鳴り響いた銃声
***
真っ白い世界。何もないそこに、私は一人で佇んでいる。
「ここは…」
「夕ちゃんと私を繋ぐ世界よ」
「夕ノ姫…」
背後から聞こえた声に振り向くと、相変わらず私と同じ顔をした夕ノ姫が立っていた。
「…夢の中、とも言うわね」
姫は微笑んで、ゆっくりと私の目を見つめた。
「明日、宇治川に行くんでしょう?」
「…はい。先陣を斬ります」
…そう。
明日はいよいよ宇治川に向かう日だ。思ってたよりも準備は順調で、清盛さんと惟盛さんが居ないことに疑問を感じないくらい、あっという間にやってきた。
「そう…変わったわね、夕ちゃん」
「え…」
驚いて姫を見ると、姫は柔らかく笑っていた。
「とても、強くなった。凛々しくなったわ」
「夕ノ姫…」
そう呟くと、彼女はとても悲しい目をした。
「…これから戦が、幾度となくあなたを襲う。そして、あなたはまた大切な人を亡くしていく」
重すぎる言葉が心にのしかかる。私は早くなる鼓動をおさえようと、手のひらをギュッと握った。
「悲しい出逢いもあるわ」
「悲しい、出逢い…?」
出逢いって?
一体誰と、と問おうとした瞬間、視界がぼやけて目眩がした。
「夕ちゃん、あなたは強いわ。私より…ずっと強い」
「ひ、め…」
姫に向かって手を伸ばすが、届かなくて虚しく空気を掴む。
「けれど…あなたは優しすぎる。その優しさで、いつか誰かが傷つくわ」
***
「悲しい、出逢い…」
目を開くと、見慣れた天井。最近夕ノ姫の夢をよく見る。
彼女は、これから私に起こる運命を知っている。敦盛君のことを知っていたように…
だから、忠告してくれているのかもしれない。
「今日は、宇治川に行く日だ…」
ゆっくりと体を起こすと、冷たい空気が背中に触れた。
「また、誰かを亡くす…?」
嫌だ。
もう私は決めたんだ、誰も傷つけさせないって。
「みんな、守ってみせる」
顔を洗う為手ぬぐいを持って、私は小走りで部屋を出た。
***
「夕、準備は出来たか?」
「うん。大丈夫」
頷くと、将臣君は微笑んで、整列した兵の前に立った。
「正面は俺がいく。昨日話した通りに、お前らは夕に着いていけ!」
「「「おおー!!」」」
ここに居るのは、私が率いる兵の人達。知盛さん達は違うルートで、私達は山の中から回り込む。
「気をつけて行けよ、夕」
「うん。将臣君もね」
「おうよ!」
将臣君は私の頭をポンと叩いて、自分の持ち場へと馬を走らせた。
私達は山道からの奇襲なので馬に乗らず、歩きで目的地へと目指す。
二十人程の兵を見渡して、私は微笑んだ。
「みんなで平家を守ろう。そして、戻ったら美味しいご飯を食べようね!」
「「「おおー!!!!」」」
***
「経正、様子はどうだ?!」
「敵軍は我々を目にし逃亡しているようです。この具合でいくと勝利は固いでしょう!」
「オーケー!突き進むぜぇぇー!!」
「「「おおー!!」」」
俺達の勢いが増すと、木曽軍は怖じ気づきどんどんと刀を放り出し逃げていく。
俺達から逃げても、木曽義仲は源氏にやられるがな。
「にしても…やべぇな。宇治川までに仕留めたかったが…」
あと少しで宇治川だ。
宇治川より向こうに行くと、俺達と同じく木曽軍を討たんとする源氏がいるはず。
「将臣殿、木曽義仲を討ち取りたいところですが…一番の目的は平家を守ることです」
「…だよな」
俺は大きく息を吸い込み、周りにいる兵に聞こえるようデカい声を出した。
「敵の敗北は見えてる!宇治川より先に行く奴らは見逃して構わねー!敵の首より自分の首守っとけよ!」
「「「おおー!!」」」
少し微笑んだ顔をした経正に、俺はニカッと笑ってみせた。
「…敵がみんな逃げたら、俺らも帰ろうぜ!」
「…はい!」
***
「夕様!伝言です!」
「どうしたの?!」
