水槽の中の花束

『あどるふ、これ何?』

ルリがアドルフの元へ駆け寄り差し出したのは、大きな図鑑だった。ページの1枚1枚はわりと薄いのに、図鑑自体は物凄く厚い。

『これはハナカマキリだ』
『?…カマキリは緑じゃないの?』

ルリが小町からアドルフに預けられてから、少し日が経った。
ルリは相変わらず幼さが抜けない(小町は、心を閉ざしている所為だと言っていた)が、出会った当初よりアドルフに慣れたようで、ルリの方から話しかける回数が増えた。

『これは花に隠れて、寄ってきた虫を食べるんだ』
『…ピンク、可愛い』

写真のハナカマキリを指先で撫でるルリは幼く、とても16の少女には見えない。


     *     *     *


「(緋衣ルリ…16歳…国籍・ドイツ…両親が事故により他界、研究施設に引き取られ数々の実験を受ける………か、)」

アドルフは綴られる残酷な言葉の数々から逃げるように目を背け、ベッドで眠るルリへと視線を移した。
ルリはアドルフの服をしっかりと握りしめ、穏やかな寝息を立てている。…アドルフが編み出した、身代わりの術だった。
初めは嫌がっていたルリだが、アドルフが忙しい時の慰めとして受け入れたらしい。
アドルフは自分と似たような過去を持った少女に、何かしてやりたいと思っていた。


     *     *     *


『…あどるふ?』
『…ああ、悪い。何の話だった?』
『電気ウナギってあどるふが言ってた』
『ああ、これは――』

図鑑の写真を見せながら、アドルフは電気ウナギの説明をし始める。仕事の途中に少しだけルリに構ってやるつもりだったのが、いつの間にかルリを自分の膝に乗せ、しっかりと教える姿勢になっていた。

『これは俺の手術ベースの生き物なんだ』
『じゃあ、あどるふも電気出せるの?』
『まあな』
『…でも、あどるふも一緒にビリビリしない?』
『オレは平気だ。…次は、ルリのベースになった生物の話をしてやるよ』
『ルリはね、クラゲだよ』

感電しないのかと不安げに顔を曇らせるルリに、アドルフは安心させるように微笑む。…アドルフはルリと二人きりのとき、口元を隠さないようになっていた。何故かルリが嫌がるのだ。アドルフが口元を隠していると、不満げな顔で服の裾や襟を引っ張り外せと怒る。
アドルフにはその意図は分からなかったが、ルリが外せと言う以上特に隠す理由もないので、言われた通りにしていた。

『(…カツオノエボシ…これだ、)このクラゲは、小さな毒針で獲物を殺して――』

ルリのベースとなっているクラゲは、美しい見た目をしていた。手術には、生物の実用的な特徴のみを用いるため、その見た目が反映されることは無いのだろうが、それでもアドルフはルリの変態後の姿が見たいと思った。
彼女はこの生物の、どんな特徴を持っているのだろう。毒針はもちろんだろうが…この青い触手をその背中から生やしたりするのだろうか。
アドルフがそんなことを考えていると、ルリはいつの間にかアドルフと向かい合う姿勢になっていた。

『あどるふ、お腹すいた』
『…もうそんな時間か。何か食いたいものはあるか?』
『カレー作って!』

こうして、二人だけの穏やかな時はゆっくりと流れていく。


水槽の中の花束

(赤か白の花が好ましい)


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