になった敦盛さんと会ったんだった…!
「九郎さん、急いで戻ろう!」
「あぁ!全軍引き返すぞ!」
お願いだから、間に合って。
もう、あんな運命は嫌なんだ…
――――――
――――――――――
―――
――――
「白龍!みんな、みんなが…!」
燃え広がる屋敷の中、私は白龍にすがりつく。白龍は悲しみに溢れた顔で私を抱き寄せた。
「神子、貴方だけでも、無事で良かった…」
「私だけ…って、どういう事?!みんなまだ生きてるよ!」
「神子、」
「みんな大丈夫だよ!」
「神子」
「…っ…嘘だよ……」
なんで、どうして。私達が何をしたっていうの?私達が何でこんな…
絶望した私に、白龍がくれたモノ…逆鱗。泣きながら受け取った瞬間、私は…現代に戻っていた。
「私、一人だけ…?」
将臣君も、譲君も、夕も。
誰も居ないその場所で、私は一人座っていた。
「…夕に、まだ会っていないのに…!」
夕がどこに居るのかも分からないまま現代に戻るなんて、出来ない。
またこの世界に戻った私は、記憶を思い出し必死で運命を変えてきた。なのに…
「偽物の陣って分かってたのに…!」
どうして変えられなかったんだろう。
悔やむ気持ちを隠すように馬を走らせ、急ぎ三草川へ向かった。
***
「うわぁぁぁ!!」
「ギシャァァアアア!!!」
「怨霊め…覚悟!」
「…ッァアアアァ!!!」
兵達が逃げ回り、断末魔が聞こえる。怨霊となった敦盛さんに九郎さんは斬りかかり、敦盛さんは悲鳴を上げ逃げていく。
「待て!」
「駄目だよ九郎さん!」
「望美…何を言っているんだ!」
「敦も…怨霊は傷ついてる!深追いしちゃ危ないよ!」
「神子の言うとおりだ、九郎」
「先生…はい、分かりました」
三草川は、酷く荒れていた。恐怖から逃げ回った兵達の無残な死体が転がっており、岩には爪跡がいくつも残っていて…血の匂いが充満している。
そこで、ピンク色の小さな袋を見つけた。
「これは…」
中には、欠けた石。なんだか持っていた方が良い気がして、それをそっとポケットに入れた。
「まだ怨霊は残っているようだが、今は引き上げるぞ」
「…はい」
***
「クッ…ぐ…う…」
「あ…気が付きましたね」
源氏の陣へと戻る道中、前の運命と同様に敦盛さんを見つけて譲君と一緒に看病した。
目を覚ました敦盛さんは、しばらく呆然とした後、いきなり起き上がり焦ったように周りを見渡す。
「どうしたんですか?」
「無、い…無い…御守りが…」
今にも泣きそうな敦盛さんに、私はもしやと思い先程拾ったピンク色の小さな袋を差し出した。
「もしかして、これ…?」
「!」
受け取った敦盛さんは、それを大事そうにぎゅっと握り締めた。
「…貴方が、見つけてくれたのか」
「…はい。三草川に落ちてました」
「そうか…感謝する」
前の運命にこんな会話はしなかった…もしかして、この運命は、また違う運命なのかな…
だけど、それ以降は前と同じで、敦盛さんは私達の仲間になって、九郎さんもそれを認めた。
「私は平敦盛。宜しく頼む」
少しの違いを生みながら、新しい運命へと少しずつ進んでいく―――…
20100106