懐かしい感覚
あれは今年の夏。
「両選手、前へ」
審判の声で、私は竹刀を握り前へと一歩進む。対戦相手は他県の先輩で、去年のインターハイ優勝者である。
なんとかここまで来れた。
同じ学校の先輩からレギュラーを取って、トーナメントで勝ち上がってきた。
私は防具越しに対戦相手を見つめる。隙間から見えた彼女の表情は、去年の優勝者の貫禄だろうか、自信に満ち溢れていた。
だけどそんなのは関係ない。
応援席には、望美と将臣君と譲君がいる。遠いのに、わざわざ応援しに来てくれた。
部活が忙しくて全然遊べなくて、それでもずっと応援してくれたみんな。
3人に『ありがとう』の気持ちと一緒に、優勝トロフィーを送りたい。
気合いを入れて、構える。審判が旗を上げた。
「始め!」
夢中で攻めた。相手が考える時間を与えないため、とにかく打ち付けた。
―――バシィィィ!
「…終了!勝者、平野選手!」
***
懐かしい思い出と共に目が覚めた。私はむくりと起き上がり、両手を握る。
「夢…」
夢のはずなのに、竹刀を握った感覚がやけにリアルで。こっちの世界に来てからまだ少ししか経っていないのに、体が鈍ってる気がして仕方ない。
「望美、譲君…」
二人は無事でいるだろうか。
私は不安を消すように頭を振り、服を着替えて部屋から出た。
こんな時代だから竹刀の一本や二本転がってるだろう。そう思い、屋敷内を散策することにした。
が。
「広い…」
とにかく広い。本当に広い。広すぎて迷子になりそうだ。というか、
「…もう迷子になってるかも」
入り組んだ廊下、いつの間にか知らない風景に変わっている。
少し焦りながらも、とりあえず竹刀を探す事は忘れない。
辺りをキョロキョロしていると、後ろから声をかけられた。
「あの…」
振り向くと、私と同じ年くらいの、すごく綺麗な顔立ちの男の子がいた。
困ったような表情の彼は、控え目に口を開く。
「…その、いかがなされたのですか?」
「あ…すみません、ちょっと竹刀を探していて…」
「竹刀?何故、そのような…」
そういえば、彼は先日の宴会に居たような気がする。綺麗な紫色の髪だなと羨ましく思った。
「…少し、息抜きをしようと思って」
「ですが…姫が竹刀など…」
『姫』
それを聞いて、少しだけ居たたまれなくなる。
「私は…姫じゃないです。だから…」
そう言うと、彼はハッとしてから申し訳なさそうに俯いてしまった。
「も、申し訳ありません…あなたが将臣殿の幼なじみと知っていながら、失礼な事を…」
「あ、いえ…気にしないで下さい。私の方こそすみません」
「いや、あなたが謝る事では…」
「でも、あなたが謝らなくても…」
「…」
「…」
なんだか可笑しくなって少しだけ笑うと、彼も微笑んでくれた。
「私は、平野夕といいます」
「あ…遅れて申し訳ない、私は平敦盛です」
「敦盛さん、と呼んでも良いですか?」
「はい、お好きなようにお呼び下さい」
なんだか堅苦しい言葉使いに、思わず苦笑いをしてしまう。この時代の人はみんなこんな話し方なのだろうか。
「敦盛さんは、今何歳ですか?」
「十七になります」
「…同じ年じゃないですか!」
「え…あ、そ、そうですか」
なんだか嬉しくなって、つい大きな声を出してしまう。
「せっかくなんで、敬語はやめて下さい」
「し、しかし…」
「お願いします」
敦盛さんは困っていたが、頼むとしぶしぶ納得してくれた。呼び方も、さんは辞めて君に変える。
「敦盛君、竹刀のある場所分かる?」
「ああ、案内する」
こっちの世界でできた初めての友達は、男の子なのに綺麗で、不器用で、だけど優しい笑顔をする人だった。
「ここだ」
「わー…」
敦盛君に案内された場所は、屋敷から少し離れた場所にある大きな小屋だった。しっかりとした扉を開くと、中には沢山の竹刀や、刀や弓…
それがリアルで、ここは戦が起こっている時代なんだと実感する。