逃げていく敵に戸惑いつつ刀を振り回していると、将臣君の隊の兵士が一人馬を飛ばしてやって来た。
「宇治川より先には源氏が居るので、川向こうに行く敵は見逃し、我々も頃合いを見て撤退とのことです!」
「源氏……うん、分かった。ありがとう!」
「はい!では、お気をつけて!!」
川向こうに源氏…
今すぐ向かって敦盛君の仇を取りたいけど、みんなの命を守る方が先だ。
私は刀を握り直し、斬りかかってくる数少ない敵に向かった。
***
「もう、いいかな…」
上がる息を整えつつ、辺りを見渡す。
所々軽い怪我はしているけど、全員無事のようだ。
「みんな、大丈夫?」
「「「はい!!」」」
「良かった…じゃぁ、将臣君達のとこに戻ろう!」
「「「おおー!!」」」
***
「将臣君!」
「夕!怪我はねぇようだな!」
「将臣君も…みんな無事だね」
私達は宇治川より少し離れた場所に集まった。他の隊の兵士達も軽傷で済んでいるみたいでホッとする。
木曽軍は宇治川より向こうへと逃亡し、この戦は平家の勝利に終わった。
「では…みなさん、我らの陣が宇治神神社にありますので、そろそろ迎いましょうか」
少しの休息の後、経正さんの一言で私達は疲れた体を起き上がらせた。
その時、
「皆の者、御苦労だった」
木陰から、大人びた口調の幼い子供が出てきた。
その子は綺麗な赤い髪を束ね、黄金に輝く衣を身に纏っている。
彼は誰…?
みんながあ然としている中、小さな小さな声で、敦盛君が呟いた。
「…叔父上……」
叔父上…?
まさか、そんな…
私は震える唇をゆっくりと動かした。
「あ、貴方は…、清盛さん…?」
彼は口の端を上げて笑った。
「いかにも。この清盛、黄泉の国より源氏に復讐すべく舞い戻ってきたぞ」
***
陣にはすでに惟盛さんも居るらしい。
みんな、みんな怨霊として蘇った。
私は陣への道をとぼとぼと歩きながら、今起こった状況を必死に考える。
…清盛さんは、いくつかの道具を使って蘇った。最初に蘇らせたのは敦盛君で、その時に自分自身の体にも蘇る術をかけていたみたいだ。
そして、蘇ってから惟盛さんも舞い戻した。
みんな、怨霊として。
「…敦盛君、」
小さく問いかけると、前を歩いていた彼はゆっくりと振り向いた。
「どうした?」
「……みんな、蘇ったね…」
「…あぁ」
既に怨霊の身である敦盛君に言うのは残酷かもしれない、けれど私は、問わずにはいられない。
「…清盛さんは、死んでしまった人をみんな怨霊にするのかな…」
「…そうかもしれない」
「それは…それは、」
正しいの?
そう問おうとして、私は口を塞ぐ。
こうして私が今敦盛君と話せているのも、清盛さんが蘇らせてくれたからだ。
正しい、正しくない。
そんなの分からない、でも…
「…夕、私は怨霊の身として蘇ったことを後悔している」
「敦盛君…」
「太陽の暖かさも、風の冷たさも分からない、小鳥を肩に休ませる事も出来ない」
「…」
敦盛君は歩みを止めて、私の目をじっと見つめた。
「けれど、もう一度夕を守ることが出来る機会が与えられたと思えば、苦しいと感じない」
「敦盛君…」
「太陽の暖かさも風の冷たさも分からないが、あなたの笑顔は、私の中に染み込んでくる」
敦盛君は優しく微笑んで、私の頭を撫でてくれた。
「怨霊になった私に、触れる事を許してくれた」
「…」
「きっと私は人間の頃より、今の方が幸せだから」
「……」
「だから、私は蘇ったことを嬉しく思う」
そう言って笑う敦盛君は儚くて、今にも消えてしまいそうだった。
「…私も、敦盛君にまた会えて嬉しいよ」
「……ありがとう」
照れくさくなって、また歩み出そうとした時。
―――――パァァァン!
「経正ぁぁ!!!」
前列から、銃声と将臣君の叫び声が聞こえた。
20091007