048.虹と追いかけっこ(2)


「……助けるのか」

 ネイサンが問う。マルコは答えず、ニアを見た。

「死んだら良いと思うか?」

 黒い瞳に見据えられ、ニアは肩をびくりと震わせる。

 しばらく考えて後、次の処置へ動こうとするマルコの考えを読んで、薬品を注入した注射器を渡した。

 見返したマルコの目を見ずにニアは言う。

「私は看護師だから。でも善悪の判断がつかないほど馬鹿じゃないわ」

 気管内チューブをマルコに渡して素早く言った。でなければ、恨み言しか出てこない気がしたからだ。

「ネイサン!手が空いてるなら手伝って」

 そろそろと動き始めた時間を叱咤するように扉が乱暴に開けられ、ヘレエが顔を出す。必死な顔とマルコを見比べると、彼は「行け」と言った。頷いて返し、先導するヘレエの後を走りながら状況を確認する。

「患者は」

「18歳女性、全身火傷、腹部に圧痛。肝臓裂傷。開腹してみないとわからないけど、出血量から見るとかなりの重傷よ」

「それだけか?」

 ヘレエだけで充分ではないだろうか。彼女も立派なドクターである。だが、ヘレエは汚れた滅菌グローブを投げ捨てながら振り向いた。

「お腹に赤ちゃんがいるのよ!」

「おいおい……随分若いママじゃねえか」

 軽口を叩きながらも、脳内で警鐘が鳴るのを聞いた。火傷の程度はわからないが、肝臓が負傷しているとなると出血量は半端を越える。体力があるであろう若さは唯一の救いだが、それでも母子共に非常に危険だ。敗血症でも起こされたらたまらない。

 患者と看護師と医者でごった返す廊下を掻き分けながら問う。

「何ヶ月なんだよ」

「五ヶ月!」

「ああ勘弁してくれ……!産婦人科は呼んだのか?」

「呼んだわ!だから、来るまで手伝ってって言ったのよ!話聞いてた!?」

「今聞いたよ!」

「手伝おうか」

 お互い言い合って走るネイサンとヘレエの様子にただならぬものを感じ、ハワードが声を張り上げた。だが、すぐさま声を合わせた「いい!」の声に気圧されて、ハワードは軽傷患者の診察に移る。重傷はあらかた外科やICUに回したし、他に見た患者は検査結果待ちだ。それまでは、と近くにいた、車椅子に座って足の出血をタオルで押さえる老人に向き直った。

「どうしましたか」

「見りゃわかるだろ」

 憮然とした表情で怪我を見せる。出血はひどいが、傷はそう深くない。消毒して縫えば終わりだろう。

 苦笑して備品室の棚から縫合セットを持ち出し、老人の車椅子を押して、空いたベッドに寝かせた。

「そう深くないので消毒して縫いましょう。痛みはまだありますか」

「とっくにひいたわい。あれだけ待たされりゃ」

「それは結構。いい兆候です。他に痛いところは?」

「無い。早くしてくれんか。家に帰りたい」

「ハワード先生」

 治療に移ろうとしたハワードに看護師が声をかける。振り向くと、結果待ちだった検査の結果を渡されて、看護師は走って他を手伝いに行った。

 ぱらぱらと検査結果をめくりながら顔に渋面を浮かべるハワードを見て、老人は周囲の状況を見回し、それからぼそぼそと呟いた。

 それも視線を反らせて、不機嫌そうに。

「もう少し厄介になるとするよ。車椅子よりはこっちの方が快適だ」

 ぶっきらぼうな物言いに一瞬驚いたものの、それが彼なりの精一杯の優しさなのだと気付いて苦笑した。こういう、不器用な人がこの病院には多いものだ。患者にも病院にも。

 ハワードが毛布を探して老人にかけていると、そこへ涼がやってきた。額に汗の玉をいくつもつけて、目は充血している。始めはしっかり結わいてあったネクタイも解いてポケットに突っ込んで久しい。

「外科に移る患者がいるって聞いたんですけど」

 慌しく聞く。外科もERほどではないにしろパンク状態にあり、施術は重傷患者のグレード順に行われていた。少しでも遅れようものなら次が押し、患者の容態も悪化する。ERのように矢継ぎ早に出来る治療ではなかった。

 今も手術を一つ終わらせてきたばかりで、他の医師が手術をしている間に遅れている患者を探しにきたところだった。看護師へ聞こうにも話が錯綜してうまいこと伝わらない。

「ネイサンのところじゃないか」

 検査結果を持って小走り気味に歩きだしたハワードについて涼は走り出した。

「どこです!」

「他の者に聞いてくれ!ヘレエもいるはずだ!」

 言うや否や白衣を翻して人ごみの中に消えていく。忙しいのはわかるがお互いさまだろうに。


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