050.雫と二人(3)


 時には腹が立つくらい忙しいのに、写真の中の皆は本当によく笑っている。

──その中の一枚。

 笑うマルコの隣で本当に嬉しそうに笑うアカシの姿が目に入った。偶然ではない。ロッカーを開けた時に自然と目が行ってしまうことは既に習慣となっていた。

 彼女と一緒に映った写真は一枚もない。彼女の視線の先の人物を知った時から、そうならないよう自分から避けていたのだ。

「……」

 写真をじっと見ていたタカミネは僅かに目を伏せて写真を取り、それから既にネームプレートの外されたアカシのロッカーのドアの隙間から写真を投げ入れた。一瞬の後にぱさ、と乾いた音が中から響く。

──これでいい。

 詰めていた息を吐き、残りの荷物を一気に詰め込んで、最後に白衣を脱ぐ。

 これまで積み重ねてきた過去と背負い続けたものが肩から下ろされ、不思議とすっきりとした気分を味わった。もっと寂寥感溢れるかと思ったが、存外に気持ちのいい爽快感がタカミネの心を迎える。迎えたそれが未来だと思った瞬間、ふっと心が軽くなった。

──これから歩くんだ。

 ロッカーのネームプレートを外して胸ポケットに入れる。そして荷物で一杯のダンボール箱の上に白衣を折りたたんで被せ、リュックを肩に箱を抱えて部屋を出た。

 途端にぶつかる喧騒のあまりの大きさに耳を傾けていると、受付で慌しくカルテ整理に追われているネイサンとヘレエが顔を上げた。

「タカミネ先生!オレ、待ってますからね!」

「お元気で!」

 言うだけ言うと整理したカルテを何枚か抱え込んで受付を出て行く。その多忙な背中はかつて自分も経験したもので、どこか微笑ましく見送った。

「送る会でもすれば良かった?」

 二人を見送りながら突っ立っているタカミネをヘンリーが振り返る。「送る会をする」という声が無かったわけではないが、タカミネがぎりぎりまで黙っていたこともあって、皆の調整が間に合わなかったのだ。しかし、ヘンリーの目はどうも面白がっているようである。自分が寂しさに胸を潰されているとでも思っているのだろうか。

「いや。それよりも検査結果が溜まってるぞ。知らせに行かなくていいのか」

「あ、やば」

 目の前に積み上げられた結果用紙の山に気付き、そちらへ集中する。

 タカミネが僅かに嘆息してようやく足を踏み出した時、ほうほうの態で逃げ出したらしいハワードが彼を呼び止めた。いつもはしっかり整えてある金髪も乱れ、息も切れ切れに受付カウンターに寄り掛かる。

 そういえば、ニアが押し付けた薬中の相手を彼がしていたんだったか。

「大丈夫か」

「……万全とは言い難い……」

「随分な患者みたいだな。男なのか?」

「ああ。随分も何も、言ってることは支離滅裂、おまけにベッドに連れ込まれるところだった……」

「……」

「言っておくが、ぼくは違うぞ」

「生還おめでとうとでも言っておこうか」

「ありがたく頂戴しとくよ。……ちゃんと見送ろうと思ったのに、次は坂道をスケートボードですっ飛ばした挙句に骨折した87歳の爺さんの相手だ。耳が遠くないといいんだが」

「それだけ元気なら大丈夫だろう。ベッドに連れ込まれる心配だけしてればいい」

「さっきは油断した。次は負けないぞ」

 勝ち負けじゃないだろうに、とモデル裸足の可愛らしい顔立ちを歪める同僚に向けて心の中で呟く。思えば彼ぐらいだ、自分とここまでくだけて話すのは。

 タカミネの内心など知らず、ハワードはカウンターから体を離してタカミネに向き直った。

「それで?いつまで行くんだい」

「さあな。使えないとわかったら強制的に帰されるかもしれない」

「それはやめてくれよ。うちの病院の名がすたる」

「そうならないよう頑張るさ」

「君はうちの管理部も出すのを渋る優秀なドクターなんだからな。交換条件でも出したのか?」

「とりあえず次の部長候補にお前の名を上げておいた。それで納得するかどうかは実は賭けでね、お前の実力次第だったわけだが」

「……なに?」


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