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陽炎にキス 03

なんでこんな状況になっているんだろう。
未だに混乱する思考のまま、時折掛けられる居酒屋の呼び込みの声を交わしつつ二人で歩き続ける。

来るときは一人で歩いてきた道を、好きな人と肩を並べて歩いているこの状況。戸惑いはあるものの、やっぱりどこか嬉しくて気分が舞い上がってしまう。
今だけ、帰り道のほんの少しの間だけ、この状況を楽しんでもいいだろうか。
黒尾さんの彼女には悪いとは思いつつも、滅多にない二人きりの時間にどうしても浮ついた気分になってしまって、我儘な自分が顔を出し始める。


「黒尾さんの家もこの辺なんですか?」
「おー、この先もうちょっと行ったとこ」
「えっ。凄い近いですね」
「そう?そのワリに今まで会ったことねーな」


勤務時間外だからかいつもよりも多少砕けている口調が新鮮で、それが今の状況を如実に表しているようで頬が緩む。何だか気を許されているような感じもするし。これが例え思い込みだとしても、たまには幸せな気分に浸りたい時だってあるんだから許してほしい。

勝手に口角が上がる頬を引き締めながら黒尾さんが指さした先を見つめる。同じ駅だというのは何となく知っていたけど、まさかこんなに近いとは思っても見なかった。
部署の飲み会とかで何度も一緒に飲んだ事はあるけど、何せ黒尾さんは人気者。上司からも後輩からも慕われている彼はすぐに離してもらえる訳がなくて、いつも二次会などに連れ出されてしまうから帰りが一緒になった事はないのだ。

そもそも、こうして並んで歩くのすら初めてかもしれない。
事務員の私は仕事で外に出る事も余りないし、有ったとしても一人で用事を済ませに行くだけ。だから、隣に並んでみて改めて黒尾さんて身長高いなぁ。なんて今更な事を思ってしまう。

気づかれないようにチラリと横を見ても、肩の辺りが見えるだけでその表情を窺い知る事は出来なくて、ヒールを履いても全く縮まる事の無い身長差は今時の男の人では珍しい。と変に感心してしまった。


「今度一緒にメシとか食いに行くか」


家が近いと行きやすいよな。そう続けられた言葉に思わず眉を顰める。今度は首を上に向けて黒尾さんの顔を見るが、いつも通り飄々としていて何を思っているか分からない。
単なる社交辞令なのか、それとも本気なのか。何て返すのが正解なんだろう。

一気に現実が襲ってきて、ふわふわとしていた思考がカチリと切り替わる。
だって、彼女がいるのに他の女と二人きりでご飯とか・・・無いよね。いや、もしかしたら会社の皆でって事だったのかな?でも今の口ぶりからするとどう考えても二人きりだよね。
彼女はそういうの、気にしないタイプ?それとも彼女には言わないで内緒にするのかな。あ、分かった!ただの会社の後輩とご飯。って事で女扱いされてないんじゃない?
・・・って、これ一番虚しいヤツじゃん。


「えー、そうですね。機会があれば是非」


忙しなく自問自答を繰り返した挙句に出した結論に一人で落ち込みながらも曖昧に返事をすれば「高宮さんって彼氏とかいるの?」と、今度はそれに対する返事でも何でもない疑問を投げかけられて、一瞬聞き間違いじゃないかと思ったがどうやらそうじゃないらしい。


「急ですね。いませんけど」


話に脈絡も何もあったもんじゃない。いたら今現在、こんなに苦労してませんけど。その思いが現れてしまったのか少し語尾がキツくなってしまったけれど、黒尾さんは気にした様子もなくニヤリと笑う。


「へぇ、そうなんだ?」
「何ですか。バカにしてます?」
「いやいや、してねぇって。高宮さん可愛いし意外だなって思っただけだって」
「そうやって適当な事ばっかり言う」
「ボクはいつも本気ですよ?」


両手を上げて降参のポーズをとった黒尾さんをジトリと睨み付ける。これはいつもの軽口で、私の事を揶揄っているだけだ。そう分かっているのに、勝手に浮ついてしまう心。「はいはい」なんて流すような相槌を打ったけど、内心では万歳をしながら喜んでいた。
だって、揶揄っているにしても可愛いって言葉は多少なりともそう思ってないと口から出ないよね。いや、例え冗談だとしても好きな人に可愛いなんて言われて喜ばない女なんていないだろう。
何にせよ、多少なりとも女子力を磨いておいて良かったと思った瞬間だった。


「なーんか、似てんだよな」


でも、そんな浮ついた気持ちに一言でピシャリと冷水を掛けられる。黒尾さんの瞳は私を見ているようで見ていなかった。私を通して他の誰かを思い出しているのが見て取れて、それが誰なのか頭の中で紐づいてしまい一気に気分が降下する。

これは、今だけは。なんて望んでしまった事への罰だろうか。滅多にないこの状況に浮かれていた私に、現実を見ろという手痛い仕打ち。ドキドキと高鳴っていた心臓も一瞬で平静に戻ってしまった。
あぁ、もう本当・・・バカみたい。何度同じ事を繰り返せば気が済むんだろう。


「あ、家すぐそこなので。ここで大丈夫です」
「おー。気をつけてな。メシ、今度連絡するわ」
「はい、おやすみなさい」


普段なら喜んでいただろうご飯の事も今はどうでも良かった。
今はこれ以上黒尾さんと一緒にいたくなくて。動揺を悟られないように無理矢理笑顔を浮かべてから踵を返す。彼に背中を見せると同時に顔はクシャリと歪んで、一つ角を曲がった瞬間に駆け出して逃げるように家へと向かう。
手に握られたままの袋が奏でるガサリという音が、余計に虚しさを煽った。


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