別れ、再開(知盛視点)



こんなにも自分を呪った事はなかった。

自分のせいで一番守りたいと思っていた女が傷ついて、それでも俺の体は何の異常も起きていない。

正直、気が狂いそうだった。


「知盛」

「…」

「夕ノ姫のそばに居てやれよ」

「…」

「…知盛!」


有川は、庭で突っ立っている俺の胸倉を掴んだ。俺は半ば放心状態で有川を見る。


「頼むから、最期くらい…側に居てやれよ!」

「…最期…」


嗚呼、やはり夕は…

ゆっくりとした足取りで、夕の部屋へと向かう。もう何度も行き来していたはずなのに、何故か知らない場所に思えた。

部屋の前には、夕付きの侍女が頭を下げて座っていた。


「…知盛殿、姫がお待ちでございます」


ゆっくりと、襖を開ける。

部屋には夕が好きな白梅香がほのかに香り、懐かしさで胸がいっぱいになる。

そんな愛らしい部屋に、不似合いな恰好をした夕。

熱にうなされ熱いはずなのに、白い肌は青白く、冷たい。半開きの唇からは小さく息の音が零れていて、布団の隙間から見える彼女の細い肩には赤が滲む包帯…

見たくなかった。

愛しい女をこんな姿に、俺がしてしまった…


「夕…」


消え入るように呟けば、目を閉じていた夕は微かに目を開いた。俺はゆっくりと夕の側に座る。


「と、もも…り様…」

「…話すな」

「来て、くれた…ん、ですね…」


ふわり、と。いつものように微笑む夕の姿が痛々しくて、胸の奥から訳の分からない感情が込み上げてきた。

どうしていいか分からなくて、夕の手を握る。


「…夕、夕」

「ふふ…知、も…様…夕は、ここに居ますよ」

「すま、ない」

「あ、謝らないで…あなたは、何も悪くない」

「なぜ…」


こんな姿になってまで、どうしてお前は笑うんだ。こんな姿にした俺に、どうして笑いかける…?


「知盛様…愛しています…」

「俺も、夕を愛している」


冷たい小さな手を両手で握り締め言うと、嬉しそうに笑った。


「夕は、幸せです…愛する人に愛され、あなたを守れた…」

「…夕」

「…けれど、もっと、一緒に居たかった」

「…ずっと一緒だ、俺と夕はずっと、」

「…、あなたは生き、て…」

「夕、」

「…ありが、とう」

「…夕?」

「…」

「…夕、」



何度名前を呼んでも、夕が返事をすることはなかった。

いつもは呼ばずとも側に来ていたのに、なんで、どうして。

微笑んだまま動かなくなった夕、俺の目の前が曇る。暖かい何かが頬を伝った。

それが夕の顔に落ち、すぐに冷たい水になって流れる。

俺は、空っぽになった。

いや、きっと…前の生活に戻っただけ。宴の毎日、退屈な毎日。



「知盛様、庭が花で溢れていますね」



隣に、夕が居ないだけ。



「知盛様も舞をされていたのですね。なら、いつか共に舞いましょうね」



隣で、笑ってくれる夕が居ないだけ。



「夕…」



本当に大切な存在は、後になってその大きさを知る。

当たり前だった日常、当たり前だった幸せ。

全て、自分のせいで亡くしてしまった。


衰えつつある平家。

俺も、時代と一緒に消えてしまいたかった。





***







あれから一年がたった。

元より感情を出さなかった俺は、完全に笑うことを忘れた。

一時も、夕を忘れたことはない。時々、あいつの声が聞こえるようで、だけど呼んでも返事は返ってこないからどうしようもない。

ある夜、騒がしい宴を尻目に、俺は自室で眠っていた。

夢の中、夕の後ろ姿が見えて、俺は必死で名前を呼んだ。


「……夕、」


少しだけ立ち止まった夕は振り返る。だが、逆光で表情は見えない。



「……っ、」

「泣いてるの…?」





***







目が覚めるといつもの見慣れた天井。あの夢は、あの声は…きっと夕。夕しかいない。

そんなに寝ていなかったようで、庭に出るとまだ宴の音が聞こえていた。


「満月、か…」


だからきっと、あんな夢を…

俺は一人、屋敷を出た。

向かう先は、いつか夕と共に歩いた森の中。あの時は春先だったが、今は真冬…

凍えるように寒いが、歩いた。理由もなく…

しばらく歩いた時、遠くで一瞬何かが光った。妙な胸騒ぎがして、小走りでそこへと向かう。


「…望美…」


誰かを呼ぶ声。


「将臣君、譲君」


将臣…?有川か…?

だが、この透き通るような声は…


森の奥に行くと、座り込む小さな後ろ姿…夢の中で見た姿と、同じ。


「………夕?」


たまらず呼ぶと、その人影はゆっくりと振り向く。






目眩がした。なんでここに…

嗚呼、そうか。


「今宵は満月だからか…?」

「え…」


驚く夕に近付く。


「またお前に、会えるとは…」


愛しいその顔に、手を伸ばした。


「いや…!」

「…っ……」



――バチンッ



拒絶。

そうか、お前はやはり俺を恨んでいるんだな…


満月を背に、歪んだ顔を夕に向ける。すると夕は、涙を流しながら、叫ぶように言った。


「なんで…私の名前を知ってるの……みんなはどこ…?」


怯えたような表情。


「あなたは、誰…?」



なぜ、せっかく会えたのに。

だがこいつは、間違いなく夕。最期に見た夕よりも幼さを残しているけれど、俺が見間違えるばずがない。頭の片隅で、有川がおそらく一緒にこの時代に来た幼馴染とやらが夕ノ姫と似ていると話していたのを思い出したが、どうでも良かった。

記憶がないなら、俺を知らないなら、ならばもっと知ってくれればいい。


「…平 知盛、だ」

「………」


俺は何も言わない夕の腕を引っ張って歩いた。

久しぶりに握った手は、暖かくて。泣きたくなった。





***






屋敷に戻って、けれどどうしたら良いか分からなかった俺はすぐに有川を呼んだ。駆けつけた有川に、夕は半泣きで飛びつく。

それを見て、俺は理解した。

こいつは夕、だけど夕じゃない…

やはり、有川と同じ異世界とやらに居た、有川の幼馴染。

でも、例えこいつが夕ノ姫でなくても、俺は…





「お、おはようございます…」

朝。

昨日泣き喚いていた夕は、俺を見つけるなり控えめに言った。


「おはようございます、知盛様。今日はお早いのですね」


脳裏には、昔の夕。


「あ、あの…」


いたたまれないと言った表情をする夕に近付いて、手を伸ばす。

暖かい、頬。昨日のように拒絶はされなかった。


「…夕……」

「と、知盛さん…?」


頬を薄紅に染める夕は、俺を下から覗くように言った。



「…どこか、痛いんですか?」


そうだ、心が痛い。

そっくりな夕に対して、どうしようもない程の愛情と後悔が浮かぶ。


「知盛さん…?」


だけどこいつは、違う…


「…さてな……」




分からない、分からないんだ。

どうしていいか、どう接したらいいのかが。

手に残る懐かしい温もりを、忘れないようにぎゅっと手のひらを閉じた。






20081208


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