二章

 食事を終えた嵐が食器を外に出すと、しばらくして足音が聞こえ、食器を持っていく音が聞こえた。そこで本格的に静かになった室内に耳を澄ませる。
 テレビなどはなく、人工的な音は全く聞こえない。草木の揺れる音でも聞こえれば良いが、夜ともなって雨戸を閉め切ったのだろう。音どころか空気の動きすらも感じられず、静けさに不思議な重みを増していた。その時々の隙間を縫うようにして他の宿泊客の声が聞こえるも、客が少ないというのは本当らしい。廊下を伝って聞こえる声は何を言っているのかまではわからない。笑っている、というのが辛うじてわかる程度だった。
「……どうするかな」
 卓袱台に頬杖をついて呟き、嘆息する。何となしにポットに触れると、中のお湯はまだ温かかった。
 お茶を入れて飲む気にもなれず、とりあえず卓袱台を避けて布団を敷き始める。小さな部屋は布団一組を敷いただけで、その半分が寝床へと変わった。
 疲れているはずなのに、眠気は全くこない。布団を敷いてみれば眠気もやってくるのではないかと思った次第だが、電光の下で白々と輝く布団の白さが余計に眠気を吹き飛ばした。
「………どうしたもんか」
 呟いてみても答えが返ってくるわけではない。天狗はいくら餌場が離れると言えど、嵐の家から遠くここまで付いてくることはしなかった。寒い、というのが一番の理由らしい。山にいた頃よりも嵐の家にいる方が温かく、めっきり野性というものを失ってしまったようだ。
 しばらく腕組みをして布団を見つめていた嵐だが、やがて吹っ切るように布団から視線を外す。そして鞄の中の奥深くに突っ込んでいた煙草とマッチを取り出してズボンの後ろポケットに突っ込み、電気を消して部屋を出た。
 室内は食事や嵐自身の熱気で暖まっていたものの、一歩廊下に出れば真冬を思わせる寒さが身を包む。フェルト製のスリッパが足元から立ち上る冷気を僅かに遮り、いやに頼もしく見えた。
 身を縮めて腕を組み、少しでも体温を逃さぬようにする。ぱたぱたと静かに廊下を進む足音のみが静寂を切り裂くも、切り裂いた先から今まで以上に重い沈黙が嵐の後ろを追いかけていった。下手に音がある方が、静けさはその存在感を増す。
 廊下を曲がったところで縁側に出、嵐は歩を緩めることなく進む。遠くに聞こえていた笑い声が段々と大きさを増し、何で笑っているのかがわかるほどまでになった。
 そして縁側に面した一つの部屋の前に立ち、嵐は一つ息を吸って障子を開ける。
 おそろしく滑りのいい障子はつっかえることなく体を滑らせ、嵐の体は一気に室内から漂う熱気に包まれた。
「……おう、何だ」
 電気を消した室内では、懐中電灯や古びたランプを中心にして四人の男が車座になって座っていた。皆、壮年というに相応しい年齢で、心許ない灯りに照らされた顔には年相応の皺が刻まれている。その全ての顔が笑いを収め、不思議そうな顔を嵐に向けた。
「迷ったのかい」
 最初に声をかけた男とは別の男が親しげに言う。嵐は苦笑して頭に手をやった。

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