陶器の奏でるワルツ

エヴァは戸惑っていた。
ドイツ班の班長の自室に来たはずなのだが、自分を見つめる視線の小さな主に心当たりがない。

「…えっと……アドルフさん、いますか?」

とりあえず、自分より小さなその者の目線に合わせて屈み、愛想笑いを浮かべたエヴァ。

「…」

しかし相手は無言のまま見つめ返してくるだけで、言葉を発する気配は無い。
エヴァは、自分を見つめる眼差しに“ある感情”が込められていることに気付いた。

「(この子…怯えてる…?)」

不安そうな、警戒しているような、上目遣いの視線に込もる怯え。
言葉が通じているのかどうかも分からず、どうしたらいいのだろうとエヴァが考えあぐねていた、その時。

『ルリ?どうした。誰かいるのか……エヴァか』
「!アドルフさん、あの…」
「そういえば、お前たちにはまだ紹介していなかったな」

アドルフがドイツ語を話しながら部屋の奥から現れ、ルリは素早くその後ろに隠れる。
エヴァは何を言えばいいのか分からず、ただ戸惑うばかり。
一人だけ思案顔のアドルフはこの日の午後、少し思い切った行動に出た。


     *     *     *


「全員いるな?紹介しておきたい奴がいる。…自分で言えるな、ルリ」
『…緋衣ルリです…ずっとドイツにいたので、ドイツ語は話せます…英語は苦手です…』

遠慮がちに頭を下げそそくさとアドルフの後ろに隠れるルリ。

エヴァがアドルフの部屋を訪ねて来たときにアドルフが思いついたのは、ドイツ班の班員とルリを引き合わせることだった。
好奇と優しさが入り混じった視線がルリだけでなくアドルフにも注がれるなか、アドルフは隠れてしまったルリの代わりに補足の説明をする。

「外見は東洋人だが、日本とドイツのハーフだ。事情があって少し精神面が幼い。見ての通り人見知りも激しい。だが、慣れれば普通に話せるようになる筈だ。話す時は出来るだけドイツ語で話してやってくれ」

ルリにとって見知らぬ大人たちと一度に会うのはとても勇気の要ることであり、精神的な負担にもなることだった。アドルフもそれは重々承知している。
しかし、朝のように知らない人に会う度に固まって警戒していては、ここで生活するのは難しいだろうとアドルフは考えた。
アドルフが傍にいるにしても、ルリを知る者は多い方がいい。まして、会う確率の高いドイツ班のメンバーなら尚更だ。

『私はエヴァ・フロスト。さっきはごめんね、ルリ』

アドルフの陰に隠れたままのルリに無理に近づいていいものかと班員たちが様子を窺う中、真っ先に動いたのはエヴァだった。
ルリもエヴァの顔を覚えていたようで、少しだけ警戒の色を弱める。

『……よろしく、えヴぁ』

…やはり人の名前を上手く発音できないのは、誰にも解明できないルリの謎。
エヴァの発音も少し惜しいのだが、どこかぎこちない。
その後も班員が一人ずつ名前を教えてみたが、一人としてルリに綺麗な発音で呼ばれた者はいなかった。

「…アドルフさん、あの――…」
「――…ああ。頼めるか、エヴァ」
「はい」

ルリの知らないところで交わされた約束は、のちにルリに運命的な出会いを果たさせる。



陶器の奏でるワルツ

(こんなのじゃ踊れない?いいえ、これでいいのです)


[ 8/13 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]