人魚のマーチ

『ルリ、来い』
『いや!』
『逃げていても終わらないぞ』
『や!』

一日中アドルフの傍を離れようとしないようにも見えるルリにも、自らの意思でアドルフの元を離れる時がある。それは、入浴時間。
アドルフが入浴の準備を始めると、ルリはこの時だけはアドルフから逃げ回る。
…どうやら水が怖いらしい。
手術のベースがクラゲの仲間だと言うのに水を嫌がるのは如何なものか、と最初は苦笑したアドルフも、毎回この追いかけっこに付き合わされていては笑ってもいられなくなる。
まずは、かくれんぼから始まるのだ。
アドルフがタオルや着替えを出している間に、先程まではくっ付いて離れようとしなかったルリがいつの間にか姿を消す。
厄介なのは、アドルフの能力を駆使してもルリを捕まえるのが難しいということだ。
ルリは五感に優れている。特に聴覚と嗅覚は動物並みだ。まして、普段すり寄っている人物の匂いなど、近付けば簡単に分かってしまう。
そして、逃げ足が速い。まるで日本にいたというニンジャのようだ、とアドルフは内心ため息を吐く。

『…ルリ、ちゃんと風呂に入ったら“いいもの”をやる』
『…いいもの…?』

警戒に染まっていたルリの目が、アドルフの言葉に反応し微かに好奇心の色をにじませる。
…アドルフは少しずつルリの好みを理解し始めていた。
未だに何を考えているのか分からないことも多いが、アドルフが知っているルリの“好きなもの”には共通点があった。

『艦長が日本の菓子を持って来てくれたんだ。いい子にしていたら、食べていい』
『!』

パッと目を輝かせたルリの“好きなもの”…それは、日本(japanese)。
駄菓子も好きだが日本の物であれば菓子は何でも食べる。基本的には食べ物を選り好みしないルリだが、日本食は別らしい。
他にも、浴衣、漫画、自分用の箸(使いたい一心で練習もしたらしい)、和柄の髪留め、かんざし、果ては日本人形まで(アドルフは初めて見た時かなりギョッとした)、ルリがアドルフの部屋に持ち込んだ数少ない私物は、日本のもので溢れかえっていた。
自分の中に流れているという、まだ見ぬ“日本”に憧れているのか、それともルリの中の“日本の遺伝子”の影響なのか。
小町が言うことを聞かないルリを釣るために与えた“日本”は、全てルリのお気に入りだった。

『…』
『よし、捕まえた』

大人しくなったルリに安堵の一息を吐いたアドルフは、しっかりとルリの手を握ってバスルームへと向かう。
16というルリの身体は、本人の精神とは反対にちゃんと成長していた。
148センチしかないルリを子どもだと思い込んでいたアドルフは、初めてルリと風呂に入った際自分の目を疑ったが、後日小町からもらったルリのプロフィールを見て納得する。
平均身長が10センチも違うと言われる日本とドイツ。ルリはその中でも更に低い方。幼い顔立ちも手伝って、アドルフはすっかりルリのことを10前後の子供だと思い違いをしていた。
…しかしそれは過ぎたこと。慣れとは恐ろしいものだ、とアドルフは思う。
ルリに女性としての恥じらいがないということもあり、全裸にさせることへの抵抗感もなくなっていた。

『お菓子、お菓子』
『目、閉じてろよ』

泡立てた石鹸をルリの顔に広げていくアドルフ。基本的には独りで自分のことを出来るルリだが、顔に直接何かを付けるのは嫌らしく、洗顔だけはアドルフがしてやることになっている。
もっとも、今現在のルリの脳内には、水や洗剤への抵抗はなく菓子のことで埋め尽くされているようにもみえるが。


人魚のマーチ

(尾ひれが付いてちゃ歩けない)


[ 5/13 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]