054.回転寿司
一定のスピードで流れてくる皿を目で追いながら、黒髪の男が恨めしそうに呟く。
「全く、便利になったもんだ」
「嫌ならお前食わなくていいよ」
隣に座る金髪の男は飄々として言い、目の前を通り過ぎようとした中トロの乗った皿を取った。
「割り勘なんだろう。オレだけ損してたまるか」
「妙に頑固だねえ。大人しく文明の利器にあやかればいいのに」
「お前ほど軟派でいられなくて残念だ」
「それはどうも。日本産は皆、お前みたいなのかと思うと泣けてくるね」
「少しは見習え」
「ああ、そう。ところで食べないの?」
青い瞳に見つめられて、耀は苛苛とマグロの皿を取る。金髪の彼をまとう、モデル裸足の美しさは元来持つものだろうか、それとも吸血鬼として後天的に得たものだろうか。
だとしたら自分に備わってもおかしくないのにな、と耀は二カンまとめて一気に口に放り込む。隣でのんびりと中トロの切り身をご飯から剥がし、箸で器用に切って食べていたヴェルポーリオが、おお、歓声をあげる。
「大きい口だね」
「お前がとろとろしすぎなんだよ。何だその食い方」
「根が上品に出来ているものでね。本場の吸血鬼は貴族顔負けのマナーを身につけているものだ」
「人間顔負けの間違いだろ。非常識が常識を語るな」
「お前だって、この度はれて非常識の仲間入りじゃないか。やっぱり嫌かい?」
わさびでほんのり中心が染まったご飯を耀の方に寄せる。
眉間に皺を寄せて、耀はその皿を付き返した。
「その問答はもう飽きた。他に有益な会話はないのかよ」
有益、と口の中で呟いてヴェルポーリオはこれまたのんびりと、ご飯を切り分けて口に運ぶ。
醤油もつけずに何がマナーだ、と言いたくなったが、その行為すらも自分達には関係ないのだと思い、二皿目にもマグロを取る。
しょっぱかろうが、甘かろうが、このわさびの辛さも今の自分の前には灰に等しい。
──日本産の吸血鬼はこういうところで不幸だよな。
数少ない日本産と吸血鬼になったことで何が不幸か話し合ったことがある。
昼間に出歩けなくなったとか、友達との付き合いをやめたとか、日常的に自身へ関わる何かを断たねばならない事が不幸と苦笑しあった。かなり不毛な会話だったと思う。
その中で誰だったか、ふと、蕎麦や寿司を美味しく食べれなくなったと呟いた奴がいた。
蕎麦の味もめんつゆのあの甘さも、そして無くてはならないわさびの辛味も感じられず、それが本当に不幸だと感じたそうだ。
それまでそんな風にして蕎麦や寿司を吟味したことのない自分にとって、彼の言葉はいくらか衝撃的だった。言われてみればと思い出そうとしても、既に他の食べ物を受け付けなくなった舌には何の感慨もわいてこない。
それが、ひどく不幸なことに思えたのをよく覚えている。
「有益ねえ……そういやさ」
「うん?」
ペースよく六皿目のマグロを口に運び、耀はヴェルポーリオの方へ顔を向けた。すると、ようやく二皿目を手に取ったヴェルポーリオが箸で空をかきながら言う。
「何で吸血鬼の非常食はトマトジュースなんだろう」
「……は?」
「いやだからさ、血が飲めない状況下にある吸血鬼が手に持ってる物って、大概トマトジュースだよね」
そうだったか、と脳内を検索する。確かに、漫画や小説の中で美人の吸血鬼が青い顔で吸っているのはトマトジュースだったような気もする。
「それが?」
「うん、それが疑問。だって血と共通項なんて無いだろ。赤いだけ」
「青臭いのが血の匂いに似てるんじゃねえの」
自分が十皿食べている間にたったの二皿しか食べないペースは驚異に値する。マナー以前の問題だろう。
「そうかなあ」
「お前、嫌いなだけだろ」
「うん。お前は?」
「好き。血の代わりにはならんが」
「日本産と本場の違いってことなのかねえ」
「嗜好の問題だろ。産地の違いの所為にするなよな」
「じゃあワインで試そう。あれほど産地で旨味が変わるものも無いからね。トマトジュースは嫌いだし。日本だとどこが有名かな。ヤマナシ?」
トマトジュースはどこ行ったと内心で呟きつつ、耀はマグロを頬張りながら言う。
「知らね。本場のお口には合わないんじゃないんですか」
「いや、わからないよー。日本は新規開拓の地だから、まだ仲間内でもここのワインを飲み比べた奴はいないんだ」
「そりゃ随分と高尚な趣味だな。……巻き込むなよ」
「だって日本産でおれと仲良いのお前だけだもん。なんでか嫌われるんだよねえ、日本産には特に。何でだろ?」
きょとんとした青い瞳を向けられ、その態度だと言ってやりたくなるのを堪えた。自分も含めて真面目な気質の多い日本産にはヴェルポーリオの軟派な態度が気に食わないのだろうと思う。
それなのに付き合えている自分の忍耐には驚いたものだが。
「ま、いいや。じゃあ、ヤマナシに行こう。それでついでにナガノへ行ってソバを食べて……」
「お前に蕎麦の味がわかるのかね」
自分ですらもうわからないのに、と暗に秘めて呟く。
耀の多少ぶっきらぼうな物言いに一瞬言葉を切らせたヴェルポーリオだが、すぐさま笑顔になって耀の肩を叩く。
「馬鹿だなあ、お前。ワインの味は血の味、あれで一瞬だけでも味覚がまともになるの知らないのか」
「人が食ってる時に叩くな!んなわけあるか!」
「試したことある?」
ヴェルポーリオの瞳がいたずらっぽく輝く。
それに一瞬だけでも飲み込まれ、「本当かもしれない」と思ってしまったのが運のつきと言えよう。
さっと立ち上がったと思いきや満面の笑みで耀の腕を引っつかみ、そのまま引きずっていく。
「よしよし、やっぱりお前は素直だね。じゃあ行こうすぐ行こう。道案内よろしく」
耀の抵抗など気にも留めず、手早く勘定を済ませて店を出た。
──いいさ、どうせオレしか友達いないんだから。
「……でももうこれ以上我儘言うんじゃねえぞ。山梨行って長野行って蕎麦食ったら帰れ!」
「元気になって嬉しいなあ。わさびが効いたんだねえ」
「人の話を聞け!」
騒がしい二人組がいなくなった回転寿司の店内では、ネタだけ綺麗に剥がされたご飯が物寂しい顔で二人を見送っていた。
終り
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