桜色の頬を撫でて
アドルフがエヴァの知らせで医務室に向かうと、丁度その入り口で燈たちと合流した。
青ざめた顔のシーラ、焦っているアレックスとマルコス、燈の腕に抱かれぐったりとしているルリ。
シーラたちはアドルフが来た(しかも走ってきた)ことに少なからず驚いている様子だったが、アドルフはそんなことには構わず燈から素早くルリを奪い、医務室へ入って行った。
「…風邪ですね」
一通り診察をした医師は明るめなトーンで静かに告げた。
「暫く安静にしていれば治ります。確か彼女、ここに来てからまだそんなに経ってませんでしたよね?少しずつ慣れてきて、緊張の糸が緩んだのかもしれません」
お薬出しておきますね、と微笑む医師に頭を下げ、アドルフはルリを抱えて部屋を出る。廊下には落ち着かない様子でアドルフとルリが出てくるのを待っていたエヴァ達が待っていて、アドルフが出てくると一斉にこちらを見た。
「…風邪だそうだ。迷惑かけたな」
アドルフはそれだけ言うとスタスタと歩いて行ってしまう。
エヴァ達5人は、その背中を黙って見送るしかなかった。
* * *
『ルリ…気付いてやれなくてごめんな』
ベッドで眠るルリの髪を優しく梳きながらアドルフは呟いた。
聞こえるはずのない謝罪。小町は「アドルフが謝ることじゃないだろ」と言っていた。恐らくルリも、聞いていれば首を傾げて不思議そうな顔をするだろう。
それでもアドルフは、ルリが体調を崩したことに責任を感じていた。
「…アドルフ、いるか?」
「…はい、」
ドアがノックされ振り向くと、ベッドルームの入り口にミッシェルが立っていた。
「見舞いだ。熱を出した時に日本人がよく食うものらしい」
ミッシェルが渡した保温容器には、日本の「おかゆ」が入っていた。
これならルリも喜んで食べてくれるだろう。
アドルフは礼を言って受け取り、容器をサイドテーブルに置く。
「…艦長が心配してたぞ…お前が自分を責めてるんじゃないかってな。…何でお前が負い目を感じる必要がある?ルリが熱を出したのは心配ではあるが、誰かが悪いわけじゃない。医者が言うには、緊張がほぐれた証拠らしいじゃないか。お前のおかげだろ、アドルフ?…たかが風邪くらいで、いちいち落ち込むな。ルリだって人間なんだ。風邪くらい引くだろ」
ミッシェルの言葉に、アドルフは俯いた。怒っているわけではないだろうが、肩の荷が下りたという風でもなさそうだ。
口元を隠し感情を表に出さないアドルフの気持ちを推し量ることは、ミッシェルには不可能に近い。
『……あどるふ…?』
「「!」」
短い沈黙を破ったか細い声に、アドルフとミッシェルは同時に振り返った。
『…まだ熱がある。大人しく寝ていろ』
「よ、ルリ。大丈夫か?」
『みっしぇる…どうしてここにいるの?あどるふに用事?』
熱で頭がはっきりしないのか、ミッシェルにドイツ語で話し掛けてしまっているルリ。首を傾げたミッシェルにアドルフが通訳してやると、ニッと笑ってミッシェルはルリの頭を撫でた。
「まあそんなとこだ。艦長がおかゆをくれたから、あとで食え」
『ほんと!?……あどるふ、どうしてお口隠してるの?それ、や!』
ミッシェルの言葉に目を輝かせたルリだったが、ふとアドルフに視線を移すとムッとして頬を膨らませる。
急に機嫌が悪くなったルリに目を丸くしたミッシェルは、ルリがベッドに腰掛けているアドルフの服の襟を膨れっ面のままぐいぐいと引っ張るのを黙って見守った。
「…部屋で口を隠していると、何故か怒るんです」
引っ付くルリを宥めながら、アドルフは状況を把握できないミッシェルに説明する。ルリは、流石に身体が怠いのか、数分も経たないうちに大人しくなりアドルフに捕えられてしまった。
ミッシェルはぱちぱちと瞬きを繰り返していたが、フッと笑うとベッドから立ち上がる。
「お前たちがラブラブだってのがよく分かったし、邪魔者な私は帰るよ。…ルリ、早く治せよ」
ポンポンとアドルフの腕に納まっているルリの頭を撫でて、ミッシェルは戻って行った。その背中を見送ったルリは、急にアドルフの腕を両腕で抱えるように強く抱き締める。
『…あどるふ、』
『どうした』
『あどるふも、どこかに行っちゃうの?ルリはまた、一人ぼっち?あの暗い部屋に戻される?』
あっという間に、ルリは泣き出してしまった。
ルリの目からみるみるうちに溢れてきた涙は、次々に頬を伝いぽたぽたと落ちていく。
アドルフは同じ悲しみを持つからこそ笑って一蹴することも出来ず、締め付けられる胸の痛みと共にルリを強く抱き締めた。
『…大丈夫だ。オレはどこにも行かないし、お前は一人にはならない。もう二度と、あんな所にも行かせない』
冷たい寝台や椅子の感触。ガラスの向こうに行き来する大人たち。繰り返される苦痛。…いつ終わるとも分からないその恐怖を、アドルフは知っている。
過去を変えることも弄られた身体を元に戻すことも出来ないが、少しでも長く安らかな時間を過ごせるようにと、アドルフは祈り続ける。ルリや、班員たちのために。
『熱が上がる。もう泣くな。大丈夫、ずっとここにいるから』
熱が出ると精神が不安定になるのは本当らしい。
つん、と鼻先をルリのとくっ付けて言い聞かせながら、アドルフは思った。
未だに零れ落ちそうな涙を湛えた瞳が、アドルフをじっと見つめる。
アドルフは顔を拭ってやってから、ルリを抱えたままの状態で横になり布団を被った。
桜色の頬を撫でて
(僕の心まで桜色)
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