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陽炎にキス 02


時間帯のせいか混雑している電車。この路線はまだマシな方だと分かってはいるけれど、電車が来た瞬間に中に詰められてる人を見ると重い溜息が出てしまうのは仕方ないだろう。その中に一緒に詰められて、空気の悪さに眉を顰めながら何とかやりすごし、降りる駅に着いたら逃げるように降りて、また違う電車に乗り換える。
家に帰るまでの毎日のルーティンなのに、心が疲れていると体までどっと疲れるのは何でだろう。

いつも以上に重い体を動かしながらやっとの事で家に着いても、シンとした一人暮らしの部屋では特に気分が上がる訳でもない。空腹を満たすためだけに口に運ぶご飯は味気なくて、そこそこお腹が満たされた時点で箸を置いてしまった。

何だか疲れたし、甘いものが食べたいなぁ。その思いと同時に浮かび上がるのは、「一個しかないから、ナイショね」そう笑った黒尾さんの顔。
あの瞬間は確かに幸せを感じていたのに。帰り際のあの話を聞いてからはズンと重いものがのしかかっているような感じだ。


「お菓子、持って帰ってくれば良かったな」


ポツリと独りごちてみても、当たり前のように返ってくる言葉なんてない。黒尾さんからもらったお菓子が手元にあればどうしても思い出してしまう。そう思って置いてきたのに、結局こうして考える事になるんだったら素直に持って帰ってきて、今の物足りなさを満たしてしまった方が良かったのかもしれない。

一度考えたからかどうしても甘いものが食べたくなってきてしまい、何か無かったかと冷蔵庫の中を開けて見るけれどそう都合よく求めているものが入っているはずもなく肩を落とす。
コンビニまでは歩いて数分の距離だ。一度家に帰ってしまってからまた出掛けるのはかなり億劫だけど、今食べたいし。
頭の中で天秤にかけてみたけれど、今の気持ちならどちらに傾くかなんて分かり切っている。既に何を買おうか考えながら財布とスマホを掴んで家を出た。

遠くから聞こえてくる酔っ払い特有の大きな声や、カツカツとヒールで音を立てながら電話して歩くお姉さん。普段なら好ましく思わない人々も、そこそこ遅い今の時間帯になってくると一人じゃないという安心感を与えてくれる。
窘められない程度に行き交う人を見たり、存在感を放つ店の看板に視線を移しながら歩いていれば、目的のコンビニまではあっという間だ。

店員の気のない声を背に、一直線にスイーツが陳列されている場所へ向かい、プリンやシュークリームを見ていると「あれ?高宮さん?」後ろから掛かった声にピクリと肩が跳ねた。
聞き覚えのありすぎるその声にまさかとは思いながらも振り向けば、頭に思い描いていた通り数時間前まで一緒に居た黒尾さんの姿。
何で、会いたくない時に会っちゃうかなぁ。


「デザート?」
「ははっ・・・まぁ、そんなところです。黒尾さんは?」
「俺?俺はビールとつまみをね」


大きな手に握られた二つの缶とおつまみの袋を見せられて「なるほど」と納得してみせたけど、ふつりと心の奥底から滲み出てきた嫉妬心。
帰って、彼女と一緒に飲むの?彼女はご飯とかおつまみ作ってくれないの?
私だったら・・・と、そこまで考えたところで馬鹿馬鹿しくなってやめた。
コクリと息を呑む事で感情を押さえ付け、意識的に口角をあげて笑顔を浮かべる。


「お酒ばかり飲んでるとお腹が出ちゃいますよ」
「言うねぇ。ま、俺はまだまだ安全圏ですけど?」


誤魔化すように口から衝いて出たのは揶揄いの言葉だったけれど、見事なカウンターパンチをくらう結果になってしまった。
私の言葉を聞いた黒尾さんはニヤリと口角を上げながら、見てみろと言わんばかりに腹部を一撫でする。ペタリとしているそこには贅肉なんてないのは一目瞭然で、きっと鍛えているんだろうという事が一目で分かった。
それだけでもドキドキと心臓が煩く鳴るのに、「触ってみる?」なんて冗談を言うから、つい恨めし気な視線を投げつけてしまう。


「セクハラですよ」
「うわっ、キッツ」


世知辛い世の中だわ。と、ケラケラと笑いながら言う黒尾さんに微妙な顔しか返せなかった。
たったこれだけやり取りなのに、振り回されている自分が嫌になる。シャツのその下を一瞬想像してしまったけれど、すぐにその腕の中に抱かれるのは自分ではないという現実に思い至って勝手にヘコんだ。
触れたい、触れられたい。そう思わせないで。そうやって心の中でいくら叫んだところで黒尾さんには伝わらない。

煩悩を振り払うように目の前のスイーツに視線を移したけど、興味が逸れてしまったせいか今は特に欲しいとも思えなくなっていた。わざわざこのためにコンビニまで来たというのに、素直すぎる欲求というのも困りものだ。
でも、買いに来たと言った以上何も買わずに帰るのも不自然だと思い、沢山陳列されている中から目に付いたプリンを適当に一つ手に取ると、すぐさま隣から伸びて来た手に奪い取られてしまった。


「ついでだし、一緒に買ってやるよ」
「え、でも」
「センパイには素直に奢られておいた方が可愛いぜ?」


揶揄うように笑いながらレジへと向かった黒尾さん。そんな事言われてしまったらもう何も言えなくて、広く逞しい背中をただジッと見据えた。
きっと家に帰ってあのプリンを食べる時、黒尾さんを思い出してしまうんだろうな。そしてまた複雑な感情に苛まれるんだろう。

何も知らずにただ黒尾さんの事を好きでいたなら、勤務時間外に会えたことに素直に喜びを感じて、さり気なく奢ってくれる黒尾さんの優しさに好きを募らせたのかもしれない。振り向いてもらおうと自分から積極的に話しかけたのかも。

結果的に玉砕することに違いはないんだけど、何も知らずにいた方がまだ幸せだったのかもしれないな。


「はい、ドーゾ」
「ありがとうございます」


ガサリと目の前に差し出された袋に思考を中断して、お礼を言いながら受け取った。わざわざ袋を別にしてくれるところが黒尾さんだよなぁ。
仕事でも良く目にするさり気ない気遣いに、今度は自然に笑みが漏れた。


「そういえば、高宮さんって家この近く?」
「そうですね。歩いてすぐです」
「じゃあ送ってくわ」


は?声には出なかったものの、驚きからそういう顔になっていたに違いない。
だって、なんで?会社の先輩って普通そこまでしてくれる?予想外の急な展開についていけずに狼狽えていたけれど、黒尾さんの急かす声に反射的に地面を蹴り自動ドアを潜った。


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