深海の底よりあなたへ
アドルフが初めて少女と出会ったのは、U-NASA本部でのことだった。彼女は艦長の小町に手を引かれ、けれど小町に従い歩いている様子はなく、それはまるで聞き分けのない犬と苦労して散歩をさせる飼い主のようだった。
あっちへふらふら、かと思うと別の物に興味を示し繋いだ手ごと、小町を引きずって歩く。
「頼むからまっすぐ歩いてくれよ…」
苦笑する小町を、アドルフは気の毒には思ったが関わろうなどとは全く思わなかった。…しかし。
くい、
「…?」
服を引っ張られる違和感に後ろを振り返ると、数十メートルほど離れた場所にいたはずの少女(と小町)は、アドルフのすぐ後ろに来ていた。
「よ、アドルフ」
何とも言えない苦笑いを浮かべて、小町はアドルフを見る。
「こっち来てたんだな」
いつものように話す小町だが、少女の手を引いて(否、引っ張られて?)いる今の状況では、やはり普段通りとは程遠い。
「…あの、この子どもは?」
未だアドルフの服の裾を掴んだまま放そうとしない少女に目をやるアドルフに、小町は苦笑いのまま気まずそうに目を泳がせる。
「いやー…ちょっと、な。この子も手術を受けたんだけど…ちと問題行動が多くて目を離せないんだ。コミュニケーション取ろうにも、英語は上手く話せねえみたいだし、ドイツ語はオレが分かんねえし…」
「ドイツ語?」
小町の言葉にアドルフは首を傾げる。
少女の外見は黒髪にアジア系独特の幼い顔立ちだからだ。
「ああ、こいつ、ドイツと日本のハーフなんだけどさ…ガキの頃からずっとドイツにいたから、ドイツ語は話せるらしいんだ。…オレには何言ってるのかさっぱりだったがな」
「はあ…で、これはどういう意味ですか?」
アドルフは再び、掴まれた服の裾に目をやる。少女はじっとアドルフを見上げていた。
その顔を間近で見たアドルフは、ハーフという言葉に納得する。目と肌の色が明らかに日本人のものではなかった。
「オレもよく分からないんだが…そういやお前、ドイツ人だよな?」
「…はい、」
アドルフは何となく嫌な予感がした。小町の目は「閃いた!」とばかりに輝いている。
「…アドルフ…この子のこと、任せた!」
「はい?」
「今日一日だけでもいい。色々と通じることもあるだろうし、何よりお前に懐いてるみたいだしな。…ルリ、その人はアドルフっていうんだ。今日はその人が一緒にいてくれるからな」
「…あど、るふ…?」
「よし、じゃあ頼んだぞ、アドルフ!」
逃げるように去って行った小町を、アドルフは呆然と見送るしかなかった。
くい、くい…
「!………名前は」
再度服の裾を引っ張られたことで我に返ったアドルフは、とりあえず名前を尋ねる。小町は“ルリ”と呼んでいたが、名前なのだろうか。
「…緋衣、ルリ」
『ドイツ語が話せるのか』
『!!、あどるふも、ドイツ語話せるの?』
舌足らずな発音でアドルフの名を口にする少女は、ドイツ語をとても流暢に話した。…ドイツ人であるアドルフの名を上手く発音できないのは謎である。
少女――もとい、ルリは、アドルフの発したドイツ語に反応し、この日初めて嬉しそうな笑みを浮かべた。
深海の底よりあなたへ
(その柔らかな光は、あなたなのですか?)
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