「夕殿、これで良いだろうか」
辺りを見渡す私に、敦盛君は一本の竹刀を持ってきてくれる。
「これ借りてもいいかな?」
「ああ、ここの物は好きに使ってくれて構わない」
「ありがとう」
久しぶりに握った竹刀の感触が懐かしくて、今朝見た夢を思い出す。
ほんの数ヶ月前のことなのに、もう随分も前の出来事のように感じた。
敦盛君と屋敷に戻って廊下を歩いていると、思ったよりも早く自分の部屋に着いた。
「…もしかして、さっきの小屋と近い?」
「ああ、そう遠くはない」
よほど遠回りでもしたのか…敦盛君と会わなかったらどうなっていたことやら。
「…夕!それに敦盛も一緒か」
「あ、将臣君」
「将臣殿」
後ろを振り向けば、片手を上げて歩いてくる将臣君の姿。
「夕…昨日は悪かった」
「なにが?」
「酔った清盛に、舞えって言われてたんだろ?」
「あ…」
「本当にすまねぇ…酔ったからって、お前に怖い思いさせちまったな」
「そんな、私は大丈夫だよ?」
将臣君は、眉を寄せたまま。
「さっき、重衝に怒られてな…夕、これからはちゃんとお前を守るから」
そんなことを真顔で言われると、さすがに照れてしまう。それを隠すようにとりあえず笑った。
「本当に大丈夫だよ。それに、知盛さんが助けてくれたから」
「…そっか」
将臣君は安心したように笑うと、隣にいる敦盛君に向き直った。
「敦盛、こいつに何かあったら…お前も助けてやってくれな」
「…はい」
「もー…大丈夫だって!」
いつにも増して心配性な将臣君に苦笑いすると、将臣君は怒ったように私の頭をガシガシッと撫でた。
「大丈夫じゃねーんだよ…ここは簡単に殺される時代なんだ」
「……そう、だったね」
さっき小屋で見たリアルな武器の数…忘れてはいけないこと。
「今は危ねぇ時代だ。だが…ここには俺や知盛、重衝や敦盛みたいな奴もいるからよ」
正直怖いけれど、安心できる人達がいてくれる。私は持っていた竹刀をぎゅっと握った。
「…将臣君、私も頑張るよ」
「ん?」
「…少しは役に立つと思うから…」
将臣君は竹刀を見ると、驚いたように目を丸くした。
「それ…」
「この時代には全然通用しないと思う、でも…やらないよりマシかなって」
「夕…」
「…昨日の清盛さん、怖かった。それは、私がこの時代では弱いからかなって思ったの。だから…ダメかな?」
やれやれと言った風に、将臣君は溜め息を吐く。
「…危ねぇことはすんなよ?」
「…うん!」
「ま、これでもお前は現代の高校生日本一だもんな!よっチャンピオン〜」
「これでもって失礼でしょ」
あははと笑い合う私達に、敦盛君が控えめに口を開いた。
「あの…夕殿は、日本一…なのか?」
「おう!こいつは高校生で剣道日本一なんだよ」
「こ、こうこうせい…?」
「えっと…十五歳から十八歳までの人のことだよ」
「そんで、夕はそいつらの中で勝ち上がって日本一になったんだ」
インターハイとかトーナメントとか、そういう言葉を使わないと上手く伝えられない。
敦盛君は口を開けて、目に見開いている。
「夕殿は、その高校生の人を皆殺しにしたのか?!」
「え!違う違う!武器は竹刀だから…」
「あ…そうだったのか、すまない」
「俺らがいた場所は、殺人は罪になるんだ」
「罪に…」
「うん、でも竹刀を使ってやる剣道は、武道なんだよ」
「…そうなのか」
しばらく3人で話した。
将臣君と敦盛君は用事があるらしいので、私は一人で練習でもしようかと庭に出た。
雪があまり積もっていない場所を探し、竹刀を握り素振りをする。
「やぁ!」
―――ビシィ
空気を切る音が響く。久しぶりの感覚を取り戻すように、しっかりと、そして力強く竹刀を振る。
あと百回やったら休憩しようかな…
そう思った時、後ろで足音がした。素振りを止めて振り返ると、そこには無表情な知盛さんが私を見ていた。
20081205